何でこんなにも、親と話が通じないんだろうか。
親が何を言っているのかわからない。何を話しているのか、まるでわからない。大人になった今も、親と話すたびに「話が通じない」という絶望を突き付けられる。親に会って話したあとは、グッタリと疲れてしまう……あなたはそんな悩みを抱えてはいないだろうか。
日常生活の中には、話の通じない人、会話の噛み合わない人というのがいる。職場の人や友人関係でも、それはそれは厄介な存在であるが、世の中には最も近しい存在である「親」と話が通じないという人がかなりの数存在していることがわかった。これを書いている筆者もまた、そのうちのひとりである。
親と話が通じず、言葉が宙を舞っているのを見ている
自分の親はなぜ、自分の言っていることや伝えたいことが理解できないのだろう。こんなに何度も説明しているのに、一向に話が進展しないのだろうか。あなたはそう思って悩んでいるのだと思う。
もう大人になって幾久しい自分が、まだ親とわかり合いたいと思っていることが情けなくもなるのだが、やっぱり割り切れない。なんとか自分の気持ちをわかってほしい。そう願って話をするのだけれど、毎回「話が通じていない」という事実を突きつけられて絶望し、新しい傷をこさえるだけなのだ。それはいったい、なぜなんだろうか。
話が通じないと思っているのは、子供だけ
親と話が通じない。なぜか会話が噛み合わない。そう思って傷ついたり、悩んだりしているのは、実は子供だけだ。親も何かしら悩みを抱えているだろうけれど「話が通じない」という解釈はしていない。
例えば……
- この子はなぜいつまでも反抗期のように親を批判するのか?
- いつまでも子供っぽく、親の意見を素直に聞けないのはなぜ?
- 自分と子供は、それなりに理解し合っている
- 子供を理解できていない自覚があるが、関係が壊れると自分が困るので通じあったふりをしている
- 自分の子が何を考えているのか、よくわからない……
親側は、おそらくこのような感情や思惑をもっているのではないだろうか。親と子それぞれのタイプや、現在の関係性によって、解釈はさまざまだろう。しかし、共通するのはそこに「心からの本音」や「本気の対話」はないということだ。
親の理解力が著しく低い
話の通じない親の多くは「理解力」が低い傾向にあると考えている。理解力がないというのは「物事の道筋を考えることや、道理に従ってものを発言したり行動したりすることができない」ということだ。
理解力の乏しい人は、この道筋や道理に沿った言動をとることができていない。だから、矛盾していたり、薄っぺらい言動が目立つ。理解力が平均的にある人にとって、このような矛盾点や、話の内容の薄さはとても目立って見えてしまう。しかし、そこを説明したところで、元々の筋道というものを知らないので、結果的にその説明すらも理解できない。話は、一生噛み合わない。
1つの言葉を、1つの意味でしか捉えられない
言葉というのは、素晴らしくも厄介なものである。「ありがとう」という言葉ひとつとっても、心からの感謝の場合もあれば「そっとしておいてほしい」「さようなら」というような、さまざまなニュアンスがある。
- いつ
- 誰が
- どんな状況で
- どんな表情で
さまざまな要素に言葉が乗るから「正しく伝わる」のである。この例はちょっと極端だけれど、言葉というのは1つの意味だけではなく、それぞれの関係性や今までにあった出来事、周辺情報などによって、違った意味合いをもつものだと思う。たった1つの言葉でも、多角的な読み解き方ができる人とは、それなりに話が建設的に進んでいくものだ。
でも、言葉の意味を1つの意味でしか捉えることができないと、奥行きがなく、本当の意味で理解することはできない。これは理解力のと乏しさも関係しているだろう。
本当は「自分」にしか興味がない
話の通じない親は、子供に対していくらでも耳障りのいい言葉を言う場合がある。あなたのためを思ってとか、本当に申し訳ないとか、理解したいと思っているとか、いろいろな言葉を使う。
それはなぜかといえば、自己愛を満たすためだ。言葉で子供への愛情や、自分の親としての立場や威厳を示して、認めさせようとしたり、許してもらおうとしたり、素敵な親子関係になろうとしたりする。それは、本当に子供のためを思っての発言でも、行動でもなんでもなく、子供に精神的に依存している証拠。寂しい自己愛を満たそうとしているのかもしれない。子供が何を求めているかなんて、心の根底ではあまり重要なことではなくて「満たされたい自分自身」にしか興味がないのだ。
「本当は子供のためを思っている、いい親なんだよ」という気持ちを簡単な言葉で伝えて、子供に見捨てないでほしいとしがみついているだけなのだ。
親と話が通じない、これからどうしたらいい?
親と話が通じないと、確かに困る。それに、純粋に悲しい。
子供は、親に無条件に愛される権利をもっている。子供である自分の方が、わがままで自己中で支離滅裂なことを言っても、それを「まぁまぁ、しょうがないわね」と言って、受け止めてもらえる権利があったはずだ。でも、私たちの親はそれができなかったし、許してくれなかった。
だから子供は、自分の頭で考え、親に愛される方法を常に検証し、実践しながら育ってきたのだと思う。
だからこそ、子供の理解力はどんどん上がり、逆にそれに甘んじてしまった親の理解力はどんどん下がってしまう。親が子に、甘えているのだ。そして、子供は大人になった今もなお、親の理解力のなさや適当さに、悩まされているのだろう。
子供の年齢が若ければ若いほど「どうしたらいいのか?」と、悩むだろうと思う。
いちどは親を見捨てていい
親があなたに指図すること、やること、全て無視していい。あなたには、その権利がある。一生縁を切って絶縁することが無理でも、いちどは親を見捨てて自由に生きてほしい。
いくら電話が鳴っても、メールやLINEが来ても無視していいしブロックしていい。ずっとじゃなくてもいいから、一度はそれをする必要がある。
もしかして、親を拒否すると親が悲しんだり、怒ったり、逆上して追いかけてきたりと面倒なことになるかもしれない。それでも、あなたは親のことを見捨てて逃げていい。
本来、親は子供に対して「私がこう言ったら、子供は悲しむかもしれないな」「私が怒鳴ったら、子供は怖がるだろうな」という風に、相手の気持ちを想像して自分の行動をコントロールするものだ。
今のあなたと親の場合「親が悲しむから、連絡しよう」「親が怒るから、指示に従おう」というのは、立場が真逆なのだ。あなたは親の親ではない。
親の面倒を見るのは、親が年老いて何もできなくなったときだけで十分だし、それをするかどうかの選択の自由も存在している。
言葉がなくても通じ合える相手をもつ
親に対していくら言葉で説明しても、理解してもらえない、話が通じないことで苦しんでいる場合、もうその役割を親に求めるのは正直無駄だと思ってもいい。
あなたより何十年も生きてきて、人生経験を積んできた人間に今理解されないのなら、一生理解してもらえないかもしれない。
それはとても無常なことだけれど、そのかわりに「言葉がなくても通じ合える人」を他の場所に見つけられるといい。
恋人でも、友人でも、結婚相手でも、ネット上の相手でもいい。1から10まで説明しなくてもわかってくれる人の存在は、とても大きい。そんな人をひとりでもいいから、見つけてほしい。
難しいかもしれないけれど、きっとどこかにいるはずだし、もしかしたらすでに思い当たる人がいるかもしれない。その人には、包み隠さず話そう。自分を満たしてくれるのは、親だとは限らないし、いつその人に出会えるかはわからないものだから。
方程式を知らない人だとあきらめる
話の通じない親と、わかり合うのをきらめることも必要だと考えている。
そんな極論をいうなと思うかもしれないが、実はとても大事なことなのだ。最初にも言ったとおり、話の通じない人は理解力が著しく低い。物事の筋道や、普通に考えればわかること、冷静になればわかることが、わからない。方程式を知らないまま、適当に答えを出しているのと同じなのだ。
「話し合いで解決させたい問題」を、分数の割り算に例えてみよう。
話の通じない人は、分数の割り算のやり方を知らない。
分数の割り算以前に、掛け算九九や、足し算引き算のやり方も知っているか怪しい感じだと思って欲しい。分数の割り算の回答を導き出すには、相手に足し算引き算、掛け算九九までさかのぼって説明してから、最終的な「分数の割り算」を解かなければならない。
あなたが今親と話し合っている、その問題だけを討論しても進展しない理由はここにある。
方程式を知らない人に、そのレベルを大きくさかのぼってまで説明して話すのは途方もなく大変な作業だ。頑張っても結局「わかってくれない」可能性の方が高いのだ。
そんなことに、あなたの大切な人生の一部を使って欲しくない。わかってくれる人は、親じゃなくてもいい。
もっともっと、世界にはたくさんの人がいるから、大切な親とわかり合うことをあきらめてもいい。とても残念だけれど。
親と話が通じない悩みを、ひとりで抱えないこと
できれば、同じ悩みを持つ人と交流する機会をもってほしい。世の中には、親とツーカーの仲だったり、困ったときは真っ先に親に相談したり、適切な助言で元気をもらっている人がいる。
そして、そういう人はそれを当たり前だと思い、言葉にしている。しかし、逆に親と話が通じず困っている人や、精神を消耗している人は、深く悩んでしまうため公に話さないことが圧倒的に多い。
だからこそ、ひとりではないということに気づいてほしい。
自分の育った家に、庭があったか、なかったか。それくらいの違いのように話せる相手がいるといい。
「わかるよ、親の話していること全然わからない」「私も親と本音でしゃべれない」そんな風に思って悩んだり、行き場のない悔しさを抱えていると、話す機会を探してみてほしい。
誰かに話すこと、悩みを打ち明けることは、とてもありきたりな行動なのだけれど、実はとても絶大なデトックス効果がある。絶対にひとりで悩まず、誰かと共有できることを願いたい。
親とは、話が通じなくてもいい関係になろう
親とは、最終的に「いろいろあったけど、わかり合うことができてよかった」というハッピーエンドを期待しないほうがいいと、私は考えている。
ヒューマンドラマや小説には、そんな親子の絆の話もあるのだろうし、もしかしたらそう思える日がくるのかもしれない。でも、今を生きている若者の現実は、正直残酷だ。
産んでもらったことは程々に感謝して、あとは上辺だけの付き合いをするのも、十分アリなのではないかと考えている。
親子とは特別なようで、そうでもない。血がつながっているのに、考えていることや話の内容が全然理解できないことがあるのだ。
血のつながりなんて、実はそこまで重要ではない。自分の人生を邪魔する言動をとってくる人や、エネルギーを奪ってくる相手は、例え親であっても遮断しなければいけないのだ。あなたが、あなただけの人生を生きるために。/Kandouya編集部
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