群馬県草津町の黒岩信忠町長(75)から町長室でわいせつな行為をされた、と訴えていた元町議の新井祥子氏(53)について、前橋地検は31日、新井氏を名誉毀損(きそん)と虚偽告訴の罪で在宅起訴し、発表した。新井氏は2021年12月に強制わいせつ容疑で黒岩町長を告訴し、直後に黒岩町長が「虚偽告訴だ」と新井氏を告訴。地検は同月、黒岩町長を嫌疑不十分で不起訴にしていた。
 この件です。正直かなり驚いています。 被害者の訴えが嫌疑不十分となり、争いとしての分が悪いのは知っていましたが、虚偽告訴で刑事事件化するとは思っていなかったからです。

 虚偽告訴罪は『人に刑事又は懲戒の処分を受けさせる目的で、虚偽の告訴、告発その他の申告を』することを犯罪とするものです(刑法172条)。私は法律に詳しいわけではありませんが、常識的に考えても、一般的な解釈を調べた限りでも、過失で真実だと思い込んで告訴した場合には罪にならないようです。言い換えれば、結果として有罪にならなかったとしてもそれだけで虚偽告訴になるわけではないようです。

 本件は前橋地検が起訴しています。検察が起訴した以上、被害の告発が意図的な虚偽だと証明するだけの証拠をつかんでいると考えるのが素直でしょう。もっとも、私は検察を底まで信用していませんし、報道でも情報がほとんど出てきていないのでいまは静観するほかないでしょう。

 とはいえ、現段階でもいえることはあります。それは、ミソジニストのはしゃぎぶりについてです。

 自分の罵詈雑言が正当化されたかのように盛り上がっていますが、残念ながら、被害を訴えたものが虚偽告訴で起訴された現時点においても、そして仮にその者が虚偽告訴で有罪になったとしてもなお、彼らのセカンドレイプが無くなるわけでも正当化されるわけでもありません。

セカンドレイプは告発の真偽と無関係

 そもそも、学術的な細かい定義はともかくとして、通俗的には、セカンドレイプは性暴力における被害者への二次加害とみなされています。

 セカンドレイプの代表例は、やはり被害者への誹謗中傷でしょう。実際、被害を訴えた町議に対し無数の侮辱や誹謗中傷があったこと自体は事実です。当時私も『「レイプ疑惑」告発者を懲戒する議会、被害者を疑わずにおれない芸能人』でこの件に触れていますが、町議を『BBA』などと侮辱する発言は枚挙にいとまがありませんでした。

 とはいえ、今回の件ではしゃいでいるミソジニストたちは、こうした分かりやすい誹謗中傷の件は巧妙に(あるいは単に忘れたために)避けています。さすがに、いくらなんでもこんな罵詈雑言が正当化できないことくらいはわかっているのでしょう。

 ここで問題となっているのは、当時フェミニストたちが草津町を批判して言った『セカンドレイプの街』といったフレーズなどについてです。彼らの主張では、被害者の告発は実際に嘘だったのだから(実はまだ嘘かどうかは未確定なのだが)、『セカンドレイプの街』という評価もまた誤りだったということが指摘されています。

 しかし、これはセカンドレイプという概念と当時のフェミニストの批判を捉えそこなった議論です。

 前提として、『「レイプ疑惑」告発者を懲戒する議会、被害者を疑わずにおれない芸能人』にも経緯を軽くまとめています。当時の草津町は被害の告発の真偽が明らかでない時点で、あたかも告発が虚偽であることを前提とするかのように懲罰動機を可決し、町議を失職させています。また、このあとこの懲罰動機は無効になったのですが、今度はリコールを起こして町議を失職させています。この時点でもなお、告発の真偽は明らかではありませんでした。

 この件に関してフェミニストの抗議は、基本的には「真偽が明らかでないのに虚偽であるかのように扱った」「真相究明を拒絶して告発者を排除しようとした」ことへの批判が中心的でした。実のところ、ミソジニストの妄想とは異なり、町長が性犯罪者であることがすでに決まったかのような議論は見られません。

 例えば、代表的な抗議としてフェミニスト議連によるものがあります(『草津町議会としての 抗議文の対応について-草津町』参照)。その抗議文書を読む限り、批判の内容は『「性被害を告発したこと自体を否定する」人権侵害だ』という点に終始しており、町長が性犯罪者だなどとは書いていません。

 また、北原みのり氏も本件に関して、『町長にたとえ加害の事実がなかったとしても、この議会そのものが十分に性暴力でミソジニーだった』などと指摘していますが、町長の加害が事実であるかのような書き方はしていません(『まるで現代の魔女狩り? 性被害を訴えた草津町議会女性議員へのリコール-AERA』参照)。

 このように、当時の批判は告発者への対応に対するものが中心的でした。
 そして、告発者への対応の問題は、結果としてその告発が虚偽だったとしても消えて無くなるわけではありません。

 (ここで、告発者への対応の問題が、告発の真偽にかかわらず問題となり続ける理由を説明しようと試みました。が、あまりにも自明であるがゆえにかえってうまく説明できませんでした。さすがにこんなところはわざわざ説明せずとも理解されると考えたいものです)

 北原氏の記事をみる限り、町議会の対応はひどいものです。『彼は性被害があったと新井議員が訴えた町長室の写真を大きなパネルにして、「どこで私にいかがわしい行為をさせられたのか答えてください」と目の前で迫った』(上掲記事参照)や『休憩を挟んで議場に戻ろうとしていた男性議員たちが「傍聴席のヤツラ!(引用者注:北原氏やほかの女性の傍聴者のこと) 今日はやりにくい」と大声で言っているのが聞こえた』(『殺気だつ草津町傍聴席「犬だってしねぇよ」 セクハラを背中で浴び続けた気分になった-AERA』参照)といった振る舞いは、告発が仮に虚偽だったということになっても「じゃあセーフだね」とは到底なり得ないものです。

 町議や町長を選ぶのは町民であり、彼らの行為を間接的にでも是認しているのもまた町民です。こうした町議会や町長の振る舞いを取り上げ、「セカンドレイプの街」だと評することは、辛辣な表現だとはいえ、的外れでも誤りでもないでしょう。

推定無罪はどこへやら

 ここで気になるのは、まだ起訴された段階であるにもかかわらず、ミソジニストたちがあたかも告発が意図的な虚偽であると確定したかのようにはしゃいでいる点です。当然ですが、起訴された段階ではまだ有罪かどうかはわかりません。その告発が意図的なものかどうかは現状わからないのです。

 そもそも、彼らが告発を否定しフェミニストの批判を否定することを正当化する根拠の1つは、推定無罪の原則であったはずです(というか、それ以外の根拠は出せないはずです。「告発が何となく疑わしい」と言うか、レイプ神話に基づくかしか選択肢がなくなるので)。つまり、町長は告発されたがまだ有罪が決まったわけではないのだから非難するのはおかしいという論理構成です。

 にもかかわらず、告発者が起訴された段階では、彼らが後生大事に抱えていたはずの推定無罪の原則が投げ捨てられ、推定有罪かのように扱われてしまっています。

 これは別に驚くべきことではありません。単に彼らは、自分の差別的な振る舞いを正当化する根拠として、当時は推定無罪の原則が便利に使えたから使ったというだけなのです。現在はむしろ邪魔なので無視しているというだけです。

 この分かりやすい自己矛盾こそ、彼らが本心ではこの問題にまじめに取り組んでいない証左でしょう。だからこそ、私は彼らの反応を一貫して「はいしゃいでいる」と表現しているのです。

勇み足は避けるべきか

 もっとも、本件は性暴力の告発の語り方について、いくつかの示唆と教訓を残すものでもありましょう。

 性暴力の告発が虚偽であったなどという事例は稀でしょうが、残念ながら、有罪の証明に失敗することは珍しくありません。その際、告発された人の加害を事実であるかのように論じていたとなれば、それはその問題を利用してはしゃぎたい性差別主義者に付け入るスキを与えかねません。

 本件では、批判者は告発されたものの加害を事実であるかのように論じず、告発者への対応への批判に終始していました。そのため、ミソジニストに絡まれても「そんなこと言ってない」で一蹴できます。ですが、もし加害を事実であるかのように論じていたら話はややこしくなります。

 そして、そうした議論は加害者だと告発された者の復讐に利用される恐れもあります。自身の被害を告発したジャーナリストの伊藤詩織氏に告発された山口敬之が反訴を仕掛けたように、些末な誤りや証明に失敗した部分をも利用して攻撃を仕掛けることは十分に考えられます。

 批判者が防衛策を講じなければいけないというのは不条理にも感じますが、不要な火種は潰しておくのも必要でしょう。被害の告発はあくまで、真相究明の要求や告発者への二次加害の問題として扱うべきであり、加害行為に関する議論は情報が十分出てからすべきなのでしょう。

 もっとも、草津町の事例を見ればわかるように、告発された側はその真偽にかかわらずたいていの場合対応を誤るので、加害行為の真偽が明らかでない状態でも批判材料に事欠かないとは思いますが。