騙されたにも拘わらず、『勉強になりました』とのたまう御仁。

何の勉強になったのかね。

 

『二度と過ちは犯しません』

誰が何の過ちを犯したのかね?

 

皇室(6) GHQが定めた象徴天皇とは
2020-06-14 
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12604271052.html
私が独断と偏見で『親英米派昭和天皇』と申し上げているのではない。東京裁判での英国の検事の言葉である。

 

更に木戸幸一内大臣の日記によると、昭和天皇は大東亜戦争(太平洋戦争)の開戦前から、「日米は開戦し、それにソ連が参戦し、日本は負けて、米国とソ連が勝利する。日本は敗戦から10年後に復活する」 という内容のものなのだ。

つまり、木戸幸一の日記から見えることは、昭和天皇は開戦前から米国と通じ、大東亜戦争を起こし、日本を敗戦へと導いた張本人であるということだ。

皇室(7) 象徴昭和天皇の実像とは
2020-06-16
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12604704592.html
ホイットニー文書によると自らの長期存命を望むと何度も言っていた昭和天皇。

皇室(8) 機密文書:昭和天皇は自己保身
2020-06-26 
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12607022950.html
マッカーサー元帥の代理人ウィリアム・ジョセフ・シーボルドのマッカーサーへの報告書。


「昭和天皇の要望は間違いなく主に私利私欲に基づくもの」(a hope which undoubtedly is largely based upon self-interest)
米国の沖縄長期軍事占領は、天皇が自分の命と天皇の身分を米軍に守って欲しい故、マッカーサーに要望した結果である。


(前回記事)

日本危機(20) だまさせることも罪:伊丹万作
2021-04-09 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12667460634.html

(続編)
 いたいけな子供たちは何も言いはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人残らず戦争責任者に見えるに違いないのである。

 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。

 しかし、このような考え方は戦争中に騙(だま)した人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。

 ここで私はその疑いを解くかわりに、騙(だま)した人間の範囲を最少限に見積もったらどういう結果になるかを考えてみたい。


もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間が騙(だま)されていたことになる訳であるが、果たしてそれによつて騙(だま)されたものゝ責任が解消するであろうか。

 騙(だま)されたということは、不正者による被害を意味するが、然(しか)し騙(だま)されたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。

騙(だま)されたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 しかも、騙(だま)されたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私は更(さら)に進んで、「騙(だま)されるということ自体が既(すで)に一つの悪である」ことを主張したいのである。

 騙(だま)されるということは勿論(もちろん)知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。

我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持っている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想に他(ほか)ならぬ。

つまり、騙(だま)されるということもまた一つの罪であり、昔から決して威張(いば)っていいこととは、されていないのである。

 勿論(もちろん)、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪の観念の交叉する余地はないはずである。

しかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することは先ず不可能と言ってよい。

 

即ち(すなわち)知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。

 

これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得る所以(ゆえん)である。

 

 

また、もう一つ別の見方から考えると、幾(いく)ら騙(だま)すものがいても誰一人騙(だま)されるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたに違いないのである。

 つまり、騙(だま)すものだけでは戦争は起らない。

 

騙(だま)すものと騙(だま)されるものとが揃(そろ)わなければ戦争は起らないということになると、-

 

- 戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考える他(ほか)はないのである。

 そして騙(だま)されたものの罪は、ただ単に騙(だま)されたという事実そのものの中にあるのではなく、-

 

- あんなにも造作なく騙(だま)されるほど-

 

- 批判力を失い、

- 思考力を失い、

- 信念を失い、

- 家畜的な盲従に自己の一切を委(ゆだね)るようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、-

- 無自覚、

- 無反省、

- 無責任などが悪の本体なのである。

 このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかった事実、個人の基本的人権さえも自力で掴(つか)み得なかつた事実と全くその本質を等しくするものである。

 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者に赦(ゆる)した国民の奴隷根性とも密接につながるものである。

 

 それは少なくとも個人の尊厳の冒涜(ぼうとく)、即(すなわ)ち自我の放棄であり人間性への裏切りである。

また、悪を憤(いきどお)る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、即(すなわ)ち被支配階級全体に対する不忠である。

 我々は、はからずも、今、政治的には一応解放された。然し(しかし)今まで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁(ちょうりょう)を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかったならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。

「騙(だま)されていた」という一語の持つ便利な効果に溺(おぼ)れて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹(あんたん)たる不安を感ぜざるを得ない。

 

 

「騙(だま)されていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でも騙(だま)されるだろう。

 

いや、現在でもすでに別のうそによつて騙(だま)され始めているに違いないのである。

 

   ★


ウイルス(33) コロナ:世界を騙すパンデミック
2020-07-18

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12611813761.html
米国の場合、○陽性の一人が5回PCR検査をすると、陽性者5人とカウントされる。
○看護師は、未使用のテスト綿棒を検査機関に送り込み、全てが陽性判定で戻ってきている。
○モーターオイル、果物、山羊は全て陽性判定となる。

Vir(39) PCR検査:陽性陰性の判定は恣意
2021-03-01

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12659528318.html

 PCR検査で検査周波数を高くすると、陽性者数が激増し、低くすると陽性者数が激減する。つまり陽性者数を勝手に増減できる。

 毎日、洗脳テレビ・新聞などで厚労省や都道府県の発表するインチキり患者数値に一喜一憂する大衆。

 厚労省は昨年6月、全都道府県に。例えがんで死亡しても、PCRインチキ検査で陽性か擬陽性判定の場合、全て死亡原因をコロナ肺炎ウイルスと報告せよと通知。

 

   ★

 一度騙(だま)されたら、二度と騙(だま)されまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。

この意味から戦犯者の追求ということも無論重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、-

 

- まずまず国民全体が騙(だま)されたということの意味を本当に理解し、騙(だま)されるような脆弱(せいじゃく)な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。

 こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であつて、騙(だま)した側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである。

 こんなことを言えば、それは興味の問題ではないといつて叱(しか)られるかもしれない。確かにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、否応(いやおう)なしの政治問題に違いない。

しかし、それが政治問題であるということは、それ自体が既(すで)にある限界を示すことである。

 即ち(すなわち)、政治問題である限りにおいて、この戦争責任の問題も、便宜的な一定の規準を定め、その線を境として一応形式的な区別をして行くより方法があるまい。

つまり、問題の性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、予め(あらかじめ)最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。

便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位や職能によつて判断する方法である。

現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。勿論(もちろん)、その良い悪いは問題ではない。ばかりでなく、或いは(あるいは)これが唯一の実際的方法かもしれない。

 

 しかし、それなら映画の場合もこれと同様に取り扱ったらいいではないか。しかもこの場合は、いじめたものといじめられたものの区別は実にはつきりしているのである。


 言うまでもなく、いじめたものは監督官庁であり、いじめられたものは業者である。これ以上に明白なるいかなる規準も存在しないと私は考える。

 しかるに、一部の人の主張するが如く(ごとく)、業者の間からも、無理に戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、一体誰が裁くかの問題、何れ(いずれ)も到底私には分からないことばかりである。

 例えば(たとえば)、自分の場合を例にとると、私は戦争に関係のある作品を一本も書いていない。

 

けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ち続けたためではなく、偶々(たまたま)病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかったり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。

 もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義者である。然し(しかし)、そんなことがいまさら何の弁明になろう。

戦争が始まつてから後(のち)の私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。

国が敗れることは同時に自分も自分の家族も死に絶えることだと固く思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちも全て一緒に死ぬることだと信じていた。この馬鹿正直を笑う人は笑うがいい。

 このような私が、ただ偶然の成り行きから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、どうして人を裁く側にまわる権利があろう。

 では、結局、誰がこの仕事をやればいいのか。それも私には分からない。

 

ただ一つ言えることは、自分こそ、それに適当した人間だと思う人が出て行ってやるより仕方があるまいということだけである。

 では、このような考え方をしている私が、なぜ戦犯者を追放する運動に名まえを連ねているのか。

 

私はそれを説明するために、まず順序として、私と自由映画人集団との関係を明らかにする必要を感じる。

 昨年の十二月二十八日に私は一通の手紙を受け取つた。それは自由映画人集団発起人の某氏から同連盟への加盟を勧誘するため、送られたものであるが、その文面に現われた限りでは、同連盟の目的は「文化運動」という漠然たる言葉で説明されていた以外、具体的な記述はほとんど何一つなされていなかつた。

 そこで私はこれに対してほぼ次のような意味の返事を出したのである。


「現在の自分の心境としては、単なる文化運動というものには余り興味が持てない。また来信の範囲では文化運動の内容が具体的に分からないので、それが分かるまでは積極的に賛成の意を表することができない。

しかし、便宜上、小生の名まえを使うことが何かの役に立てば、それは使ってもいいが、但し(ただし)この場合は小生の参加は形式的のものにすぎない。」

 つまり、小生と集団との関係というのは、以上の手紙の、応酬にすぎないのであるが、右の文面において 一見 誰の目にも明らかなことは、小生が集団に対して、自分の名まえの使用を承認していることである。

つまり、その限りにおいては集団はいささかも間違ったことをやつていないのである。もしも、どちらかに落度があつたとすれば、それは私の方にあつたという他はあるまい。

 しからば私の方には全然言い分を申し述べる余地がないかというと、必ずしもそうとのみは言えないのである。

何故(なぜ)ならば、私が名前の使用を容認したことは、某氏の手紙の示唆(しさ)によつて集団が単なる文化事業団体にすぎないという予備知識を前提としているからである。

この団体の仕事が、現在知られているような、尖鋭(せんえい)な、政治的実際運動であることが、最初から明らかにされていたら、いくらのんきな私でも、あんなに放漫に名前の使用を許しはしなかったと思うのである。

 尚、私として今一つの不満は、このような実際運動の賛否について、事前に何らの諒解を求められなかったということである。

 然し、これも今となつては騒ぐ方が野暮(やぼ)であるかもしれない。最初のボタンをかけ違えたら最後のボタンまで狂うのはやむを得ないことだからである。

 要するに、このことは私にとつて一つの有益な教訓であつた。

 

元来私は一個の芸術家としてはいかなる団体にも所属しないことを理想としているものである。(生活を維持するための所属や、生活権擁護のための組合は別である)。

 それが自分の意志の弱さから、つい、うつかり禁制を破つては、いつも後悔する羽目に陥つている。

 

今度のこともそのくり返しの一つにすぎないわけであるが、しかし、おかげで私はこれをくり返しの最後にしたいという決意を、やっと持つことができたのである。

最近、私は次のような手紙を連盟の某氏にあてて差し出したことを付記しておく。


「前略、小生は先般自由映画人集団加入の御勧誘を受けた際、形式的には小生の名前を御利用になることを承諾いたしました。

 

しかし、それは、御勧誘の書面に自由映画人連盟の目的が単なる文化運動とのみ記(しる)されてあつたからであつて、昨今うけたまわるような尖鋭な実際運動であることが分かっていたら、また別答の仕方があつたと思います。

 ことに戦犯人の指摘、追放というような具体的な問題になりますと、例え(たとえ)団体の立場がいかにあろうとも、個人々々の思考と判断の余地は、別に認められなければなるまいと思います。

 そして小生は自分独自の心境と見解を持つものであり、他からこれをおかされることを嫌うものであります。

 

したがつて、このような問題について予め(あらかじめ)小生の意志を確かめることなく名前を御使用になつたことを大変遺憾に存ずるのであります。
 
しかし、集団の仕事がこの種のものとすれば、このような問題は今後においても続出するでありましょうし、その都度、いちいち正確に連絡をとって意志を疎通するということは到底望み得ないことが明らかですから、この際、改めて(あらためて)集団から小生の名前を除いてくださることをお願い致したいのです。

 なにぶんにも小生は、ほとんど日夜静臥(せいが)中の病人であり、第一線的な運動に名前を連ねること自体が既に滑稽(こつけい)なことなのです。また、療養の目的からも遠いことなのです。


 では、除名の件はたしかにお願い申しました。草々頓首」(四月二十八日)    おしまい

 

   ★   ★   ★

 

今のコロナバカ騒ぎは、mRNA COVIDワクチンを接種させ、世界人口を5億人まで減らすのが目的

ワンワールド(1)ジョン・レノンは殺された
2020-02-13 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12574873874.html
 

Vac(32) 幼児にワクチン接種犯罪の実態
2021-03-17 
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12662338420.html

ワクチン(29)接種後の脳卒中,体調不良の原因:血栓の形成
2021-03-07 
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12658169008.html

VAC(17):コロナワクチン接種後あなたは死ぬ:人類絶滅計画
2020-12-01
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12636281726.html

 

 

(画像)

『國士無双』(1932) The Peerless Patriot
http://youtu.be/OjjxZUUL9Dk
『無法松の一生』(1958) 予告篇 監督稲垣浩、脚色伊丹万作・稲垣浩
http://youtu.be/tAd6-pDjn6Y

青空文庫:作家別作品リスト:No.231
伊丹 万作
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person231.html