秋葉原無差別殺傷事件 SNSの闇と身勝手な孤独感
2022年7月26日、加藤智大元死刑囚の死刑が執行された。
14年前、東京・秋葉原で歩行者天国にトラックで突入した後、ナイフで無差別に襲いかかり7人を殺害、10人に重軽傷を負わせた秋葉原無差別殺傷事件の犯人だ。加藤はなぜこんな犯行に走ったのか?再現ドラマで紹介した。
1982年、青森で生まれた加藤。母親は教育熱心で、高校も県で一番の県立高校に進学したが、授業が終われば毎日のように友人の家で深夜まで過ごし、成績は急降下。
母親は名門の大学への進学を望んだが、反発するように一流大学には進学せず、加藤は家を出た。
派遣社員として働いたが、コミュニケーションが苦手で、会社で何か言われると怒りの感情を抑えきれず、突然仕事を辞めることもあった。自分の思いを気づかせる手段として激しい行動をとることしかできなかったのだ。
その後も人間関係がうまくいかず職を転々とし、心の拠り所は携帯電話の掲示板に。
最初の頃は誰かが作ったスレッドに参加し、ゲームやアニメについて語っていた。同じ趣味を持つもの同士、顔も正体もわからない世界では言いたいことを言えたという。ある日のこと、掲示板に自分のスレッドを立ち上げ、昔の同級生を誘うが誰も入ってはくれなかった。それがきっかけで加藤は強烈な孤独を感じたという。
人と直接関わるのが嫌になり仕事もろくにできず借金生活となり、人生がうまくいかないのは掲示板に入ってこなかった友人のせいという思いが強くなり、実家に帰った加藤は地元の青森で牛乳配達の仕事を始める。
そして事件の1年ほど前には正社員にもなれたが、単身赴任先から帰ってきた父親が突然、離婚することになったと伝えた。離婚により加藤は家を出ることになり母親から金を渡され、ひとりで暮らすことになった。
そんな中、掲示板に「何かに一生懸命になればきっと振り向いてくれる人でてくると思うよ」と兵庫に住んでいる女性から書き込みが。
加藤は、現実社会でこの女性に会いたくなり、会社に2週間の有給をお願いするも断られ仕事を辞めてしまった。その女性のもとへ向かい告白をするも振られ、仕事も失った加藤は東京・上野で車上生活に。
半月駐車場で生活をしていたところ、警察に優しく声をかけられたり、駐車場料金が払えない中、駐車場管理会社の人から「年末までに返してくれればいい」と伝えられたり、人の暖かさに助けられたという。
その後、加藤は静岡県裾野市で自動車関係の派遣社員として働く。
駐車場代金を返すという目標を持った加藤は必死に働き、返済という約束が果たせた。が、これは目標を失うことでもあった。
しばらくすると加藤は携帯電話の掲示板に「不細工に人権なし」という自虐スレッドを立ち上げていた。その自虐ネタに反応してくれる人が多くいたという。掲示板内では、自虐とはいえ自分の存在が認められ人気者になった気分だったという。
一方、会社からは派遣契約解除の知らせが。そうした気持ちも掲示板にぶつけると、若い女性から「毎日このスレ見るようになったら、主みたいな人もありだなって思ったよ。冗談抜きで友達になりたいと思うようになったよ」と書き込みが。加藤はその書き込みに救われやる気が出たという。
しかし、その女性から「アタシも中卒で、元カレもヤンか職人だった。でも今は大卒の超まじめなリーマンとつき合ってる。主にもきっといい相手出来ると思うよ」と書き込みが。この女性に彼氏がいると知った加藤は荒れた。
さらに自虐スレッドを真似する人物が掲示板に現れ、掲示板の仲間を取られていく感覚に襲われた。なりすましをやめるよう警告するも事態は変わらず、次第に加藤の掲示板からも人が離れていく。
そして事件の3日前、出社した加藤は自分の作業着が見つけられずキレて職場を辞めてしまう。掲示板には「スローイングナイフを通販してみる」と書き込むが反応はなく「やりたいこと、殺人。夢、ワイドショー独占」 と書き込みはさらに過激に。
その後、犯行前に掲示板に無差別殺人を宣言するが、反応がないと見ると「時間です」と書き込み、事件を起こした。
逮捕直後、加藤は「誰か止めてくれればよかったのに」 と供述したという。2015年2月、死刑が確定。
身勝手な考えで尊い命を奪う犯罪は今も無くなってはいない。ネット社会にハマり、自らの感情をコントロールできなくなった事件は後を絶たないという。
