王都は混乱を極めていた。
突如大量発生したアンデッド。
力なき民達は逃げ惑い、悍ましいアンデッド達に追われ、阿鼻叫喚の地獄絵図と化している。
最も人口が集中している都市……それも人々が酒で一日の仕事の疲れを洗い流す夕刻ということもあり、王都はまるで祭であるかのような喧騒と雑踏に包まれていた。
「市民達の避難を優先させろ!」
その中にあって、勇猛に吠える偉丈夫が一人いた。
リ・エスティーゼ王国が誇る王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフその人だ。彼は部下達に号令を飛ばしながら、自身に迫りくるアンデッドの首を斬り飛ばした。ブルークリスタルメタルで象られた長剣はこの夕闇の中にあっても静謐な輝きを湛えており、半月の軌跡に青い残光を残すほどの煌めきであった。
自分達の長たるガゼフの号令を鼓膜で捉え、部下達にも気合と自覚が漲る。この王都を守護するのは他の誰でもない、王国戦士たる自分達なのだと。
「市民の皆さんはこちらへ!」
「急げ! 荷物など捨て置け!」
「振り返らずに真っすぐ走れ!」
各々に、逃げる市民達へ檄や命令を叫ぶ。
市民の避難は最優先。それに彼らが速く逃げてくれなければ、戦士達は抜ける剣も抜くことができない。振り回した剣や槍が誤って市民を傷つけたら大事だからだ。
大仰な手振りで誘導し、アンデッドの前に立ち塞がり、彼らは勇猛果敢に自分達の責務を果たしていく。
市民達は指示に従って、彼らの脇を走り抜けていく。次々、次々と。
逃げる人々は皆、平和に王都に暮らしている善良な民達ばかり──
「ぎ、いやあああああああああああああああああ!!!」
──というわけではなかった。
「なに!?」
突如叫ぶ、王国戦士達。
彼らはすれ違い様に、保護するべき市民達に斬られていた。
何事だ……とまず思うが、だからと言って事態を即座に飲み込むことはできなかった。その場にいる誰もがだ。
──市民に扮した『八本指』の手先が、王国戦士団を狙っていたなど中々考えが至るものではない。
「一体何が……おっと」
困惑するガゼフの懐に、一人の女性が飛び込んできた。逃げる途中に何かに蹴躓いたようだ。
ガゼフは女性に労りの声を掛けようとして──
「離れろ!」
──力ずくで、自身にしな垂れかかっている女を突き飛ばす。
油断した、と思わずにはいられない。ガゼフの太ももに、一本のナイフが深々と突き刺さっていた。あの女に、やられたのだ。
「クソ……!」
忌々しく吐き捨て、ガゼフは腿に刺さっているナイフを抜き捨てる。突き飛ばしたあの女は、守るべき善良な市民などではない。
女は男の声でクツクツと笑っていた。
「さしものガゼフ・ストロノーフも虚を突かれたらひとたまりもないようだな……」
「貴様は……」
女の輪郭が、ぼやけていく。
否。ぼやけているのではなく、幻覚が溶け始めているのだ。
幻影が溶けると、現れたのはやさぐれた男だった。
「『六腕』が一人……『幻魔』のサキュロント」
「『六腕』……? なるほど。この騒動は貴様ら『八本指』が企てたものだったか……」
「ご名答。俺らが狙っていたのは王都じゃない。お前だよガゼフ・ストロノーフ。だが気づいたところでもう遅い」
「何だと──グッ」
ガゼフは思わず膝を突いた。
ナイフを突き立てられた箇所が、炙られるように熱い。そこから痺れが全身に巡ってきているのが実感できる。
(毒か……!)
心の中で舌を打つ。
全身から力が抜けていくようだった。
額にじんわりと脂汗が滲み出したガゼフは、呪うようにサキュロントを睨みつける。
「おお……怖い怖い。流石は王国最強なだけある。まともにやったら、こりゃあ勝てねえ……」
王国最強の眼光に、サキュロントは本心からたじろいだ。基礎戦闘力の低い彼でも、命の獲り合いには多少の自信はある。しかしそんな『幻魔』サキュロントを以てしても、対峙した時点でまともに立ち会えないと分かる凄みが、ガゼフ・ストロノーフにはあった。
毒を盛ったところで、完全に鎮圧しない限りはガゼフに勝てはしないだろうと、本能で理解できてしまう。その恐ろしさに、サキュロントは喉を鳴らす。奇襲が成功しなければ、今頃自分は骸を晒していたに違いないと思わずにはいられなかった。
対するガゼフは、まだ冷静さを欠いてはいない。
(俺としたことが……。だが、解毒用のポーションなら持ち合わせはある)
毒への備えなら戦士として当然。ガゼフはポケットから薬瓶を取り出そうとして──
「あれを飲ませるな!」
「ぐ、おおおおお!!!」
──空から、火焔の塊を受けた。
堪らずガゼフが叫ぶ。
肌を焦がす灼熱に悶絶しながら、彼は地を転がった。薬瓶は手を遠く離れ、どこかへと飛んでいってしまった。
「ぐ……っ」
空を見る。
そこにはガゼフを見下ろす様に、ローブを纏った男が浮いていた。フードから垣間見える顔はまるで屍の様……というよりも、屍そのものだ。
あれはただの
『
「……『不死王』デイバーノック」
『
「お前も『六腕』か……クソったれめ」
デイバーノックの出で立ちに、ガゼフは思わず顔を顰めた。サキュロントの様な紛い物ではなく、真っ当な強者の気配を感じたからだ。
ガゼフはブルークリスタルメタルの剣を地に突き刺し、体を支える様にして何とか立ち上がる。こうしている間にも、毒の痺れが体を蝕んでいた。
「戦士長ぉ!」
周りの部下達が叫ぶ──が、アンデッドや偽装兵の応戦に追われてそれどころではない。応援は望めそうになかった。
「お前達は俺に構うな! 市民の救助を優先しろ!」
「しかし戦士長!」
「命令だ! こいつらは俺がやる!」
部下達がきたところでどうにかなる相手でもない。
ガゼフは剣の柄を硬く握りながら、空を睨んだ。
対するデイバーノックは、軽薄な笑みを浮かべている。
「万全の状態ならまだしも、そんな状態で俺に勝てるとでも?」
「……勝てるさ。お前達と違って、それだけの使命と覚悟が俺にはある」
「ふん……その虚勢がいつまで続くか、楽しみだ。来い、お前達」
「な……」
デイバーノックの指示で、更に五人の男達があらわれた。
デイバーノックの様にローブですっぽりと全身を覆っている。彼らは『八本指』所属ではない。『六腕』と協力関係にある、ズーラーノーンに所属しているカジットの配下達だ。彼らも同様に『
「新手の……
思わず唇を噛むガゼフ。
剣しか持たぬ彼にとって、距離を取った魔法詠唱者程相性の悪い相手はいない。それも空に浮かんでいるなら猶更だ。デイバーノックただ一人ならまだしも、事態は悪変を続けていく。
「『
デイバーノックの掌から、火の球が飛ぶ。
それに倣う様に、魔術師達からも同様の魔法が発せられた。当たり前だが、試合開始の合図などない。
「ぐおおおおおお……ッ!」
剣の届かぬこの距離。
ガゼフに対抗手段はない。彼は鉛の様な体を引きずるようにして、絨毯爆撃に対して回避行動を取った。ステップを踏み、地を転がり、這い蹲って、それらを何とか避ける。しかし全ては避け切れない。脇腹を掠めた火球が、ガゼフの肉体を炙っていく。
「く、そ……!」
呼吸が整わない。
汗が止まらない。
食い縛った奥歯から、怒気が漏れる。
ガゼフは己を呪わずにはいられなかった。彼の人生を変えた
全ては弱い自分を捨てる為。
アルベドに、今握っている剣を返せるくらいの男になる為に。
しかし今ガゼフに訪れている現実は、余りにも非情だ。
この体たらくはどうだ。
不意打ち。毒を盛られ、魔法詠唱者達に安全圏から嬲られる。ガゼフが鍛え上げた剣腕を真っ向から否定するような、徹底した姑息な戦術。
戦場にフェアプレーは存在しないと言っても、ここまで何も実らない結末など認めたくはない。
(俺は、ここまでなのか……?)
もう目が霞んできている。
ガゼフは今も中空に浮かんでいるデイバーノックを睨みながら、己の命運を悟った。
ガゼフを見下ろす彼らの掌には、既に王国最強を焼き尽くす第二陣の火焔が溜められている。
「……終わりだ。ガゼフ・ストロノーフ」
呟く様な声でも、はっきりと耳に届いた。
引導を渡すと言わんばかりの冷ややかな瞳に見送られ、デイバーノックの掌から炎の塊が離れた。それが計六つ。ガゼフに向かって、一直線に殺到する。
遠くから、部下達の叫ぶ声が聞こえる。
毒の回ったガゼフの脳は、どろりと泥濘んで働かない。しかし体はどこまでも、勇敢な戦士だ。立ち上がり、剣を構える。それが当然の姿勢であると言わんばかりの、誇りある立ち姿だった。
「俺は……俺は、負けな──」
──……しかし、非情にも『
六つの火焔が混ざり合い、夕闇を払うひと際大きな光源と化した。
それを中心とした鋭い熱波が、辺りを叩く。人が人の原型を保てるとは思えぬ程の熱量がそこにあった。決着は、呆気ない。命の獲り合いにドラマなどない。淡々と、一方が他方を殺すだけなのだから。
「……これで俺の仕事は終わりか。王国最強の男とはいえ、こちらの土俵さえ作れば攻略も容易いというもの……」
立ち上る黒煙を見下げながら、デイバーノックの口角が思わず上がる。
王国戦士長を消したことで、『六腕』の計画は飛躍的に進むことができるだろう。更にガゼフ・ストロノーフを滅ぼしたことで、デイバーノック自身の株も大きく上がるはずだ。後はガゼフの焼死体を確認して引き上げれば、彼の仕事は完了だ。
目を細め、煙が晴れるのを待ち──
「……なに!?」
──しかし、黒煙が晴れた先にあったのはガゼフの骸などではなかった。
暗がりにあって、淡く光を湛えている存在。
人の形を模してはいるが、人ではない。無機質で、どこか神聖な印象を抱かせる人ならざる何か。恐らくこれが『火球』を受け止めたのだろう。守られたガゼフの姿は、未だ健在だった。
「天使……だと!?」
デイバーノックが思わず叫ぶ。
『火球』を受けたのはガゼフではなく、天使だった。
そしてその傍らには、先程までいなかった男の影が一つ。
「──情けないぞガゼフ・ストロノーフ。貴様、それでも我が神に認められた男なのか?」
漆黒の
「あ、貴方は……いや、お前は……まさか……」
薬瓶を受け取るガゼフの声音は、様々な感情で振れていた。この声は、聞いたことがある。あの天使は、見たことがある。忘れもしない。忘れることなどできやしない。
「ストロノーフ……我が神はどこにおられる」
──天使を更にもう一体召喚しながら、ニグン・グリッド・ルーインは信仰する神の所在をガゼフに問う。