シーサイド道路
asahi.com:行政に不手際も 神栖のシーサイド通行止め - マイタウン茨城
http://72.14.235.104/search?q=cache:UMs7v55m5IsJ:sf01.asahi.com/ibaraki/news.php%3Fk_id%3D08000000610190006+%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%89%E9%81%93%E8%B7%AF%E3%80%80%E7%A5%9E%E6%A0%96%E5%B8%82&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=6&lr=lang_ja
神栖市の鹿島灘沿岸を走るシーサイド道路(市道)の一部が17日夜から、突然通行止めになった。道路内の私有地を巡るトラブルで、所有者が道路脇に大きな石を並べたため、市が危険だとして迂回(う・かい)措置を取ったためだ。36年間も使われてきた道路だが、道路法で定められた道路区域の決定や供用開始の告示などがされておらず、旧波崎町の道路管理行政の不手際が指摘されている。(川島幹之)
通行止めになったのは同市波崎の豊ケ浜から押揚地区の約4キロ。実際の通行止めはこの間の500メートルだが、迂回(う・かい)道路の関係で大幅な規制となった。
トラブルの発端は、神栖市に合併される前の旧波崎町時代。道路建設は鹿島開発に合わせ69年から突貫工事で始まり、70年に完成した。94年に同町の男性(78)が押揚地区のこの土地を購入、一部が道路にかかるため、境界を巡って町側と争いになった。翌年男性が境界確定訴訟を水戸地裁麻生支部に起こし、一審は町側が勝訴した。しかし、二審の東京高裁は04年1月、男性側の主張を認め、町側が逆転敗訴。同年7月の最高裁判決で町の敗訴が確定、道路にかかる約80メートルを含め計3811平方メートルが私有地として認められた。
その後、男性が調べたところ、この道路は道路法で定められた認定告示はしたものの、地権者などの同意を得て、道路管理者が行う道路区域の決定や道路の供用開始告示の手続きをしていないことがわかった。
男性は「裁判で全財産を使い果たし、家庭も崩壊した。補償して欲しい」と訴えたが、町側は拒否。昨年8月の合併後、市側も同様の見解を示した。今年になって男性は「道路使用は認められない、閉鎖して欲しい」と市に訴え、最初は水の入ったプラスチックのタンクを並べて抗議したが、「らちがあかないので17日に(プラスチックのタンク大の)石を置いた」という。
市は鹿嶋署などに相談したが、同署は「最高裁で私有地として確定している。供用開始告示もしておらず、行政側にミスもあったようだ」として静観する構えだ。
市都市整備部では「(男性との)交渉を続けたい。当面は迂回措置で、長期的にはもっと短い回り道をつくることを検討したい」としている。
道路は観光のほか、国道124号のバイパス的に使われ、1日約5千台の通行量がある。神栖市内に通うドライバーは「迂回路は道幅が狭く危険。早く解決して欲しい」と話していた。
波崎シーサイド道路 一部区間で通行止め
http://www.tokyo-np.co.jp/00/ibg/20061020/lcl_____ibg_____000.shtml
周辺住民や海水浴客らが利用する神栖市波崎の湾岸道路(通称・シーサイド道路)の一部区間が通行止めになっていることが、十九日分かった。道路の一部が私有地だったため、土地所有者と市との間のトラブルが原因。市は道路沿いに通行止めを知らせる看板や警備員を配置するなど、対応に追われている。 (高橋知子)
通行止めとなったのは、舎利浜地区の約八十五メートル。同市都市整備部地域対策課によると、九月末ごろから、所有者らがこの区間の道路上にたるや石などを置き、通行に危険なため、十七日夕方から通行止めとし、通行止め区間の手前から迂回(うかい)路を策定した。
通行止め区間は、同市の男性(77)が所有。一九九四年にこの土地を取得した男性は、道路と所有地の境界をめぐり九六年十二月に旧波崎町を提訴。最高裁は二〇〇四年七月、道路の一部が男性の所有地と画定した。
同市によると、同年十二月から今年五月一日まで、土地使用料相当損害金二十万円を支払うことで道路用地を借り受け、男性と書類を交わした。同時に土地買収へ向けた話し合いも続けた。しかし、男性は五月以降の土地の貸借を拒否し、九月末ごろからたるや石などを置き始めたという。
男性は現在、小屋を建て道路の監視を続けている。市の対応について「市が土地を奪おうとした。本来は必要のない裁判を長い間やったことで、生活がめちゃくちゃになった」と訴えている。
道路は、数年前の交通量調査で昼間の十二時間に約五千台の通行量があった。地域の重要道路だったが、障害物の撤去は、私有地のため現状では困難。同課では「所有者と買収へ向けた話を進めたいが、どうにもならない現状に苦慮している」と話している。
エ~ッ!? 道路に私有地!?ウソとデタラメの代償!!
http://www.tbs.co.jp/uwasa/20061112/genba.html
今回の現場は茨城県神栖市(旧波崎町)にある海沿いの土地。
ここで30年以上使われてきた道路が、10月末に突然、通行止めになったという噂を聞いて北野誠が取材に向かった。鹿島灘沿いの市道「シーサイド道路」を車で進むと噂どおり通行止めになっており、警備員が「ここから先は私有地。入ると地主に怒られますよ」。
そこで、車を降りて近づくと道路脇の小屋から地主のKさんが現れ「通行止めというより、ここは道路ではないんですよ」。いったいどういうことなのか・・・。この通行止めになっている区間のうち約85メートルはKさんの私有地(約1200坪)の一部で、道路が貫通している状態だったのだ。そこで、通行止めにするよう市に要請したが、聞き入れてもらえなかったため、「私有地」であることを表記したポリタンクや石を道路脇などに置いた。これを受け市は「通行に危険が生じる可能性がある」との理由で通行止めに踏み切り、迂回路を作った。しかしこの「シーサイド道路」からしか入れない近くのキャンプ場や飲食店は客足が激減。さらに、迂回を強いられるドライバーも困っている。この私有地と道路の関係とは・・・
実は、道路が出来たのは昭和45年(1970年)だが、Kさんが土地を購入したのは平成6年(1994年)。つまりKさんが土地を買った時はすでに道路は存在していたことになる。では、なぜKさんは土地を購入したのだろうか。聞くと「当時、波崎町はここに道路があると言わなかった。公図にも書かれていなかった」という。これでは事前に状況を知ることは難しい。さらに、町はKさんに「道路はこの土地より海側の町有地を通っている」と回答したというではないか。もともと老人ホームを建てるためにこの土地を買ったKさん、夢の実現のためにも白黒ハッキリさせなくてはならなくなった。
Kさんは行政を相手に訴訟を起こし、地裁では敗れたものの、高裁、最高裁でことごとく勝訴。境界線の問題については今から2年前にKさんが勝利したのだが、この後、とんでもない事実が明らかになった。町はKさんが土地を購入する4年前に問題の土地の並びの土地を買収していた事実を記した書類が存在していたのだ。このため、Kさんは土地を購入する前に、問題の土地が道路の延長線上に引っかかっていることを町は知っていたのではないか?と思っている。しかし、町は裁判でその事実を公表せず、Kさんの主張も受け入れなかった。こうした状況からKさんは怒り心頭。「過失ならまだしも故意にやったこと。この裁判で私の私生活はボロボロになった。きちんと補償してもらいたい」。
Kさんが町との闘いに費やした長い年月。この間、営んでいた貸衣装店、釣り船屋なども廃業に追い込まれ、家も朽ち果ててしまったとKさん。夢の老人ホーム建設は頓挫してしまったが、これまでに受け取ったのは10年間の道路使用料約180万円だけ。これではとうてい納得できないKさんだが、事はすんなりとは進みそうにない。最高裁でKさんの主張が認められた翌年、波崎町と神栖町が合併。担当者なども代わってしまったうえに「(Kさんに)賠償額を提示してもらわないと交渉にならない」。対するKさんは「まずは謝罪。そして十分な補償をもらってからでないとあの土地に関する交渉には応じられない」と互いの主張は平行線。解決の糸口が見つからないまま、また1年が過ぎようとしている。
神栖市ホームページ (お知らせ>新着情報>市道(シーサイド道路)の一部通行止めのお知らせ)
http://www.city.kamisu.ibaraki.jp/01_info/_tiikitaisaku/seaside.htm
http://72.14.235.104/search?q=cache:UMs7v55m5IsJ:sf01.asahi.com/ibaraki/news.php%3Fk_id%3D08000000610190006+%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%89%E9%81%93%E8%B7%AF%E3%80%80%E7%A5%9E%E6%A0%96%E5%B8%82&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=6&lr=lang_ja
神栖市の鹿島灘沿岸を走るシーサイド道路(市道)の一部が17日夜から、突然通行止めになった。道路内の私有地を巡るトラブルで、所有者が道路脇に大きな石を並べたため、市が危険だとして迂回(う・かい)措置を取ったためだ。36年間も使われてきた道路だが、道路法で定められた道路区域の決定や供用開始の告示などがされておらず、旧波崎町の道路管理行政の不手際が指摘されている。(川島幹之)
通行止めになったのは同市波崎の豊ケ浜から押揚地区の約4キロ。実際の通行止めはこの間の500メートルだが、迂回(う・かい)道路の関係で大幅な規制となった。
トラブルの発端は、神栖市に合併される前の旧波崎町時代。道路建設は鹿島開発に合わせ69年から突貫工事で始まり、70年に完成した。94年に同町の男性(78)が押揚地区のこの土地を購入、一部が道路にかかるため、境界を巡って町側と争いになった。翌年男性が境界確定訴訟を水戸地裁麻生支部に起こし、一審は町側が勝訴した。しかし、二審の東京高裁は04年1月、男性側の主張を認め、町側が逆転敗訴。同年7月の最高裁判決で町の敗訴が確定、道路にかかる約80メートルを含め計3811平方メートルが私有地として認められた。
その後、男性が調べたところ、この道路は道路法で定められた認定告示はしたものの、地権者などの同意を得て、道路管理者が行う道路区域の決定や道路の供用開始告示の手続きをしていないことがわかった。
男性は「裁判で全財産を使い果たし、家庭も崩壊した。補償して欲しい」と訴えたが、町側は拒否。昨年8月の合併後、市側も同様の見解を示した。今年になって男性は「道路使用は認められない、閉鎖して欲しい」と市に訴え、最初は水の入ったプラスチックのタンクを並べて抗議したが、「らちがあかないので17日に(プラスチックのタンク大の)石を置いた」という。
市は鹿嶋署などに相談したが、同署は「最高裁で私有地として確定している。供用開始告示もしておらず、行政側にミスもあったようだ」として静観する構えだ。
市都市整備部では「(男性との)交渉を続けたい。当面は迂回措置で、長期的にはもっと短い回り道をつくることを検討したい」としている。
道路は観光のほか、国道124号のバイパス的に使われ、1日約5千台の通行量がある。神栖市内に通うドライバーは「迂回路は道幅が狭く危険。早く解決して欲しい」と話していた。
波崎シーサイド道路 一部区間で通行止め
http://www.tokyo-np.co.jp/00/ibg/20061020/lcl_____ibg_____000.shtml
周辺住民や海水浴客らが利用する神栖市波崎の湾岸道路(通称・シーサイド道路)の一部区間が通行止めになっていることが、十九日分かった。道路の一部が私有地だったため、土地所有者と市との間のトラブルが原因。市は道路沿いに通行止めを知らせる看板や警備員を配置するなど、対応に追われている。 (高橋知子)
通行止めとなったのは、舎利浜地区の約八十五メートル。同市都市整備部地域対策課によると、九月末ごろから、所有者らがこの区間の道路上にたるや石などを置き、通行に危険なため、十七日夕方から通行止めとし、通行止め区間の手前から迂回(うかい)路を策定した。
通行止め区間は、同市の男性(77)が所有。一九九四年にこの土地を取得した男性は、道路と所有地の境界をめぐり九六年十二月に旧波崎町を提訴。最高裁は二〇〇四年七月、道路の一部が男性の所有地と画定した。
同市によると、同年十二月から今年五月一日まで、土地使用料相当損害金二十万円を支払うことで道路用地を借り受け、男性と書類を交わした。同時に土地買収へ向けた話し合いも続けた。しかし、男性は五月以降の土地の貸借を拒否し、九月末ごろからたるや石などを置き始めたという。
男性は現在、小屋を建て道路の監視を続けている。市の対応について「市が土地を奪おうとした。本来は必要のない裁判を長い間やったことで、生活がめちゃくちゃになった」と訴えている。
道路は、数年前の交通量調査で昼間の十二時間に約五千台の通行量があった。地域の重要道路だったが、障害物の撤去は、私有地のため現状では困難。同課では「所有者と買収へ向けた話を進めたいが、どうにもならない現状に苦慮している」と話している。
エ~ッ!? 道路に私有地!?ウソとデタラメの代償!!
http://www.tbs.co.jp/uwasa/20061112/genba.html
今回の現場は茨城県神栖市(旧波崎町)にある海沿いの土地。
ここで30年以上使われてきた道路が、10月末に突然、通行止めになったという噂を聞いて北野誠が取材に向かった。鹿島灘沿いの市道「シーサイド道路」を車で進むと噂どおり通行止めになっており、警備員が「ここから先は私有地。入ると地主に怒られますよ」。
そこで、車を降りて近づくと道路脇の小屋から地主のKさんが現れ「通行止めというより、ここは道路ではないんですよ」。いったいどういうことなのか・・・。この通行止めになっている区間のうち約85メートルはKさんの私有地(約1200坪)の一部で、道路が貫通している状態だったのだ。そこで、通行止めにするよう市に要請したが、聞き入れてもらえなかったため、「私有地」であることを表記したポリタンクや石を道路脇などに置いた。これを受け市は「通行に危険が生じる可能性がある」との理由で通行止めに踏み切り、迂回路を作った。しかしこの「シーサイド道路」からしか入れない近くのキャンプ場や飲食店は客足が激減。さらに、迂回を強いられるドライバーも困っている。この私有地と道路の関係とは・・・
実は、道路が出来たのは昭和45年(1970年)だが、Kさんが土地を購入したのは平成6年(1994年)。つまりKさんが土地を買った時はすでに道路は存在していたことになる。では、なぜKさんは土地を購入したのだろうか。聞くと「当時、波崎町はここに道路があると言わなかった。公図にも書かれていなかった」という。これでは事前に状況を知ることは難しい。さらに、町はKさんに「道路はこの土地より海側の町有地を通っている」と回答したというではないか。もともと老人ホームを建てるためにこの土地を買ったKさん、夢の実現のためにも白黒ハッキリさせなくてはならなくなった。
Kさんは行政を相手に訴訟を起こし、地裁では敗れたものの、高裁、最高裁でことごとく勝訴。境界線の問題については今から2年前にKさんが勝利したのだが、この後、とんでもない事実が明らかになった。町はKさんが土地を購入する4年前に問題の土地の並びの土地を買収していた事実を記した書類が存在していたのだ。このため、Kさんは土地を購入する前に、問題の土地が道路の延長線上に引っかかっていることを町は知っていたのではないか?と思っている。しかし、町は裁判でその事実を公表せず、Kさんの主張も受け入れなかった。こうした状況からKさんは怒り心頭。「過失ならまだしも故意にやったこと。この裁判で私の私生活はボロボロになった。きちんと補償してもらいたい」。
Kさんが町との闘いに費やした長い年月。この間、営んでいた貸衣装店、釣り船屋なども廃業に追い込まれ、家も朽ち果ててしまったとKさん。夢の老人ホーム建設は頓挫してしまったが、これまでに受け取ったのは10年間の道路使用料約180万円だけ。これではとうてい納得できないKさんだが、事はすんなりとは進みそうにない。最高裁でKさんの主張が認められた翌年、波崎町と神栖町が合併。担当者なども代わってしまったうえに「(Kさんに)賠償額を提示してもらわないと交渉にならない」。対するKさんは「まずは謝罪。そして十分な補償をもらってからでないとあの土地に関する交渉には応じられない」と互いの主張は平行線。解決の糸口が見つからないまま、また1年が過ぎようとしている。
神栖市ホームページ (お知らせ>新着情報>市道(シーサイド道路)の一部通行止めのお知らせ)
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