経済は開放、民主化は認めず 江沢民体制が選んだ、いびつな中国社会

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論説委員=古谷浩一
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 こわもての印象がある一方、妙に気さくな一面も持つ政治家だった。

 「若い記者もいるんだね。うん、若者には前途がある。そうだろう」

 1998年、北京の中南海で朝日新聞代表団の一員として会見した際、江沢民氏から親しげに、そう声をかけられたのを思い出す。ぐっと握られた手はとても力強かった。

 会見でも、おどけた調子で「アリガトウ」などと日本語を交えて語るなど、独特のユーモア感覚を見せていた。好きな作曲家を尋ねられ、「ベートーベン、ショパン、シューマン、それとモーツァルトも。趣味は広い方がいい」。

 ちょうど前年の97年、中国の国家主席として12年ぶりとなる米国公式訪問という重責を果たしていた。外交に自信を感じ始めた時期だったのだろう。

 天安門事件(89年)によって総書記に抜擢(ばってき)された。過去最悪と言われる状態になった国際社会との関係の修復が、当時の中国トップとして最重要課題だった。

 冷戦後の世界で、中国共産党

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