[4b-36] アクロバティック現金一括
何十万という人々が前代未聞のエンターテイメントに熱狂し、興奮の余り眠れぬ一夜を過ごした。
もちろん、その影では、別の意味で眠れなかった者たちが存在する。
軍が設けた救護所では、夜通し人質の治療が行われた。人質のほとんどは健康上の問題は無かったのだが、だとしても生きた心地がしなかっただろう。ショック状態に陥った者などは救護所での治療の後、最も近いゾルブの街の神殿病院へ搬送された。
そうして救護所が出せただけでも軍の出動の価値はあったと言えようが、しかし共和国軍が邪悪なる軍勢と戦うことは無かった。
軍と警察は金貨の行方を掴めず、ただただ徒労の捜索を朝まで続けただけだ。
そんな姿を尻目に、パーティーの参加者たちは悠々と帰っていった。
瓦礫の山と化したトウカグラの中で、トゥーダ・ロイヤルホテルとパーティーの参加者たちは本当に一切傷付けられず、彼らの持ち込んだ馬車なども無事だったのだ。
中には朝までホテルで休み、優雅に朝食を取って帰った者も居るというのだから、いい面の皮だった。
そして、狂騒の一夜は明けた。
* * *
神官たちは癒やしと浄化の魔法を得意とする。故に神殿は、治療の場である。
特に大きな街の神殿などは、重症・重傷の者や、魔法でも即座に治せないような特殊な症状の者を、入院させて時間を掛けて治療する態勢が整えられている。
ゾルブの街の神殿病院の、病室の一つにて。
「暇」
風にたなびいてふわりと膨らんだ白いカーテンが、自分の視界に入った回数を数えていたマドリャは、すっぱり一言、そう言った。
「絶対安静ですよ。
吸血鬼化が進行します」
ベッドの傍らで朝刊を積み上げてチェックしているスティーブが、答えた。
身動きできないマドリャは、彼が新聞をめくる音しか聞こえず、白い天井しか見えない。
「絶対安静っていつまでよ」
「最低でも半月」
「筋肉が腐るわ」
マドリャの上半身は、拘束と言っていいほどの厚さで包帯が巻かれ、固められていた。
そこにチューブが三本、突き刺さっている。
血煙によって穿たれた傷は、マドリャの肉体に冒涜的な穢れを残していた。
魔法を使えば傷そのものは今すぐにでも塞げるのだが、それでは根治にならない。そこで、敢えてすぐには傷を塞がず、魔法薬の継続的な投与によって生かさず殺さずの状態を保ちながら傷を直接浄化しているとのことだった。
そしてまた、沈黙。
まだ朝だが、じわりと汗が滲む気温だった。共和国の夏は蒸し暑い。
スティーブが二度、新聞をめくる間、マドリャは黙考していた。
「ねえ」
それから身動きができないまま、天井に向かって言った。
「冬至祭りの予定を空けときなさい」
「え、あ、はい!?」
スティーブは泡を食って手をもつれさせ、新聞を取り落とした。
冬至祭りは、一年の締めくくりのお祭りだ。
そこら中で開かれるパーティー。家族と過ごす時間。友だちとのプレゼント交換。
そして、恋人たちの特別な日。
独身の女性が男性に、あるいは男性が女性に、『冬至祭りの予定を空けておくように』と言う事の意味は火を見るよりも明白だった。
「キミみたいな朴念仁を相手にじりじり距離詰めようと思ってた私のミスだわ。
それじゃ言う事言って言われる前に死ぬのよ」
マドリャは溜息交じりに言う。
自分がいつ、戦場に倒れるか分からぬのだという単純な事実を忘れるのは、戦士の驕りだ。そう、マドリャは思い知った。
あと単にマドリャ自身が我慢できなくなった。
「もう、あれ21年前だったかしら。
私。まだ
「あの、警部」
「今さら撤回しないでしょ?
その程度はキミのこと分かってるつもりなんだけど」
「……じゃなくて、あちら……」
天井しか見えなかったマドリャの視界に、スティーブの手が入ってきた。
彼が指差すのは、ベッドの足側。病室の入り口。
身動きできないマドリャは、辛うじて顎を引いて、指差された方を見た。
扉の上の縁をかすりそうなほどの巨体。
黒い肌の禿げ頭が見えた。
「すまん、ノックはしたんだが」
「うるせえゴリラ!!」
気まずそうなオズロに、マドリャは傷が痛むのも構わず叫んだ。
「おや、アークライト様も?」
「そこで行き会ったんだ」
「お加減はいかがですか?」
軽い足音が近づいてきて、ひょいと、蜜柑色の髪の女がマドリャの顔を覗き込んだ。
彼女は籠に入った果物の詰め合わせを持っていた。
キャサリンは、ミスリルすら断ち切るというナイフを取り出すと(彼女は大量のマジックアイテムを常に携帯しているらしい)、見事な手際でリンゴとメロンを切って並べた。
身動きできないマドリャの口元に、スティーブがフォークを差し出し、マドリャは果物を毟るように食べた。
「あの後、どうなりました?」
「ゴーレムが操舵しとる怪しい船が、川を下っているのを見つけて捕らえたんだがな。
大量の宝箱を積んでいたよ。空っぽのな!」
オズロは遠慮したが、結局促されてリンゴを一つ貰っていた。
甘いリンゴをワイルドに芯まで丸囓りしながら、オズロは苦り切った表情で頭を掻く。
「結局、金貨は見つからずじまいだ。
何が起こったのか、まるで分からん。
お前ら、心当たりは無いか」
「推測でよろしければ」
スティーブは戦いのすぐ後、マドリャに付き添って離脱している。
だが、それでも彼はオズロが語ったことと、自分が見たもの、新聞に載っていた多少の(無責任で不正確なものも多い)情報から事態を推理している様子だった。
「状況を聞いてピンと来ました。
おそらく、川に向けて並んだ魔法陣さえブラフ。金貨は別の場所に転移させ、『風読み』が絶えたのを見計らって回収したのでしょう」
「しかし、どうやって?」
「戒師ジュマルレの死に様を思い出してください」
* * *
時を少し戻す。
『余興』が終わって二時間も経った頃だ。
もはや人質の退避も済んだトウカグラの街門は、しかし、まだ少し賑やかだった。
状況確認やホテルの監視などを目的に、警察や軍の者が出入りしているためだ。
人質にされていた者の中には、街に戻って荷物を回収したいと言い出す者も居たのだが、これを警察が止めたことで押し問答になっていた。
そんな中で三々五々、パーティーの参加者たちも姿を現し始めていた。
帰るための交通手段も無く、トゥーダ・ロイヤルホテルに留まりたくもない者たちが、警察と軍の保護を求めてやってきたり、あるいは仕事を終えた者がそのまま馬車で帰ろうとしていたり、だ。
「お疲れ様です、ケインズ観測器商会です」
「お疲れ様です」
商会のエンブレムを掲げた馬車が、また一つ街門をくぐって出て行く。
窓から顔を出した男は、手近な警官に挨拶をした。
「支店に置いてあったものを持ち出してるんですがね、問題ありますでしょうか」
「いいや、まあ……大丈夫でしょう。
これでは現場の保全も何もあったものじゃない。
ただ、人と物の記録だけは取らせていただきますよ」
ケインズ観測器商会の馬車は、特に嫌な顔も見せず応じた。
パーティーに参加したという従業員たちが顔を見せて名を控えさせ、馬車の外側に張り出た警備席の冒険者たちも冒険者証を提示した。
荷台には、空っぽの箱ばかりゴロゴロと積んであった。
これは全て収納用マジックアイテムで、外見の数倍の容量を持つ。箱そのものが高価なのだ。この状況で危険を冒してでも、瓦礫と化した支店から回収する程度には。
警官は一応、本当にこれらの箱が空であるか入念に調べ、問題無しと判断したようだ。
「お帰りですか?
軍のキャンプで朝までお待ちになる方がよろしいかと」
「お気持ちは頂きますが、こちらも予定が詰まっておりますのでね……
大丈夫ですよ、そんじょそこらの魔物に我々のスケジュールは阻めません」
「分かりました。ではどうか、お気を付けて」
夜中の街道を商人の馬車が単独で走るなんてとんでもない、と考える人の方が世の中には多いだろうが、ファライーヤ共和国では決して非常識な行動ではなかった。
商売の邪魔を許さない大商会の精力的な
後は適切な護衛を伴っていれば、夜中でも商売のために馬車を走らせるくらいできるのだ。恐ろしいのは商売敵やナイトメアシンジケートの陰謀くらいだが、この馬車は少なくとも後者を気にしなくて大丈夫だった。
馬車が掲げるのは、魔力灯照明ではなく、油を燃やすランプ。
『黒狐の捧げ火』と呼ばれる特殊な薬を火にくべることで、遠くからは見えない魔法の灯りにすることができる。
夜行馬車が盗賊を警戒する上でも、しばしば使われるアイテムだった。
少し離れれば、夜闇の中、馬車の所在はもう街門からも確認できない。
街道を外れた馬車は、何かに導かれるように、何も無い荒野のど真ん中で止まった。
「この場所だ」
「配置を急げ。落ちてくるそうだ」
馬車に乗っていた従業員も、御者も、商会の商売そのものには関わらないはずの護衛冒険者も。
全員が協力して、手際よく、空っぽの収納コンテナを地面の上に並べていく。
やがて、唐突に。
地上に落ちた星のような輝きが迸った。
虚空から黄金の滝が生まれて、口を開けた箱に流れ込んでいるのだ。
馬車が掲げた灯火を受けて光り輝くそれは、大量の金貨だった。
「おお……!」
真面目な商会従業員と、ナイトメアシンジケートのエージェント。
二つの顔を持つ、冷徹な闇の仕事人たちであっても、思わず感嘆の声が漏れるほどの美しい眺めだった。
「一体全体どんな魔法で、これだけの金貨を消していたんだ?」
「分からん。
とにかく、回収を急げ。見つかる前にな」
「こぼれた分はこっちに入れろ」
ものの数分もしない間に黄金の滝は枯れ、馬車は再びコンテナを積み込んで、この共和国で最も深い闇の中へと走り去った。
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