さよなら「震嘯記念館」 県内最後の1棟解体へ
星乃勇介
死者・行方不明者計約3千人超を出した1933(昭和8)年の昭和三陸津波後に、災害の伝承や地域振興の拠点として使われてきた「震嘯(しんしょう)(海嘯)記念館」が、宮城県内から消える。最後の1棟の解体がこのほど決まり、住民がお別れの会を開いた。
気仙沼市唐桑町の高台にある「旧宿(しゅく)集会所」。木造平屋建て、延べ床面積約270平方メートルで、炊事場や会議室などがある。
震嘯記念館の歴史を調べてきた元市教育長の白幡勝美さん(77)によると、昭和三陸津波から3年後の建設。朝日新聞社に寄せられた全国からの義援金が原資になった。
県の沿岸は津波常襲地帯のため、災害時は避難所として、平時には共同作業場や公民館として使われることを想定。県内では坂元村(現・山元町)から唐桑村(現・気仙沼市唐桑町)にかけての33カ所に建てられた。老朽化などで28カ所が解体され、その他の4カ所は11年半前の東日本大震災の津波で流失。残るは旧宿集会所だけだった。
同集会所は戦後、唐桑小学校の教室や家政学院の校舎、商工会事務所として活用され、東日本大震災後は獅子舞や踊りの練習場として地域に親しまれたが、老朽化で解体が決まった。
住民たちによる「感謝の集い」が6日にあり、白幡さんは「3・11の後も、暮らしを元に戻す場として住民の心と仕事を支えた。先人の貴重な津波対策の一つで、知恵をつないでいかないといけない」と解説した。
近くの熊谷真由美さん(74)は「笛や太鼓の練習でよく使った。単に壊して終わりではなく、津波の記憶を残す何かを残してほしい」と語った。市によると解体は年度内の予定だ。(星乃勇介)