2歳男児死体遺棄の疑い、ベビーシッターの男を逮捕
この事件についてちょっと書いていこうと思います。
案の定出てきたバッシング
「母親が預けたベビーシッターが虐待」という構図だったので被害者バッシング出そうだなと思ってましたが、案の定でした。
ベビーシッター事件に思う-田中ゆうたろうブログ
この事件についてちょっと書いていこうと思います。
案の定出てきたバッシング
「母親が預けたベビーシッターが虐待」という構図だったので被害者バッシング出そうだなと思ってましたが、案の定でした。
ベビーシッター事件に思う-田中ゆうたろうブログ
ムネオ日記
しかし国会議員から、しかも二人から出てくるとは思ってませんでした。いや、冷静に考えれば容易に想像できた事態かもしれません。少なくとも保守系議員からすれば子供を知らない人間に預けるという感覚は共感しがたいでしょうし。ちなみに一般からのバッシングならTwitterで調べるかヤフーニュースのコメント欄でも見ればいやというほど出てきます。
田中ゆうたろうブログではこんな文言が出てきます。「この母親に、非はなかったのでしょうか。」 はっきり言いましょう。ありません。彼の口からこのような言葉が出てくるのは「心を鬼にし」たからではなく純粋な無知と想像力の欠如からです。
ちなみに、この記事のタイトルをゆうたろうブログに似せているのは彼への当てつけだとでも思ってください。
事情はどうあれ
当然母親にもベビーシッターに預けねばならぬ事情があり、その辺についても後でふれますが、ここで強調しておきたいのは「母親が預けた事情はどうあれ、母親に非はない」ということです。この事件、当然悪いのは虐待した(容疑者は否認してるようですが)者です。「やむにやまれぬ事情があった」という擁護は可能なのですが、それをやると「でもこの点は不注意だから非がある」とか「じゃあこういう場合は非がない」という不毛な議論になりかねませんし、仮にどれだけ母親が不注意であったとしてもそれは子供を虐待されることを是認することにはならないからです。当たり前だよね。
母親の事情とは
(ソースになりうるサイトが見つからなかったけど)どうも母親は急に夜勤をせねばならなくなり子供を預かってもらう必要があったそうです。子を持つ親に夜勤を強いる企業をどうにかするとか、ベビーシッターを安心して利用できる制度を設計するとか、急な用事で預けねばならない時に対応できる施設の整備とか、国会議員としてやれそうなことはそれこそ掃いて捨てるほどありそうですが、開口一番「社会が子供を育てて当たり前。他人に預けて当たり前。そういう風潮が、この母親に偏った観念を持たせてしまったのではないでしょうか。」では、この事件は教訓として生かされそうにもありません。「今回の事件を、今の日本人は天啓と受け止めるべきではないか」というけれど、少なくとも彼の心には「天啓」として届かなかったのでしょう。
一番権力をもって事に当たれそうな国会議員がこれでは、しんどいなというのが正直なところです。
しかし国会議員から、しかも二人から出てくるとは思ってませんでした。いや、冷静に考えれば容易に想像できた事態かもしれません。少なくとも保守系議員からすれば子供を知らない人間に預けるという感覚は共感しがたいでしょうし。ちなみに一般からのバッシングならTwitterで調べるかヤフーニュースのコメント欄でも見ればいやというほど出てきます。
田中ゆうたろうブログではこんな文言が出てきます。「この母親に、非はなかったのでしょうか。」 はっきり言いましょう。ありません。彼の口からこのような言葉が出てくるのは「心を鬼にし」たからではなく純粋な無知と想像力の欠如からです。
ちなみに、この記事のタイトルをゆうたろうブログに似せているのは彼への当てつけだとでも思ってください。
事情はどうあれ
当然母親にもベビーシッターに預けねばならぬ事情があり、その辺についても後でふれますが、ここで強調しておきたいのは「母親が預けた事情はどうあれ、母親に非はない」ということです。この事件、当然悪いのは虐待した(容疑者は否認してるようですが)者です。「やむにやまれぬ事情があった」という擁護は可能なのですが、それをやると「でもこの点は不注意だから非がある」とか「じゃあこういう場合は非がない」という不毛な議論になりかねませんし、仮にどれだけ母親が不注意であったとしてもそれは子供を虐待されることを是認することにはならないからです。当たり前だよね。
母親の事情とは
(ソースになりうるサイトが見つからなかったけど)どうも母親は急に夜勤をせねばならなくなり子供を預かってもらう必要があったそうです。子を持つ親に夜勤を強いる企業をどうにかするとか、ベビーシッターを安心して利用できる制度を設計するとか、急な用事で預けねばならない時に対応できる施設の整備とか、国会議員としてやれそうなことはそれこそ掃いて捨てるほどありそうですが、開口一番「社会が子供を育てて当たり前。他人に預けて当たり前。そういう風潮が、この母親に偏った観念を持たせてしまったのではないでしょうか。」では、この事件は教訓として生かされそうにもありません。「今回の事件を、今の日本人は天啓と受け止めるべきではないか」というけれど、少なくとも彼の心には「天啓」として届かなかったのでしょう。
一番権力をもって事に当たれそうな国会議員がこれでは、しんどいなというのが正直なところです。