まはばらほんやく 01 ■女体化無知シチュ異次元記憶喪失親友とセックス(旧)

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2016-08-19 12:25:17

はすぷら

Posted by @ymdr4989

※アルジュナの女体化アルジュニーについてはこちら http://privatter.net/p/2109595 の記事の方が新しいのでこちらを読んで頂けると有り難いです。

Arjuna Becomes a Woman: A Transgender Tale from Padma Purana by Satya Chaitanya
http://www.boloji.com/index.cfm?md=Content&sd=Articles&ArticleID=10722

アルジュナが呪われて両性具有として暮らした逸話は有名である。これはアプサラスのウルヴァシーが(有名なので中略)
だが、これは異なる逸話である。アルジュナは両性具有になったのではなく、アルジュニーまたはアルジュニーヤと呼ばれる美しい女性に変化した。
神秘的な教えを孕む、その魅惑的な逸話は、パドマプラーナ/Patala Khandaに含まれている。

逸話はこのように始まる。アルジュナはヤムナー河のほとりの樹の下に座り、親友クリシュナに彼のとある願望を話していた。シヴァでさえ、ブラフマーでさえ知らない秘密を知りたいと言うのだ。
牛飼はいったい何人いるのですか?彼らは何という存在に分類されるのですか?彼らの名は?彼らの住みかは?彼らのしていることは?彼らの年は?彼らの着ているものは?そして、貴方クリシュナはどのような人里離れた場所で彼らと楽しむのですか?
これらの問いが、アルジュナの知りたがったことの一部である。

つまり、牛飼いの女の子たち=クリシュナの彼女は何人ぐらいいるの?どんなふうにイチャイチャしてるの?って聞いたんだなこれwwww
猥談かよwwww

いつものように、クリシュナはアルジュナの問いそのものより、むしろ実際の問題に応えることにした。
「僕が女の子たちとイチャイチャする場所は男は入れないんだ。たとえ生命と同じぐらい愛しい存在であっても(?)」
その言葉はアルジュナを落胆させ、アルジュナはクリシュナの足下に項垂れた。クリシュナは微笑んで愛しげに両手でアルジュナを立ち上がらせた。

クリシュナは女神Tripurasundariを礼賛するようにアルジュナに言う。アルジュナは女神Tripurasundariを訪ねて行ってなんか神秘的な体験をして(英語がよくわからない)
神秘的体験のあと、アルジュナが湖から上がったとき、アルジュナはすでにアルジュナではなかった。例えようもなく美しい一人の若い女性になっていた

アルジュナが変化した女性は恥ずかしそうに立っていた、頭を俯けて、つま先で地面をこすりながら。女の子たちが近付いてきて、彼女(アルジュナ)を見て驚き、女の子のうちの一人プリヤムダがアルジュナに尋ねた「貴方、どこから来たの?」
アルジュニーすなわち女性となったアルジュナは女たちに答えた酔ったような声で。分かりません、私が誰なのか、誰の娘なのか、誰の妻なのか、なぜここにいるのか
き、記憶喪失
彼女(アルジュニー)が覚えているのは、湖で沐浴をして上がったことだけだったのだ。その時、天からの声がアルジュニーに語りかけ、彼女を導いたのだ。

アルジュニーはプリヤムダたちに、彼女たちが何者であるか尋ねた。彼女たちは自分たちがゴーピー(牛飼女)でありクリシュナの恋人たちであると名乗った
ですよねー
アルジュニーはクリシュナの彼女たちとなんか瞑想とかする(専門用語が多くてわからない)

(瞑想とか儀式とかしたあと)アルジュニーは指示された手順どおりクリシュナを礼賛する。クリシュナのいる場所(この恋人たちのいる空間?)の果てで。アルジュニーはラーダー(有名なクリシュナの恋人の一人)に頼んで、クリシュナのところに連れて行ってくれるように頼む
ラーダーは寵愛者たちのひとりに案内させて、アルジュニーをクリシュナの所に連れて行く。アルジュニーはクリシュナの前に連れて行かれるや、法悦に包まれる

そんでまたアルジュニーは神秘的体験をするんだけど、クリシュナは彼女の手を取ってひっそりした森林に彼女を連れて行ってアルジュニーは全ての理解を超えた喜びを発見した?(?)
その至福はあらゆる寵愛者たちには容易に得られるものだが、偉大な禁欲主義者を避けてとおるものである。至福は寵愛者たちを待っている。法悦はヤムナーのほとりに産まれる娘達を待っている――それはクリシュナと一体化するという至福、法悦である
アルジュニーはその経験を通して至福を理解した。至福はクリシュナ自身であり、禁じられた知識であり、パドマ・プラーナによるものであり(パドマプラーナによれば?)偉大なる神々そのものである

アルジュニーの顔には微笑みが残っていた――クリシュナの腕を肩に乗せられて、喜びの森から帰ってくる時も。彼女は体験により疲れ果てていた。
おい?
She is exhausted by the experience.
疲れ果ててるよなこれ

体験に備えて(?)、アルジュニーは南、東、北の湖ですでに沐浴のうえ、神秘的な修養の儀式を行っていた。クリシュナは寵愛者のひとりを呼び、アルジュニーに西の湖で沐浴させるように言った。
三回も風呂入ったの?
アルジュニーは湖に入り、アルジュナとしてそこからでてきた。

まとめ:
アルジュナ「クリシュナは彼女がいっぱいいるけど、彼女たちとどこでイチャイチャしてるの」
クリシュナ「残念、男は行けないんだよ」
アルジュナ「がっかり」
クリシュナ「ある女神のところに行って苦行をしてごらん」
苦行だかなんだかしてから湖で沐浴して上がったアルジュナ(美女になっている)「ここはどこ?私はだれ?」
クリシュナの彼女たち「貴方だれ?どこから来たの?まあ瞑想と儀式でもしていきなさいよ」
アルジュニー(美女に変化したアルジュナ)「瞑想なう。クリシュナにお会いしたいのですが」
クリシュナの彼女たち「いいわよ」
そしてクリシュナに会って法悦に包まれるアルジュニー
~暗転~
クリシュナに肩を抱かれて森から出てくるアルジュニー、西の湖で沐浴をしたところアルジュナに戻る。めでたしめでたし

追記: 該当箇所をある程度ちゃんと翻訳してみました
http://privatter.net/p/2109595

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ここにも要約があった(下の方)
http://nitaaiveda.com/All_Scriptures_By_Acharyas/Puranas/Padma_Purana/PATALA_KHANDA.htm

Lord Krishna, the knower of everything, then seized Arjuniya by the hand and began sporting with her in an isolated forest.
ぐぐる翻訳「クリシュナ、すべての全知は、その後、手でArjuniyaを押収し、孤立した森の中で彼女と一緒にスポーツを始めました。」
スポーツ
sport withだと「戯れる、弄ぶ、からかう」だからそっちかな多分
孤立した森の中にアルジュニーを連れて行って彼女と戯れた、だなこれ

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あ、パドマプラーナの例の箇所のちゃんとした英訳みつけたっぽいここの45頁目(通し頁は1974ページ)後で読む
http://www.dli.ernet.in/handle/2015/100006

クリシュナ、万物として知られる者は、彼女がそのような状態(?)であることを知ると、彼女の手を取った。そして主たる彼は、神秘の力の主は、完璧な喜びの森で、密かに彼女(アルジュニー)と戯れた
そして、彼(クリシュナ)の悪戯な腕が彼女(アルジュニー)の肩に置かれ、
クリシュナ「この細身の、優しい笑みを浮かべた、sport(おそらく「戯れ」)により疲れ果てた女性を、西の湖で沐浴させて来なさい。」

いやこれヤッてるよ

アルジュナがアルジュニーたんになったときの描写読んでるけど美しすぎるな

魅惑的な笑みを湛えた『彼』は、立ち上がり、周囲を見回して、困惑した。『彼』は、たちまちのうちに、素晴らしい、比類なき女性になった、己の姿を見たのだ。

その、華奢で、均整の取れた、魅惑的な躰は純金の輝きのよう。
その年頃は輝ける青春。
その顔(かんばせ)は秋の月の如く。
その髪は黒々と、豊かに巻いて、宝石のごとく艶々と輝いて。
その額にうち掛かる髪の一房は、描かれた緋の印(ティラカ?)に照らされて輝くよう。
愛神カーマの弓を耐えた者であっても、
その愁眉が描く弓に征服されようもの。
その瞳は鶺鴒に似て、雲のように暗く、悪戯に輝き
その丸やかな頬は耳を飾る宝石の鮮やかな光により煌めく
蔓草のようなその腕は、蓮の茎のように繊細で
新芽のようなその手は、秋の蓮でさえ色褪せる
その腰には、金で編まれた帯を巻いて、巧みに飾り、涼やかに鳴る音を立てる
その優美な稜線(※)は、輝ける衣服で覆われて
蓮のような足は軽やかな音を立てる足輪で魅了する
※尻です

その者は、あらゆる愛の技を備えていることが明らかな、
すべての美質に恵まれ、すべての装飾に飾られたひと。

牛飼い女神たちの恋人(=クリシュナ)によって齎された幻惑により
『彼』は本来の身に備えていたものは何もかも忘れてしまったのだ
そして、驚き、どうすればいいか分からないまま、立ち尽くしている
にわかに、突然の、重々しい声が天から語りかけた。
「おお、美しい女よ。この道を行け、東の湖に行け、そこで沐浴をするがいい。
さすればお前の欲望は果たされる。」
おお、美しき顔のひとよ
そこにお前の友たちが待っている
気を沈めることはない。
彼女らは、彼女らだけが、お前の欲望を実現してくれるだろう」

わかったこと
アルジュナがアルジュニーちゃんになって記憶喪失になったのは、やっぱクリシュナが意図的に幻術でやったことだった

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ここの「Arjuna as Woman: Friend Becomes Lover」、かなりタイトルの威力がたかい
https://books.google.co.jp/books?id=ofDIAAAAQBAJ&pg=PA85

女性となったアルジュナ~親友が恋人になるとき~

ギーターでは、アルジュナはクリシュナにとっての男性のbelovedとして表現されているが、パドマプラーナでは、女性に変身することにより、真実の意味でクリシュナのbelovedとなった。
アッハイ
新しく現れた女性はアルジュニー、またはアルジュニーヤという愛称で呼ばれる。この名前は暗示的である。なぜなら、この女性名は読者に対して高名な英雄の名前を暗示しつづけるからだ。
(この暗示によって)性別を超えた愛の物語を聞きながら、読者は、この物語が同性の愛の物語であることを完全に忘れることを許されないのである。
アルジュニーは歓びの森に導かれその森の美しさは、格調高いサンスクリット語により、ロマンチックかつ精密に描写されているそこで「彼/女」はクリシュナと共に過ごす「彼女」と密かに遊び戯れる男と。
アルジュニーは再度の沐浴を経て、アルジュナに戻る。そして、アルジュナは彼自身の女の姿をした化身を覚えているのだ。彼は「落胆と悲嘆」を感じる。この落胆と悲嘆の理由は説明されていない。
それは、束の間の神秘的体験から現実に戻ったことによる、一種の忘我かもしれない。あるいは、アルジュナは永遠にアルジュニーでいたかったのかもしれない。
アッハイ
その落胆は、クリシュナが彼を安堵させたことにより、去っていく。そして読者はこう語られるのを聞くアルジュナは、クリシュナの司る永遠の天界に至り、そこに住むだろう。クリシュナの愛の戯れを知ることによって。
――だが我々は語られていない……そのとき、彼がアルジュナとアルジュニー、どちらの姿であるのかについては。

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三種の性別の聖アルジュナ
https://books.google.co.jp/books?id=iZ5RAAAAQBAJ&pg=PA127

聖アルジュナは、三種の性別すべてをもって現れることがある男、女、両性具有。もっとも代表的には、彼はマハーバーラタの英雄たる男性の姿として現れる。彼は非常に、『非常に』、クリシュナ神と親密である。
クリシュナが初めてアルジュナと出会ったとき、彼の目から涙が溢れ、クリシュナは万感を込めてアルジュナを抱き締めたと言われる。
これは、アルジュナに出会ったことで、クリシュナは親密な牛飼いの友人である、同名の「ヴラジャ(Vraja)のアルジュナ」を思い出したからだという説もある。
待って、新キャラ待って
クリシュナとアルジュナはたちまち親密になり、長い年月を深い友情を共にして過ごした。マハーバーラタ夜襲の巻においてクリシュナはこう言っている。「私にとって、地上に、アルジュナより愛しい友はいない。私にとって、彼に与えることができないものはない。妻であろうと、子であろうと」
また、ドローナの巻においては「私はこの眼を投げかけることはできまい――たとえ一瞬たりと――アルジュナを失った世界などには。知るがいい、アルジュナは私の半身なのだ。」
またあるとき、クリシュナがハスティナープラからドヴァーラカに出立するとき、彼(クリシュナ)はアルジュナの住まいへ急ぎ急いで、幸福な眠りの中で彼(アルジュナ)と夜を共にした(クリシュナの)妻であるサティヤバーマーを動揺させる危険を冒してまで。
山際版のアレはこれかと思うけどいったいどこにあるんだ!出典!出典!
一心同体の親友(そんざい)として、アルジュナとクリシュナは、ヒマラヤの一心同体の聖仙であるナラ・ナーラーヤナと等しいと言われている。

パドマ・プラーナ(5.74.60-198)の比較的に知名度の低い物語だが、アルジュナは女性に変身したことがある。美しい牛飼いの乙女、アルジュニーである。
クリシュナの神秘的な愛戯の御業を知りたいと望みつづけるアルジュナに、クリシュナはついに慈悲を与えたのだ。
彼(クリシュナ)は聖なる湖で沐浴するようアルジュナを導き、その場所で、アルジュナはうら若く美しい乙女として生まれ変わったのだ。聖ラーダーを崇拝して、乙女アルジュニーはクリシュナと遊び戯れる権利を得た。
しかし、クリシュナの美しい男性的魅力を前にして、アルジュニーは驚きの念に打たれ、湧き上がる愛に圧倒され、ありとあらゆる恍惚の症状を露わにして、失神してしまう。(R-18)
だが、やがて欲望を克服した彼女を見ると、クリシュナはアルジュニーの手を取り、彼女を自ら司る歓びの森に導いた――彼が密かに、そして意のままに、彼女と遊び戯れるべき場所である、その森へ。
しばらくして、クリシュナはアルジュニーをラーダーの元に連れ帰ると、彼女を再び湖で沐浴させるように指示した。アルジュナは男の姿を取り戻したが、落胆と悲嘆が残された。だが、クリシュナはアルジュナを安堵させた彼に触れて彼の男性としての意識と性質を復元することによって。

アルジュナの物語の中で、最も有名な逸話のひとつが、男性と女性の中間としての彼の姿、ブリハンナラである。アルジュナが天女ウルヴァシーの誘惑を拒否したとき、彼女は彼に呪いをかけた。shandha女性のように着飾り、振る舞う男性になるという呪いである。
父神インドラは、呪いを一年間に減らした。また、この呪いは後に不幸中の幸いとなるアルジュナは、ヴィラータの都において、放浪のための潜伏をするにあたり、言わば呪いを利用したのだ。
アルジュナはブリハンナラとして都に入った男性的魅力を兼ね備えながら、非常に女性的な足取り、口振り、そして衣装を身に着けた、世に稀な中性的存在として。
ブリハンナラは女性の上衣と、波打つ赤い絹と、無数の腕輪、耳輪、首飾りを身に付けて、豊かな腰つきの女そのものの歩み方で、王宮に入った。
ブリハンナラがヴィラータ王に雇用を求めると、王は彼女を後宮に雇用した舞踊、歌楽、器楽、そして美容の教師としてこれは、第三の性別を持つ人々(宦官)の典型的職業である。
この一年間、ブリハンナラは結婚式や誕生式において、舞踊や祝福を提供することにより、shandha(宦官)としての伝統的なあらゆる職務を遂行したと言われている。

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ヴィラータ王が第三の性別を遇した尊い例
https://books.google.co.jp/books?id=iZ5RAAAAQBAJ&pg=PA21

ブリハンナラのやつ、有名だから知ってる話が多いと思うので、抜粋で読んでみる

ヴィラタ王は、アルジュナが本当に「半ば女」であることを信じられなかった。王は、彼/女のように、頑強にして屈強、でありながら同時に女性的な存在を、これまで見たことがなかったのだ。
王は、アルジュナ(ブリハンナラ)が偉大なる射手に違いないと考え、国を譲ろうとした。だが、アルジュナは受け入れず言った。「陛下。私がこの手で弾くことのできる弦は、(弓の弦ではなく)ヴィーナ(楽器)の弦だけですわ」
御前にて、彼の芸術の教師としての技量を試されたあと、ブリハンナラは後宮の美女たちによって試された彼が確実に第三の性別であること、そして女性に対する欲から離れた肉体であることを。
(おそらく宦官であった、または去勢されていたのだろうか。後宮の男性は睾丸の有無にてその権利を試される)

この本のこの章は、ヴィラータ王がブリハンナラを遇した扱いが、第三の性別を遇する例として優れているっていう主旨みたい。王はブリハンナラを女として扱い、男性として暮らすことを強要しなかった。また、彼女の能力を尊敬して、娘の家庭教師として遇した。ってことらしい。

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スポーツ(ramatey?)という単語について

この(アルジュナとスバドラーの)結婚は、クリシュナとアルジュナによって決められたものである。アルジュナが、森における12年間の放浪の間に、クリシュナを訪ねたときのことである。
二人は、山地への歓びの旅に連れ立って、そこで『しばらくの間、二人の思う存分、遊び戯れた』とある(アディ・パルヴァン、220章)
「ramatey」(=sports?単語は発見できず、だけど多分添付の「ram」から派生した動詞かな?)という単語は、『もう一人の相手と共にする歓びに満ちた楽しみ』を表現する言葉である。
http://sanskritdictionary.com/ram/189633/1
二人の男であろうと、二人の女であろうと、男女であろうと、この単語で表現する。このことは、特別な法悦は、必ずしも異性間の間に感じられるわけではないことを示唆している。
ウッス
例えば――アルジュナは、結婚の後にスバドラーと「遊び戯れた」(また、ビーマとヒディンバーも同様である)。
または――歓びを求める多くの人々は、ヤムナー河のほとりに行き、このように過ごした。「誰しもが、歓びのままに『遊び戯れた』ある娘たちは森の中、ある娘たちは水の中で、思う存分に『遊び戯れた』」
娘たちは、ある者は酔い、ある者は踊り、ある者は歌い、そして「ほかの相手と、密かに語り合った」。
――そして、クリシュナとアルジュナもまた、森の中に連れ立って行き、他の人々と離れて座り、「天上のアシュヴィン双神のように」幸福に語り合ったのである。

このホンはがんぐり版を参照してるみたいだよ!
And Krishna and Arjuna having sported as they liked, for some time ( http://www.sacred-texts.com/hin/m01/m01221.htm )
Unto Vasudeva and Dhananjaya happily sitting there like the Aswins in heaven ( http://www.sacred-texts.com/hin/m01/m01225.htm )

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