人間の汚い部分とか醜い部分とか、救いようのない意地汚い部分を短い期間に沢山見てしまって、人間イヤイヤ期になってました。

だけどきのう、もう70歳くらいになるのかな、菊池さんという人と話す機会があって、
「そうか、よくわからないけど君もしんどい時を過ごしているんだね。俺もね、子供が障害を持ってて30歳を過ぎても暴れて手がつけられなくってね、家内が仕事を辞めて付きっきりで面倒見なきゃいけなくてね、都営団地に引っ越す事になったんだ。でも俺の収入があると団地に入居できないんだよ。だからね、ちょうどさっきね、離婚届けを役所に出してきたんだよ。妻の事も子どもの事も愛しているけどね、離婚するしかなくてね、ただの紙切れ上の事ってわかってるんだけどね、ただの紙切れ上では妻も子どもも、もう俺の家族ではなくてね。なんか俺もこんな歳になってまた人生変わっちゃってね。今日から1人でアパート借りてカップ麺だよ。美味しいのあったら教えてね。」

っておっしゃっていて、何か凄く小さな事で腐っている自分がいた気がして、世界で一番苦悩してる気になってた自分が恥ずかしくて、背筋がピンと伸びた想いでした。


また、そうこうしてる最中に自分の誕生日も通り過ぎていたようで、皆さんからSNSで沢山お祝いの言葉をもらいました。
俺は自分から"今日誕生日を迎えたんだ"という意思表示をあまりしないので、必然的に気づいてくれたマニア度高めの人からにしか、お便りを貰えない事になるんですけど、そこに少し安堵感を覚えていたりもします。
きっとそれは通りすがりのおめでとうよりも素敵が詰まっている気がしてるから。
俺最近とても心がすり減っていて、精神的にかなり参ってしまっていたので、温かい言葉のひとつひとつに本当に救われた気がしました。ありがとうね。

まだまだ道は細くも長いと思いながら日々やってますので、負担にならない程度に追いかけてくれたなら、それこそ走り甲斐もあるってもんです。

皆さんへの感謝に心を込めて。
ありがと〜☺