二つの訣別。
一つの問題があった。
正確には違うが、彼の心境を考えて問題として扱う。
決定した回答は存在しない。故に明確な答えはなく、その分だけ好き放題に考えられ、答えを自由に押し付けても良い。
その問題の前提は、例えばとある国の話で、その国を端的に言えば地獄だったとする。
故に、王なんて言うクソ食らえな役割を背負わなければいけない人がいる。とする。
それでなんと最悪な事に、その役割を背負ったのは男の妹と言う家族だったとする。
で、何とか辞めさせたいと思ったとする。
その結果、王という役割に適した人が何故かもう一人見つかって、しかもその一人は時代の流れに揉まれ、その反動でより適した相応しいモノとして育った、とする。
何と喜ばしい事か。
これで妹は王と言う役割を次の人に託す事が出来て、責任から解放されるのだ。だから男はすぐにでも次代の王への戴冠を始める筈———と、仮定する。
ようやく前提条件が終わった。
彼が回答しなければならない問題はここからだった。
王に適している者は、前者の人間と後者の人間の、たった二人しかいない。
当然、他の者が代替すると言う選択肢はなく、どちらか一人は王という役割をしなくてはならない。
そして次の役割の人にも——王なんて役割を絶対にやらせたくないとする。
男は、その二人のどちらを選択しなければならなかっただろうか?
尚、彼の国に於ける王の前提条件は、人として生きる道を閉ざし、誰にも祝福されず理解されずに生きる棘の道であり、その最後は凄惨な末路が決定している殉教の道である。
また、男は国に仕える騎士の中でも特殊な立場におり、王に意見を言う事だけは容易い地位を持つ。
ただし追加条件として、前者の王候補と後者の王候補の両者が、必ず男の意見を聞く訳ではないとする。
この問題に、明確な答えなど存在しない。
故に、幾ら答えを出しても意味はないし、またあらゆる面を加味した答えの数々にも一切の価値はない。
この問題にあるのは、覆しようのない男の回答だけである。
男の回答は——
——選択出来ないまま、全てが終わっていただった。
「おい。おい止まれって言ってるんだよ」
コツコツと、何の気なしにキャメロットの回廊を歩いている彼女は、その声でようやく止まった。
彼女は僅かに振り向く。外した筈のバイザーは、再び当たり前のように着けられていた。
腰に携えているのは——輝きを取り戻した光の剣。空のような蒼と美しい金色の鞘に納められた刀身は、黒を基調とする彼女の姿では浮いていて仕方がない。
「何ですか」
静かな語調。いつも通りの返答。
普段通りに聞こえるそれが、決定的に変質していると気付けるのは、彼を含めた数少ない円卓の騎士だけだっただろう。
例えるなら、彼女がキャメロットを訪れたばかりのそれ。何もかもを信頼しておらず、ただ知識理解で他者を測っていた頃と同じ佇まい。
「その剣でどうするつもりだよ、お前」
「…………………」
ケイの問いに対して、彼女は特に何も反応しない。
理由を聞いているのではない。そういう意味ではない。既に決定した結果を責めるような、そんな物言い。それで彼女は全てを理解した。
「バイザーは、やはり無闇に外さない方が良いですね」
冷たく毅然と言い放つ。
続けて、ルーナは溜息を吐いて続けた。
「今の発言は見逃します」
「それは、何だ。王としてか」
「はい、多分」
「…………」
「今のような事はあまり言わないでください。特にこれからは」
視線をケイから切り、彼女は前を向いた。
もう会話は終わったと言うのか。冗談じゃない。
「特に問答をする気はありません。しても平行線になるだけなので。ですから一つだけ言いますが、先程の言葉は」
そうして再びケイが口を開くよりも早くルーナは口を開いて、
「私ではなくアーサー王に言うべきだったと、そう思います」
続くその言葉で、ケイは口を閉ざされた。
言葉が出ない。何を喋ろうとしたのか。その全てが消え去った。
黙り込んだケイ。振り返る事なくケイの心情を理解して、ルーナは続ける。
「ですが、ありがとうございます。そう言う言葉を私に言ってくれた人は貴方だけだった」
「————————」
「ですが、もう結構です。
貴方は私の騎士じゃない。私も貴方を騎士として"使用"しない。貴方は私ではなくアーサー王を、彼女を選ぶべきだ」
やっぱり、アーサー王の秘密は知っていたのか。
そんな言葉を切り出せたならまだ良かっただろう。竜すら呆れて飛び帰ると呼ばれたケイの弁舌からは、何も出なかった。
「申し訳ありませんでした。
貴方とアーサー王。お二人だけの関係。兄妹の関係。それに、邪魔者の私が入り込んでしまった。弁解の余地もない。
いきなり全てが変わる訳ではありませんが、騎士王が王座より
「お前——」
「どうか、卿の義妹と同じく御自愛下さい。私の事は結構です」
皆まで語る事なく彼女が語るそれ。彼女だからこそ告げたその言葉。もはやそれは痛烈な皮肉よりも大きな力を秘め、ケイを打ちのめしている。
浴びせられる言葉は、冷水を叩き付けるよりも早く、強くケイを停止させていた。
彼の妹と全く同じ姿で、素顔と体を黒で隠した彼女が。
本当に同じになったのだ。今の彼女は、アーサー王と全く肉体年齢が変わらない。
「それと、今日より貴方の従者を辞めさせていただきます」
「————は………?」
「正式な紙面は要らないでしょう。元々私と貴方は探り合いからこういう型に収めただけの、偽物の関係。この程度、別に誰にも咎められない」
ケイ卿の呟きを、ルーナは顧み無い。
元より疑心から始まった偽物の関係。何故かこうまで長く、上手く続いてしまい、そして
ならば、偽物はさっさと退場するべきだった。本物と同じ形をしている癖に引かず、しかもそこに居心地の良さを感じてはならなかったのだ。
形にしてはならない、禁忌の繋がり。
故に彼女は顧みない。ケイが本当なら慮る必要がないように、ルーナも応える義理などはなかった。
「今までありがとうございました。
それと——さようなら。ご安心下さい。もう私と貴方の関係が変化する事はありません」
最後に言い残して、彼女は歩き去っていく。
ケイには、その姿を追いかける資格などなかった。
「———ッ、………………っ………、………」
彼女の後ろ姿に歯を食い縛る。歯軋りを以って荒れ狂う感情を抑える。
さようなら、と言う別れの言葉。
彼女が語るそれは、断絶の言葉ですらなく、もう終わったモノ終わらせたモノに対する最後の手向けとケジメの言葉でしかない。
それを、ケイは理解した。ケイだからこそ理解した。
当然だろう。昔、彼は見逃したから。だから今度は見逃さなかった。故に当然の如く理解したのだ。
——見逃していようが、いなかろうが、何も変わらなかったという事実と一緒に理解した。
「クソッ………クソッ———!!」
怒りのまま、ケイは拳を壁に叩き付ける。
何も変える力が無かったように、叩き付けた壁にはヒビの一つもなかった。
特に何かを思う訳でもなく、木製のテーブルに手を置いた。
鏡のように磨き上げられたそれに施された意匠は、芸術に深い理解がある訳でもない自分にも分かる程には美しく、しかし過剰すぎて下品に堕ちない絵模様は職人の業が成せるモノか。
ただ贅を凝らすという意味を分からぬままに追及する、華美ばかりが目に映る偽物とは違い、本物の豪華さとはきっとこう言う物を言うのだろう。
一度、本物の至高と呼ぶべき世界、天上へ至るだけの天幕を見たからこそ、この部屋にある少ない家具の数々が、本物と呼ぶに足る事をすぐに分かって、分かったからこそ、ただただ自分には合わないなと思うばかりだった。
美しいと思う。
更に無駄がなく、しかし同時に質素。
この執政室の主だった彼女の趣味嗜好だろうか。こう言う物が私も非常に落ち着く。落ち着き過ぎて逆に合わなくなって来るくらいには。
元々ただの村娘だったから、たった一人の為の特注品と言うのに違和感があってならない。
肌には完璧に合うのに、精神の感覚が合わないとは難儀だった。住み慣れた部屋から、新たに新築した家の部屋に移る感覚はこう言うモノなのだろう。
テーブルに手を置いたまま、表面を撫でるように移動して、そのまま回り込んで席に座る。
腰は椅子にピッタリと収まった。全くの違和感はないし、目線の高さ、テーブルとの座高にも違和感はない。
ここに、アルトリアは座っていたのか。
同じ年齢で、同じ身長になった以上むしろ私に合わない訳はないのだが、それはそれで少し感慨深いと言うか、思う事もある。
……そうか。私も不老になったか。
自分の両手を見て、そんな思案をする。
小さい手だ。ようやく年頃くらいになった少年と大きさが変わらない手。そしてその手が、これから成長する事はない。同時に老いて皺だらけになる事もない。
永遠に不変にして、美しいままの見目麗しい神秘。
聖剣の鞘にもある湖の精霊の護りが、選定の剣を抜いた私にもかかった。鞘がある以上、アルトリアはほぼ不老不死で、私は不老と来た。流石に不死はないが、彼女と同じように私が寿命で死ぬ事はなくなった。
私と彼女。二人の竜。老いない二人。彼女が視ている世界に私も来た。
それは、人の道理に囚われない王。
寿命と言う、次代の王への戴冠の最大の理由。老い、錆び付いていく精神なんて言う当たり前の事は関係なく、故にアーサー王から次代の王に変更する理由がない………なんて言い訳も、次代の王がアーサー王と同じ神秘に護られた者なら話は変わってしまう。
変える必要はないかもしれない。が、それと同じだけ、変えない理由もない。
まぁ、今更だ。ただの些事。王の選定に関して今から言う事はない。
………が、不老か。
つまり今の私は、誰かに殺されない限り死なない。病気なんてモノにもならない。不要な生理現象も停止した。餓死はどうなるのだろう。それは分からない。ただこの時代に於ける死因のほぼ全ては消えた。
更には………私を殺せる者などまずいない。
あのルキウスは私が殺した。アルトリアは私の敵に回らない。サー・ランスロットは、どうなのだろう。剣技では当然劣るが、それはそれとして今の私なら一騎討ちでも勝てる感覚はある。無論負ける感覚もある。
だが、もしそうなったら私は手段を選ばない。手段を選ばなければ、多分私はランスロット卿に勝てる。
だから、まぁ、つまりは…………私はいつまで生きるのだろう。
何となく、私は早死にする気がしていた。
突然どこかで、糸の切れた人形のように死ぬだろうと言う予感。何かに失敗するとか、普通に天運に負けて死に晒すとかそう言う予想。一番想定していたのは、蛮族狩りで失態を犯し、森の奥底でそのまま死ぬとか、そんなところ。
が、私はここまで来れてしまった。
感慨深さとかは何故かない。あるのはただ、漠然とした不安だけだ。
何もイメージ出来ないまま、大人になった自分を想い描けないまま、ここまで来れてしまった。これからもそうなのかもしれない。何となくのまま、ブリテンの滅びを迎えても私は生き残り、当てもなく生き続けてしまうのかもしれない。
今も、そう言う未来以外をイメージ出来ていない。
そう。私はモルガンよりも長く生きるかもしれなくなった。
最近モルガンに会ってない。
何なら声も聞いてない。会いたいが、会えるのだろうか。分からない。
怒られるか。怒られそうだ。それは何か嫌だ………本当に。
それに、モルガンもどうなる。
モルガンの最期は………分からない。どう言う形にしろ終わりは来る。超越かは分からないけど、多分座に登録される以上、死を以って。
ブリテンの滅びに巻き込まれたか、ブリテンが滅んだ後も生き続けて寿命を迎えたか、アルトリアも円卓もキャメロットも何もかも無くなって、燃え尽きるように自ら命を絶ったのか………更には別か。
分からない。
どれにしろ彼女は永遠の存在ではなくて、でも私は永遠の存在になって、じゃあ………私はモルガンよりも生きるのか。
「あぁ…………何でこう私は悪い方向に舵を取るかなぁ」
それが慎重さに繋がってると考えれば良しとはなるから受け入れても良いかもしれない。ストレス解消になるモノがないという一点が最悪だと言う事実から目を背ければ。
イスに座ったまま、背後を振り返って空を見る。
青い、青い空。空の色だけは絶対に変わらないし、いつの時代も美しいままだと言うのだけは良いと思う。夜空に浮かぶ星も。
だが、この空は必ず血に染まる。
必ず。絶対に。後、もう少しで。
「…………私は私に出来る事をするか」
もうすぐ、嫌になる程この席に座りっぱなしになるだろう。
王の形は分かるが、私には肝心の中身がないからだ。つまり具体的なやり方を知らない。だからマーリンにも教えて貰って、同時に平行しながら少しずつ、アルトリアから私に切り替え始める事になる。
数ヶ月なんて話ではない。
だから、今の内に出来る事とやり残した事をしなくてはならない。
それを為す為イスから立ち上がり、私は執政室を後にした。
剣を振る。剣を持ち上げる。
左手で剣を持ち、振り下ろして——それが容易く地に落ちる。
歯を食い縛り、ベディヴィエールは再び剣を握って素振りを開始した。
これではダメだ。しばらく一線を引いていたのもあるが、体のバランスが壊れたままで戻らない。利き手ではない片手で剣を振る。そして、滑り落ちる。
滑り落ちないようにゆっくりと振れば、所詮それはただの素振りと変わらない。それが戦でどう役に立つのか。
早く振り下ろさなくては、一刀の下に破れるのは必定。しかし片手で剣を巧みに操り制御する技量は足りず、膂力さえ足りない。剣を引き戻すその間に破れるイメージと、一刀を弾かれ、返す刃で両断される己の姿が脳裏を掠めていた。
どうすれば良い。
焦りを募らせ、ベディヴィエールは騎士達の決闘場の一角で剣を振り下ろしていた。
「ここに居ましたか、ベディヴィエール卿」
その声が響いたのは、ベディヴィエールが再び剣を地面に落としてからだった。決闘場の上座から響く声の主はルーナ。
上座から降り、彼女はややぎこちない笑みを浮かべるベディヴィエールと相対する。
「これは、すみません。見苦しいところを」
「まさかそんな。人の努力を嘲笑える立場に私はいないので。
しかし、それとは別にして予め申して置きますが、片手で剣を振る修練は私に頼らない方が良いかと。
教えられないのもありますが、私のこれは端的に言えばズルですから」
両手に無銘の短剣を投影し、次いですぐさま霧散させてルーナは語る。
思惑を見透かされて、ベディヴィエールは苦笑いしながら剣を収めた。彼女に剣を教えて貰うという考えが透けていたのだ。
力がないから、と言わないのは彼女の優しさかもしれない。事実、今の彼女の戦闘力は国の中でも群を抜いている。強さ、弱さ……そう言うモノに関して、彼女は厳しい。
突破力は中天の日の下のガウェイン卿と同じであり、総合力ならランスロット卿をも上回る——そう謳われているのを、眉唾物だと笑い飛ばせなくなっている事は、今や周知の事実だった。
「それにですが、貴方が剣を持つのは…………いえ、これは後にします。すみませんが、少しよろしいですか?」
一瞬顔を伏せ、彼女は告げる。
踵を返しながら、ベディヴィエールに振り返るルーナ。暗について来て欲しいと言っているようだった。
多分、彼女は自分を探していたのだろう。
ベディヴィエールはそう思案して、彼女に付き従う事にした。疑問はあるが、疑念や不安はなかった。
「私が、何か」
「貴方の片腕について、少し」
それは、正にベディヴィエールの悩み事であると言っても良い。
返す言葉に彼は迷う。僅かに項垂れる視線。ベディヴィエールの瞳に映ったのは、彼女が腰に携えている剣——クラレントだった。
「ここで良いです。そう面倒な事ではありませんから」
少し歩いて、彼女が選んだのは適当な個室だった。
闘技場の一角に備えられた宿舎の部屋。ルーナはその部屋の長椅子にベディヴィエールを座らせる。
「すみませんが、貴方の右腕を見せて貰っても構いませんか」
目線を合わせて語る彼女の声は真剣そのものだった。
バイザー越しで表情は分からなくとも、ベディヴィエールは確信する。彼女が何か重要で大事な事をしようとしているのだと。
前提として気遣いながら、しかし存在しない片腕と言う腫れ物を触ってでも何かをしようと。
「それは構いませんが、何を………?」
「以前私が言っていたのを覚えていますか? 貴方の右腕に関して考えがあると」
「……………」
「まぁ、今から見せます。右腕を良いですか」
今は彼女に従った方が良いと、ベディヴィエールは右肩の甲冑を外し、肩に巻いていた包帯も取り外す。
あまり見ていて気持ちの良いモノではない。
傷はようやく塞がったが、肩から先が無いのだ。肩から先の僅かな腕の部分から先は脂肪が覆っている。稀に幻肢痛に悩まされる事もある。
正常に生きて来た人なら、一瞬言葉を失う光景だった。
「…………………」
露になった傷跡をルーナは僅かに見つめて、それを胸に秘めた後、ベディヴィエールに再び問いかける。
「すみませんが、今から貴方の身体を把握します。
………まぁ、ようは構造理解です。他人からの感覚は分からないのですが、もしかしたら体に何かが流れ込むような感覚があるかもしれない。少しだけ、我慢して下さい」
一瞬の間を置いて、ベディヴィエールが頷いたのを見ると、ルーナはベディヴィエールの右肩に手の平を置いた。
「…………———
言葉を兆しに、右肩に触れるルーナの左腕に赤い回路が浮かぶ。
幾何学的で、規律だった人工的な模様の線。移動して伸びるように赤い回路がルーナの指先にまで走り、ベディヴィエールまで伸びる。
その光景を見送りながら、ただただベディヴィエールは息を呑んでいた。
自分の右肩から、先のない右腕まで赤い線が走っているが、特に何の感覚もない。規律だった彼女の赤い線には、脅威的な何かは無かった。
それがある時は必ず……暴虐の限りを蹂躙するように伸びる、ガラスのヒビのような線。
「ありがとうございます。もう大丈夫です」
手を離し霧散する赤い線。赤い光。
僅かに俯き、何かを確かめて把握し、理解しているような様子を彼女は出していた。何度か手を握っては開きを繰り返す。
次いで、彼女は王剣クラレントを取り出した。
呼吸を整える音。深い深呼吸。両手から伸びる赤い線がクラレントに触れる。
「…………
「…………基本骨子、変更」
「…………構成材質、転写」
場が重くなる程の集中がルーナから発せられていた。
思わず息を呑むベディヴィエール。光を発する赤はクラレントを包み、光の残滓となって形が変わる。いつの間にか彼女の手に握られていたのは——銀色の腕。
しかしその銀色は掠れている。光のない灰色に近い。
「——それは………」
「今、貴方の右腕を想定しました。私の特性上、構造を解析するのは得意なんです。同じ形にしないといけませんから。中身は空になりますが」
自分の左腕を反転させたような、灰色の右腕。
傍から見たら細部は分からないが、ただ単に左腕を反転させた物ではないのだろう。本当に右腕だった型をそのまま複製したのかもしれない。
その灰色の腕を確かめながら、彼女は語る。
「ですが…………上手く出来るかは自分でも分かりませんでした。
でも、何とか出来たようです。零から一を創る事は出来ませんが、中身はそのままで元からある一に手を加えて、別の一にする事なら……多少融通が利くようです」
影はどんな形にもなれるという事かもしれないですね。
と、平坦且つ淡々に続けたルーナの言葉を、ベディヴィエールは見守っていた。
「…………ですが、はい。このようにすぐに戻る。重要な部分はマーリンに頼まないとダメのようです」
途端に、元のクラレントに戻り始めた灰色の右腕。
再び見ても、今の右腕が剣だったとは思えない。
「私が出来るのは型を作っただけです。ですが、これですぐにでもマーリンに頼めるでしょう。
貴方の右腕に関して、これ以外の方法が私には思い付きませんでした」
彼女は言う。
右腕の型に固定したクラレント。それをベディヴィエールに繋げる。
神経接続とか、そのような部分は全てマーリンに頼むしかない。魔術に詳しい訳ではないが、接続型魔術礼装にも等しいモノを繋げるに当り、痛みなどを伴うかもしれない。自然霊を憑依させた防衛礼装ではなく、本当に右腕の代わりとするなら特に、とも彼女は念押しする。
それに、彼女はこうも言った。
私の影響で封印拘束は壊れ果て、元の力が抜け落ちて空になったとしても、王剣クラレントの性能は並の宝剣から群を抜いている。むしろ空になった為か、より魔力そのものに反応するかもしれない。
だから、この右腕を解放するのは、あまりオススメしない。
確かにこの王剣である右腕を解放すれば、円卓の騎士とも打ち合えるが、その代償としてベディヴィエールの体を蝕んでいくと。
もしかしたら生命力を強制的に奪い、斬撃を放つ為の魔力へと変換して。
最後に彼女は告げた。
マーリンによって、腕の型に変更して貰うに当り付与させて貰う概念。この武装の名。銘。戦神ヌァザの神造兵装——アガートラムと。
「何故………こうまで手を貸してくれるのですか?」
確認や調整が終わったのか、その場から去ろうとするルーナをベディヴィエールは引き止めた。
「そうですね。右腕を失うという大怪我。戦うと言う以前に、生活から不便でしょう。それに貴方は王の、いや、アーサー王の従者。貴方の代わりはいません」
ルーナは更に続ける。
もう、戦う理由はないのだ。
それがあるとするならそれは、ただ一人だけで良い。
「だから、貴方が先程のように、無理に剣を手に取るのはお止め下さい。
ようやく貴方達が夢見た国に戻りつつあります。だからこの剣を貴方に渡したくはないのですが、戦う権利を奪うのは違う。だから、これは私のただのお願いです」
「だから……貴方は私達に手を貸すと」
「はい。私の理由などそれくらいです」
ルーナはそれを最後に、部屋から退出しようと扉に手をかけた。
やり残した一つの不安。それを終えた。これ以上は特に何もない。
「でも私達は…………——貴方の手を無視している」
その言葉に、扉に手をかけた姿勢でルーナは止まった。
彼女は振り返らない。その背中に、ベディヴィエールは続ける。
「そうでしょう……私達はあの日、貴方が差し伸ばしていた筈の手を無視している」
「………………」
「貴方は私達を、あの日のように見捨てる権利がある………きっと」
当然だ。むしろない方がおかしい。
憎悪の対象に向ける感情と行動ではなかった。本当は違ったと、騎士王やキャメロットの騎士達の行動に彼女が自らで納得したなら——尚更の事。
誰かに導かれた訳でもなく、啓蒙された訳でもなく、単独で気付いた。
彼女の精神はもはや、聖人や神、経典に語られる人類愛の域に片足を踏み掛けているのではないか。
どう考えても己を持て余す。自らの支えが揺らぐ。
いや、揺らいだからこそ、今の彼女なのか。彼女の相反する感情。怒りと慈しみの両方を向けるそれ。二律背反した、無制限で平等に向ける優しさの、その裏に隠れている、憎悪。
「じゃあ」
思わずベディヴィエールは顔をあげる。
いつの間にか彼女は振り返っていた。
自嘲するように告げたベディヴィエールに被されられるのは彼女の冷たい声。底の見えない暗闇を覗いているような感覚がする。
「どうやって私の為に死ぬんですか」
不意の言葉。冷たい問い。思考を止めにかかる程の質問。
沈黙した空間の中で、彼女は冷ややかに告げる。
「貴方はこう聞いている。
どのように死ねば為になりますかと」
「…………」
「今の私は王です。多くの人がそうで在れと望みました。だから王になれました。王になりました。
だから、今なら私が貴方を死亡させても問題にならない。ならないように殺せる。だから貴方の命は別に要らない。故に逆に聞きます。
貴方はどのように、死ぬのですか。教えて下さい。私は貴方の事が分からない」
「—————…………」
「死ぬのは怖い。死に対する忌避感は晴れない。その恐怖を知っているのに、他人に自らの命を預ける。
それは騎士道の一つの本懐です。だから、教えて下さい。私に自らの命を捧げる———私を償いの道具として、どうやって私の為に死ぬんですか」
彼女の問いに容赦はなかった。
暗に彼女は、お前の命など要らないと言っている。
その上で罪悪感を晴らしたいのなら、じゃあどの様に死んでくれるんだ、と聞いている。
そうベディヴィエールは感じた。そして事実、そう言う意味を込めて彼女は聞いていた。
「………いいえ、貴方はそんな人ではない。無闇に自らの命を捧げられる人じゃない。
貴方は私の為に死にたいんじゃない。償いの為に殺されたいだけです」
そう断じられて、ベディヴィエールは言葉に詰まった。
反論しようにも言葉が出ない。
「貴方が忠誠を誓っているのはアーサー王。決して私じゃない。だから貴方は死にたいのではない。殺して貰いたいだけですよね。捧げられる勇気がないから、最後の一線を私から踏み抜いてくれたのならと、それが償いになると考えているんですよね」
「………………」
「申し訳ありません。それでは特に、何にもなれません」
返す何かを言えたら何か違ったのかもしれない。
が、何も言えなかった。
当然だ。彼女に忠誠を捧げてはいない。彼女に向けているのは罪悪感ばかりで、そこからずっと進んでいない。いつの間にか大きくなっているだけで、何年も前から少女の姿は変わらないのだ。王と騎士の関係とは程遠かった。
彼女は自分を試していた。じゃあどのように死ねますかと言う問いに——もしも即答出来たのなら、きっと彼女は必ず、それが彼女の望みに拘らずとも応えていただろう。
残酷に、彼女はベディヴィエールを拒絶していた。
項垂れるベディヴィエールの姿を、ルーナは振り返って確認する。
彼の姿に、ルーナは深い溜息を吐いて己の感情を霧散させた。ベディヴィエールから視線を外して、彼女は続ける。
「もう良いです。命を捧げられても、私は困る。
そもそも命を使い捨てるような事を出来るのは普通の人じゃない。貴方は円卓の中で、人として騎士王に仕える人だった。だから、そんなの無駄だ」
突き放すような口調は、暗に自分とは違うのだとベディヴィエールに示していた。
自分は人じゃないが、貴方はまだ人だろうと。貴方はまだ、命を使い捨てるような時ではないだろう、と。
「そんな無駄をするより、一事を引いたアーサー王に貴方は仕えるべきだ。人として生きて、未来に話を遺す者として。私の為に野垂れ死ぬより、よっぽど有意義で力になる」
ふと彼女を見れば、彼女は壁に立てかけられた一振りの細身の騎士剣に手をかけていた。それは先程までベディヴィエールが扱っていた、騎士剣。
「私は貴方の王じゃない。貴方が、貴方の王を騎士王アーサーただ一人だと決めているから。だから私は貴方に剣を預ける気になれません。
ですが——」
彼女は細身の騎士剣を手に取ってベディヴィエールに振り返る。
その剣を片手で地面に突き立て、応える。
「ですが——それでも私について来たいのなら、どうぞお好きに。
本当に私を選んだなら、私は貴方を拒まない。私は貴方の命を最適に使ってみせる。貴方の命を最大限役に立たせ、そして使い潰し、貴方の望み通り最適に、貴方を殺して見せる。
その犠牲に見合うだけのモノは必ず約束する。しかし貴方には何も残らない。ただ数字の一つとして、貴方の犠牲が数えられるだけ。
それでも本当に私について来れるなら、この剣を受け取って下さい。王剣でもなんでもない、貴方の力の証明の、この剣を」
突き立てた剣の柄を握り、ベディヴィエールに翳す。
振り返った彼女の視線には、バイザー越しで表情は見えないというのに吸い込まれそうな何かがあった。底の無い、ナニカ。それを覗いているような感覚に陥る。
相対し試されているのは、その人間の真価か。
見ているのは都合の良い逃避ではなく、本当に全てを投げ打てるのかという覚悟。
つまりは、彼女に殺されて死への一歩を進むなどではなく、自らの手で死への一歩を踏み出せるのかというのか、と——
そして——それで全て決定した。
ベディヴィエールは一瞬、恐怖した。底の見えない谷底を眺めて、足を竦ませたような恐怖。その動作をルーナは眺めた後、
踵を返し、視線を切り、今度こそルーナはベディヴィエールに背を向けた。
空いた距離は遠い。この距離が、互いの距離感と溝を表しているようだった。
「貴方のように、当然の事を当然のように心痛めてくれる人が居てくれて良かった。ですが、私から言えるのはそれくらいです」
「…………」
「もしも本当に死ぬ覚悟が出来たら、緋色に染まった右腕と共に私の下に来てください。あの腕の解放は、自らの肉体・精神・魂、その全てを天秤にかけたという証明と私は認識します。それまでは、貴方の剣は私が預かります」
冷たく突き放すように、彼女は告げる。
ベディヴィエールの騎士剣を手に取り、鞘に収める。言葉とは裏腹に、もう貴方は剣を握る必要などないと、そう言うように。
「——今までありがとうございました、ベディヴィエール卿。何があろうと、きっと。私は貴方を忘れません」
最後にそれを言い残して、彼女が去って行くのをベディヴィエールは追えなかった。
忘れないと、もう関わり合う事のない人への最後の情を表すように。
彼女を見送り、離れる距離。それが、互いの心の隙間を表しているようだった。
【WEAPON】
サー・ベディヴィエールの騎士剣
詳細
円卓の騎士である故にかなり丈夫に作られてはいるが、ブリテン島に存在する、特に変哲のない雑多な剣の一振り。
軽さと丈夫さを両立させた、やや細身の騎士剣。
若輩の身でありながら円卓にまで登り詰め、片腕を失った人間の証。
ランク C−
種別 対人宝具
詳細
ケルトの戦神ヌァザが用いたとされる神造兵器アガートラムの名を冠した宝具。
ローマ遠征の際に片腕を失った後、王の影武者たる少女と魔術師マーリンにより義手に改造された王剣クラレント。
この宝具の戦闘用起動を行う事で筋力・耐久・俊敏の身体ステータスが上昇し、さらに白兵戦時にも補正が入る。(彼のステータスはこの宝具による補正分の上昇が加算されたものであり、尚且つ白兵戦時のもの)
【解説】
原作のエクスカリバーではなくクラレントを使用した都合上、宝具のランクが減少。
代わりにこの時点でこの宝具を得た事により、1部6章で言われたのとは違い、この宝具の影響と主人公の伝承に付随する形で知名度が上昇。正式に座に登録。英霊として格を手に入れた。
また、エクスカリバーではなくクラレントなので、1部6章のように聖剣を返還出来ず不老の加護を得て、1000年以上彷徨うという事もない。
ランク B+
種別 対人・対軍絶技
詳細
先述の宝具の戦闘用起動時にて使用可能になる、対軍殲滅攻撃。
真名開放によってクラレントを起動させ、俊足の手刀により迸る稲妻と共に赤雷の斬撃を放つ。
本来ならクラレントは銀色の宝剣だったが、剣に宿る魔剣としての格を再現しこの宝具発動時は、義手は銀色から血の様な赤色に染まる。