フォトジャーナリストの安田菜津紀さん(34)が自身のルーツを探る旅を続けている。高校時代に亡き父が韓国籍だったと知ったことや、最近になって朝鮮半島出身の祖父母についての情報を得たことを今月18日、大阪府東大阪市内で語った。
東大阪朝鮮初級学校(同市)の創立75周年を記念する対談企画で、ジャーナリストの中村一成(イルソン)さん(51)と登壇した。企画は同校オモニ会などが主催した。
安田さんは幼き日の忘れがたい記憶から語り始めた。飲食店を営む父が早く帰宅し、絵本の読み聞かせに熱心な母に代わり自分をひざに乗せ、ページをめくった。だが読み方がおぼつかなく何度もつっかえる。安田さんは「もういい」と絵本を突き返し言った。
「お父さん、日本人じゃないみたい」
いつも穏やかな父は笑っていたが、目の奥が悲しげだった。
高2の時、戸籍を見た 父の欄に「韓国籍」
中2の時に亡くなった父の出自を安田さんが知ったのは、高2の時。NPOのプログラムでカンボジアに渡ることになり、パスポート取得のため戸籍を取ると、父の欄に「韓国籍」とあった。
父はなぜ生前にルーツを語らなかったのか。取材の旅を続ける中で、安田菜津紀さんはその理由に思いをはせるようになります。会ったことのない祖父母の名前も初めて知ることになりました。
驚きのあまり身が固まった。同時に、あの日の父の表情や、父が何かを隠しているのではという家庭内での「小さな違和感」の答えを見つけた気がした。母からは不安定な生活のため十分な教育を受けられなかったようだと聞いた。
誰かに話したかったが、ネット上で朝鮮半島への中傷を目にすると躊躇(ちゅうちょ)した。日本人として育った自身の「加害性」と向き合わざるを得なくなった。隣国を揶揄(やゆ)するような報じ方をするテレビ番組を無批判に聞き流していなかったか。在日コリアンへの差別事件には「背を向け、知らなくても生きていけていた」。
祖母は32歳で早世、祖父はプロボクサーだった
その後はカメラを手に国内外を巡り、貧困地域の子どもや難民、被災者らに寄り添うジャーナリストとなった。ただ父が生前に語らなかったルーツの詳細は不明のまま。新たな情報を得たのはつい昨年のことだ。
亡くなった外国人の情報が記されている「外国人登録原票」の写しを国に請求できると知り、父と祖父母について請求したものが交付された。
祖母の名は「金玉子(キムオッチャ)」。11歳で釜山から来日し、いまの自分より若い32歳で亡くなっていた。祖父は「金命坤(キムミョンゴン)(一部記載は金明根)」。最近になり本人を知る人からプロボクサーだったと教えてもらった。最初に記載されていた日本の住所は父の出生地の京都市伏見区だった。
この地を案内したのが対談相手の中村さんだ。京都朝鮮第一初級学校(当時)周辺でのヘイトスピーチ事件の著作がある。自身の母が在日2世で、日本人の父から民族差別の言葉を投げかけられる姿を見て育った。母も祖母もルーツを隠していた。「安田さんが、自分がしようと思ってもできなかったルーツの探訪を続けているのがうれしかった」
安田さんは事件当時の同校の保護者だった在日2世の男性に話を聞いた。男性は通名で日本の公立校に通い、民族差別を受けた経験から、あえて娘を朝鮮学校に通わせたという。「ルーツを肯定的に捉えてのびのび暮らせる環境に身を置かせたかった」と安田さんに語った。
ヘイト事件の映像はいまもネ…