ヴィラン名 『チェンソーマン』 作:ナメクジとカタツムリは絶対認めない
「ここは割り算の筆算をつかうんだ…」
「ひっさんってなんだっけ」
「……まず線を書いて──」
雄英高校、放課後。ヒーロー科3-Aの教室にて、二人の声が発せられる。
「えっと、十二、わる、三は…三が、よ、四…こ?」
「……」
「なるほどなぁ!」
快活な声を上げるその主は、ペンを持ち得意げな顔をするデンジ。その向かい側に座っている口を真一文字に結んだ青年、天喰環は冷や汗を流しながら答え合わせをしていく。
「……正解だよ」
「へへ!だろ!はい!」
「…」
その笑顔と共に伸ばされた手のひらをしばし見つめ、環はポケットからチョコレートを取り出し、そこに置いた。
「やりぃ!引き算は得意だぜ〜!俺の給料はいっつも借金で引かれてたからな!」
「──」
絶句する環をよそに、拙い手つきでチョコレートの包装紙を破り捨て食べるデンジ。
仮免試験に向け、デンジは基礎学力を身に付けていた。それこそ最初、義務教育を受けていない彼は酷いものだったが、今では書ける漢字が『金玉』から『金玉袋』まで書けるところまで成長していた。
しかし──。
(──怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い)
勉強が始まってから一週間。全く成長してない男が一人、ここに居た。
(どうしてあんなことした後普通にしてられるんだ考えてる事が何一つわからないと言うか君をボロクソに貶した俺と二人きりの空間でよく話せるなどうしてなんだ怖い)
「おい、タマキン。ここはどーやんだ?」
「タマキンは辞めてくれ……こ、ここここは公式に当てはめて──」
未知なる恐怖に襲われていた環だったが、それにお構いなしに次々と質問するデンジに慌てて対応する。ちらりと目の前の少年を見ると、頭を抱えながらも素直に自分が教えた公式で問題に取り掛かっていた。
「……デ、デンジ君」
「あん?」
「──キミはどうして、俺なんかと一緒に居れるんだ」
「あぁ?俺に勉強教えてくれんのお前の担当だろーが」
「…そうだけど、そうじゃなくて…。気持ち的な意味で。…ウザいとか、こいつ俺のことをコケにしやがって殺してやるとか、そもそもなんでこいつがヒーローやってるんだ向いてねえよ死ねよとか…あるだろう?」
「ねえよ、性格腐ってんのかお前」
「──ッウ゛」
「…あんたやっぱねじれちゃんが言ってたとーりの性格してんな。なんかジメってんぜ」
「──ッア゛」
そのストレートな感想に胸を押さえる環。それを見たデンジは、呆れたようにペンを持ち直した。
かりかり、と紙に答えを書き出す音だけが響く。
「…」
「……」
「……キミは、俺を憎んで無いのか?」
「……あ?なんで」
「──俺はキミの気持ちを考えてやれなかった。真面目にキミがミリオと戦ってるのを見て、俺は何も感じ取れてあげられなかった」
「…おー…あ、間違えた」
次はごしごし、と消しゴムで紙を擦る音が生まれた。
「──復讐、したいならすれば良い。キミにはその権利がある」
「しねえよ復讐なんか。暗くて嫌いだね」
「…どうしてキミは!…そこまで強いんだ…?」
俺には分からない、と肩を落とす環をよそに、変わらず問題用紙と睨めっこをしているデンジ。
「そりゃあ、俺が無敵の人気のチェンソーマンだからな…」
「…」
「──それによ、俺ぁアンタを憎いなんて思った事はねぇぜ」
「──え?」
その言葉に唖然としながらデンジを見つめる。その視界には、苦戦しながらも頭を抱えてペンを握る少年の姿があった。
「あんたは俺ん事心配してくれてたからな、それでチャラだ。あのチンコはボコスカ殴ってきたから許さねえ。ねじれちゃんは許す」
「──」
「俺の家族がよぉ、俺に普通の暮らしをして欲しいんだと。普通の暮らしにさあ、復讐だのなんだの暗いモン混ざっちまったら、そりゃ普通じゃねえよな!」
「………」
「楽しくねえこと考えても楽しくねえだけだぜ。…よしできた!」
そう言ったデンジは、嬉しそうに環を見つめた。その屈託のない笑みは、環の心をどこか、温かくさせた。
(眩しい……)
そして、環は己を恥じた。自分より年下の少年にうだうだと過ぎたことを掘り返し、それで自己嫌悪に陥るような自分を。そんな自分とは裏腹に、デンジは前を進み決して後ろを振り返る事はない。そんな姿に──環は、どこか親友の姿を重ねた。
「──じゃあ、今キミは何を考えてるんだ…?」
「──あぁ?決まってんだろ、チョコだよチョコ!おら採点しろよ!」
机をバンバン叩きながら催促するデンジを見て、一度逡巡し──静かに答案に目を通した。
「……」
十問中、二問間違い。相澤の約束では、全問正解した時だけ菓子をやって良いと言われていたが、何も言わなかったら分からないだろう。そう思い、環は──。
「────こことここ。間違えてる」
「えぇぇ〜〜〜!?」
間違いを指摘した。それに落胆したデンジは机に突っ伏した。その姿を見て──環は、少し微笑んでみせる。
「──大丈夫。公式自体は合ってた。ケアレスミスだけさ」
「絶対お前が喋りかけてきたからじゃん!」
「…ごめん。だから──次の問題、全問正解したらチョコを三個渡すよ」
「先輩…!」
「いっしょに頑張ろう、デンジ君。俺も──頑張る」
それは、ささやかな成長。他人から見ても、些細な一歩かも知れない。だが、それでも確実に──天喰環は前に進み始めた。
「──ああ!よろしくなタマキン!」
「タマキンは辞めてくれ」