この度、アンドスピリッツ株式会社は、マスター・オブ・ウイスキー鈴木勝二氏を招聘して「富山蒸溜所」を設立、ジャパニーズウイスキーの強みであるブレンドを極めたピュアモルトウイスキーを作りに挑戦します。
<概要>
①アンドスピリッツについて
- アンドスピリッツ紹介
- ボトラーズ事業への参入
②ジャパニーズウイスキーの強みであるブレンデッドについて
③<運命の出会いその1> 鈴木勝二氏との出会い
④<運命の出会いその2> 豊かな自然に囲まれ、ジャパニーズウイスキーの黎明期を見てきた古民家
⑤大海に通ずる港のように開かれた富山蒸溜所と、その新しい取り組み
⑥今後の計画
はじめまして、アンドスピリッツ株式会社代表の黒田亜衣と申します。
当社が運営する「&SPIRITS(アンドスピリッツ)」は、”飲める” 蒸留酒セレクトショップをコンセプトに、東京最大級のラインナップを揃える蒸留酒の専門店として、2021年12月に中目黒にオープンいたしました。世界中の様々な蒸留酒を取り揃え、その魅力を「バー」と「酒屋」という2つの業態を通して発信しています。
現在では450種類以上の商品数を誇り、多様なアプローチで蒸留酒を “体験” できる場を提供しています。
450種類の商品は、スーパーやコンビニでも手に入りやすい商品ではなく、珍しいものや限定品、まだあまり知られていない銘柄を中心に取り揃え、初心者から玄人まで幅広く楽しんでいただけるようなセレクトを心がけています。仕入れの際には可能な限り「直接取引」を行い、そこで培ったネットワークにより、幅広い商品を仕入れることが可能となっています。
また、購入前に蒸留酒を体験していただけるよう、常時100種類以上の有料試飲を可能にしており、全てテイスティンググラスで提供することで味や香りをしっかりとご堪能いただけるように工夫しています。また、ストレートだけではなく、ソーダ割、トニック割など、お好みに合わせた割り方もご提案し、お客様がご自宅で飲むときの参考にもしていただけるように意識しています。
毎日18時以降はバータイムとし、経験豊富なバーテンダーが様々な蒸留酒カクテルを提供しています。マンスリーカクテルを毎月開発し、季節に合わせた様々な楽しみ方もご提案する他、Drinks International主催の「The World‘s Best-Selling Classic Cocktails」 のランキングに基づいたメニューもご用意し、世界で人気のカクテルを学びながら嗜める場をご提供しています。
蒸留酒をもっと身近に楽しんでいただくことを目指し、店名の通り「●●&SPIRITS」として、コラボレーションで間口を広げるイベントも実施しています。
「The World’s 50 Best Bars」に毎年選ばれ続け、2022年度は日本最高位となる48位に輝いた「Bar BenFiddich」とのコラボレーションを開店当初から継続して行っており、予約の取りづらい大人気のバーをご体験いただくことが可能です。
また、「日本ラム協会」や「日本カシャッサ協会」のような “お酒の協会” とのコラボレーションを行い、蒸留酒のジャンル自体の認知や人気を広げる活動の一端を担わせていただいたり、メーカーやブランドと蒸留酒の裾野を広げるようなイベントを企画するなど、様々なコラボレーションを通して蒸留酒業界を盛り上げる活動を行なっています。
イベントの際には、他店の一流バーテンダーをゲストバーテンダーとして招聘し、一夜限りのスペシャルバータイムも開催しています。&SPIRITSとしてのバーの機能も持ちながらも、”他店の一流バーが体験できる場所” としても機能しており、1つの店舗でありながらも日々様々な体験ができる場としてお楽しみいただいています。
先述の通り、私たちアンドスピリッツは450種類の蒸留酒を取り扱い、様々な蒸留酒の魅力に日々触れています。また、多くの生産者とコラボレーションを行うため、モノだけでなくヒトも集まる、東京における蒸留酒の最先端の場所であると自負しています。
多様な蒸溜酒を知り、また様々な蒸留家や一流提供者と関わらせていただくなかで、目利きの観点でより主体的に商品作りにも関わると共に、オリジナルのブレンドや熟成をしていきたいと強く考えるようになりました。日本ではまだ珍しい、本格的な「ボトラーズ」事業に参入すると同時に、自社でブレンドを極める蒸溜所を運営したいと考えるようになったのです。
ここで、ボトラーズについて説明をします。
ウイスキー発祥の地スコットランドでは、蒸溜所そのものがリリースする商品を「オフィシャル」といいます。一方で、目利きのプロフェッショナルが、蒸溜所から樽ごとウイスキーを買い取り、その専門性を生かして熟成年数や度数などを含めたオリジナル仕様でリリースする「ボトラーズ」という概念があります。蒸溜所によっては、オフィシャルの商品数よりもボトラーズの商品数の方が多いようなところもあり、多くのウイスキーファンに親しまれています。
※アンドスピリッツでも取り扱いのある「カリラ12年」はオフィシャル。ダグラスレイン社の「プルミエバレル カリラ 8年」はボトラーズです。
イメージしやすいように喩えて言うなら、蒸溜所そのものが “原作小説” を書き、それにビビッドな色や音楽を加えた世界を “映画化” で提示し、製作から流通まで提供する「映画スタジオ」がボトラーズなのかもしれません。
なお、ウイスキーの本場スコットランドでは、ボトラーズブランドが、理想の造りを求めて蒸溜所そのものを開設するような例も出始めています。
ボウモアやラフロイグ、アードベッグなど日本でも最も知られているブランドの多くが位置するアイラ島でも、ボトラーズである「エリクサーディスティラリー社」が、新蒸溜所「Portintruan(ポーティントルーアン)」を建設中です。
(出典:Whisky Magazine)
私たちは、450を超える世界中の様々な蒸留酒およびそれにまつわる蒸留家やバーテンダーなどと出会う中で、後述する日本でも屈指のウイスキー専門家との出会いを得ました。
以上を踏まえ、私たちは多様な蒸留酒の最先端に触れてきた背景と、匠の知見を商品造りに生かした "ブレンドを極める" 蒸溜所を開設したいと考えるようになったのです。
ここで、ジャパニーズウイスキーについて改めて振り返りたいと思います。
ジャパニーズウイスキーは、世界5大ウイスキーの一角と言われ、今では世界中で高く評価されています。では、いつからジャパニーズウイスキーはこれほどまでに高く評価されるようになったのでしょうか。
サントリー社によると、世界で最も権威ある国際酒類コンテスト「ISC(インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ)2004」において、その年の世界最高のウイスキーである「トロフィー」に、サントリーの「響30年」が選ばれ、同年に「響21年」がウイスキー部門の金賞を受賞したできごとです。
(画像提供:dreamstime)
これは、ジャパニーズウイスキーとして初めての快挙であり、ジャパニーズウイスキーが世界のウイスキーの頂点に立った瞬間でした。
その後、ISCにおけるトロフィーという最高賞の受賞について、響は9回、シングルモルト山崎は2回、白州は2回受賞しています。また、もう1つの大きな権威のある大会であるワールドウイスキーアワードでは「ワールドベスト(最高賞)」を響が6回、山崎が1回、白州が2回受賞しています。
つまり、ジャパニーズウィスキーはシングルモルトの品質もさる事ながら、その真骨頂の1つは類まれなるブレンデッド技術にある、と言うことができるのです。
また、別の文脈でもブレンドの重要性を裏付ける逸話があります。
それは、日本を代表するウイスキーメーカーであるサントリーが、その製造における最高位の称号に「マスターブレンダー」を用いているということです。サントリーでは、創業者である初代社長鳥井信治郎氏が初代マスターブレンダーを、二代目社長佐治敬三氏が二代目マスターブレンダーを務めるなど、オーナーであり会社の全責任を負う代表者が同時にブレンダーとしての最高責任者を務めてきたのです。
世界の他のエリア、例えばスコットランドやアメリカでは、市場を牽引する主要ブランドにおいて、経営者がマスターブレンダーを兼ねると言った例はほとんどありません。
そう言った観点でも、ジャパニーズウイスキーはブレンドの価値を真に評価していると言えるのです。
450を超える世界中の様々な蒸留酒や、バーテンダー、蒸留家と出会うなかで、日本最高峰のウイスキー専門家との出会いを得ました。私たちが “ブレンドを極める” 蒸溜所を開設したいと強く願う大きなきっかけにもなった匠が、第2代マスター・オブ・ウイスキーの鈴木勝二氏です。
⚫︎プロフィール
鈴木 勝二 (SHOJI SUZUKI)
第2代マスター・オブ・ウイスキー。
1969年福島県生まれ。埼玉県草加市にある「Scotch Bar John O’Groats(ジョン オグローツ)」 オーナーバーテンダー。“気がついたら好きになっていた”というほどウイスキー好き。バーには1,000本以上のウイスキーを揃える。ウイスキーエキスパート、プロフェッショナルともに第1回で合格。2014年には最難関のマスター・オブ・ウイスキーに合格している。
全国のウイスキーファンに知られている「ジョン オグローツ」という店名は、鈴木氏が20歳の頃に訪れたスコットランド最北端の土地の名前が由来です。その名の通り店内にはまるで博物館のように、多様なスコッチウィスキーのボトルが並びます。
鈴木氏は「竹鶴政孝を支えたモチベーションとジャパニーズウイスキーの未来」という400字詰め原稿用紙で約80枚にも及ぶ論文を作成し、マスター・オブ・ウイスキーの試験のタイミングで上梓しました。
ウイスキーのプロフェッショナルとしての幅広い知識、見識はもちろんですが、その論文では竹鶴政孝氏の研究を通して「歴史を作ってきた先人たちのフロンティア・スピリッツへの敬意」が示されています。
一部、当該論文を抜粋します。
「(前略)日本で初めてスコッチウィスキーの製法を学びに渡英し、ジャパニーズウィスキーの製法の土台を築き、ひいては日本のウィスキー文化の土台を築いた竹鶴政孝(敬称略)を通じて、「自分が何故闘うのか」、「何のためにこの仕事をしているのか」を常に自問自答していきたいからだろうか。彼の足跡を考えることは、私の仕事と切り離すことはできない。(中略)今、目の前に困難と呼ぶものがあったとしても、先人の苦労の比ではないと思えば力が湧いてくる。日本のウィスキーの父と呼ばれる竹鶴政孝と鳥井信治郎は、ウィスキー自体が一般大衆に知られていない時代にそれをやってのけた。偉大な先輩方の偉業を考えずに、この仕事はやっていられない。そして、目の前のお客様が自分が探してきた酒や選んできた酒で心から笑顔を見せてくださった時、私はやりがいというものを感じる。それを毎日見続けることが、私のモチベーションになっている」(引用元:論文「竹鶴政孝を支えたモチベーションとジャパニーズウイスキーの未来」より)
日本で当時1人しかいなかったマスター・オブ・ウイスキーに挑戦したのも、それら先人が築いてきた「酒類業界に恩返しがしたいから」という理由だったといいます。私は日本の酒類産業とジャパニーズウイスキーの未来を熱く真剣に考える鈴木氏のその姿勢に、心を打たれました。
ブレンドを追求したウイスキーを実現するため、世界中の様々なモルト原酒の個性を知り尽くした鈴木氏の知見、そしてそのフロンティア・スピリッツこそが活きると考え、ブレンダーに就任いただくことになりました。
富山市の北部に位置し、「世界で最も美しい湾クラブ」にも加盟する神秘の海 “富山湾”を望む街「四方(よかた)」。富山城下や飛騨地方への魚類供給地として、幕末以前から魚問屋を含む様々な商人、問屋が発達したほか、富山の薬売りの中核としても発展するなど「様々なモノが集まり、発展する基盤」となってきた地域です。
そんな古き良き街の四方で、1つの古民家と出会いました。
明治17年(1884年)に建築されたこの古民家は、地元に根付いた名士であった前オーナー家が問屋業等を行ってきた舞台でもあります。
1884年と言うのは、黒船に乗ったペリー提督が時の将軍徳川家定にウイスキーを振る舞ったと言われるウイスキー元年から約30年、オールド・パーの前身や猫印ウイスキーのような輸入品が流通し始め、また国内メーカーからも「模造ウイスキー」といわれる初期のウイスキーが流通し始めた頃でした。つまり、輸入ウイスキーが日本に持ち込まれてから、本格的なウイスキーの蒸留開始と言われる1923年の山崎蒸溜所設立までの「ウイスキー黎明期70年」のちょうど中間期に、本古民家は生まれたのです。
ここで、日本におけるウイスキーの歴史について少し記します。
ウイスキーは、今から約160年前、江戸時代末期の開国と同時に日本にやってきます。
1854年の日米和親条約、1858年の日米修好通商条約の締結に伴い、横浜・長崎が開港して以来、ジャーディン・マセソン商会やベイカー商会等に代表される外国貿易商によって、ウイスキーが少しずつ日本に流通し始めました。この頃には輸入ウイスキーに加え、国内の酒類メーカーがそれらを模した「模造ウイスキー」を作っていたと言われています。
1899年には、鳥井信治郎氏が鳥居商店(現在のサントリー)を創業、1911年に初期の国産ウイスキー(この頃の製法はいわゆる「模造ウヰスキー」といわれる、現在とは異なる製法です)である「ヘルメスウイスキー」が、鳥居商店から改名した寿屋洋酒店からリリースされます。1919年には寿屋洋酒店は自社工場を大阪に建設、「トリス」を発売します。
なお、この頃から本古民家のある四方エリアは、北陸・富山における問屋集積地の一つとして、ウイスキーを含めた様々な商材を富山エリアに供給していたようです。
さて、「ウイスキー黎明期70年」が終わり、本格的なジャパニーズウィスキーの誕生とも言えるのが、1923年の山崎蒸溜所の開設です。
(画像提供:PIXTA)
山崎蒸溜所では、スコットランドでウイスキーを学んだ経験を持つ竹鶴政孝氏(後にニッカウヰスキー 余市蒸溜所を創業)が工場長に就任、それ以降、角、ホワイト、オールド、響、山崎のような傑作が生み出されていきます。
そして北陸では、1952年に若鶴酒造の「三郎丸蒸溜所」が操業し、北陸唯一のウイスキー蒸溜所として、70年もの間、高品質のウイスキーを作り続けています。
北陸の商都とも呼ばれる富山、四方の地は、山崎蒸溜所や余市蒸溜所等の代表的国産ウイスキーに加え、三郎丸蒸溜所のウイスキーが流通するなど、豊かなウイスキー文化に恵まれてきた地と言えるのです。
そんな四方地区で長年問屋を営なみ、また140年に渡って地域に根ざしてきた本古民家ですが、この度、後継者不足により新しい活用法を模索することになりました。
また、富山県は水がおいしいことでも知られています。
オトナライフ編集部主催の「水がおいしいと思う都道府県ランキング」では、858票となる断トツの1位に輝き、2位の長野県には200票以上もの差をつけています。(引用元:Business Journal)
(出典:富山県HP)
上記は、富山の水の水質について調査した表ですが、富山県内の水は、水の「おいしい条件」を全ての項目で満たしていることが分かります。
富山の地質には、あらゆる時代の地層や岩石が存在していますが、その中に含まれる花崗岩には水を濾過する働きがあり、新第三紀の地層や岩石や石灰質の岩石からは、水のうまみとなる各種のミネラルが溶け出しています。この恵まれた地質に磨かれ、育まれることで、富山の水はおいしくなっているのです。
(画像提供:PIXTA)
また、富山県には5つの一級河川を含む大小310以上の川が流れていますが、全国各地の他の河川と比べて勾配が急激である「急流」が多いため、途中で汚染されることがなく、新陳代謝も活発で、常にきれいな状態を保つことができています。
四方エリアの東側近くを流れる「神通川」は、富山県の七大河川の1つであり、一級河川の1つにも数えられていますが、この川の名を冠した「JINZU GIN」というスコットランド産のジンがあります。柚子と桜の花、日本酒(純米酒)を使用し、フレッシュな柑橘とスムースな口当たりが特徴ですが、このジンは、英国人女性バーテンダー、ディー・ディヴィーズ氏が、16歳の時に日本を訪れて以来持ち続けていた日本と日本文化への情熱が形になったものです。
中目黒の&SPIRITSは、桜の名所でもある目黒川沿いに位置していますが、桜の季節にもぴったりなこのジンがお花見シーズンに大人気だったこともあり、1人の英国人女性の心を動かし商品化まで実現してしまった「神通川」に興味を持ったことが、私が富山に惹かれた最初のきっかけでもあります。
ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝氏の「自然を大切にしなければおいしいウイスキーはつくれない」という言葉がありますが、「世界で最も美しい湾クラブ」に加盟する富山湾を望み、人の心を動かせるような美しい川の近くに位置しており、更には水のおいしい条件を全て満たしていたことで、富山の四方という地に急速に惹かれていきました。
ウイスキーの製造工程では、全般において「水」を使用することから、豊富で上質な水を必要としています。先述のニッカウヰスキー創業者、竹鶴政孝氏が余市を選んだ理由の1つは、水がキレイで豊富にあったからだといいます。
(画像提供:フォトライブラリー 竹鶴政孝)
ウイスキーの割水には、一般的には軟水から中程度の硬水が良いといわれています。余市蒸溜所の付近を流れる余市川や、宮城峡蒸溜所の付近を流れる新川は、ともに硬度20くらいの軟水です。
また、そのまま飲んでもおいしい水であること、異味・異臭がないこと、ミネラルがバランスよく含まれていることも重要な条件であるとされています。
このことを踏まえて、もう一度先ほどの富山県の水質調査表を見ていきます。
(出典:富山県HP)
富山県の水道水は、
・硬度28の軟水(※WHOの飲料水水質ガイドラインによると、硬度60mg/L未満を「軟水」と定義する)
・蒸溜残留物77
・臭気強度なし
となっており、軟水から中程度の硬水であること、適度なミネラル含有量であること、異臭がないことの3つの観点から、ウイスキー作りに非常に適している水だということが分かります。
また、「そのまま飲んでもおいしい水であること」という点に関しては、富山市の水道水のペットボトル「とやまの水」が、国際的な品質コンクール 「2021 年モンドセレクション」において、7度目の『最高金賞』 を受賞し、平成24年度から10年連続で金賞以上の受賞をしていることからも分かります。日本国内においても、富山の水道水の品質はトップクラスに高いのです。
(出典:富山市公式HP)
最初は、桜の時期にJINZU GINを通して「神通川」に興味を持ったという本当に小さなきっかけでした。そこから四方の古民家に出会い、歴史を紡いできた古民家のヒストリーに惹かれ、富山の水がおいしいだけではなくウイスキー作りに適しているという事実に後押しされ、夢見てきた「究極のブレンド」をこの場所で実現したいと強く考えるようになりました。
蒸留酒に関する多様な知見と、著名バーテンダーや蒸留家との幅広いネットワークを有していることが当社のアドバンテージであると考え、強みであるこのネットワークを活かして、1人の蒸留家を専任で立てるのではなく、ゲスト蒸留家を招聘してオリジナルの蒸留酒を製造していく「複数蒸留家制」を導入したいと考えています。その1人目として、マスター・オブ・ウイスキーの鈴木勝二氏を招聘し、ジャパニーズウイスキーの強みであるブレンドを極めたピュアモルトウイスキー作りの挑戦を決意いたしました。
蒸留酒の魅力を発信し、体験できる場所として、蒸留酒文化を日本に広めることに尽力する
&SPIRITSで開店当初から掲げてきたこの想いをそのままに、日本の皆様にとって、蒸留酒がもっと身近なものとなり、文化として広がっていくことを願って、この大きなプロジェクトへの挑戦を決意いたしました。蒸留酒を知っていただくきっかけになる場所としても、蒸留酒好きな皆さんが集う場所としても、あらゆる人が蒸留酒を楽しめる、そんな場所にしていきたいと考えています。
皆様からいただいた大切な資金は、本蒸溜所開設に向けた準備金として使用させていただきたいと考えております。
蒸溜所は、富山県富山市四方北窪の築 140 年の古民家を改装して設置する予定です。一般的に蒸留機を導入できる天高(3.8m 以上)のある賃貸物件は多く ありませんが、本物件は蒸留機設置場所の天高 5m を有しており、理想的な建物となっています。
第一段階改修として、建物の劣化している部分を解体し、修繕して現在のテイストを大事にしつつ、これから更に100年以上続くことのできる基礎を築きます。加えて、敷地内に蒸留スペース及び樽の貯蔵庫を設けます。(2023年4月まで)
第二段階改修として、蒸溜所設立に必要な機械・タンク等を導入します。(2023年6月まで)