【完結】ファイアーエムブレム 烈火の剣~軍師と剣士~   作:からんBit

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19章外伝~魔封じの者(後編)~

ハングとカナスが森に飛び込んだところではエリウッドが待ってくれていた。

 

「どうしたんだい、そんなに慌てて」

 

大きな木の傍に立っていたエリウッド。リンとヘクトルの姿はなく、先に戻ったようであった。ハングは呼吸を落ち着けて背後を振り返る。そこにはまだ重苦しい空気が満ちている気がしていた。

 

「エリウッド・・・お前は何も感じないか?」

「ん?何をだい?」

 

エリウッドは怪訝な顔をした。ハングとカナスはお互いの顔を見合わせた。二人の顔には同じような不安が渦巻いていた。

 

「どうしたんだい?」

「いや、なんでもないんだ。なんでもない」

 

ハングは胸の奥を鷲掴みにされたかのような圧迫感を感じていた。

そのせいか、次から次に嫌なことを思い出す。のしかかる不安で気が狂いそうだった。

 

ハングは深呼吸をしてみる。

 

だが、重い空気が更に体に入っていくような気がして余計に気が滅入るだけであった。

 

「ハング、本当に大丈夫かい?なんなら、肩を貸そうか?」

「平気だ・・・それより・・・いや、その前にエリウッド。お前も随分とひどい顔だぞ、なんか気になることでもあるのか?」

 

ハングはほとんど当てずっぽうにそう言った。

ハング自身にも既に他人を観察している余裕がなかったのだ。

 

ただ、この言いようのない嫌悪感を感じているのが自分だけだとはどうしても思えなかった。

 

そして、それに対するエリウッドの返事はハングの予想を裏切ることはなかった。

 

「・・・わかるかい?」

 

そんな返事とともにエリウッドはいつもより数倍疲れた笑顔を見せた。

 

ハングはカナスと小さく目配せを交わした。

 

「でも、これは僕自身の話だ。今はハングの体調の方が・・・」

「いや、今話せ・・・」

「え・・・でも・・・」

「いいから、話せ」

 

真剣に訴えるハング。エリウッドは逃げられないことを悟ったのか、笑顔のまま話し出した。

 

「父上のことだ・・・」

 

ハングはそれを聞き、逆に安堵したようなため息を吐いた。

 

エリウッドがエルバート侯爵の無事を心配しているのは今に始まったことではない。そのことで不安を覚える程度の話なら、やはり自分達が感じているこの感覚は闇魔法を学んだ者が感じ取れる特有のものなのだろう。

ならば、敵の闇魔法部隊が近いだけかもしれない。もしかしたら、このヴァロール島内に大きな闇の魔術に関する遺跡が眠っているだけなのかもしれない。

 

だが、そんなハングの予想は次のエリウッドの一言で吹き飛んでしまった。

 

「エリックが言っていた・・・父が謀反に参加したと・・・」

「は?」

 

ハングは思わず間抜けな声を出した。

 

「エリウッド・・・今の心配事は・・・それなのか?」

「・・・心配事というほどではないんだが・・・」

 

ハングは茫然とするようにエリウッドの顔を見つめた。

その顔に浮かぶ疲労と焦燥。

 

だが、ハングが知る限り、エリウッドはここしばらく謀反の話など忘れたかのようだった。彼が心配していたのはエルバート様が無事でいることだけ、その一点だったはずだ。

 

なのに、なぜ今更ここに来て謀反の話が噴き出す?

 

「いや、ちょっと待て・・・エルバート様に限ってそれはないだろう?」

「僕もそう信じてる・・・でも、父上のことを思うと・・・息が苦しくなる・・・なんで、こんな不安なのだろうな・・・」

 

『不安』

 

ハングはもう一度カナスと目を合わせた。カナスは何かを察したかのように小さく頷いた。

 

ハングはエリウッドに向き直る。

 

「エリウッド」

「なんだい?」

 

その時、エリウッドの額から子気味の良い音がした。

ハングが中指でエリウッドの眉間を指弾した音だった。

 

「っつ!な、なんだい?」

「何悩んでるかと思えば・・・くだらない」

「く、くだらないって・・・」

 

そして、ハングは弾けるような笑みを見せた。

 

「そんなもん、ただの勘違いだろ」

「え・・・勘違い?」

「お前が本当に心配してんのはエルバート様の安否だったろ。その不安が妙に後ろ向きな考えを誘発してるだけだ」

 

エリウッドは額をさすりながら、ハングの声に耳を傾ける。

 

「エルバート様に限って、そんなことがあるわけがない。まぁ、戦い続きだったしな少し混乱しちまったんだろ」

 

ハングはそう言って労うように笑った。エリウッドはその顔に少し溜息を吹きかけた。

 

「なんでそうやって、ハングは僕の内面を見透かすようなことが言えるんだろうね」

「さてな・・・」

「『狸軍師め』」

「なんだ?俺の声真似か?リンの方が上手いな」

 

エリウッドはハングの笑顔に釣られるように笑った。そこにはもう先程までの疲労は見えていなかった。

 

ハングはエリウッドに気付かれないように緊張感を吐き出した。

 

「少しすっきりしたよハング。ありがとう」

「いいっての・・・それよかリンとヘクトルはどうしたんだ?」

「ああ、二人は先に・・・」

 

その時、森の中から二人の声が聞こえてきた。

 

「まだガチャガチャいってる」

「無茶言うな!この重装備なんだぜ。これ以上、どうやって静かにしろってんだよ!?」

 

ハングは眉間に皺を刻んだ。

 

「なんだか、言い争ってるみたいだね」

「なにやってんだあいつらは・・・」

 

その時だった。

 

ハングは自分の視界の隅に違和感をとらえた。それは見過ごしてはならないものが視界を掠った時に感じる虫の知らせだった。ハングは頭上を覆う枝の隙間から上空へと目を向けた。

 

「天馬部隊・・・偵察だ!」

 

ハングの声にいち早く反応して、エリウッドとカナスは木の陰に身を隠した。

そして、ハングはまだ言い争ってる声を頼りに森の中を駆け抜けた。

二人はハングが思っていたほど遠くにいなかった。

 

「どならないでよ!そんな鎧をつけてるならそれ相応の動きが必要だって言ってるだけでしょ!」

「だから、俺だって努力はしてん・・・」

 

言い合う二人にハングは一気に間合いを詰め、ヘクトルの奥襟を左手で掴んで地面に叩きつけた。

 

「だろうがブこぼバ!」

 

それと同時にハングはリンに体当たりをかまして強引に押し倒す。

 

「え、え、ハング?」

「静かにしてろ」

「ふ、ふご」

「静かにしてろ」

 

ハングはヘクトルの顔面を土の地面に突っ込みつつ、リンを自分の下敷きにして空いた手で彼女の頭を抑え込んでいた。

ハングは木々の隙間から空を睨みつける。そこから、天馬騎士が四騎程の隊列を組んで飛行しているのが見えていた。天馬騎士は森の上を旋回していた。

 

ハングは身じろぎ一つせず、呼吸すら最小限にとどめる。ハングの耳に届いているのは自分の下にいるリンの拍動だけだった。

 

だが、ハングの努力虚しく、天馬部隊が去るまでに何度もこちらに視線を向けていた。ハングは天馬騎士達が山脈の向こう側に消えるまで待ち、ヘクトルの頭から手を放した。

 

「いきなり何すんだ!!」

 

ヘクトルの第一声は予想ついていたので、ハングは憮然とした表情で迎え撃った。

 

「何って、お前らを地面に伏せさせただけだが」

「やり方ってもんがあんだろ!」

「確かに顔から地面に叩きつけるのはやりすぎだったとは思いが、一刻を争ってた。尊い犠牲だ」

「お前な・・・」

「俺に男の体を丁寧に扱う趣味はない」

 

リンとヘクトルの二人を抑え込むとして、どちらかを乱雑に扱うならヘクトル一択であるハングであった。

 

「ん?リン。お前さっきからやけに静かだけど。どっか痛めたか?」

「・・・・べ、べつに・・・」

 

リンはそう言って顔を背けた。

 

いつものハングであれば、彼女の態度が少しおかしいことに気が付いたであろう。よくよく目を凝らせば薄暗い樹海でもリンの耳が真っ赤に染まっていることも見えたはずだ。

 

だが、ハングは今それどころではなかった。

 

「さて・・・」

 

ハングは二人に笑いかけた。

 

ヘクトルは少し不機嫌な表情で土まみれ。リンは仄かに頬を赤らめていた。

 

「なぁ、お前ら・・・」

 

その時、二人の顔が硬直した。

 

「お前らがなんで言い争ってたかは今更きかねぇけどさ」

 

ヘクトルの顔から流れる冷や汗が土を溶かして茶色くなる。先程まで火照っていたリンの頬が急速に冷えていった。

 

「多分、今敵の偵察に発見された・・・・お前らのせいでな」

 

ハングは笑顔だ。そして、その笑顔のままハングの表情は変わらない。

乱暴な扱いを受けて腹がたっていたヘクトルも、突然ハングと密着することになって緊張していたリンディスも、その全てが頭の中から吹き飛んでいた。

 

「お前ら・・・わかってんだろうな?自分達が何したのか?」

 

静かに怒るハング。それが嵐の前の静けさだというのはヘクトルもリンもよく知っていた。二人の身体が恐怖ですくみ、歯の根があわなくなる。

 

だが、ハングが噴火する手前で森の中からエリウッドとカナスの声が聞こえた。

 

「ハング!敵部隊が確認できる!」

「ハングさん、向こうの部隊の展開が早いです。みなさんを呼んでください!」

 

ハングはそれを聞き、顔から笑みをひっこめた。

 

「早いな・・・最初から待ち伏せするつもりだったかな・・・」

 

さっきより低い声。それがヘクトルとリンには何よりも安心できた。

 

「仕方ない・・・二人共。みんなを呼んできてくれ。戦闘準備だ」

「お、おう!」

「ま、任せて!」

 

ハングは二人のやる気に満足して頷いた。

 

そして一言呟く。

 

「続きは後でな」

 

ヘクトルとリンは本気で泣き出したくなっていた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「ハングさん。なんだかリンディス様とヘクトル様がこの世の終わりみたいな顔してたんですけでど。何かあったんですか?」

 

ハングにそう尋ねてきたのはハングと共に後方で支援体制にあるエルクである。

 

ここは平原と森の境目。前方の平原にはエリウッド達の騎馬部隊と歩兵部隊が展開している。その指揮はエリウッドとマーカスに任せ、ハング達は森に身を隠しつつ、いつでも援護射撃を行う距離を保っていた。ここにいるのは杖を使うプリシラとセーラ、魔法や弓を使う面々、そして護衛のレイヴァンであった。

 

ちなみにニニアンはルセア、マリナスと共に更に後方に下がっている。

 

「ま、あの二人は放っておけ」

 

ハングは気楽にそう言ってのける。それを聞きつけ、ウィルが会話に加わってきた。

 

「また、リンディス様はハングを怒らせたのか?」

「『また』ってなんだ『また』って。そんなに俺はしょっちゅう怒ってるわけじゃないだろ」

 

そう言ったハングにエルクは苦笑いを浮かべた。

 

「そう思ってるのは多分ハングさんだけだと思いますよ」

「俺もエルクに一票」

「そうか?」

 

ハングは少し自分の記憶を探る。

 

確かにセインにはしょっちゅう打撃を加えてる気もするが、リンに対して威圧感をもって叱ることはそこまで回数が多いような気はしない。

 

「クソ軍師の怒鳴り声はよく耳に残るからな。数が少なくても印象が強いだけだろ」

「そんなもんか、バカ傭兵」

「そんなもんだ、クソ軍師」

 

最近はレイヴァンとハングはこの呼び名で定着しつつあった。

子供の喧嘩のようなやり取りだが、二人は改める気はなかった。

 

「あ、あの・・・こんな悠長に会話してていいんですか?」

 

レベッカがそう尋ねる。それに対し、ハングは軽く言ってのけた。

 

「まあ、平気だろ」

 

事実、今無理に攻めるのは愚策であった。

 

ハングは目の前の平原に展開する敵部隊を眺める。

 

マシューとフィオーラの偵察により敵は魔道士と重装歩兵の混成部隊であることが判明していた。重装歩兵を盾にして、魔道士による遠距離攻撃で仕留める。

 

基本かつ強力な布陣である。

 

そして、何より厄介なのは超遠距離魔法の存在だった。

敵の首領格と思われる人物を中心に雷の精霊が渦を巻いているのがここからでもわかる。

 

敵がこの地で待ち伏せしてきた理由はハングの予想通りであった。

すなわち、視界の開けた平原でこそ十二分に戦力を発揮できる敵部隊がいるというものだ。

 

戦線をこちらから開くのは愚策だと判断したハングは距離を保ったにらみ合いをエリウッドに指示していた。

そして、この状況が続くなら、問題は天馬部隊である。この密集している状況で上を取られるのは極めて危険だった。ハングはそれに対応するために遠距離部隊を集めていた。

 

現状はとにかく待ちに徹することだった。

 

ハング達も時間に余裕があるわけではなかったが、夜まで粘ればそれはそれで勝機が見えてくる。

 

ハングは長期戦も半ば覚悟していた。

 

そんな時に、フィオーラが前方から飛んでくる。

 

「ハング殿、私とフロリーナで先行して山を越え、敵の背後を突くという案があがったのですが」

 

その作戦の提唱はおそらくヘクトルだろうとハングは予想を付けた。確かに、その意見にも一理ある。

 

「だめだ」

 

だが、ハングは強く意見を否定した。

 

普段であればそれも確かに策の一つだ。しかし、今回はそれを許可できない事情があった。

 

ハングは自分の心臓の上を掴んだ。ハングはいまだ例の重苦しい空気を感じていた。

その空気は今も北西の方向から強く感じている。山を越えるように飛ぶということはその空気の発生源に向けて飛ぶということだ。

 

さすがにハングはそんな策を許可できなかった。

 

とはいえ、軍師としてそんな曖昧な理由を口にすることはできない。

ハングは言葉を選びつつ、フィオーラに指示を出す。

 

「少数で離れるのは危険すぎる。ただでさえここは【魔の島】なんだ。敵の支配地域を飛ぶことの危険性は理解できるでしょう」

 

フィオーラは小さく頷いた。部下を全滅させた彼女はこの島の恐ろしさをよく知っている。

 

そんな時、ハングの後ろからやかましい声が飛んできた。

 

「それじゃあ、どうすんのよ!?」

「セーラうるさい」

「何よ、エルクは黙ってなさい!」

 

ハングは無言でエルクに合図を送った。エルクは素早く魔道書を開く。雷魔法で黙らせるつもりだった。

 

その時だった。

 

「っつ!!」

 

ハングは息を飲み、目を見開いた。

今この瞬間に明らかに『重い空気』の密度があがった。

 

「あれ・・・なんだこれ」

 

エルクが魔道書を開いたまま呪文を唱えない。

 

「な、なにこれ?精霊の声が・・・聞こえないじゃない!えっ!?なに?何が起きてるの!?」

「いったい・・・なにが・・・」

 

セーラとプリシラもその変化を敏感に感じていた。突如として。彼女達の持つ杖の先に付けられた宝玉の輝きがくすんでいく。

ウィルやレベッカと言った魔法を使わない者達でもその場の雰囲気が急激に変わったことを感じ取っているようだった。

 

ハングはカナスを呼んだ。

 

「カナスさん・・・これはいったい」

「わかりません。ですが・・・この『場』そのものの魔力が歪んでいます。これでは古代魔法も自然魔法も使えません」

 

ハングが最初に思ったのは後方のニニアンのことだ。今の護衛はルセアだけだ。

 

「クソ軍師、俺が下がる」

「頼む」

 

それをいち早く察したレイヴァンが後方へと駆け出していく。

 

「ハング、ヴぁっくんだけで大丈夫か?」

 

ウィルが魔法を使えなくなった面々の代わりに前に出ようとしていた。

 

「・・・そうだな・・・レベッカも一緒に下がってくれ」

「はい、わかりました。ヴぁっくん、私も行きます!!」

「ヴぁっくんはやめろと言っているだろ!!」

 

レイヴァンが叫ぶのをハングは初めて聞いた気がした。

 

「それでハングさん、どうします?これでは自分はただの非力な少年です・・・」

 

エルクは魔道書を閉じてそう言った。今、彼は戦力として数えることができない。エルクだけではない、カナスもだ。それに、杖による回復もみこめない。

 

ここにいる戦力は実質ハングとウィルだけだった。今ここにフィオーラがいたことは救いだろう。

 

「ハングさん!」

 

そこにマシューが駆け込んできた。

 

「敵に動揺が見られます!それに・・・魔法が飛んできません」

 

ハングは眉間に皺を寄せた。

 

この『力』は敵味方関係なく魔法を閉ざしているのか。

 

そして、ハングは一つの結論に達した。

 

「好機と見るべきだな」

「はい。エリウッド様が突撃の許可を求めてます」

「よし、ここから戦線を切り開く!俺らも合流して一気に叩きつぶす!」

「了解!」

 

マシューが駆けていく。

 

「エルク、カナス、セーラ、プリシラ。お前らは俺達から離れるなよ。一緒にいてくれる方が守りやすい。このまま前軍に合流する」

 

各々からの返事を聞き、ハングはフィオーラに指示を出す。

 

「フィオーラさんもこの部隊で動いてください。敵の発見に全力を注ぎ、伏兵は絶対に見落とさないように!」

「了解しました」

 

ハングは一度屈伸をする。

 

移動中の近接戦闘はハングが主に受けることになる。荒事に自信は無いが、そうも言ってられない。

 

ハングは胸の中の不安を押し殺して顔をあげた。

 

「行くか!」

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

敵の魔法部隊は完全に機能停止していた。そうなれば残るのは重装歩兵と天馬部隊。極めて連携の取りにくい二つの部隊だ。騎馬部隊の突撃により一度混乱を起こさせれば、敵が部隊を立て直すことはできなかった。

 

そのまま敵が拠点にしてた遺跡跡を奪い取り、ハング達はそこを本日の野営地と定めて腰を降ろしたのだった。

 

戦闘が長引いたせいで、周囲はもう日が沈みかけている。夕食の準備が始まる遺跡にはシチューのよい香りが漂っていた。

 

そんな遺跡から北東に位置する小さな砦。

ハングとカナスは今そこに来ていた。

 

「ここです」

 

ハングはカナスの指差す場所を見た。そこには真新しい足跡が複数残っていた。

 

「ここで、ヘクトル様率いる遊撃隊が敵と接触しました」

 

先程までこの戦場を支配していた奇妙な空気はもうない。魔法も通常通り使えるようになっていた。

 

ハングは石造りの床に膝をついた。

 

「相手は全員顔を覆う鎧を身につけ、練度も他の敵部隊とは一線を画していたそうです。そして、その中心にいたのが皺だらけの老人」

 

ハングもヘクトルからのその報告は聞いていた。

 

「そして、周囲の部隊を倒した段階で老人は転移魔法でどこぞへと消えてしまいました。老人の転移と共に例の空気も消失したそうです」

 

今、ハングとカナスは例の空気を作った要因と思われる人物の痕跡を探しに来ていた。

 

ハングの足元には転移魔法が行われた跡が残っていた。転移魔法を使うとその場に特融の文様を刻む。カナスが言うには別空間を捻じ曲げて移動する高位魔法らしいがハングも細かい魔術理論までは知らなかった。

 

どちらにせよ、この場からその老人を追跡することはできないようであった。

 

「なんなんだ・・・一体・・・」

 

謎はまだあった。ハングは手元の砂埃を払って周囲を見渡す。この場には血痕一つ、肉片一つ残っていない。しかし、ここでは先程までヘクトルと老人の部隊が戦闘を行っていたのだ。にも関わらずに戦闘の痕跡がまるでみられない。

 

そのハングの疑問に気付いたのかカナスが報告を続ける。

 

「敵の兵士は事切れると同時に・・・体が崩れた・・・と、言っていました」

「化け物ですかね?それとも闇魔法による幻覚かな?」

「・・・わかりません」

 

ハングはしゃがんだまま器用に頬杖をついた。

 

「何かわかりましたか?」

 

カナスは諦めたような口調でそう尋ねた。

 

カナスも一度ここを訪れているのだが、結局何もわからなかった。

 

本当はハングも戦闘直後にここに来たかったが、斥候の手配やら遺跡での警備の位置などの確認やらで忙しかったのでようやく体の空いた夕食前にここに来たのだ。

 

「とりあえず、相手が得体のしれない相手だってのはよくわかりました」

「ははは、それは私もわかりました」

 

ハングは膝を叩いて立ち上がる。

 

「とにかく、この場でできることはなさそうだ・・・こっから先もこういう状況になったらそん時考えよう」

 

ハングは眉間に皺を寄せつつ、頭をかいた。

 

「それにしてもハングさんも知的好奇心が旺盛ですね」

「軍戦術戦略なんてもんは常に千変万化、それを一つ一つ知ることこそが軍師の成長の方法ですからね。知的好奇心の塊じゃないとやってられませんよ」

 

その時、一際強い風が吹いて夕食の香りをここまで運んできた。

空腹が刺激され、ハングの胃袋が鳴き声をあげた。

 

「さて、戻りましょうか。早くしないと晩飯がなくなります」

「そうですね」

 

ハングとカナスは遺跡に向けて歩き出した。

 

「そういえばカナスさんは家族はいるんですか?」

「ええ、妻と子供が一人」

「えっ、カナスさんってご結婚されてたんですか!?」

「ええ、言ってませんでしたっけ?」

 

初耳だった。そして、改めてハングはカナスさんを見た。

 

彼の見た目の年齢はまだ若い。年などエリウッドやヘクトルよりも多少上ぐらいだろう。でも、まさか結婚までしてるとは思わなかった。しかも子供までいると言う。

 

ハングは自分の眉間を抑え込んだ。

 

「ど、どうしました」

「いや・・・カナスさんもやることはちゃんとやってるんですね・・・」

「え?え?え?今、ハングさんの中でどのような理論が展開されたのでしょうか?」

「いえ、お気になさらず。それで、後学のために聞いておきたいんですけどカナスさんと奥さんのなれ初めからプロポーズに至るまでを詳しく聞かせてください」

「きょ、興味深々ですね・・・」

 

ハングの前のめりな姿勢に若干引き気味のカナスである。

 

「その話は僕も気になりますね・・・」

「あれ、エルク。いつの間に」

「ハングさん達の帰りが遅いから様子を見に来たんですよ。それよりカナスさん、僕にも少しその話を聞かせてもらえますか?」

「え、ええ。構いませんけど」

「じゃあ、食事の後にしましょう。もうすぐ準備が整いますから。それにハングさんも済ましときたい用事もあるでしょ」

「ああ、そうだった」

 

三人は遺跡の入口から中に入る。

 

ちょうど目の前にハングが会いたかった二人がいた。

 

「リン、ヘクトル。食事が始まるまででいい。ちょっと顔貸せ」

 

ハングの満面の笑み。ヘクトルの引きつった笑顔。リンの泣きそうな笑い。

 

エルクはカナスを連れていち早く避難を開始した。

 

その晩、ハングの怒声が遺跡の壁の一部を崩壊させたので警備配置をわずかに変更することになったというのは余談である。


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