毎度ありがとうございます。

 

11月の貧乏生活もなんとか乗り切りまして。

12月も気を引き締めて節約につとめます。

12月のテーマは電気代節約。

したがって部屋ではかなり厚着をしています。

このご時世、忘年会などはないのですが

それでも年末ならではの出費が多いので

それに備えての節約です。

というよりも

あの初夏の悪夢をくりかえさないための

節約、といったほうが的を射ています。

「あやまちはくりかえしません」

 
さてさて。
 
司馬遼太郎先生の名作『箱根の坂』。
中巻の『太田道灌』の章の文末に
「さらに苦労人の道灌は、」
という記述があります。
 
この『箱根の坂』、20代の頃に一度読み、
40歳になるちょっと前に
この時代(室町後期)の作品を書くにあたり
参考のためにあらためて読んだのですが
この年齢になったからでしょうか?
先述の部分がどうも心に引っかかったのです。
 
「苦労人」ってなんだろう?
 
たしかに太田道灌は
家督相続前から晩年にさしかかるまで
ずっと戦場を往来し
しかもどんなに活躍しようとも
所詮は上杉家のいち家来でしかなかった。
これは相当な苦労……というか苦痛ですよね。
だって
30年近くもずっと命の危険にさらされた生活を
余儀なくされるわけですから。
その報酬で大名になれるわけでもない。
上杉家での地位が上がるわけでもない。
(というよりも家老の位置なのでこれ以上の昇進がない)
独立できない有能サラリーマンと同じでしょうか?
 
しかし
世の中が乱れた室町時代後期は
そんな人はいくらでもいたと思うのです。
 
そもそも
「苦労」なんてしない人間はいません。
貴賤老若男女問わず
それぞれにそれぞれの苦労がある。
 
にもかかわらず
なぜ司馬先生は
あえて太田道灌を指して
「苦労人」と呼んだのか?
 
折りにふれ
「なんでだろう?」と考え
それでも答えは見つからず
しばらく経過したつい最近
なんとなく答えが見つかったのです。
 
「苦労人」って
「苦労」を経験しているだけじゃダメなんですね。
「苦労」によって磨かれた人だけを指すんですね。
すなわち、「苦労」を「プラス」にできた人。
しかも
この「苦労」は「自分にとっての苦労」じゃダメで
誰が見ても「苦労してるなぁ」と思うレベルじゃなきゃダメですね。
その高いレベルの苦労を経験しながらも
その苦労に押し潰されることなく
苦労を踏み台にしてワンランク上に行くことができた人。
これを「苦労人」と呼ぶのですね。
じゃなきゃ「苦労人」は褒め言葉にならない。
 
太田道灌は30年近い戦の日々を生き抜くだけでなく
その戦いの末に名前を天下に知らしめ
主人・上杉家を凌ぐほどの声望を得た。
だからこその「苦労人」なんですね。
 
辞書をひくと
「いろいろの苦労を経験し、世間の事情に通じた人」
とあり、僕がやっとたどりついた答えを
なんとなく指し示しています。
 
でも
「苦労人」ってなんだろう?
って思った時点で辞書をひいても
その真意を掴むことはできなかったでしょう。
今この記事を書くにあたり
答え合わせのつもりで大辞林を引っ張り出してみたのですが
どうやら僕の考えは外れてはいないようでホッとしました。
 
僕は……
自分ではそんなことを思ったこともないのですが
世間様から見ると結構苦労しているらしい。
はたしてその苦労によって自分は磨かれているのでしょうか?
磨かれていてほしいなぁ。
10年後20年後
どこかで僕の噂話なんかされて
「鶴さんは苦労人だから」とか
「あの人は苦労してるから」とか言われたい。
 
鶴 祥一郎を形容するのに
「天才」や「鬼才」は似合いませんな。
そもそも「天才」でも「鬼才」でもありませんから。
ならせめて「苦労人」と呼ばれたい。
「天才」も「鬼才」もあきらめた僕に残された最後の称号「苦労人」。
せめてこれくらいは手に入れたいもの。
 
そのために
たったひとつの大切なものを守り続けて
漆黒の社会を歩いていきたいと思います。
 
なんだか……
暗い暗い決意表明でしたね。
しょうがないので
明るいブラックユーモア(?)をひとつ。
 
先日、西新宿に行った際
「あ、ブログに載せよう」
と思って撮った一枚。
 
女性はご存知ないかもしれませんが
男性なら誰しも名前くらいは知ってる
フーターズ。
こちらは西新宿の店。
ここにあるのも知ってましたし
コロナ禍閉店の先陣を切って
夏前には早々と潰れたのも知ってました。
そりゃ潰れるよね、あんな店だもん(笑)。
 
 
 

次回もよろしくお願いします。

 

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脚本家・鶴 祥一郎

電子書籍脚本工場・蜘蛛巣堂

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