龍高星は陽の習得本能を持っています。陽の習得本能は、伝統的でなく従来の慣習に従いません。慣習に従わないことは、改革的であり、新鮮味あふれるものであり、古いものを打破します。改革的であるには常に新しい知識と発想を必要とします。それは創造性となります。龍高星は理性や知性を持っています。龍高星の理性や知性は、改革や創造のためのものであるので、個性的なものになりやすいです。個性的であるために独自の世界を持つようになり、体制側に受け入れられにくく、体制を批判したり破壊したりして反体制側につきます。体制を破壊し改革が実現すれば反体制が体制に変わります。そのためその新しい体制側につくと、その体制を批判し攻撃に転じます。龍高星は満足することができず、不満足であることが本質で、常に不満足の気を持っています。その不満足を解消しようと努力していて、解消ができるまで忍耐します。解消すれば、また新しい努力と忍耐が続きます。龍高星が不満足を解消する努力ができないときは病気になります。

龍高星の不満足は平和期において、文化、学問、社会等の各方面に新鮮な空気を送り込む役目を果たし、学問では新しい理論の発見、文化では見事な芸術、社会では生活向上等の原動力となります。それらが社会に受け入れられないと全てを破壊する方向にまで発展し、異端者となります。動乱期や腐敗した社会では龍高星は見事な能力を発揮し、革命を起こし新時代を確立します。常に時代を先取りしようとする進取の気があります。そのことが生活に現れると、奇妙な服装になったり言葉が断片的になったり、変人や奇人になります。理性や知性に裏付けされているだけに相手に奇異な感じを与えます。龍高星は進取的であるときはかなり派手な性情を発揮しますが、忍耐の時は地味で暗いです。その変わり目が極端で中途半端ということがありません。新種的であることは冒険者でもあります。未知の世界を探検する夢を抱きます。その姿は放浪です。時には虚無感に襲われ、家族と離れて一人になろうとします。離別が始まります。自制が利かなくなると、生きるすべを失うところがあります。龍高星の思考は現在の評価を期待することは難しく、未来に評価を受けます。龍高星の思索は現実離れしているために理解されない苦しむことがついて回ります。しかし、時や環境が変われば苦しみはなくなり、新しい苦しみを作ります。つまり発想の転換も見事です。