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笑亀酒造の歴史

笑亀酒造の歴史

明治十六(西暦1883)年、初代丸山紋一郎が、雄大なアルプスの山々を望む信州塩尻宿の陣屋跡にて、酒造業『嘉根満本家(かねまんほんけ)』を創業、銘酒「笑亀正宗」の醸造をはじめました。

以来百二十余年、酒名を「笑亀」と改めながら、塩尻伝統の酒の味を守って参りました。

中山道塩尻宿

江戸時代の五街道の一つで江戸の日本橋から草津宿まで続く中山道の、塩尻宿に位置しています。

中山道塩尻宿の歴史は古く、武田信玄の時代以前にさかのぼります。
塩の道と言われた三州街道(三河国に至る街道)と千国街道(糸魚川に至る街道)の基点として宿場が形成されており、最盛期には旅籠70軒を数える賑やかな宿場町でした。

江戸時代、中山道が制定された当初は牛首峠を越える小野街道が採用され、小野から木曽の桜沢に連絡されたので、塩尻宿はもとのままでしたが、やがて塩尻経由に改められるにともないもとの宿も移され新しい塩尻宿がつくられました。

本陣の規模は中山道中最大で、宿内には高札場、松本藩の口留番所が置かれました。また幕府の代官所塩尻陣屋が置かれた時期もあり、重要な場所であったことがうかがわれます。塩尻宿は、二度ほど大火に見舞われ、わずかな家屋を残して、宿場時代の遺構は失われてしまいましたが、笑亀酒造のすぐ隣には、塩尻宿本陣・脇本陣跡の碑が建てられています。

笑亀酒造はその幕府の代官所塩尻陣屋が置かれた場所に建ち、入り口には陣屋後の碑が残されています。
塩尻宿本陣

塩尻宿本陣・脇本陣跡の碑

塩尻宿陣屋跡

笑亀酒造入り口 塩尻宿陣屋跡の碑

水のふるさと

水のわかれ 笑亀酒造のある塩尻市は、長野県のほぼ中央に位置しており、中山道の時代より交通の要衝となっております。

また太平洋と日本海へのに注がれる河川の水系の境界となる大分水嶺があり、源流のまち、日本の"水のふるさと"と言えます。
塩尻市は昔から、ふんだんに湧き出る良質の水を利用して、清酒やワインの醸造業が栄えてきました。
笑亀酒造のこだわり
立札
水のわかれ