天極性は死人の星です。現実を有、精神を無とすれば、天極星は精神だけの世界です。その精神も現世的なものではなく、感情や善悪を除外したもので、空間の無だけです。空間は時間があるので制限を受けるのであって、時間が無ければ制限を受けません。無は時間と距離という有限性を持たず、上下、貴賎、善悪、人間関係等の区別が一切ない世界です。無限的感覚を説明すれば、夜空の星を見るとき、瞬時にして自分の感覚で捕らえます。その瞬間においては距離も時間も超越しているはずです。もし一枚の紙に書けば点を記すだけです。それが天極星が持つ無限的感覚です。無限的感覚というのは、交際関係になると親子、男女、上下の別、損得や善悪の区別のないものになります。時間や距離を超越する交際なので、今日初めてあった人も古くから交際している友人のようになりますが、逆に何十年の長い交際をしてきた友人も今日初めてあった人のようになります。その状態は、ものすごく親しげであり、逆に薄情でもあります。物事の判断も時間と距離を超越しますので、感情や人情を除いて非常に冷静に判断できます。善悪の判断も、現世的な立場で行うのではなく、歴史的な時間の流れや未来的見地に立って行います。現実的には、このような判断は受け入れがたい面が出て、世の中から相手にされないことがあります。現実的課題のけじめがつけられないと、奇人、変人、狂人等の要素になります。社会生活においても末端の事柄を重要視して、本筋を見失うことになります、職業にその性情が現れると不安定となり、職場を転々とし、家庭に出れば離婚を繰り返すことになります。

無限的感覚は思想の面では自由な発想となり、世人の想像を超える企画や計画性となり、時には夢想や空想になります。感性の面では霊感性となって現れ、過去や未来の霊界との交信も可能になります。そのような性質は、哲学、宗教、学問、心理学、医学、技術等の分野に入っても、それなりの活躍が可能です。現実的な事柄を常に積み重ねていけば、世の中から遊離することはありません。世の中から遊離すると、善悪の判断が常識的でなくなり、他人の物も自分の物ととなって、犯罪者となるか、自分を正当化するために屁理屈をつけたり、正常社会以外の社会に入るようになります。生活上でも、一日に何回も掃除をしなければ我慢できないようになるとか、他人の欠点をほじくり出して文句もつけたりもします。天極星は人間である事実と非人間的感覚とが両立します。それは悪の世界に入れば徹底した悪となり、全の世界に入れば、見事な善に徹し切ります。いずれの場合も本人自身はジレンマに落ち込みません。それは本人が信じた思想から出てきたものです。ジレンマに落ち込むことがあれば、ノイローゼや精神病となり、軽い場合は二重人格者となり、口と腹を使い分ける人になります。精神病が昂じますと、凶暴性を発揮するとか、見境なく暴力を振るったりもします。このようになってしまうと、罪悪感がない星だけに、殺人に発展することがあります。物質文明が盛んになれば高度な精神性、特に天極星のような無限感覚による精神が必要となり、その時は万人の範となります。