【iRONNA発】改元 幻の幕末元号「令徳」の衝撃 後藤致人氏

愛知学院大学教授・後藤致人氏

 改元の意味をきちんと説明できる人は恐らく日本人でも少ないだろう。「大化」以降、江戸時代まで天皇の在位中に慶事や大災害があれば頻繁に改元が行われ、「一世一元」になったのは明治以降である。平成の終わりに、改元の意味を考える。(iRONNA)

 元号とは、漢字と数字を組み合わせて、天皇の在位期間を基準にした政治的紀年法の一つである。現在、漢字文化圏で君主制の残っている国は日本しかないため、元号もまた日本にしか存在していない。

 元号は、中国の漢代から始まっている。それが漢字文化圏に広がっていったが、日本では大化の改新で有名な「大化」から始まる。ただ、途中元号が建てられなかった時期があり、今日まで連続する元号は、大宝律令で有名な701年の「大宝」が最初となる。

 元号に使われる漢字には、時にメッセージが込められている。また、使う字は何でもいいわけではない。もちろん縁起の良くない字は不可であるし、国や時代によっても使う漢字の傾向は異なっている。近世以降の日本では「長く、平和で、安定した世の中が続きますように」というニュアンスの文字が並ぶことが多い。

 ◆強いメッセージ

 室町幕府15代将軍の足利義昭は、室町幕府の復興を祈念して「元亀」という元号を天皇に奏請している。しかし、織田信長はこの元号を嫌い、1573年に義昭を畿内から追放し、事実上室町幕府を滅ぼすと、改元を促した。そして、信長の旗印「天下布武」にちなんだのか、「天正」とした。

 幕末の元号にも、メッセージ性の強いものがある。ペリー来航以降、「明治」までの元号は、嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応だ。どれが最もメッセージ性の強い元号か、分かるだろうか。「嘉永」は、「嘉(よろこ)ばしく、永遠に」というニュアンスで、「安政」も「安定した政治」と解される。「万延」も「万のように永遠に」など、「平和で安定した政治」という意味合いのものばかりである。

 ところが、「元治」は違う。「元」も「治」も元号ではよく使われる漢字だが、これを組み合わせると、「元(はじま)りの政治」となり、新政府を宣言するメッセージが現れる。この元号は、実は第2候補であった。本当はもっとメッセージ性の強い元号になるはずだったのだ。

 それは「令徳」である。この元号の衝撃度は、かなり大きい。「レ点」を付けて読めば、「徳川に命令する」となり、これからは朝廷が幕府よりも上位の世の中となる、ということを露骨に世間に宣言している。

 江戸時代、改元手続きの主導は事実上幕府にあったが、この元号を主導したのは朝廷だった。1862年の勅使の関東下向によって文久の幕政改革が進み、その後1863年、将軍と諸大名が上洛した。幕府は安政の大獄の失政を謝罪した上で孝明天皇に忠誠を誓い、天皇や公家に対する武家側の儀礼が朝廷を上位として改善された。改元に関しても、幕府側の露骨な介入がはばかられたのだ。

 ◆第2候補の「元治」

 1864年、甲子革令に基づく改元を行うとき、朝廷では「令徳」と「元治」が候補に挙がり、「令徳」が第1候補だとして、関白から幕府に内談があった。老中らは、「徳川に命令する」意味に解されるとして難色を示したが、老中からの申し立てはできかねる、と松平慶永に関白らへのあっせんを求め、第2候補の「元治」に決定したのだ。江戸幕府が相当苦慮していたことがうかがえよう。江戸幕府にしてみれば、「元治」もメッセージ性を含んではいるが、「令徳」だけは避けたかったのである。

 このように元号の歴史を考察してみると、「文久」と「元治」の間に、大きな政治的な変化があったことが分かる。1863年に将軍諸大名が上洛して以降、武士の間では「皇国帝都」という言葉が流行していた。つまり、日本は天皇を戴く国であり、帝のいるところが首都であるという考え方が広まっていたのである。

 こうしたことをかんがみれば、近代天皇制国家の出発は、必ずしも明治維新ではないのではないか。元号の歴史は、そのことを暗示しているといえよう。

【プロフィル】後藤致人(ごとう・むねと) 愛知学院大教授。昭和43年、神奈川県生まれ。東北大大学院国際文化研究科博士課程後期単位取得満期退学、国際文化博士取得。著書に『昭和天皇と近現代日本』(吉川弘文館)『内奏』(中公新書)など。

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