車騎星は陽の攻撃本能を持っています。陽の攻撃本能は個人の攻撃で、周囲の人を気にせずに行動できるので、独断的行動になりやすく善悪の判断に関わりなく行動します。スポーツの世界や前進を要求される世界では見事な力となります。それは奔馬の疾走にも似て、進み出すと止まることも戻ることも難しくなります。
前進の姿は仕事や職業として見ますので、その前進することや仕事することが生きがいのように感じます。その仕事をしている姿は、きびきびとして折り目正しく清潔感にあふれ一途な性格に見えます。車騎星は個人の攻撃本能なので、他の人と衝突するときは、闘争性がむき出しになり恐ろしい印象を与えるほどの凶暴性となります。車騎星は動くということが主となり、理屈が後からついて回ります。そのため、凶暴になると理屈が通用しなくなります。そのため、戦争やスポーツなど闘争を必要とする世界には欠かすことができないものとなります。理屈抜きで前進をしなければならないとき、例えば山野の荒れ地を開拓することや事業を創設すること、又は事業を拡張するときなどの時は、車騎星は必要な星です。車騎星は緊張感が強いので長時間、持続させることが難しいです。行動と行動の間に休息の場、つまりのんびりした状態が出てきます。そののんびりとした状態になっている他人や自分をだらしないと責めるようになります。その意味で、車騎星には自虐性や加虐性があります。その性質が平和な時代や世の中には車騎星の活躍の場がないので、攻撃性が平和や安定を壊すように作用します。自虐性が内面に出れば病気になります。病気の時は気弱になっておとなしくなります。加虐性だと周りに迷惑を振りまきます。だから車騎星には闘争性が発揮できる場を与えておく必要があります。行動的であることは現実主義です。理想も現実のためのもので、実現不可能な理想に進むことはしません。長期的観点に立って指導すれば見事な能力を発揮します。その指導が誤れば百年の不作となり子孫にまでひびきます。行動力を発揮していれば、非常に物分かりが良く、優しい面を見せます。行動力を失うと、理由もなく怒ったり、どなったり、、最後には暴力沙汰にまで発展します。起こっている時とおとなしい時の違いは、仏と鬼のようです。