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「何歳になったら、『大人』なんですかね」
むすっとした表情を隠さずに鈴芽が言った。
「はあ」 「ちゃんと聞いてます? ――芹澤さん!」
またしても巻き込まれた男、芹澤朋也は注文したドリアを前に頬杖をついていた。都内のファミレス。目前に座る少女――というには大人びているが、ころころと変わる表情のせいで幼く見える――を見据えて、思わず零れそうになったため息を噛み殺す。無意識に手がタバコを探し当て、けれど吸うには席を立つ必要があるし、今はそれを許してはくれなそうだ。と、鈴芽の顔を見ながら芹澤は思い直す。
「聞いてる聞いてる。えっと、なんだっけ? 草太の家に入れてもらえないの?」 「そうなんです……」
自分も彼も社会人になり、それも教員という立場であるから、あまり下手なことはしたくない。たとえば今だったら、見るからに未成年の女の子を乗せて、東北まで車を走らせるなんて絶対にやらないだろうし。ましてや、未成年を自宅に招くなんて? 草太は真面目な男だから、とタバコの箱を指先で叩きながらおおよその状況を推察する。 要するに、単なる痴話喧嘩だろう。 不意に感じた口寂しさを誤魔化すように、温かなドリアを口に運んだ。鈴芽はポテトを摘まみながら、時折誰かを探すように窓の外を眺めている。本人曰く『探している』のではなく、『隠れている』のだそうだけれど。
「鈴芽ちゃん何歳になったんだっけ」 「十九です」 「なるほど」
この春上京してきた少女は溌剌とした雰囲気をそのままに、化粧を覚え、お洒落を楽しみ、着実に大人に近付いている。 それでもまだ十九歳だ。 アルバイトもしているとはいえ、基本は保護者の仕送りで暮らす十九歳。しかも保護者は、あの過保護で闇が深そうな伯母、ときたら。
「俺が草太の立場でも、考えるなぁ」 「なんでですか?! 前は入れてくれたのに!」 「前って……非常事態だったわけでしょ?」
詳しくは知らないし、聞く気もない。芹澤にとってみれば猫が喋っただけで十分、非常事態である。
「…………そう、ですけどぉ」
くたり。突っ伏したせいでくぐもった声。 ――まぁ、俺だったら考えた上で、気にせず呼ぶだろうけど。 そんな本音は伏せて、彼女の視線から逃れたすきに友人に連絡する。
[鈴芽ちゃんが、ファミレスで拗ねてるぞ]
どういう経緯で、俺が呼ばれたのかはあまり考えたくないが。ハーフアップにされ、緩い編み込みの下から垂れる艶のある黒髪。目線をずらしてテーブルに半分隠れた服装を見ても、『俺向きじゃない』ことは明らかである。案の定、そう待たずに既読がついたのを確認してそそくさとスマートフォンをしまった。立て続けに三回、ヴヴ、と振動したくらいだからすぐに来るだろう。
「とりあえず草太が頷くまで家は諦めれば? こっちで行きたいところもたくさんあるんでしょ」 「……看護学校の友達が、頑なに家入れてくれないなんておかしいって言うんだもん」
余計なことを吹き込んだ人間がいるらしい。 いや、純粋に心配しての可能性もあるけれど、草太はその心配はいらない。これは友人としての贔屓目もあるが、なにより――。
「鈴芽さん……!」
テーブルに突っ伏したままの彼女の名前を呼びながら登場した友人は、肩につくほどの髪を少しだけ乱していた。草太が彼女の姿にほっとしたような表情を浮かべたのも束の間、勢いよく顔を上げた鈴芽は、目を大きくして草太の姿を確認し、次に芹澤を見て口を尖らせた。
「芹澤さんはいつも草太さんの味方する!」 「当たり前だろ、俺は草太の友達なんだから」 「もう!」 「鈴芽さん、あの……」
少し冷めたドリアを咀嚼しながら、眉を下げたまま突っ立っている草太に目線で合図して、隣の席を勧める。すらりと高い背丈、男性にしては珍しい長い髪はがやがやとした休日のファミレスは目立っていた。悪い、小声で謝りながら腰を下ろした草太からは微かに汗をかいたような匂いがして、かなり焦って来たことが察せられる。 ――不安がる要素なんて、どこにあるんだか。 友人が来たからには溜息は隠さない。そして、引っ込みが付かなくなった鈴芽と困惑した表情を浮かべる草太を横目で見ながら、これ以上巻き込まれないように口を開いた。
「家入れてもらえなくて、不安だったらしい」 「え」
ちょっとぉ……! という鈴芽の悲鳴は鼻で笑う。デートの最中に行方くらまして恋人を焦らせるなんて、まだまだ彼女は子供である。背伸びしたい気持ちがあるのは、自分にも覚えがあるし否定する気はないけれど。 空になったドリアの皿を前に手を合わせて立ち上がる。物言いたげな鈴芽に「ちゃんと話なさい」と教師ぶった口調で言うと、しぶしぶ頷いたので、固まったままの草太の一声かけてから、店をあとにする。
「あー支払い……は草太がしてくれるか」
ちらりと窓越しに店内を除くと、鈴芽が必死に弁明している。 草太がしばらく悩むように天井を見上げて、それから何かを言うと――、今日初めてその頬を緩めた少女の顔が見えた。
■
根負けしたように「じゃあ、家来る?」と言った草太さんに手を引かれて、見覚えのある道を歩く。電車を降りて、それから青と白の看板が目立つコンビニを通り過ぎて、坂を上る。 誘われたときは喜んでしまったけれど、だんだんと冷静になってきた頭は、家が近づくにつれ心を重たくする。
「……本当にいいんですか?」 「え? うん、別にやましいことがあるわけじゃないから」 「あーもう! だから何か疑ったわけじゃないんですってば!」
芹澤さんの一言だけで色々と察したらしい草太さんは、あのあと私がいくら弁明しても聞いてくれなかった。聞いてはくれるけど、納得してくれなかった、といった方が正しいかもしれない。くすくすと笑いながら、絡んだ指先に力が込められた。その意味するところが「わかってるよ」ならいいのだけれど。 確かにどうして頑なに家に呼んでくれないのかとは思っていたのは事実で。それでも草太さんなりに思うところがあるのなら我慢しようと思っていたのだ。
『えっ、なんで家呼んでくれないの? おかしくない?』
授業前の短い休憩時間に、綺麗に染められた茶髪を揺らしながら言われた友人の一言だって。その時はそこまで気にしていなかったと思う。だって、相手は草太さんなのだ。草太さんだから、なにもおかしくないし、大丈夫なのに。 また扉を確認しに行くんだけど今度のは日帰りは無理そうだ、と言った草太さんに邪魔しないから付いていってもいいかと聞いた。勿論遊びじゃないことはわかっているけれど、一緒に行くくらいいいでしょう? そう思って。駄目なら駄目で、すぐに引き下がるつもりだったのに。 ――大人になったらね。 笑いながら、宥めるようにそう言った草太さんについカッとなってしまった。 ――草太さんの中で、私はあの日の女子高生のままなの? ――子供だから家にも呼んでくれないの? 気付いたら草太さんに背を向けて走っていた。 こういうとき人混みは便利だ。草太さんに比べれば、小さい私はすぐに身を隠せる。 これが環さんと過ごした九州の街だったなら、簡単に捕まってしまっただろう。 戸惑ったような草太さんの声はすぐに聞こえなくなって、私は思い出したように人を呼び出した――ところまでは順調だったはずだ。休日を謳歌していた芹澤さんを捕まえて、ファミレスに入り、相談に乗ってもらうつもりだった。こんなこと相談できる年上の男性なんて、草太さんの他には芹澤さんくらいしか知らない。けれど、芹澤さんはあくまで草太さんの友人でしかなかった。わかっていたはずなのに、と思い出して肩を落とす。
「鈴芽さん?」
反省会をしている間に、草太さんが暮らすアパートに到着していた。 あの時と変わらない場所。もう学生じゃないのだから、広いところに引っ越すこともできそうだけれど、気に入っているのか未だに同じ部屋に住んでいる。 カンカン、と音を鳴らして草太さんが前を歩く。 こんな風に無理に招待させたいわけではなかったのに。
「草太さん、あのやっぱり」
いいです。その言葉をかき消すように、ドアに鍵が差し込まれる。私の声が聞こえていないわけないのに、聞こえてないような顔をして。ガチャン、と大きく鳴ったドアが草太さんの手によって開かれた。 開いた途端、草太さんの匂いがして、瞬きを繰り返す。 目の前にあるのは後ろ戸ではなくて、どこにでもある扉のはずなのに、どうしてか世界が遠ざかっていくような不思議な心地を味わう。前に来た二回とも違う、変な感覚が身を包んでいた。
「……どうぞ?」
昔とあんまり変わってないけどね。 小さく笑った草太さんの手が、私の背中を押す。 急かされるように靴を脱いで、タイツに包まれた足で部屋へと踏み込む。ラックにぎっしりと詰めこまれた本は変わらない。下が机になった、ロフトベッドには足元にどかされただけの布団。机には、学校で使うものだろうか、資料が散乱していた。 ――草太さんの部屋だ。 かちゃ、とドアが閉まる音がして振り返る。 草太さんは、困ったような顔で扉に寄りかかるようにしてそこにいた。
「……ごめんなさい」
思わず謝った私に、草太さんは首を振る。
「鈴芽さんを不安にさせたいわけじゃなかったから」 「でも、」 「不安消えた?」
靴を脱いで、部屋に上がった草太さんが窓を開ける。冷たい風がカーテンを揺らす。
「だから不安とかじゃなくて……でも、ありがとう、ございます」
黄色い椅子の姿じゃなくて、人間の草太さん。 たくさんの本に囲まれた部屋に二人。なんだか、ぎゅっと距離が近付いた気がして、そわそわと両手を合わせた。
「あのね」 「ん?」 「本当に不安とかではなくて、」
窓に向いていた草太が振り返る。向かい合わせ。身長が高くて、見上げないとその顔は見えない。今は優しい視線から逃げるように俯いて、組んだ両手をじっと見つめるばかりだ。うん、という相槌に背中を叩かれるように言葉を続ける。不安じゃない。そう、不安じゃない。
「これからも、草太さんと一緒にいたいんです」
自分の言葉を、噛み締めるように言った。 長い腕がゆっくりと伸びてきて、私の視界は草太さんで埋まってしまう。長身に見合うロングカーディガンは、柔らかく肌に触れて、僅かな緊張を拭い取るようだった。 ぽん。ぽん。の背中を叩く温かな掌。無意識に強張っていた肩から力が抜けていく。ほ、と息を吐いて胸元に擦り寄ると、今度は私を包む大きな身体が一瞬硬直して、けれどすぐ気を取り直したように再び掌で背中を撫でてくれた。
「あの時は確かに隣にいたのに、最近は少し遠い気がして……寂しくなっちゃった」
のかも。 しれない。かも。 です。 途切れ途切れに言い切って、しん、とした世界で急激に恥ずかしくなってくる。どきどきと騒ぐ心臓の震えも、草太さんに伝わってしまいそう。 熱くなった頬をくっつけたまま、身動ぎしようと腕を動かしたけれど、思いの外強まった拘束のせいで動かない。
「鈴芽さん」
私の名前を呼ぶ、柔らかな低音。
「はい」
つい畏まった私をくすりと笑う、優しい振動。
「俺、鈴芽さんのこと子供だと思ってない。――正直ちょっと困ってるくらいだ」 「え?」
後半はぼそぼそと聞き取りづらかった。顔を上げて、存外近い位置にある双眸を見つめる。青みがかった瞳はいつみても綺麗で、吸い込まれそうになる。
「さっきはごめんね」 「さっき?」 「大人になったらね、って。適当にはぐらかそうとしただけで、鈴芽さんのことを子供なんて思ってないよ」
繰り返された言葉を咀嚼して、ぽかんと口を空ける。 間抜けな私の顔に苦笑いする草太さんが、ゆっくりと腰を伸ばして、その顔が離れていく。でも、背中に回された手はそのままだ。窓から入り込む風で室内はだんだんと冷えているけれど、草太さんの体温に包まれている私にはちょうどいい。
「一緒に遠く行くのは、そうだな……環さんにちゃんと許可とってからね」
環さん。 口内で反芻しながら、東京の学校に行くと言ったときの環さんを思い出すと、自然と苦い顔になる。
「子供扱いしてるわけじゃなくて……環さんは、鈴芽さんの家族でしょう。俺と一緒にいることで気まずくなって欲しくないし、俺も……鈴芽さんの家族にちゃんと信用されたいし」 「……うん」 「でも俺も少し気にしすぎだったのかもしれない。不安にさせてごめんね」 「もう謝らないでください……! わたしが! ごめんなさい!」
誤りながらも草太さんの身体を揺らす。ふふ、と肩を揺らしているくらいだから、怒ってはなさそうだけれど。 しばらく戯れていたら、不意に草太さんの腕が離れる。そのまま、腰を下ろしてあぐらをかくと、
「はい」
立ったまま首を傾げる私へと、両手が伸ばされる。怪訝な顔になったことを自覚して、その手を取ると優しい力で引き寄せられる。えっえっ? そんな小さな声を上げながら、草太さんの足に座るようにして腕の中に収まって、立っているときよりも近付いた距離に身体がぼ、っと熱を持っていく。
「まだ遠い?」
――最近少し遠い気がして……寂しくなっちゃった。 意図に気付いて、目の前の微笑を凝視する。見ると温かい気持ちになる、いつもの優しい微笑みだ。
「草太さん、」 「うん?」
首に腕を回して抱きつくと、一層濃く草太さんの匂いがした。
「大好き!」
ぎゅうって抱き着いたまま言うと、耳元では草太さんがごくっと喉を鳴らす音。深く深く息を吐き出して、黙り込む。 言いたいことを言えてスッキリした私は、無敵だった。傍には大好きな人もいる。何の不安もない。
「草太さん? どうしたの?」
何も言わない草太さんに声をかける。 しばらく沈黙。 それから諦めたような息だけの笑いを溢したあと、「鈴芽さんには敵わないなぁ、って思っただけ」と背中に回った腕に、ぐっと力が込められた。
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『いつか1122になれ』の草鈴です!
よろしくおねがいします!
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