とある竜のお話 改正版 FE オリ主転生 独自解釈 独自設定あり   作:マスク@ハーメルン

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とある竜のお話 幕間 【湖と門】

 

注 少しだけですが、聖魔の光石に出てくる存在が登場します。

 

 

 

 

 

ベルンの遥か西方の海に存在する常に深い霧に覆われ、まるで全ての侵入者を拒絶するかの様な風貌の島――『ヴァロール島』

ナーガに賛同し彼に従う派閥の竜族達の「殿」に次ぐ規模の施設が多数存在するこの島に竜族の王ナーガは空間を超越する転移の術を用いて訪れていた。

 

 

 

勿論、「殿」に目くらましとして自身の完全とも言える竜の眼を誤魔化せられる程の出来の分身を置いておくのも忘れてはいない。

万が一にでも対抗派閥の者達にここを見つけられる訳にはいかないのだ。絶対に。

 

 

 

 

そもそも何故ナーガはこんな辺境の孤島にその足をわざわざ運んだか? そして何故このような場所に拠点を築いたか?

 

 

 

その二つの疑問の答えは彼の眼の前にある。

 

 

 

巨大。その建築物を表す言葉にはこれ以外存在しえない。これの前では人の築く城など赤子の玩具にも見える。

 

 

 

膨大な数のそれ一つ一つに風化を防ぐ術を掛けられた石を積み上げ、組み合わせ、竜の持てうる全ての技術を投入して建造された

一目で人が作ったものではないと理解できる、所々にこれまた巨大な装飾の数々を施された、竜を奉る神殿にも似たどこか神聖な雰囲気を漂わせる外観の灰色の建造物。

 

 

 

それがこの「門」だ。正確に言えばこれはまだ入り口の部分なのだが。

 

 

 

 

これほど巨大な建造物を人間にも、そして竜にも感づかれず作るのにヴァロールという辺境の島ほど適した場所はエレブにはあまり存在し得ないからだ。

他に挙がっていた候補といえば、西方三島の西南、ミスル半島の西に存在するカフチという島ぐらいだ。

 

 

 

 

今日はこの「門」の建造具合を確かめに来たのだ。定期的な視察とも言える。

大量の石畳に覆われて整備された道を、純白のマントを翻しながらナーガは悠々と闊歩していく。

 

 

 

見るだけで圧倒される様な建物の入り口をまるで自身の家の入り口のように何の気負いもなく潜り、目的の場所を目指して歩を進める。

石の上を革靴で歩く時のカツカツと言う足音もなく、肩の上下の動きも全く無い、イデアに「幽鬼」と評された動きで滑るように奥へ奥へと向かう。

 

 

 

「門」の中は殿のイドゥン、イデアが産まれた祭壇と同じように壁や床そのものが竜族の技術で薄く発光している為、歩く分には問題ない。

 

 

 

途中幾体かの人影とすれ違うが、彼らは皆ナーガの事が見えてないかの様に、全員黙々と生気を感じられない動きで自身に与えられた仕事を機械的にこなしていた。

 

 

 

……不気味なまでに。

 

 

 

この「門」の建造に従事している者に人間は誰一人居ない。居るのは人間に似せて「創られた」文字通りの人形【モルフ】と人の姿に変身している竜達だけだ。

 

 

 

竜族のエーギルを用いた光魔法の高位の術によって創られる【モルフ】は基本的に思考をしない。創造主の命令に永遠に従い続けるだけだ。

勿論、そこには自分の命に対する執着など欠片もない。

 

 

 

死ねと創造主が命令すれば躊躇うことなく身近な道具を駆使して、自身の生命活動を断末魔の悲鳴一つ上げずに速やかに停止させるだろう。

 

 

 

当たり前だ、竜族の忠実な下僕にして使い捨ての聞く道具に自我など不要だからだ。反抗、そして反逆などされては困るからだ。

 

 

 

だから、【モルフ】は心を持たないし、感情も持たない。笑いもしなければ、泣きもしない。喜怒哀楽は完全に存在しないのである。

ある程度の量産の効く【モルフ】は死を恐れぬ使い捨ての兵士にも成りうるし、建築などの死と隣り合わせの危険な作業をやらせるのにも向いている。

 

 

 

 

報酬なども請求せずに最低限の装備でどんな事でも黙々と行う【モルフ】は最高の道具と言えよう。

 

 

 

しかし、正直ナーガはこの【モルフ】という存在を余り快く思ってはいなかった。

黒い髪、蝙蝠の様な金色の瞳、これらの外見的な特徴はともかく希薄ながらも、その纏う“気配”が気に入らないのだ。

 

 

 

そう、どう足掻いても所詮モルフは偽りの命。どうしても存在の違和感とも言うものが拭えない。

まるでそこに存在してはいけない、世界にとっての異物にも思える。

 

 

 

 

その歪んでいるとも言える存在感をナーガは個人的には好きではない。

もちろん長としてのナーガにとってはこれ以上ないくらい便利な道具だったので、モルフを使用をしないという選択肢はありえないのだが。

 

 

 

黙々と布切れを纏い、道具を使って自分達に割り当てられた作業に取り組んでいるモルフを視界の隅からも意識して排除しつつナーガは目的地である

「門」の最深部へと少しだけ速度を上げて向かう。

 

 

 

 

入り口の長い通路を抜けて、平均的な大きさの成体の火竜が入ってもかなり余裕があるほど広大な面積の大広間に出る。

 

 

 

薄暗く照らされて見える大広間の遥か奥には光の坂があった。否。あれは坂ではない。坂に見えるぐらいの幅と長さを持った石造りの階段だ。

事実、よく眼を凝らしてみれば表面にびっしりと段が存在していて、それら一つ一つが丁寧に発光しているのが分かるだろう。(踏み外しの事故防止のため)

 

 

 

と。その階段の奥から一人の人物が降りてきた。

紅いローブを纏ったその人物は段の上を滑るような速さで降りると、人間には到底出せない速度で床を滑ると400メートルはありそうなナーガとの距離を僅か10数秒で0にする。

 

 

そして、ナーガの前に来ると腰を折り、紅い髪が僅かだけ残り、頭皮がむき出しになった頭を下げて忠誠の意を表す。

 

 

 

『お待ちしておりました。長』

 

 

 

しわがれた声だ。男―――それもかなり年を取った老人が出すような声。男は竜族には珍しい、何千、何万もの年を取り身体的、精神的にも老体となった竜だった。

ナーガが片手を動かし、部下の初老の男に面を上げるように促す。

 

 

 

「挨拶は必要ない。それよりも―――」

 

 

『分かっております。こちらへ、私がご案内します』

 

 

一度聞いたら耳から暫く離れそうに無い、病気で喉を壊した患者のような独特のダミ声で、初老の男は主に一礼した後先導していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは「門」と言うよりもどちらかと言えば絵画を納めている額縁に近かった。

額縁から絵を抜き取ったら丁度こんな感じになるだろう。だだしこの額には絵が入るべきそこには何も無かった。ただ向こう側の壁を晒すだけである。

 

 

 

しかし。

 

 

 

 

その大きさは圧巻としか言い様がない。

この「門」の主役とも言えるそれは、作業中のモルフ、人の姿をした竜族が米粒どころか、極小の砂粒に見えるほどの圧倒的な大きさだ。

 

 

 

だが、それも仕方ない。この「門」は竜族が本来の姿でも使える様に設計されているのだから。人の視点から見て小山の様に巨大に映るのも無理は無い。

 

 

 

『扉そのものは予定通りに完成します。後は通路の安定にかなりの時間がかかるかと……』

 

 

 

 

初老の男が黙ったまま門を見つめるナーガに報告する。

ナーガが、門に向けていた眼を男に向けた。

 

 

 

「どれぐらい掛かりそうだ?」

 

 

男が門の中に視線を移し、その向こう側の壁の更に奥を見つめながら答えた。

 

 

 

『空間の歪みを直すのには少なくとも10年程度はかかります。何分危険な作業ですから。

 今までもかなりの数のモルフが空間の向こうに消えていきました。我らの同胞をその様な目に遭わせる訳にはいきませんからな』

 

 

 

「……そうか、完遂させよ」

 

 

 

初老の男が恭しく一礼し、『意のままに』と答えた。

 

 

「里の方はどうなっている?」

 

 

頭を上げた男にナーガがもう一つ、「門」と平行して砂漠に建設途中の重要施設の建造状況について問う。

男が再度頭を下げて、ガラガラの声で主の問い掛けに答えた。

 

 

 

『以前報告書にてご説明した通り、戸籍や、水道の建設を含め7割5分と言った所です。こちらも予定通りに完成させます。食料や衣服、日常品の貯蔵も平行して行っております』

 

 

「…………」

 

 

 

ナーガが無言で数回頷く。そして視線を未だ起動していない「門」に向ける。起動していない「門」は不気味な静寂を守ったままだった。

恐らく、これを使うとき、それがこの世界との別れだと思うと、ナーガは複雑な気分になった。

 

 

 

表に出ないだけで、彼にも高等生物が持ちうる感情というものは確かにあるのだ。但し、悲しい事に「息子」には血も涙も無い男と誤解されてはいるが。

 

 

 

沈黙が場に満ちた。何処か遠くから石の切り出しのカーンカーンという槌を振り下ろす音が聞こえて来て、門の中に音が幾重にも反芻し、響き渡る。

 

 

 

その沈黙を破ったのは部下の男だった。

 

 

『ところで長、一つよろしいでしょうか?』

 

 

「何だ?」

 

 

ナーガが門から眼を離さず、声だけで答える。

 

 

『イドゥン様とイデア様の件でございます』

 

 

ナーガがピクリと、男にも分からないほど僅かにだが二人の名前に反応した。

門から眼を離し、男をその細く、剣の様に鋭い紅と蒼の一対の眼で見やる。

 

 

『どちらに、後を継がせるのですか?』

 

 

男が声を一段低くし、聞き取るのが難しいほど掠れた声を喉から捻り出して聞く。

視線を再び門に向け、ナーガには珍しく考え込むように数分沈黙した後、男の主にして二人の「父」はその重い口を開いた。

 

 

 

内心を絶対に表に絶対に出さない彼にはこれまた珍しくその声に苛立ちの感情を乗せて言葉を紡ぐ。

 

 

「あの二人を番わせる」

 

 

それだけ、それだけを言うと彼は口を閉ざし、後は何も言おうとはしなかった。

男がまた一礼した。その一言で全て了解したと言わんばかりに。

 

 

 

『はい。では、そのように』

 

 

そして男が立ち去ろうとした瞬間。

 

 

 

空気が一気に重くなった。同時に元々冷えていた門の中の空気の温度が更に下がる。

 

 

 

『また、ですな』

 

 

「…………」

 

 

男が呆れた様な口調でそう言うがナーガは答えず、額縁の様な形状の門を見ているだけだ。

ナーガがカタカタと音叉が共鳴するかのごとく震えている、腰の『覇者の剣』に手をやる。

 

 

 

そのまま剣を抜き放いて顔の前に持ってくる。銀色の眩しい刀身が毒々しい紫色のオーラに薄っすらと覆われていた。

そして視線を再び門に戻す。向こう側の壁を映すだけだった額縁の中央に奇妙な色彩の光の球が現れていた。

 

 

 

その色は毒々しい紫を基調とした見るもおぞましい虹色。そんな見ているだけで気分が悪くなりそうな色の光球が急速に額縁の中で膨れ上がり、満たした。

 

 

 

「門」の暴走だ。正確には異次元の異形の存在が無理やり「門」を向こう側から開いたのだった。これもまだ「門」中の道ともいえる空間が安定していないからだ。

こういう事は過去何度か起きていたが、侵入を試みた異形達は全て撃退されていた。

 

 

 

『私がやります。御下がりを』

 

 

 

初老の男が手にエーギルで産み出した紅蓮の炎を纏わせ、進み出ようとするがナーガはそれを覇者の剣を用いて制した。

 

 

 

「いや、我がやる。下がっていろ」

 

 

 

 

ほんの一瞬男が迷うような仕草を見せるが、直ぐに主の言葉に従い下がる。

主の命令というのもあるが、何よりもその声にゾッとするほどの、それこそ永遠に等しい年月を生きてきた火竜を怯えさせるほどの殺意を感じとったから。

 

 

【aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!!!!】

 

 

「門」に満たされた異色の空間から巨大な異形の怪物が姿を現す。

上半身が屈強な人間、下半身が醜く肥大化した禍々しい黒色の蜘蛛の胴体と、そこから生える生気の無い土色の肌の無数の人の足。

 

 

 

「門」の大きさの半分を占める程の巨体のそれは正しく魔物と呼ぶに相応しい。モルフやそこいらの魔道士では傷一つ付けられないであろう程巨大な力を持った魔物。

神竜と正反対の、伝承の中の始祖竜に限りなく近いエーギルを持ったそれが今、エレブに侵入しようとしていた。

 

 

 

間違いなく、今まで「門」の中から現れた異形の者達の中でも最大にして、最強の存在だった。

 

 

 

コツコツコツ……。

 

 

ナーガが30メートル程の大きさのそれに散歩でもするかの様に自然体に歩み寄る。

ナーガの存在に気がついた魔物が自身に近づいてくる愚か者を屠らんと、5メートルはあるであろう城壁さえも粉々に粉砕する威力を秘めた握り拳を振りかぶる。

 

 

 

ブォオオンと、猛烈な風きり音を響かせながらナーガにその魔拳を無慈悲に振り下ろす!

 

 

が。

 

 

普通なら、その次にくるであろう床が粉砕される破砕音も、ナーガの肉と骨が砕け散る音も、辺りに雨の様に血が滴る水の音も一切響かなかった。

 

 

 

異常な光景だった。光が、黄金の光で創られた絹よりも薄く美しい壁が、軽々と魔物の魔拳をナーガの顔面の数センチ前で受け止めていた。

見る限り、魔拳を受け止めた壁に傷は一つも見受けられない。

 

 

【!!!!!!!!!!!!!!!!】

 

 

 

魔物がもう一つの拳を動かそうとしたが、動かない。腕所か体が動かない。

何故だ!? と、唯一自由になる頭を動かし、自身の巨体に眼をやった魔物は見た。

 

 

 

黄金の光で産み出された縄が、否、蛇が全身をぐるぐるに拘束しているのを。

 

 

 

【!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!】

 

 

怒りの咆哮をあげて、狂ったかの様に身をよじらせ拘束から逃れようとするが、頭と眼球、無数の足の指以外どこも動かない。

 

 

そんな様子を暫く昆虫でも観察する眼でナーガは見ていたが、やがて興味を失ったかの様に小さく鼻を鳴らし、片手に持った『覇者の剣』に一つの術を掛ける。

銀色の長い刀身を薄っすらと覆っていた薄紫の色が、円を基調とする魔方陣に覆われ、次いで夜の闇を思わせる純粋な漆黒に染まった。

 

 

 

 

【リザイア】

 

 

 

 

それは混沌魔法の一種。

相手から直接【エーギル】を抜き取り己が力に変えるという魔術。

闇魔道の術の中でもポピュラーなこの術ではあるが……ナーガの様な全てに於いて規格外の存在が発動させた場合は……。

 

 

 

 

ナーガがサクッと何気ない動作で眼の前の魔物の拳、指の付け根辺りに【リザイア】のドス黒い光を纏った剣を突き刺す。

覇者の剣は魔物の固い皮膚など濡れそぼった紙か何かの様に貫いて、その黒い刀身を体内に侵入させた。

 

 

 

 

 

 

そして、体内に埋め込まれた刀身に纏わりつく闇が、【リザイア】がその効果を発揮する。覇者の剣が魔物の【エーギル】を喰らい始めた。

 

 

 

【!!!!!!!!!!!?ΨЬδπξ???】

 

 

 

魔物が耳をつんざく絶叫を上げた。それは魂を直に原初の混沌に喰い荒される者の悲痛な叫び。

無数の足の指が、無茶苦茶に動いて今現在魔物が味わっている苦痛の程を表す。

 

 

 

徐々に、徐々に、足の指の動きが止まり、魔物の巨体が灰とも砂とも、錆とも言えぬ何かに変わってボロボロと崩れ落ちていく。

 

 

 

魂を食い尽くされ消え行く意識の中、魔物が最後に見たのは、紅と蒼の瞳を持った、魔物よりも恐ろしい存在の顔だった。

 

 

 

 

「終わったな」

 

 

只の砂の山と化したかつての魔物の巨体を見て、ナーガはポツリと呟いた。その様子は今さっき、恐ろしい魔物を世にも残忍な方法で処分したとは思えないほど冷静だった。

次に魔物が通ってきた「門」の中の道を見て背後に控える男に指示を出す。

 

 

「処理せよ。フレイ」

 

 

『意のままに』

 

 

フレイと呼ばれた男も今さっきまでの出来事など無かったかの用に作業用のモルフを呼び出し、指示を出す。

 

 

 

 

指示を出したフレイが一礼し、何処かに消えるのを見届けたナーガが入り口に向かって歩き出す。殿に帰るのだ。明日もあの双子に様々な事を教えなければならない。

いつか、自分が居なくなった時に二人で生きていけるように、様々な事を教授しなければならない。

 

 

幸いな事に殿の効力と自身の神竜の力で双子の肉体的な成長は大分早まっている。後は精神面での成長だ。

 

 

自分に出来るのは知識と経験を出来るだけ与えて、成長を促すことだけだ。後は、具体的にどうするかだが……。

 

 

 

多少、歪ながらも双子の事を考え、頭を悩ませるその様は正に「父親」と呼ぶに相応しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある日の晴れた昼下がり。

その日の勉強を終えた双子は以前の約束通りエイナールの木笛の音色に呼ばれて、彼女の部屋を訪れていた。

 

 

あの、主にエイナールとイデアにとって衝撃的とも言える初対面の日から早くも数週間が過ぎて、双子が彼女の部屋を訪れた合計回数は既に十を軽く超えていた。

最初は人の姿で空を飛ぶ事に軽い恐怖を抱いていたイデアも、エイナールの部屋に頻繁に通うに連れて飛行に対する恐怖心は徐々に薄れていった。

 

 

 

今では、姉の手助けを借りずに一人の力でもエイナールの部屋に行けるほどに進歩していた。

しかし、突如として横からの強風などに煽られると、落ちる恐怖で吹き出る冷や汗で背中をびっしょりと濡らすが……。

 

 

 

何はともあれ大分進歩したとはいえ、まだまだ発展途上なのは確かである。

 

 

 

 

二人がエイナールと定期的に談話しているのをナーガは知っていたが彼は特に止めようとはしなかった。それどころか、二人がエイナールの部屋に通うことも半ば承認していた。

許可した理由として考えられるのは自分の考えに賛同しているエイナールが信用できる存在と言うことと、双子の飛行の練習と言ったところか。

 

 

 

しかし。

もしかしたら。

 

 

 

『自分は立場上余り時間を取れなくて、二人に様々な事を直接教える時間は少ない。

だからといって、自分が短い時間を作って赴くまで、いつまでも双子をあの狭い部屋に閉じ込めておくのも気が引ける』

 

 

 

そんな事を彼は思ったのかも知れない。あくまでも予想だが。真実はナーガのみが知る。イデアがもしもこの仮定を知ったら、「あの男に限ってはありえない」と、一笑に伏すだろうが。

 

 

 

 

彼が行ったのは、二人が落下した際に備える為に二人の部屋のバルコニーとその真下周辺一体に捕獲結界をびっしりと念入りに張り巡らせた事と注意事項を伝えたことぐらいである。

 

 

 

結界の発動条件は一定の重さを上回る物体が一定の速度を上回る速度で直上から落下してくる事。つまり、落下する子供をキャッチするのだ。

少々手荒とも言える方法だが、単純で最も効果的と言える。

 

 

 

二人には「夜と風の強い日や雨の日の飛行は許可しない」と、少々大人気ないが普通の子供ならば竦みあがる程の威圧感を滲ませて言いつけてあるので問題は無い。

エイナールも安全面を考えて、そういった日は呼び出しの合図である笛を吹かず、自分の部屋で次の姉弟との雑談の際の話題を整理していたりしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「外の世界か~~」

 

 

ふかふかで肌触りがいいクッションに腰を下ろしたイドゥンが、左右に身体を揺らしながら感慨深そうに、羨望が篭もった声を上げた。

エレブに産まれてからまだ一度も切った事がない、紫銀色の上質な絹を思わせる長い髪がゆらゆらと動く身体の動きに合わせて音も無く軽やかに揺れる。

 

 

 

ここは氷竜エイナールの「殿」での住まう部屋。いつもの様にナーガとの勉強が終わり、暇を持て余した神竜の姉弟は彼女の部屋を訪れていた。

勿論空を飛んで、だ。

 

 

イドゥンとイデアの部屋に比べれば一回りも二回りも小さいが

それでも人一人が暮らすには十分過ぎる大きさと、ベットや暖炉、調理場やクローゼットを始めとする設備が完璧に整った部屋だ。

 

 

 

双子はいつもこの部屋でエイナールから外の世界――大陸エレブの様々な国や地域についての話や、他には古い御伽噺や魔術に関する話なども聞いていた。

そして今は丁度、エイナールにとって馴染みが深い場所であるイリアについての話を聞き終わったばかりである。

 

 

「行きたいなぁ~……」

 

 

 

イドゥンが未だ見た事がないエイナールの話にだけ聞く外の世界に対して、さっきよりも羨望が更に篭もった声で続ける。

尖った耳がパタパタと忙しなく上下運動を繰り返し、彼女の現在の内心を的確に外部に表していた。

 

 

 

エイナールの話すイリアのお話は……いや、外の世界に関する話題の全てと言っていい、は幼い神竜イドゥンの心を強く、強く惹き付けていた。

 

 

 

 

「殿」の自室からでも窓から山々の頂にあるのを遠目に見るが、未だ一度も触ったことの無い「雪」や、大地を力強く走り抜ける「馬」という存在に白い翼を生やし、天を駆ける「ペガサス」

 

 

これまた一度も実物を見たことのないナーガやエイナールの話の中でだけ聞く、自分達が模している姿である「人」がいっぱい居て暮らしている「エトルリア王国」の王都アクレイア。

そして様々な『部族』という「人」の国とは少し違う集団が馬を駆り、自由に駆け巡る一面緑だけという広大な「サカ草原」

 

 

 

 

どれも触れたり、直接行って見たいと強く思えるものばかりだった。

 

 

 

 

……何よりも、どんな場所でもいいから思いっきり外の世界を走り回ったり、飛び回りたいと言う強い想いが彼女の心にはあった。

 

 

 

イドゥンとイデアは未だ、ナーガと竜の姿に戻る練習を行ったあの荒野以外の場所に行った事はこれまでなかった。其れゆえの外の世界に対する羨望である。

イデアに限ってはこの世界に暮らす「人間」に会ってみたいと思う気持ちが強くあった。

 

 

勿論純粋に姉と同じく外の世界を見て、触れたいと思う気持ちもあるが。

 

 

そんな二人に姉弟のすぐ隣のクッションに腰掛けたこの部屋の主――氷竜エイナールが柔らかく微笑みながら語りかける。

 

 

 

「もう少し、大きくなれば見にいけますよ」

 

 

「それって、どのくらい?」

 

 

イドゥンの無邪気な問いにエイナールが少し困った顔を浮かべ、小さく「うーん」と唸るり思考を巡らす。

2~3秒そのままにした後、彼女の中で問いの答えが出たのか、喉を震わし天使のような美しい声を朗々と紡ぐ。

 

 

 

「この『殿』は神竜族の御力で竜族の成長を促進する効果がありますし、お二人が外に出られるほど成長なさるのはそう遠くはない事と思います」

 

 

 

だから、気長に待ちましょう? とエイナールはイドゥンの顔を見て、丁寧に優しく続ける。

イドゥンがその美しい顔を見て少々の不満が混ざった声で「うー」と暫く唸っていたが、やがて諦めた様にゴロンッと特大のクッションの上に両手両足を広げて、大の字に寝転んだ

 

 

 

それを見て、彼女の弟がフフッと小さく、笑みをこぼした。微笑ましい姉の動きに思わず笑ってしまったのだ。

だが次の瞬間彼も何かに引っ張られるようにイドゥンの隣にドサリ、倒れこむ。

 

 

 

「えっ、え、え!?」

 

 

 

イデアが自分に何が起きたのか理解出来ずに戸惑いの声を上げ、立ち上がろうとするが――立てない。背中に縄を付けられ、グイグイと引っ張られる感覚だ。

 

 

 

そのままクエスチョンマークを頭上に大量生産しながらイデアがゴロゴロと転がりながらもがく。

 

 

 

よく見れば、イデアの背中や肩などに細い、細い、少し引っ張ってしまえば呆気なく切れてしまうのではないか? 

と、何も知らない第三者が見れば思うだろう、金色の光で編まれた糸が数本絡み付いているのが見えるが当の本人であるイデアは気がつけない。それほどまでに混乱しているのだ。

 

 

 

 

では、一体誰がイデアに糸を纏わりつかせたのか? 

そんなものは最初っから決まっている。この部屋の中で金色の【エーギル】を持っている存在など二柱しか存在しないからだ。

 

 

 

「イデア~~」

 

 

もふっとイデアの顔に柔らかい物体が密着した。勿論イデアの姉、イドゥンの布に包まれた胸部である。

彼女はイデアに抱き枕に抱きつくように身体ごとくっつくと、そのままその小さな手で弟の金色の髪をワシャワシャと優しく、且つ力強く撫回し始める。

 

 

 

「ちょ、ちょっと!?」

 

 

イデアが抗議の声を上げるが、イドゥンの手は止まらない。そのままイデアの背に両手を回して、ぎゅっと力の限り抱きしめる。

もっとも幼子のイドゥンの腕力などたかが知れてるのでイデアは苦しくなどはなかったが、それでも動けず、そして何よりも恥ずかしかった。

 

 

しかし、イデアに出来た唯一の抵抗と言えば、精々耳を高速で上下にバタバタ振る程度だ。

 

 

「離して~~」

 

 

イデアが情けない声で直ぐ傍にある姉の顔に向けて要求するが。

 

 

「いや」

 

 

即答だった。おまけに抱きつく力が少し強くなった。イデアが小さく溜め息を吐き、また情けない声をだす。彼の耳が諦めたかの様に動きを止めて垂れる。

 

 

「エイナ~ルうぅう~~」

 

 

頼りになるであろう大人に向けての救援要請、だが。

 

 

「……姉弟の仲がよいのは素晴らしい事です」

 

 

顔を少し逸らして、苦笑いを浮かべながら、眼だけを動かしてチラチラと見てくるエイナールに希望は簡単にこっぱ微塵に砕かれた。

イデアが絶望したかの様に真っ赤な顔をしたまま、ぐったりと脱力する。

 

 

 

 

 

 

「イデア」

 

 

「うん?」

 

 

不意に抱きしめる力を弱めて、自分の顔を後少し近づければイデアにくっ付きそうなほど

弟の顔の直ぐ傍に持ってきたイドゥンにイデアが顔をトマトを思わせるほど赤くして返事をする。

 

 

「はやく、大きくなって皆で行きたいね」

 

 

「……うん」

 

 

イデアが恥ずかしさを堪えてじっと姉の顔を凝視する。

今はまだ幼いこの少女が大人になったらどれほどの美人になるのか想像してみようと思ったが……やめた。後での楽しみに取っておくことにする。

 

 

 

その次に漠然と想像したのが【皆】での旅行の風景。

自分と、イドゥンと、エイナールと……正直、入れたくはないがナーガの四人でエレブの色々なところに行く場面。

 

 

 

悪くない。まるで家族旅行みたいだな、と、イデアは思った。いや、事実イドゥンにとっては家族旅行そのものなのだろう。

 

 

 

……ふと、家族の母が居る場所に居たエイナールと、前の世界の母が重なった。

ゾクリッと嫌な寒気がイデアを襲った。眼と鼻の奥に少しだけ痛みを覚える。このままではマズイと思い慌てて思考を別の話題に逸らそうとするが……。

 

 

 

パンッ。

 

 

 

イデアの思考そのものが唐突に響いた軽い手を叩き合わせる音で無理やり中断させられた。

姉弟が身を少しだけ起こして、音の発生源であるエイナールを見る。

 

 

何かを思いついたのか、その眼は外見に似つかわしくキラキラと子供の様な輝きを宿していた。

 

 

 

「もしかすれば、近い内に外に行けるかもしれません。私から申請してみようかと……丁度いい場所もありますし」

 

 

「丁度いい場所?」

 

 

「はい。ここからの距離も、そして景色も最高と自信を持って言える場所です」

 

 

エイナールが相も変わらず子供の様な自慢げな笑顔で姉弟に告げる。

 

 

「私にお任せください」

 

 

ドン、と、豊満な胸を張るエイナールに姉弟は顔を見合わせ、その子供の様な動作に思わずクスクスと笑みをこぼした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日

 

 

 

 

 

 

「おぉーー!」

 

 

イドゥンが始めて見る殿の巨大な入り口に興奮が多く混ざった感嘆の声を上げる。

 

 

彼女の眼の前に悠然と存在するそれは、雄雄しい山々と芸術的なまでに一体化し、樹齢千年を超える大木の如き太さを持ち、幾つもの強化の術式を刻まれた強靭な柱に支えられており

何処か神殿の様な神聖ささえも感じさせる灰色の石造りの建造物だ。

 

 

そう。これが竜族の住まう巨大な殿の入り口である。

 

 

 

イデアは声も出せずにそれを眺めていた。自分はこんな凄い入り口を持っている建物に住んでたのかという驚愕の気持ちと一緒に。

そして竜と言う種の持っている技術力の高さに驚いていた。イデアの持っていた既存の竜に対するイメージがまた一つ塗り替えられた。

竜は穴倉に住んでるというイメージが、だ。

 

 

 

 

この姉弟はいつも外に出る時や、逆に戻ってくる時はナーガの行使する転移の術で部屋と外を直接行き来してるため、殿の玄関とも言える箇所を直接その眼で見るのは初めてだった。

それ故のこの反応である。

 

 

「では、行きましょうか?」

 

 

殿の入り口に期待通りの反応を示してくれた神竜姉弟に心が和みながらもエイナールが声を掛けて、自分に意識を向けさせる。

このままではずっと『殿』の入り口を見続けてそうだ。

 

 

 

「今日は何処に行くの? お父さんも来る?」

 

 

イドゥンが興奮で少し赤くなった顔で問う。よほど感動したのだろう。

エイナールが右手の細い人差し指をぴっと音が出るほど素早く立てて質問に答えた。

 

 

 

「長は……恐らく来られないかと。そして今回私達が行く場所はですね……」

 

 

姉弟に今日は殿から少し北にある、飛んで約15分ほど、人の足で3~4時間程度の場所にある湖に行くと告げる。

 

 

それにしても、思ったよりも呆気なく許可されたものだとエイナールは姉弟に詳細を説明しながら、ふと思った。

 

 

彼女が姉弟を湖に連れて行きたいという旨の申請書と、何時に「殿」を出て、何時に帰って来るだけではなく、その他の行動までを事細かく記した「予定表」とも言える

資料をナーガに提出してから、その答えはエイナールの想像をはるかに上回る速度で帰ってきた。

 

 

 

まさか1時間で返答が帰ってくるとは思わなかったのだ。最低でも半日は掛かると彼女は踏んでいた。

 

 

 

結論から言えば二人を連れ出す事は許可する、だそうだ。

勿論遠見の魔術で行動は細かく観察されるだろうが。今この瞬間もナーガに監視されてるのだろう。

 

 

 

イドゥンとイデアは人間に例えれば王族なのだ、当然といえよう。もしも事故などで二人の身体や精神が酷く害されたら

直接的な意味で自分の首が宙を飛んでも可笑しくはない。

 

 

 

……もっとも、そんなことは絶対に起こさせないが。

自分の眼の前で嬉しそうにはしゃいでいるこの無邪気な双子を害する事など、何者であろうがエイナールは許さない。

 

 

 

神竜だとか、長の子息だとかを抜きにしてもだ。

 

 

 

「少し飛ぶので、竜の姿に戻ってください」

 

 

二人から歩いて少しの距離をとり、懐に手を差し入れて竜石を取り出す。転移の術なら直ぐに行けるが、それでは味気ない。

 

 

「……おぉ」

 

 

イデアが取り出されたエイナールの竜石を見て反応する。

エイナールの竜石は彼が以前本か何かで見たサファイアという宝石にそっくりだったからだ。

 

 

但し、大の男の拳よりも大きなサファイアはさすがに始めて見たのだが。

 

 

 

「ちょっと眩しいですよ」

 

 

エイナールが注意を促して、姉弟が4つの瞼を瞑るのを待つ。

それから5秒ほど経ち、二人が瞼を下ろしたのをエイナールが確認してから彼女を中心に青い光が放たれた。

 

 

雲ひとつない澄み切った青い空を思わせる色が周囲に迸り、エイナールの身体が人から竜の姿、本来の姿へと急激に変わっていく。

イドゥンとイデアが更に強く瞼を瞑り、思わずローブの袖を顔に押し当てる。

 

 

やがて辺りを塗りつぶしていた光が収まり、イドゥンとイデアが恐る恐る眼を開ける。少しだけチカチカする眼を何度も瞬かせながらエイナールを探す。

エイナールは直ぐに見つかった。否、見失うことなど出来なかった。

 

 

 

 

 

 

何故なら――。          

 

 

 

 

 

 

「エイナール……?」

 

 

 

イデアが何処か呆けた声で眼の前の「それ」に問う。

「それ」――全身をキラキラと夜空の星の様に輝く水色の鱗に覆われ、頭部に一国の女王が戴くティアラに似た角を持った『氷竜』がその細い顔を小さく頷かせ答える。

 

 

「……」

 

 

イデアは何も喋れなかった。それどころか身体を動かすことさえもせずに、記憶に焼き付けるかのように竜の姿に戻ったエイナールを凝視する。

 

 

 

――綺麗だ。

 

 

 

イデアの胸中はこの単純な想いで埋め尽くされていた。

かつて見た恐らくナーガであろう神竜ほどの神々しさこそ無いが、今のエイナールの姿はあの日祭壇から見たどの竜よりも飛びぬけて美しかった。

 

 

正に存在そのものが完成された芸術だな、とイデアは何処かフワフワする頭で漠然と思う。

奇しくも人の姿を取っていたエイナールに始めて出合った時と同じ感情を彼は抱いていた。

 

 

なるほど。イリアの人々がエイナールを氷竜様とまるで神の様に敬い、信仰する気持ちが分かった気がする。

 

 

 

「イデア、わたし達も」

 

 

 

言葉を失い、食い入るようにエイナールを見つめているイデアの服の裾をイドゥンがクイクイっと引っ張り、耳元でよく聞こえるように急かす。

何処か間の抜けた声を出して、コクコクと頭を人形のように縦に何度も振ってイデアが答えた。

 

 

「え? あぁ……うん」

 

 

距離を取る為に小さな歩幅で走り去っていくイドゥンを尻目に、イデアが懐に手を入れたままチラッともう一度エイナールを見る。

視界に入った美しい氷竜は人の姿のときと同じ、優しげな紅い眼でイデアを見ていた。

 

 

同時にイデアに一つだけ素朴な疑問が浮かぶ。即ち――――

 

 

(どうやって飛ぶんだろ?)

 

 

見たところ、翼に該当する部位が存在しないエイナールがどうやって、空を飛ぶんだろ? という物だ。

 

 

しかしその疑問はエイナールがその背に水色に輝く光の翼を展開した事によって解消された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その湖は「殿」の入り口からしばらく北に向けて飛んでいて、直ぐに見つける事が出来た。

 

 

「……!」

 

 

イデアが風を切るビュウビュウという喧しい音を近くに聞きながら、声にならない声をその巨大なアギトから漏らす。

そして、何気なく直ぐ隣を飛んでいる姉を盗み見る。

 

 

金色の竜、神竜の姿に戻ったイドゥンはじぃっと紅と蒼色の瞳で雲の狭間に見える、

眼下に広がる山々に囲まれた巨大な水溜り―――始めて見る「湖」をその大きな眼で眺めていた。

 

 

 

(……ふふ)

 

 

一目で姉が何を考えているのか、手に取るように分かってしまったイデアが内心で笑みを浮かべる。

何故分かるって? そんなものは簡単だ。恐らくは自分も同じ事を考えているからだ。

 

 

 

と、イデアの、違う。姉弟の脳内に直接エイナールの声が響く。念話と呼ばれる魔術を利用した交信手段だ。

 

 

 

(着きました。アレが湖ですよー)

 

 

 

見ると、先頭を飛んでいたエイナールが眼下の湖に向けて徐々に高度を下げて行くのが見えた。

それに呼応して直ぐ隣を翼がぶつからない程度の距離を取って、イデアにつかず離れずに飛行していたイドゥンも高度を下げていく。

 

 

抑えきれない胸の高鳴りを心地よく感じながら、イデアも翼の動きを調整して姉の後を追った。

 

 

 

 

 

「あーー!!!」

 

 

地平線まで続く空の色を地上にそのまま映したかの様な湖を見て、人の姿にその身を変えたイドゥンがたまらないと言わんばかりに

子供特有の甲高い大きな声を上げた。

 

 

 

あー…。

 

 

あー……。

 

 

あー………。

 

 

周囲の山々がその声を反芻し、山彦として何度も何度も辺りに響き渡らせる。

 

 

 

「んーー……!!!」

 

 

両手を大きく上に伸ばし、深呼吸。何度か息を吸ったり吐いたりを繰り返す。

 

 

「行こっ!」

 

 

「ちょ、まっ、待ったぁぁあああ……!!」

 

 

そして、隣で辺りをキョロキョロと眺めていた弟の手をがしっと掴んでそのまま湖へ向けて引っ張りながら全力で走り出す。

 

 

 

「水の中には入っちゃ駄目ですよー!!」

 

 

 

まるで狩人から逃げるウサギのような速度で走っていく姉弟にエイナールが注意の言葉を投げかける。

遠くから「……わかったぁああぁ」というイデアの声が帰ってくるのを確認したエイナールが、ふぅと小さく息を吐いた。

 

 

「見てないと、入っちゃいそうですねぇ……」

 

 

 

この湖の水は温度が低いのだ。下手に入ったりしたら体温を根こそぎ奪われてぽっくりと逝きかねない。

成体の竜ならば問題にもならない環境だろうが、まだまだ幼体から少し成長した程度の姉弟では危ない。

 

 

 

 

溺れたりでもしたら一大事だ。今の自分はあの二人の保護者とも言える存在だ、二人の行動を監督する義務がある。

力を少しだけ使い、フワリと身体を僅かに宙に浮かばせ、そのままエイナールはゆったりとした速度で姉弟を追うように飛んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

湖のほとり、水の上にイドゥンとイデアは「いた」 文字通り、水面の上に座ってるのだ。

正確には水の上に氷の薄い膜の様に【エーギル】を展開し、その上に座っているのだ。

 

 

言われた通り水の中には入っていない。

 

 

「ねぇねぇ、イデア」

 

 

「うん?」

 

 

宙空にエーギルを塗り固めて作った畳み一つ分ぐらいの大きさの足場に二人で腰を下ろし、ブーツを隣に揃えて置いておく。

そして白くて細い素足を冷水に浸しながら語り合う。

 

 

どこからか、微かに鳥の鳴き声が山彦となって聞こえてくる。

 

 

 

 

イドゥンがその足を上下に動かす度にパチャパチャと水音がなる。

イドゥンの着ている紫色のローブは限界までたくし上げられていて、健康的な彼女の太もも辺りまでが露わになっている。

 

 

ふっくらとした魅力的なそれをなるべく見ないように勤めながらイデアが返事をする。

 

 

「なに、姉さん」

 

 

「お父さんは、来るかなぁ……」

 

 

イデアが一瞬だけ険しい顔をするが、直ぐに引っ込めて。

 

 

「わかんない」

 

 

無難な答えを返した。ざぱーん、ざぱーんと、水が動く音を尻目に、二人並んで青い空を反射し吸い込まれる様な青に染まった湖を眺める。どこかで魚が跳ねたのかポチャンという音がする。

いつの間にか、イドゥンの手が強くイデアの手を握っていた。

 

 

 

と。

 

 

 

「私も座ってよろしいですか?」

 

 

いつの間に来たのか、エイナールが姉弟のすぐ後ろに居た。イデアがその足元を見ると、彼女の足元にも薄い水色の膜、エーギルで作られたのであろう足場があった。

 

 

「どうぞ」

 

 

イデアがイドゥンの手をやんわりと解き、足場に新たに【エーギル】を込めて少しだけ強度を上げると、姉から少し離れて、二人の間にスペースを作る。

 

 

「ありがとうございます」

 

 

エイナールが一礼し、そのスペースに腰を下ろす。そして、どこに仕舞っていたのか赤や青と言った色とりどりの布で覆われたバスケットを取り出す。

 

 

 

「今日は焼き菓子や果物も持ってきたんですよー」

 

 

「ほんとっ!?」

 

 

 

ガバッと言う擬音が聞こえてきそうな程素早い動きでイドゥンがバスケットに注意を向けた。

そして、そのままバスケットを熱い、それこそ愛しい存在を見るかの様な潤んだ眼で見つめる。

 

 

心なしか、目尻には微かに涙さえも浮かんでる様に見える。

 

 

そっとイデアがエイナールに耳打ちした。

 

 

「……姉さんは、果物とかが大すきなんだ」

 

 

「……そうなんですか」

 

 

そして、ふふっと万人を安心させるであろう笑みを浮かべる。

その笑みをまともに見てしまったイデアの頬がバスケットに入っていたりんごの様に赤くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「実は……今日はお二人に言わなければならない事があるのです」

 

 

バスケットの中身の焼き菓子や果物をほとんど食べ終え、果汁や菓子の破片で汚れた手をナプキンと湖の水で荒い終えた二人にエイナールは唐突にこう切り出した。

 

 

「「うん?」」

 

 

姉弟が揃って両脇からエイナールを眺めてくる。二対四つの無邪気な眼に見つめられながらエイナールは続ける。

 

 

「冬の季節が近いので、私、そろそろイリアに帰らなければならないのです……ですから」

 

 

「居なくなっちゃうの……?」

 

 

イデアが瞳を揺らしながら、心に湧いた不安を声にする。

正直な話、自分でも何でこんなにショックを受けているのかがイデアにはよく分からなかった。まだ彼女と出会って1月ぐらいなのに。

 

 

 

「……………はい」

 

 

「…………………なんで、冬になった、ら、帰るの?」

 

 

上下に揺れる音程が今のイデアの内心を切実に、且つ的確に表していた。 即ち――嫌だ、と。

エイナールがその赤い眼でイデアを真正面から覗き込んで答える。

 

 

 

「イリアに住む人々は冬の寒さや、雪にとても困っているのです。 だから私が助けてあげるのですよ」

 

 

涙ぐむイデアの頭にエイナールが手をやり、優しく撫でる。

 

 

「また、会え……る?」

 

 

「ええ勿論。冬の季節が終わったらまた会えますよ。冬以外ずっと会えますよ」

 

 

にっこりと、安心させるように微笑む。でも納得できない。駄々っ子の様に涙ぐんだ眼でエイナールをキっと睨む。

と、突如イデアの手をエイナール以外の誰かが優しく包む様に握った。姉のイドゥンだ。

 

 

イデアに変わってエイナールに再度問う。

 

 

「すこし、待てば……また会えるんだよね…?」

 

 

エイナールが強い意志を込めた声で断言した。まるで姉弟の不安を断ち切るように。

 

 

「はい。絶対に会えます」

 

 

イドゥンがぎゅっと弟の指を握る手に少し力を込める。そして

 

 

「じゃぁ、イデアと一緒にまってる。だから――ぜったいに、かえってきてね」

 

 

イデアが姉の手に更に力を込める。爪が少しだけ食い込んだ。

 

 

「姉さんは、いいの……?」

 

 

握られた手をもっと強く握り返しながらイデアが姉に問う、しかし返答は簡潔だった。

 

 

「うん。また会えるから、いいの」

 

 

笑顔で簡単に返してくるイドゥンにイデアは毒気を抜かれてしまった。

強く握り締めすぎた手から力を少し抜く。

 

 

本来は精神は自分の方が年上の筈なのに、何だか自分の方が子供の様な気がしてきた。いや、第三者が見れば事実自分の方が子供なんだろう。

 

 

 

ふぅ、と溜め息を吐き、気分を落ち着ける。胸の動悸が落ち着いていくのが手に取るように感じ取れた。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

ペコリと頭を下げて謝罪する。が、エイナールは先ほどとは打って変わって慌てた声で。

恐らくはナーガに監視されているのを思い出したのだろう。最初にあった時の様な取り乱しようで必死にイデアに頭を上げるように説得する。

 

 

 

「い、いえ! 謝罪など不要です!! 悪いのは中々言い出せなかった私ですから、だから頭を上げてください!!」

 

 

 

手を上下に振り回して、わたわたするその姿に姉弟は笑みを浮かべ、同時に母親に甘える子供の様に彼女に抱きついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後は単純だ、2人で湖の周りを走り回ったり、飛んだりして遊んでいる内に日は西の果てに落ちていき、周囲の温度も下がり、

遂に帰宅の時間となった。

 

 

そして意外な人物が迎えに訪れる。

 

 

「えー……?」

 

 

「何だ?」

 

 

信じられない、と言った声をだすイデアに答えたのは感情の起伏が全くない事務的とも言える若い男の声。

そう、イドゥンとイデアの「父」ナーガである。「殿」には分身を置いて来ており、今ここに居るのは本体(本人)である。

 

 

「お父さん、あのね!、あのね!!」

 

 

ナーガの足元に駆け寄り、イドゥンが今日という日がどれほど楽しかったか、お世辞にも多いとはいえない覚えている言葉で表そうと四苦八苦する。

それを片手で頭を撫でて制しながら、主の来訪に際して頭を下げ、傅いているエイナールに労いの言葉を与える。

 

 

「苦労だった」

 

 

「いえ……」

 

 

エイナールがいつもの彼女とは違う、主に対する敬意と共に事務的な声で答える。

 

 

「イドゥンとイデアが世話になったな。礼を言う……これからも頼んだぞ」

 

 

「……はい!」

 

 

ナーガの言葉に今度は強く答える。そしてその身が光に包まれて消える。ナーガが「殿」に彼女を転移させたのだ。

 

 

 

「来い。イデア」

 

 

 

クルリと背を向けて立ち去ろうとするナーガにイデアが慌てて駆け寄ろうとするが、今まで散々遊んでいて体力を思ったよりも消費していたのか、ガクッと

膝から崩れ落ちる。

 

 

「あれ……?、ん!んん!?」

 

 

何度足と腰に力を入れても立てない。力を入れてもスルスルと抜けていってしまう。まるで腰を抜かしたみたいに。

ナーガが足を止めて、その様子を見る。

 

 

 

彼の指に暖かい光が収束する。回復の魔法【リカバー】だ。

 

 

 

「ま、待って!」

 

 

魔法を自分に向けて使われそうになったイデアが慌てて叫ぶ、そして次の一言でナーガの手に集っていた光は霧散することになる。

 

 

 

「…おぶってくれない、かな……?」

 

 

 

それを聞いたナーガはイデアの近くまで歩いてくと彼を浮かばせて、自らの背中に優しく下ろす。

娘が自身の手を握ってくる感触を何処か心地よく感じながら彼は転移の術を発動させ、姉弟を連れて「殿」に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数ヵ月後

 

 

 

「エイナールから手紙だ」

 

 

ナーガがイドゥンとイデアに一枚の羊皮紙を手渡す。

朝食を食べ終えた後にいつもナーガが持ってくるこれが姉弟の今の大きな楽しみとなっていた。

 

 

結局エイナールはあの遠足の翌日にはイリアに帰ってしまったのだが、こうして定期的に手紙を送って近況などをイドゥンとイデアに知らせている。

 

 

イドゥンが一回り、いや、反回りほど大きくなったその白く、美しい手で手紙を受け取り弟にも見えるように広げる。

ナーガは羊皮紙を手渡すと、食器類を周りに浮かべて部屋からさっさと出て行った。どうせ中身は一回読んで知っているのだ。

 

 

 

暫く手紙を黙読していた二人だが、そこに書かれていた事に対して喜びの声を上げる。

手紙を近くの机の上においてから、ベットの上で二人でごろごろ転がりまわり、キャッキャッと黄色い声を出す。

 

 

 

机の上に無造作に置かれた手紙には竜族の文字でこう書かれていた。

 

 

『そろそろ冬が終わるので殿に帰れます。お土産を是非楽しみにしていてくださいね』、と。

 

 

 

そして、その下には具体的にいつ頃帰れるか記されている。

偶然か必然か。エイナールが「殿」に戻って来るであろう日はイドゥンとイデア、神竜姉弟の一歳の誕生日であった。

 

 

 

 

 

 

 

 


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