第3回のゲストは、臨済宗建長寺派「林香寺」の住職でありながら、精神科医でもある川野泰周さんです。川野さんは、著書『「あるある」で学ぶ 余裕がないときの心の整え方』(インプレス)や講演活動などで、マインドフルネスの重要性を説いています。前編では、未来のソロ社会において必要なのは、「セルフコンパッション」と「対話」というお話がなされました。引き続き、後編では、「対話」の場の重要性とともに「アイデンティティ」の話にまで触れていきます。
荒川:ソロ社会化が進行するのは避けられないと思いますが、だからこそ私は「ソロで生きる力が必要です」と本の中でも言っています。これは、何も無人島で一人で生きる力ではなく、逆説的なんですが、人とつながる力です。人とつながらないと自分自身を愛せないし、考え方も偏屈になって誰とも化学反応を起こせない。
川野:その通りですね。
荒川:例えば今日対談したことによって、川野さんと話をした「小荒川」が今ここに生まれたんですよ。川野さんに会わなかったら、この「小荒川」は生まれていなくて。人と対面して対話をすることとは、新しい小さな自分が生まれることだと思うんですね。
川野:小さな自分ですか、良いですね!
荒川:「この人が嫌い」と思うのは、その相手自身が嫌いというよりも、その人と対話をして生まれた小さな自分のことが嫌いなんじゃないか、と。でも、小さな自分が生まれるということを客観的に見られないと、「悪いのは相手だ」とすり替えてしまう。自分が嫌いとは思いたくないからですよね。でも、対峙する相手によって小さな自分が生まれたと考えれば、「ふーん。自分のチビはそう思ったんだな」と部分的なもので終われる。自分全体を嫌いになる必要はないわけで、その方がよっぽど心が楽じゃないですか。
川野:それは非常に大事なことですね。人間は、自分の嫌いな部分がさらけ出されてしまうタイプの相手がいたら、その相手が悪いと思う傾向があります。仏教的には、それは自分に全て内包されていて、相手に引き出されるものだと言われています。今対談をして生まれた“小川野”は、全部荒川さんが引き出してくれた私の一部なので、その一部も認めてあげることが大事だと。その意味でもやっぱりセルフコンパッションが重要ですよね。
荒川:そうやって引き出され、生まれてきた小さな自分はたくさんいるんです。けど、その全員を愛さなくても良いと思うんですよ。好きな自分をピックアップして、その構成比が増えれば、自分を愛せることにつながりますよね。でも、相対する相手がたった一人だけしかいなくて、その小さな自分もたった一人しか生まれてこないとなると、その唯一の一人を絶対に愛さなければいけないと考えがちです。だから苦しくなるのかなと思っていて。アイデンティティが一つしかないと考える方が窮屈じゃないですか。
川野:私は「アイデンティティは自分が作るのではない」とよく言っていますよ。人が見た自分がどういう風に見られるかによって作られる。私の場合は、マインドフルネスの先生とか禅のお坊さんとか、いろいろ言われますが、人がそう見てくれているのならそれでいいやって何とも思わないんですよね。
荒川:お医者さんとして相対した相手、お坊さんとして相対した相手に、別のアプローチもできることは素晴らしいですよね。そういうアイデンティティを一人一人が多層的に持っていると、相対する相手からいろいろな小さな自分が引き出されますよね。
川野:そうですね。精神科医として悩んだ時も禅の教えに助けられることもありますから、色々なアイデンティティを持っていることは良いと思いますね。