言論統制、思想統制が行きつく先では、人々はたとえ無言であっても逮捕される。無言であることが、すでに言論統制への抵抗の意味になってしまう。「白紙」は言葉として何の攻撃力もないはずなのに、独裁者は「白紙」を恐れるのだ。なぜなら、白紙の示す意味が自分たちへの攻撃だと知っているから。厳しい言論統制下で、沈黙自体が雄弁になってしまうという矛盾。そして、そんな社会では沈黙しようが発言しようが、結局人々は逮捕され虐げられてしまう。声を上げた方がましではないか?

 やがて別の学生が彼女の周りに、次々と白紙を持って集まり始め、群衆となった。ついに一人の男子生徒が最初の女子学生の隣に立って突然演説を始める。

「ここに僕が立つのは、勇気があるからじゃない。僕よりも、ここにいる女子学生たちの方が勇気がある。彼女らの勇気が僕をここに立たせたのだ。これまでの僕は弱々しかった。新疆人として僕は声を上げる」

「あのウルムチ大火災で、親しい人、家族を亡くした同胞のための声を上げる」

「すべての犠牲者のために声を上げる」

 周囲から拍手と「ハオ! ハオ!」(そうだ! いいぞ!)という歓声が沸き起こった。夜になって学生たちは続々と白い紙を持って集まった。