【完結】ファイアーエムブレム 烈火の剣~軍師と剣士~ 作:からんBit
遺跡の奥へと向かうハング達。徐々に美しい石組になっていく通路を走り抜け、四人は広い空間へと飛びだした。
そこは祭壇のような場所だった。
目の前には長い石段があるが、それ以外は深い闇に閉ざされて見えない。
周囲の壁すら目視することはできず、上空は暗き虚空となっていて天井も確認できない。
深い闇の中、その石段の頂上付近がわずかに灯りを放っていた。
「父上っ!」
暗闇に気圧されたのか、焦燥にあらがえなかったのか、エリウッドの声が放たれる。
「父上っ!!」
エリウッドの声は暗闇の中に反響することなく消えていく。
「僕です!エリウッドですっ!!父上ーーっ!!」
あらん限りの叫びをあげるエリウッド。だが、その声は闇の中に溶けていく
「暗いな。周りが見えねぇ・・・」
ヘクトルがそう言って、石段を何段かあがる。ヘクトルの金属製の軍靴が石段を踏みしめる音がした。
その時、闇の中から声がした。
「・・・エ・・・エリウッド・・・」
その声にエリウッドは聞き覚えがあった。
それは間違いなく慣れ親しんだ父親の声だった。
「父上っっ!どちらにおられるのですかっ!?」
「エリ・・・ウッド・・・」
「奥よ!エリウッド!!奥の方から声がするわ!!」
ハング達はリンの耳を信じ、石段を駆け上る。
そして、ハング達は石段の頂上にたどり着いた。
そこは何かの儀式の場のようだった。
石畳に刻まれた装飾、広い場に対称に置かれた松明。そして、その最奥には装飾のなされた扉があった。
それを見て彼らは直感する。【竜の門】だ。
しかし、今の彼らにそちらを気にするだけの余裕はなかった。
その儀式の場の片隅に一人の男性が倒れていたのだ。
「父上っ!!」
見間違うはずもない。それはエリウッドが探し求めた実の父親の姿だった。
エリウッドが真っ先に駆け寄り、力なく横たわるエルバートを抱き起した。
「よくぞ・・・よくぞご無事で・・・!!」
「エリウッド・・・」
エリウッドは久々に父と対面を果たす。そこには陽だまりのような笑顔はなく、疲れ果て、やせ細った顔があった。
それでも間違いなくエルバート様である。
フェレで待ち焦がれ。旅立ち、戦い、そしてようやく出会えた、エリウッドの父親である。
だが、その余韻に浸る間もなくエルバートは指先を祭壇の中央に向けた。
「わしのことはいい!その娘を連れて・・・逃げろ!」
エルバートの指差した先。そこには先程までいなかったはずの存在が佇んでいた。
「ニニアン!?」
祭壇の中央で立ちすくむ少女。陶磁器のような白い肌と儚げな表情。だが、その瞳だけはいつもの彼女ではない。彼女の目は暗闇の中を見たまま動かない。
その瞳は生物の持つ意志の力が全く見て取れなかった。
明らかに様子がおかしい。
「その娘は・・・【竜の門】を開くカギ・・・ネルガルが気付く前に・・・早く!」
そう訴えるエルバート。エリウッドは腕の中の父とニニアンの間で一度視線を巡らせる。わずかな逡巡の末、エリウッドは父の言葉に従うことにした。
「ニニアン!こっちへ!逃げよう!」
「・・・・・・」
エリウッドの呼びかけにニニアンの反応がない。
それを見てヘクトルはすぐさま行動を開始した。
「エリウッド!親父さんは俺が!!お前は、ニニアンを!」
「わかった!」
ハングもネルガルを探していた自分の感情を横に置き、ヘクトルに手を貸す。
「リン、エリウッドを手伝え、俺はヘクトルに手ぇ貸す!」
「ええ!!」
それぞれが行動を開始する。ヘクトルがエルバートの片方の肩に腕を差し込んだ。
「エルバート様!ちょっと動かすけど、我慢してください」
「ヘクトル・・・君も来てくれたのか・・・ありがとう」
「気にしないでください。ハング、そっちの肩を」
「ああ!!」
「ハング?」
「エルバート様・・・俺のこと覚えてますか?」
ハングは剥き出しの左腕をエルバートの脇の下にいれて、立ち上がらせた。
「以前、盗賊退治でお会いしたことがあるんですけど」
「あの、ハングか!?」
「どのハングかは知りませんけどね。さっ、行きますよ!」
ハングとヘクトルはエルバート様を支え、石段と足を向けた。
その時だった。
「・・・・・・ここは通さん」
石段との間にいつの間にか男が立っていた。
「・・・おい、ヘクトル・・・」
「わかってる・・・」
短い髪、血塗られたマント。だが、その男の容姿など、ハングとヘクトルにとってどうでもよかった。
その男を前にしてハングとヘクトルは反射的に足を引いていた。直感よりももっと深い場所にある生存の本能がその男の危険性を全力で訴えていた。
その男は比喩でもなんでもなく『死』を纏っていた。
「この男と戦ってはいかん!!」
突然のエルバートの声にニニアンに向かっていたエリウッドとリンも足を止めて振り返った。
「その男は・・・危険だ。まともに戦っても勝ち目はない」
エルバートの言葉を聞くまでもなく、ハングとヘクトルは既に数歩後退していた。
それほどまでにこの男の持つ空気は危険すぎた。
だが、直面していないエリウッド達にはそれが伝わっていなかった。
「父上、時間がないのです。多少の危険は・・・」
エリウッドの言葉はもっともだとハングも思う。
だけど、これはそういった次元の話ではなかった。
この男は危険過ぎる。
「・・・親の忠告には従うものですよ、エリウッド殿」
その声に今度はハングとヘクトルが後ろを振り返る。
目の前の男から視線を外す恐怖はあったが、その男の声にハング達の意識が惹きつけられたのだ。
そこに立っていたのは先程ニニアンを攫った男。
「エフィデル!!」
ハング達とエリウッド達の中間にその男が出現していた。
「この男は【黒い牙】でも一流の使い手・・・いまのあなたたちでは、たばになってかかっても相手になりませんよ」
そう言い残してエフィデルの姿が掻き消える。
ハングは素早く前を向く。エフィデルが『死』の男の隣に立っていた。
「・・・ジャファル、よくやった。ここはもういい。ベルンに戻り、次の仕事に入れ」
ジャファルと呼ばれた男は何も言わずに石段を駆け下り、通路の奥へと消えていく。
「さて、みなさん!」
そして、エフィデルが仰々しくその両腕を広げた。彼のマントが翻り、妙に大きな音をたてた。
「我が主からの招待です。ここまであがいてきたあなた方に敬意を表し、今から、面白いものをお見せするとのこと」
面白いもの?
ハング達がその言葉に警戒を強めるなか、エルバートだけがその意図するところを悟って声を張り上げた。
「やめろ!【竜】を呼び出してはいかんのだっ!!」
「父上?なんのことですか!?」
【竜】
ハングの頭にその単語が駆け抜けた。
「竜ってまさか・・・人竜戦役の・・・」
ハングがその結論に達した直後、エフィデルが仮面のような顔に笑みを宿した。
「・・・すぐに分かります。あなたの父上の命と引きかえにね!」
エフィデルが手のひらをエルバートに向けて突き出した。
「ぐわっ!」
「え?エルバート様!?」
エフィデルは何か闇魔法を使ったわけではない。もし、そうなら闇魔法に敏感なハングが気づいたはずだ。
そのはずなのに、エルバートは胸を抑え、苦しそうな呼吸を繰り返していた。
「・・・がっ・・・がはっ・・・」
「エルバート様っ!しっかりしてくれ!!」
倒れ込むエルバートをヘクトルとハングが支える。
「父上っ!どうしたんです!?父上っ!!!」
エリウッドとリンも戻ってこようとするが、その間にいるエフィデルがそれを許さない。
その間にも状況は悪化の一途を辿る。
「・・・ぐわぁぁ・・・・」
エルバートの苦しむ声だけが祭壇を埋め尽くしていく。
その時だった。
「さあ、ニニアン・・・【竜の門】を開くのだ」
酷く掠れた声がした。
それは聞くものの不快感を煽り、神経を逆なでする声だった。
耳障りな不協和音が声の端々に潜み、人の耳朶を強引に拒絶させる独特の発声法。
それは、闇にその身を溶かし込まなければ発音することすらできない。
その声はまるで闇の奥底で何かが蠢いているかのような声だった。
その声を聴いた直後、エルバートに気をとられていたハングの体が硬直した。
「・・・・・・今の・・・声・・・」
ハングは緩慢な動作で背後を振り返った。
「!?・・・ニニアン?」
エリウッドの声がした。
ニニアンの様子が変わっていた。
「チ カ ラ・・・チカラ・・・」
ニニアンの紅色の瞳がエルバートをとらえていた。
「がはぁっ!!」
「父上っ!!」
エルバートの苦しみが激しさを増していく。動揺するエリウッド達。
だが、ハングにはそれらの全てが見えていなかった。
ハングの頭は既に思考を放棄していた。
何も見ることをせず。何も考えることせず。ハングはただ、ニニアンの隣に現れたターバンを巻いた男だけを見ていた。
「・・・モン・・・ヒラケ・・・イマ」
「いいぞニニアン・・・そのままだ・・・そのまま」
その時、何かが祭壇内を駆け抜けた。
ハングが走りながら、左腕を地面に叩きつけ、反動で宙に浮かび上がる。
「ハング!ダメ!!!」
背後から静止する声が放たれたが、既にハングの耳には届いていない。
ハングは暗闇を背景に全身全霊がこもった拳を目に見えない障壁へと叩きつけた。
巨大な火花が散り、空間が爆ぜる。
だが、ふんばりのきかない空中では拳の威力は次第に消える。
勢いが削がれたハングの体は見えない障壁の淵に沿って地面に降り立った。
次の瞬間、ハングは鋭く足を踏み込み再び左拳を叩き込んだ。
またもや生じた衝撃。
拳と障壁がせめぎ合い激しい火花の嵐が吹き荒れる。ハングのの左腕の鱗が割れ、青い血が滲む。
それでもハングは腕を引かない。
ハングは一度拳を戻し、さらに勢いをつけてその左腕を叩きつけた。
「ネェェルガァァァァル!!!」
ハングの叫びが爆音を切り裂いて吹き抜ける。
そんなハングにネルガルは心底邪魔そうなものを見るような目を向ける。
「・・・・なんだ、貴様は?」
「俺は・・・ハング・・・てめぇを・・・殺してぇ奴だよ・・・」
ネルガルが無造作に手を振った。障壁が膨れ上がったような衝撃が放たれ、ハングが吹き飛ばされる。
「このおおおぉおおおお!」
ハングは左腕で強引に床を掴んで衝撃を受け止める。
そして、体勢を整えることもせず、ハングは再びネルガルに向かって突っ込んだ。
そこに、いつもの冷静な軍師としてのハングはいない。
突き刺さるような冷気を放ち、抜き身の刀のような殺気を巻きちらす。
ハングの拳は障壁に再び阻まれる。
何度も突撃を繰り返すハングをネルガルは一瞥した。
ネルガルの隻眼に映ったのは障壁の向こうで燃える瞳だった。
爛々とどす黒く燃え盛るハングの瞳。
純然たる怨嗟のこもったその視線を受け、ネルガルは顎に手をあてた。
「・・・・ハング・・・ハング・・・」
ネルガルはぶつぶつと何かを呟く。
そして・・・
「・・・ハング・・・ああ!貴様、ハングか!?」
「さっき、そう言っただろうがぁぁあああ」
ハングが拳を振りかぶる。それとほぼ同時にネルガルが再び手を振った。
その時、ハングの目の前で障壁が掻き消えた。
「なっ!!」
力の行き場を失ったハングの体が流れる。
その目前にネルガルが移動した。
「ハングか・・・そうか・・・まさか生きていたとは」
「くっ!!このぉぉ!!」
ハングは膝をついたまま、やぶれかぶれの一撃を放つ。
だが、ハングの左腕はネルガルの小さな闇魔法にからめ捕られ、止まってしまった。
「くそっ!このっ!!」
ハングは腕が動かないとみるや、その喉首を噛みちぎらんばかりに前に出た。だが、その動きも闇魔法で食い止められる。
ハングは目前にまで迫ったネルガルを射殺さんばかりの視線で睨みつけた。
「ネル・・・ガルゥ!!」
「ふん。思い出したぞ。確か貴様の村を消したのだったか?」
「村だけじゃねぇ!!人も・・・親も・・・妹も!!全部てめぇが消したんだぁ!!!」
「くっくっくっく・・・そう、だったな」
ネルガルの手のひらから闇が放たれた。
それをまともに受けて、ハングの体が吹き飛ぶ。
受け身を取る余裕すらない衝撃にハングは石畳の上を激しく転がり、祭壇の壁の一つに激突した。
「がはっ!!」
肺の中の全ての空気が吐き出され、胃がねじ切れるような感覚が襲い掛かる。
ハングは壁際に横たわり、こみあげてきた胃液を抑えきれず、嘔吐を繰り返した。
「ハング!!」
リンが駆け寄ってくるのを気配だけで感じながら、ハングは遠く離されたネルガルを睨みつけた。
ハングの左手の爪が石畳をこする不快な音がする。
「くそっ・・・たれ・・・・」
噛みしめた奥歯から血の味がした。胃酸で酸味を帯びた口の中に塩気が混じる。
「くそが・・・くそがぁ・・・」
力なく漏れる悪態。握りしめた右拳に爪が食い込む。
「ネル・・・ガル・・・」
「ハングのバカ!何してんのよ!?」
リンに体を支えられ、ハングは壁に寄り掛かる。
視線で人を殺せるなら・・・・
熱くなる目頭。涙で視界が霞む中で、ハングは心の底よりももっと深い場所で切実にそれを願っていた。
そんなハングに見向きもせず、ネルガルは再びニニアンに呼びかけていた。
「ニニアン・・・」
そして、ネルガルは唇を歪ませ、その言葉を紡ぎだす。
「ニニアン・・・【竜】をこちらへ・・・・」
その言葉が、引き金だった。
「うわっ!なんだこの地響きはっ!!」
さっきのハングが巻き起こした爆音など比較にならない程の地響きが駆け抜けた。
そして、エリウッド達は目撃することとなる。
ニニアンとネルガルの背後の重厚な門が開こうとしていく瞬間を。
「・・・オイデ・・・ヒノ・・・コ・・・タチココニ・・・オイデ・・・」
ニニアンが歌うようにその門の奥に向かって呼びかける。
門が更に開く。
そして門の向こう側から、まばゆい光の道を辿ってその姿は現れた。
「・・・嘘だろ?」
ヘクトルが茫然と呟く。
「あ・・・まさか・・・そんな・・・」
ハングを支えていたリンがうわ言のようにそう言った。
「あれは・・・本当に・・・・・・太古の・・・【竜】なのか?」
エリウッドの声はやけにはっきりと皆の耳に届いていた。
門の向こう側。
そこから、あまりにも巨大な姿が形を作ろうとしていた。
力強い四肢、鋭く並んだ牙、きめ細やかな鱗はその竜自体が放つ炎の揺らめいていた。
圧倒的。ひたすら圧倒的な存在感が顕現する。
それは復讐に取り憑かれていたハングの視線すら釘付けにしてしまう程の存在だった。
「ハハハハハハ」
そこにネルガルの高笑いが重なった。
「いいぞ!力を使い切れ!!体中の力を出し尽くし【竜】を呼び寄せるがいいっ!」
ネルガルの言葉に何かを訴えることができるものは誰もいない。
目の前で起きる出来事にただなす術もなく圧倒されるだけだった。
誰もが声もなく震えていた。非現実的な世界に思考が麻痺していた。
だが、次の瞬間、彼らの戒めを破るような甲高い声が響き渡った。
「・・・そんなこと!絶対させないっ!!」
一斉に皆の視線が声のした方に集まる。
「ニルス!」
ハングとリンの声が重なった。
石段の下からニニアンの弟である、笛吹きの少年が駆け上がってきた。
ニルスはよく通る声でニニアンに呼びかけた。
「ニニアン!目を覚ますんだ!!あんな奴の言いなりになっちゃダメだ!!」
神聖なる鐘の音は魔を払い、闇を退けるという。
今、この場におけるニルスの声はまさしくそれだった。
ハング達の硬直した心身が再び動きだした。
「・・・ニ・・・・・・・・・ルス・・・」
ニニアンの呪縛が揺らぐ。ネルガルの顔が忌々しげに歪む。
「今この時に・・・やっかいな!くっ・・・エフィデル!やめさせろっ!!」
ネルガルの焦ったような指示。ハングとリンが目配せ一つで動き出した。
エフィデルが転移でニルスの傍に出現する。
「やめろニルス!!力が・・・暴走するぞっ!!!」
ニルスに覆いかぶさろうとするエフィデル。だが、その動きは既にハングが読み切っていた。
「させねぇよ!!」
「ニルスには触れさせない!!」
エフィデルが転移してきた位置には既にハングとリンの斬撃が迫っていた。
紙一重でそれを回避して後退するエフィデル。
「くそっ・・・よくも邪魔を・・・」
「今まで俺に手の内を見せすぎなんだよ!」
エフィデルの転移魔法を何度も目撃してきたハングがその動きを予想できないわけがない。
リンとハングはエフィデルを牽制するように剣を構える。
そして、その背後からこの世界を切り裂くように、ニルスの声が響いた。
「ニニアンッ!!」
その声がニニアンの瞳に再び光を宿した。
「・・・ニルス?」
彼女が正気に戻ったのをいち早く察したニルスが一気に祭壇内を走り抜け、ニニアンの腕を掴んだ。
「こっち!早く!!」
ニルスの目には【竜の門】から出現した【竜】の姿がわずかに霞んでいくのを目撃した。
「みんな!竜の実体が崩れるよっ!早く逃げて!!!」
「ま、まて!ニル・・・くっ!いかん!」
ニルスを追おうとしたネルガルに【竜】が目を向けた。
【竜】がその顎を大きく開く。
ネルガルはその【竜】の口の中に広がる虚空に言い知れぬ不安を感じ、素早く転移魔法で消えていった。
ヘクトルとエリウッドもエルバートを抱えて距離をとる。
リンとハングもエフィデルを押し返して走り出す。
そして、竜の前に放り出された哀れな存在が一人。
「ヒッ・・・!やめろ・・・くるんじゃない・・・っ!!」
エフィデルが祭壇の中を後ずさる。
転移魔法は大きな集中力を必要とする。伝説の【竜】を目の前にしてエフィデルにそんな余裕が残されているわけがない。
エフィデルが逃げるにはその足を動かすしかないのだ。
「ネルガル様っ!ネルガル様っ!!どうか・・・・・・!!!」
だが、目前に迫る【竜】の恐怖を前に身体が動かない。
「ぐわぁぁぁぁぁあああっっっ!!!!!」
エフィデルの絶叫か、それとも断末魔か。
そして、それも竜の実体と共に掻き消えていった。
後に残ったのは再び静けさを取り戻した祭壇だった。ただ、石畳に残る爪と火炎の跡がそこに何かがいたことを証明していた。
静まり返った祭壇の下で皆は石段の上を見つめていた。
「・・・なにが、起きたんだ?」
ヘクトルがそう言った。だが、その質問に答えられる者はいない。
現実が理解の範疇を超えているのは皆一緒だった。
その祭壇の上に転移してくるネルガル。
ネルガルはハング達を歪んだ顔で見下ろしていた。
「くっ・・・!失敗か!!おのれニルス!お前さえ、邪魔をしなければ・・・!もう一度だ!来い!お前たちっ!!」
次の瞬間、ネルガルは再度転移魔法を用いてハング達のど真ん中へと現れた。
ネルガルの手がニルスとニニアンへと伸びる。皆もそれを阻止しようと動く。
「そうは・・・させんっ!」
その中で、より早く動く人物がいた。
「な・・・!?」
それはエルバートだった。ネルガルの脇腹からエルバートは短剣を突き刺していた。
「・・・ばかな・・・この私が、貴様ごときに・・・・・・」
「・・・言ったはずだ。お前の・・・好きには・・・させんと・・・・・・」
「・・・こ・・・の・・・死にぞこない・・・め。ぐっ・・・!!」
ネルガルの顔が苦痛に染まる。
それは致命傷であるはずだった。
少なくとも、普通の人間なら確実に急所である場所をエルバートは突き刺した。
ネルガルは死ぬ。そのはずだった。
だが、ネルガルの姿はいつの間にか消えていた。まるで最初から何もいなかったかのように跡形もなくネルガルの姿が消えていた。
だが、エルバートは自分の握った短剣の手応えを感じて小さく微笑んだ。
死力を使い果たしたエルバートの身体が傾き、そして倒れる。
「父上!!」
それをエリウッドが受け止めた。
「父上・・・」
「・・・エリウッド・・・油断するな・・・奴は・・・また現れるぞ・・・」
エルバートの体から力が抜けていく。エリウッドの腕にかかる父親の重みが徐々に増していく。
それが、死神に引き寄せられているかのように感じ、エリウッドは必死に父の身体を抱え上げた。
「はい・・・でも今は・・・この島から脱し・・・リキアへ戻りましょう」
エルバートは自嘲する。
「わしは・・・もうだめだ・・・エリウッド・・・後のことは・・・頼む」
エリウッドの瞳に大粒の涙があふれる。
「父上!!しっかりして下さい!」
エリウッドの声が震えていた。
「フェレで、母上が・・・父上を待っているんです!」
「ふ・・・エレノアか・・・また、怒られそうだ・・・」
エルバートは寂しそうに、それでいて楽しそうに笑う。
エルバートは昔を懐かしむような顔で目を閉じた。
「エリウッド・・・母さんに・・・すまない・・・と・・・・・・」
エリウッドの手の中からエルバートの手が滑り落ちる。
「父上っ!?」
慌ててその手を握りなおすエリウッド。
「いやだ・・・死なないでください・・・」
だがもう何も変わらないのだ。
何も変わらない。
生者はもう何も変えることができない。
「父上・・・どうか・・・目をあけて・・・・・・」
逝ってしまった者に生者は何もできない。
「父上ーーーーーっ!!!!」
エリウッドにはもう何もできない。