金時娘さん、初めて秩父宮殿下の屋敷を訪問した時、町で買った手土産を持っていったら、妃殿下に気をつかわないでと言われたそうである。
私も皇族の方とはお付き合いがないから、訪問時の礼儀などは分からない。
たぶん、松戸特産の落花生などを持っていくかもしれない。
金時娘さんは、ご夫妻に気にいられて、なんども訪問するうちに、みそ一文字をすすめられたそうだ。
せっかく、天下の名峰金時山で生活しているのである。
その暮らしぶりや風景を和歌にしたら、ということだったのだろう。
それからは、金時娘の作った歌を、殿下がご夫妻で添削してくれたそうである。
金時娘の歌の師匠は、秩父宮殿下ご夫妻である。
これはすごいことである。
ある時、皇太子、今の天皇陛下が金時山に登ってきて、金時茶屋で休憩したことがあった。
もちろん、お供や警備の人、多数の新聞記者を引き連れてである。
秩父宮から金時娘のことを聞いていたのだろうか、金時娘が挨拶すると「貴方が金時娘さんですか」といわれた。二人は同じ年ぐらいである。
それを記者が記事にする。
それまでは、金時山の娘さんだったのが、それからは、のが抜けて今のように金時娘と呼ばれるようになった。
いわば、当時の皇太子殿下が名付け親みたいなものである。
これもすごいことである。
金時山は、巨人の長嶋茂雄が冬場のトレーニングをした山でもある。
毎朝、運動靴の中に100円硬貨をいれて、麓から駆けあがってくる。
頂上に着くと、靴から100円硬貨を取り出してサイダーを買っておいしそうに飲みほすと、すぐに、さっさと走り下りていく。
うーん。
長嶋さんらしいな。
日本一の喜劇王エノケンさんとも山で親しくなり、どこかの競馬場で一緒に写っている写真がある。
河野洋平さんの親父さん、河野一郎さんが刑務所に収監されていた時期(まだ進駐軍がいた時代である)、模範囚として御殿場の農場にいて、ちょくちょく金時山に登ってきていて、金時娘さんと親しくなったそうだ。
金時娘さんには、それらの人に可愛がられるような魅力があるのであろう。
今日の絵手紙。
佐渡の春。
昨日と同じような絵であるが、昨日のは緑を塗り残して、菜の花の黄色の部分を空けた。
今日のは黄色の中に緑をいれた。
変わり映えしなかった。
今日が、日光太郎山のガイド記事の締切ということを忘れていた。
仕事後は、その記事を書いていたので、今日のお絵かきはここまで。
登った山のガイドだから、時間がかからないはずなのに、手間取るときがある。
山名にルビをふる時である。
大真名子山はおおまなごさんではなく、おおまなこさんと、こが濁らないのであるし、山王峠はさんおう峠ではなく、さんのう峠であり、太郎山はたろうやまではなく、たろうさんなのである。
どちらでもいいように、私は思うのだが、力道山はりきどうざんであり、増位山はますいやまでなくてはいけない。
力道山がりきどうさんとか、りきどうやまでは、あまり強そうではない。