私は

 

多くの人が

怖い!!

 

 

と感じるようなチャレンジをよくする。

 

 

 

私だってそれやる時、怖いけど

 

 

一般的にはもっと怖いことらしいと

 

 

最近ようやくわかってきた。

 

 

 

 

 

 

 

私がふつーと感じるものって

 

 

 

実は一般的には特別なのかもしれない。

 

 

 

 

私の頭の中にある一般のものさし(一応あるんですよ)

 

 

私の感覚的なふつーや当たり前は

 

 

 

 

どうやら噛み合っていない。

 

 

 

 

 

例えば

 

 

 

私はハイブランドの靴がふつーに欲しいと思う。

 

特別な日のために欲しいのではない。

 

日常に欲しい、日常に使いたいと思う。

 

 

でも大多数の一般人にとって

ハイブランドの靴は特別な日用。

 

 

感覚では、これは私の日常

 

と感じるのに

 

 

頭では特別なもの。

 

 

 

 

服もそういえば、

 

 

 

それデート用?

 

とか

 

どこに着てく用?

 

ってよく言われた。

いやふつーに着る用だけど

 

 

 

っていうとびっくりされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼のこともそう。

 

 

 

感覚は日常に彼を望んでるが

 

 

頭では、

彼といることは【特別で稀なこと】

 

 

 

 

 

 

 

 

感覚で欲するものは

 

 

頭の認知では“特別なもの”

 

のパターンが

どうやら多いらしい。

 

 

 

だから私は

 

欲しいものが手に入らないという感覚に

 

 

長年苦しんでいる。

 

 

 

でも私の欲しいものは特別なものだから

なかなか叶わなくても仕方ない

 

とか思ってた。

 

 

 

 

 

一般的には特別かもしれないけど

 

 

 

 

 

それ、私にはふつーで

当たり前にあるべきもの。

 

 

 

だから手に入らないことが

 

 

おかしいって感じて苦しかったんだ。

 

 

 

そういうことだったのか、、

 

(月、獅子だしな、、

王族のふつーは、庶民の特別)