〈社説〉葉梨法相の発言 死刑の運用に不信生む
死刑は、国家が人の生命を奪う究極の刑罰だ。執行を命じる法相が、その重大な職責を軽んずるような発言をしていいはずがない。
「朝、死刑(執行)のはんこを押す。昼のニュースのトップになるのはそういうときだけという地味な役職だ」。自民党議員が主催する会合で述べた葉梨康弘法相が更迭された。
以前にも、自身が所属する岸田派議員の会合や地元の会合で同様の発言をしていたという。本人が撤回したからといって済む話ではない。当初は更迭を否定した岸田文雄首相の判断の甘さが問われなければならない。
それとともに見過ごせないのは、葉梨氏の発言が、厳正であるべき死刑制度の運用に疑念を抱かせたことだ。執行に際して死刑囚の名前と犯罪事実を発表するようにはなったものの、執行に至った具体的な手続きは依然、徹底した秘密主義の下にある。
どのような基準、理由で対象者を決めたのか、なぜこの時期なのか―。運用の実態を外部から検証するすべはない。
死刑囚本人への執行の告知は当日の朝。実際に執行される1、2時間ほど前だという。いつ告知するか、法律に定めはない。執行に異議を申し立てる時間を与えない当日の告知は、適正手続きの保障を定めた憲法に反するとして、死刑囚2人が昨年、大阪地裁に裁判を起こしてもいる。
死刑制度そのものの見直しにも法務省は後ろ向きだ。1989年に国連総会が死刑廃止条約を採択してから30年余が過ぎる。昨年までに108カ国が死刑を廃止し、長く執行を停止している国を含めると140カ国を超す。
先進国で執行を続けるのは日本と米国の一部の州だけになった。国連の人権機関は日本に繰り返し懸念を示し、廃止や執行停止を検討するよう求めてきたが、政府は取り合おうとしない。
米国は連邦政府による執行を停止している。執行を続ける州も、30日前までに本人に告知し、公表もする。死刑囚が取材を受けることも少なくない。執行には事件の関係者や記者も立ち会える。
死刑を残すにせよ、日本の制度運用のあり方は現状のままでいいか。議論が必要だ。主権者には知る権利があり、不当な権力の行使を監視する責任がある。
法相の職責を顧みない葉梨氏の発言は、闇に閉ざされた制度運用の実態にさらなる不信を生んだ。死刑制度に関わる情報の公開をあらためて法務省に強く求める。