苦汁月

テーマ:
明けたのは、ヨル。


白いだけの、蒼くも、朱くも無い空。


テーブル下の闇は、凝縮されながら、影へと、形を変えていく 。


静寂を喰いちぎって飛ぶ明け烏の嬌声が、今朝は無い。

咄嗟に浮かんだ『不慮』の二文字を、すんなりと、受け容れている事への違和‥。
 

残念ながら、生と死の均衡を司るのは、『不条理』であると、知らぬ年でもなくなった。


ほんの僅かのズレで、命なんぞ、簡単に、躯から、はがれてしまう。


この世を去るのは、無念だったか?それとも、喜びだったか?

問いかける空に、音はない。

灰色の雲だけが、朝を出迎えている。

夢の名残が、少し甘く感じられるのは、目覚めの中に含まれる落胆と、目覚めた事への軽い後悔のせい‥。

部屋の中に、充満する葡萄の甘く饐えたにおいと、時を刻む音の共振が、分離していた生と腐敗を合体させていく。


夏と秋の混濁した空気は、肺腑にも、心にも重い。



誰のために生きるのか。なんのために生きるのか。

自問自答を繰り返す秋。


芝浦を胸に置いたまま、渇えた魂で、今日も、生きようとしている女は、まだ、恋が捨てられずにいる。

もうすぐ、冬が来る。







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蜉月蝣

テーマ:
空が、赤く、青い。

月のない夜は、こんな色だったか。


紫でも黒でもない、青と赤が、混ざりあわぬまま、明度だけを下げていく。


芝浦の男は、40になった。


『男は、40からや。』

と、言った、あの夜を、思い出す。



ちたちたと、闇が、音を吐き出している


換気扇を、秋の風が、舐めているようだ。



父は、この季節に死んだ。

生きることは、楽しかったか?


鼓膜を通さぬ父の不意の問いかけに、魂は、また、過去へ足を踏み入れようとする。


そうね。たぶん。

命に代えても‥なんて程に、愛した男と、魂を賭けても‥なんて程に、愛する男と、 全身全霊の意味を学ぶには、またとない機会やった。

誰よりも恋しい芝浦。

誰よりも愛しい小帝。


「さだる。なんか、観音様が、よんでるみたい。ねぇ、さだるぅ、おいでって。僕も、行きたい。」

小帝が、頻りに、せがむ。


観音か。

十年が、一昔。芝浦が抱きしめてくれたのが、観音の足元だった。

時が遠ざけるほどに、鮮明さを増す記憶。



上弦か、下弦かと、見上げた月も有ったのに、月の岬でもないこの場所は、かげろうの月さえも、浮かんでいない。