叡者の額冠に関して超解釈がありますので、ご容赦ください。
第五章もよろしくお願いします。
1.炸裂
『叡者の額冠』というマジックアイテムがある。
クレマンティーヌがスレイン法国を離脱する際に強奪した、超希少な──現地では──レアアイテムだ。
『叡者の額冠』とは着用した使用者の自我を封じることで、使用者そのものを超高位魔法を吐き出すアイテムに変えるというものである。しかしこれは着脱が不自由であり、一度着用した使用者がこれを外してしまうと発狂して自我が崩壊してしまうという恐ろしい効果もある。
法国では神器と呼ばれる程のものだが、誰もが『叡者の額冠』を使用できるわけではない。適合者──所謂法国でいうところの巫女のみがこれを使用することができる。巫女以外が使用を試みたところで効果は発揮されることはなく、勿論副作用も発症することはない。
「ふん……」
そんな『叡者の額冠』は現在、カジットの目の前で立ちすくむ女に着けられていた。
女は瘦せ細り、濁った目をしている。
凡そ健康的とは言えず、病的な印象で言えば現在のクレマンティーヌをすら上回るだろう。
『叡者の額冠』を着けてはいるが、勿論彼女は巫女などではない。コッコドールの娼館で散々男達に弄ばれた挙句に心が折れ、黒粉漬けにされて死亡寸前まで働かされていた憐れな娼婦だ。
今日は女にとってめでたい日と言って良いだろう。
苦痛からようやく解放され、ようやくあの世にいける日なのだから。
「始めろ」
カジットの後方で腕を組んでいるゼロが、静かに指示を告げる。それに頷いたカジットは自分の弟子達と視線を通わせると、大魔法発動の儀式に移った。その贄となるのは、『叡者の額冠』を戴いた娼婦だ。
『叡者の額冠』は巫女しか使用できない……というのは、正確には正しくはない。全ての人間が使用可能ではあるものの、適合者以外は『叡者の額冠』の精神負荷に耐えきれない為、心の深層でこれの使用を拒絶しているだけなのだ。
無理矢理にでも『叡者の額冠』を受け入れることができたなら、使用自体は可能となる。だが巫女以外の人間がこれを使えるからと言っても、アイテムの効果を発揮する間もなく即座に発狂してしまう為、やはり巫女以外の人間にとっては『叡者の額冠』は使用不可能なアイテムと言って差し支えないだろう。
巫女は十全に効果を発揮できるが、『叡者の額冠』を外した際に発狂してしまう。巫女以外の人間が仮に『叡者の額冠』の効果を無理矢理にでも発揮しようとしたなら、そもそもが負荷に耐えきれずに即座に発狂してしまう……ということだ。
「……儀式は成功、か」
にやりと笑むゼロ。
カジットとその部下達、そして『叡者の額冠』を冠した女の手によって、第七位階魔法『
王都の中心で、続々と召喚される悍ましいアンデッド達。
ガクガクと震え、涎を垂らし、万力で頭蓋を潰されているような声を上げながら、女は『
「実験の甲斐はあったようだな」
「儂が言うのも烏滸がましいが、ゼロよ。お主も中々に外道な考えを思いつくものだ」
「ククク。『叡者の額冠』が使用者に死を齎すほどの精神負荷を与えるなら、そもそもが精神がぶっ壊れてる人間を用意すればいいだけのこと。無論、万全に効果を発揮できるとは言えないが、『叡者の額冠』を僅かでも制御できるなら安いものだ」
「……制御できる、か。どうだかな」
ふんと鼻を鳴らしたカジットの目論見通り、女はとうとう精神負荷に耐えきれず絶命した。『
「これでいい」
しかしゼロの笑みは途絶えない。
このアンデッド達は王都に死を撒くという目的の為に生み出されたわけではない。殺すべき相手を釣り、撹乱する為の手段に過ぎない。王都に大混乱を招くだけで、ゼロの狙いは達成される。むしろこれだけのアンデッドを生み出せたのは嬉しい誤算だった。ここまで心をすり減らした女をもう一人用意するというのも、精神破壊のスペシャリストでも難しいだろう。そういった意味では、あの女も十分に『叡者の額冠』の適合者だったというわけだ。
不完全な『
「さぁ行け、アンデッド共。精々この王都を恐怖のどん底に陥れて見せろッ!!」
諸手を広げ、ゼロは高らかに笑う。
その瞳には、既に自分がこの王都を手中に収める未来しか映ってはいなかった。
「よう、童て──い……」
その時、ガガーランに電流が走る。
『八本指』殲滅作戦、当日。
王城のとある一角で待機命令を出されている勇士達は、各々に戦前準備を進めていた。
そこには当然『蒼の薔薇』の姿もある。
ガゼフ率いる王国戦士団や、レエブン候が募った私兵達の姿も。
作戦の最終的な打ち合わせを終えたガガーランは『蒼の薔薇』の輪を離れ、普段気に掛けているクライムの気を揉んでやろうと彼を訪ねたところだった。
ガガーランのクライムへの愛称は『童貞』だ。
これは別に未経験の彼のことを馬鹿にしているわけではない。堅苦しい印象のクライムの気を良い意味で削ぐために、敢えてそういった砕けた呼び方をしているのだ。
一応、ガガーランが童貞を好き好んでいることも特記しておくべきか。そういったわけで今夜、クライムの背中を見かけた彼女は今日も気兼ねなく『童貞』と呼んだ。しかし……。
「ガガーラン様」
振り返るクライム。
その彼の仕草、目線、立ち姿に、ガガーランは思わず声を詰まらせ、じわりと汗腺が緩むのを自覚した。明らかな違和感が、そこにある。
──消えている。
クライムの纏っていた豊潤な童貞臭が、消えていたのだ。彼の顔は戦の前であるというのにどこか肝が据わっており、その落ち着き具合は男として何かが吹っ切れた様な……そんな頼もしさを感じさせる何かがある。
少年というよりは、青年。
男というよりは雄、と形容したほうが表現としては正しいような、今までのクライムとは一線を画した何かを醸している。
「お、おま……」
ガガーランの声が震える。
彼女は童貞とそれ以外を嗅ぎ分けられるという特殊な特技を持っており、それには並々ならない自信を有していた。だからこそ驚いているのだ。目の前のひよっこが、明らかに男として一皮剥けている現状が。
童貞臭さが消えたということは童貞を捨てたということと同義だ。それは予想だにしていなかった異常事態と言っていいだろう。
『誰と?』『いつから?』という疑問が、ガガーランの脳内に矢継ぎ早に浮かんでは消えていく。
(まさか、遂に姫さんと一線を越えやがったか……!?)
脳内に弾き出された予測は、一番有り得て、一番有り得ないものだった。
確かに、クライムとラナーが相思相愛だというのはガガーランでも簡単に見てとれる。命を落とすかもしれない戦の前に、想いを打ち明け合った男女が体を重ね合う……というのは至極当然の流れだろう。
……しかし。しかしだ。
平民上がりの一介の兵士が、一国の姫と行為に及んだというのは考えられることではない。
それに、ガガーランから見た二人は純粋無垢なお姫様と、真面目と童貞を捏ね合わせて作ったような青年だ。間違いを犯すとは、どうにも考えにくい。
(おいおい……! こりゃあ、どっちなんだ……!?)
ラナーと致したか。
別の女がいるのか。
はては誰かに唆されて娼婦でも買ったのか。
童貞センサーに自信を持つガガーランは、そもそも童貞を捨てていないという答えにはこの時辿り着けなかった。
「お前……何かちょっと雰囲気が変わったか……?」
恐る恐る遠回しに触れるガガーランに対し、クライムはきょとんとした表情をしている。
「そうでしょうか? 私は何も変わっていないと思いますが……」
「あ、ああ。肝が据わってるというか、戦士らしい顔つきになったというか……」
普段のガガーランらしくないしどろもどろな質問に、クライムは「ああ」と合点が言った様に零した。
「実は、その……先日『漆黒の美姫』……モモン様に──」
「ご報告があります!!! 王都に突如、大量のアンデッドが発生!!! 緊急事態につき、各隊はこのまま振り分けられていた区画のアンデッドの掃討にあたってください!!! これはラナー殿下のご下命です!!! 繰り返します!!! 王都に大量のアンデッドが──」
クライムの言葉の途中──転がり込むようにそこへやってきた兵士が、あらん限りの声量で火急の……それも予想だにしない報告を叫んだ。そこに集っていた兵士達は、まさかの事態にどよめいた。
「なんだって!? アンデッドの大量発生……!? クソ、こんな大事なときに……!」
忌々しく眉間に皺を寄せるクライムは舌を打ちたい気持ちに駆られたが、それをグッと堪える。確かに余りにもタイミングが悪すぎる事態ではあるが、王国に仕える兵士としては市民の安全を守ることが第一だ。たとえ今回の計画が全てご破算になったとしても、今は恨み言を言っている場合でも、苛立つ場合でもない。
クライムは今一度、ガガーランに向き直った。
「ガガーラン様、この話はまた後程! ご武運を祈ります!」
「……お、おう……! 気をつけろよ、童て……クライム!」
「はい!」
表情を引き締め、クライムは振り分けられた部隊の下へ駆けていく。その背中を見つめるガガーランの思考は、ぐちゃぐちゃと絡まって定まらないでいた。急なアンデッドの大量発生というのも勿論戸惑われるが、それよりも先程のクライムの爆弾発言が未だ飲み込めないでいる。
──実は『漆黒の美姫』のモモン様に……。
これは、余りにも衝撃的な発言だ。
(おい、おいおいおい。えれぇことになっちまったじゃねぇか……! 姫さんはこのこと知ってんのか!? 二人はいつからそういう仲に……いや、戦争に行く少年が後悔のないように下ろせるものは下ろしてやったみたいなそういう……)
考えても、思考はどこまでいっても行き止まりだ。
ガガーランはモヤモヤを御せず、叫びながら後ろ髪をガシガシと掻いた。
「ガガーラン、何をやっている。遂に野生に帰るのか? 今の報告は聞いていたんだろうな」
「……おう、ティアか。お前の相変わらずな減らず口のおかげで多少は落ち着きを取り戻せそうだ。ありがとよ」
「……何か変だぞ」
「いや、俺は大丈夫だ。取り敢えず行くぞ。モタモタしてる時間はなさそうだ」
ガガーランは頬をぴしゃりと叩いて、いつもの戦士の顔つきを取り戻した。こんなことで動揺していては、アダマンタイト級冒険者は名乗れない。
(……クソ、帰ってきたらクライムにこってり聞くとするか)
己の中のモヤモヤを振り払って、彼女は愛武器である戦槌を肩に担いだ。
──王都史上最も長く濃い夜が、始まる。