日々是コラムなり ~trifling beetleのブログ~

日々是コラムなり ~trifling beetleのブログ~

宅録ミュージシャン・trifling beetleの雑記帳&忘備録。
HP https://www.music-scene.jp/triflingbeetle/
歌詞サイト http://triflingbeetleblog.blog.fc2.com/

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韓国ハロウインの惨劇。

150人以上死んだって、なんなんそれ??

死に過ぎだよな、この手の事故では。

この事故現場、スペイン坂をやや平らにした場所みたい。

てことは、渋谷も危険だよな。

ハロウインの群衆。

 

 

ところで1970年、大阪万博の名物だった『動く歩道』

それに乗った500人もの乗客が将棋倒しになってしまい80人を超える人が重軽傷を負ってしまう事故が起きたという

この事故の原因は、初めて『動く歩道』にのったおばあちゃんが『動く歩道』の終点近くで降りる際に戸惑ってうまく降りられず、係員が非常停止ボタンを押したために、動く歩道突然ストップ

乗客が次々とバランスを崩し将棋倒しに倒れてしまい怪我人が続出したということだったそうだ。

 

将棋倒しは、恐ろしい。

 

 

 

ボタンウキクサ 時代のあだ花

 

一時ホームセンターで普通に売られていた。

日当たりと高い水温があればとんでもないスピードで増殖。

ホテイアオイをはるかにしのぐスピードだという。

確かに自分もベランダでビオトープを作っていた時にこの水草を購入したが、あれよあれよという間に増殖、水面を覆いつくしてしまった。

結果。水中のメダカやエビが酸欠で星になった。

ウォーターレタスというシャレオツな流通名についつい騙されて、取り返しのつかない事態を招いた過去があるのだ。

 

これは冬に枯れて、越冬しないことが多いらしいが、九州では楽勝で越冬するらしい。

で、越冬できる地方が、温暖化とともに増えてきており、越冬可能ラインが徐々に北上しているともいわれている。

法令で販売禁止となり、現在流通はないようであるが、野生化したものが存在しているそうだ。

 

 

1980年・点景

ナイルパーチの群れた

 

学校が新築移転し、心機一転新しい校舎に足を踏み入れて、希望に胸膨らませて、意気揚々と、なれる...

わけがなかった。

 

学校が変わり、モデル校に指定されたそうで、今までとレベルの違う締め付け、管理教育を推し進めていた。

堅苦しすぎて、自由な風は全く吹いていない。

校長も、今井教頭も鼻息荒く、痛いほどハッスルしているのが手に取るように見て取れた。

かっこ悪い!!ダサすぎ。

今までと手のひらをくるりと裏返してきたのだ。

クラスに目を向けると二年の時の連れは一人もいない。

全く散々である。

二年の時の自分のグループは、問題ありと目をつけられていたのだろう、全員を8クラスに振り分けられていたのだ。

問題ありといっても明確な非行グループじゃない分、扱いにくいし、扱いやすい。

そういう「扱い」、だったと思う。

大体どこのクラスにも似たようなグループがあったと思うが、それらのグループも分断振り分け対応されていた。

生徒たちの人間関係なんて二の次。

授業をしやすいように、管理しやすさを何より優先。

本来クラス分けって、そういうものなんだろうか??

今だったら、大問題になるかもしれない、こういうやり方は。

逆に管理を難しくさせるとか。

そして恐ろしいことに、自分のクラスにはすごく獰猛で狡猾な女子が集まっていたのだ。男子に気を配りすぎたのか。

目立って悪くはないけど、なんか汚い、ずるい連中が、群れてやりたい放題だった。普通の女子生徒は大変だったのだろうなと思う。

明らかにダウン症の子とか、おとなしい子とかはここぞとばかり残酷な仕打ちを受けていた。ビクトリア湖の在来種シクリッドを食い殺し、ほぼ全滅させたナイルパーチのようである。

 

その後の一年は、まったく窮屈極まりなかった。

見事に管理、され切っていたからだ。

ナイルパーチズの牙に怯えることもあったし。

やな中学最後の一年だったこと、この上ない。

 

1980年・点景

野間養鯉池 襲撃

 

担任の定塚は数学担当。

塾講師まんまである。いけ好かない以前に生理的に受け付けない。

3年になってから、とんでもなく数学が嫌いになってしまった。

そんな梅雨のさなか、そこらじゅうの色々な池や沼を、手あたり次第訪問し、ルアーを使い、「何か」を釣りに行くという行為に、まんまとはまってしまったのだ。

ボウズばかりで何かが釣れたためしはない。

行為自体に意味があったと思う。

日曜になると合羽を着て、自転車に乗り、醍醐、山科、宇治、どこでも行った。

そんなある日、山科の名神脇にある野間養鯉場所有の大きな池で釣りをしてやろうと、有刺鉄線をくぐり越えた。

越えた瞬間を軽トラで走っている所有者のドラ息子・野間にまんまと見つかってしまったのだ。

野間は自分の先輩でかなりなやんちゃくれである。

横浜銀蝿みたいな恰好で学校を徘徊していたし、卒業後も何かと学校に来ては在校生をビビらせて帰っていたチンケナ野郎である。

高校にも行っていなくて、家の手伝いをしていたんだろうな。

高校行っていないのに学ランかよ。

心の中でさげすんでいたことも事実だ。

最近池の錦鯉が釣り針を加えて泳ぎ回っているのを見つけて不審に思い、軽トラで池を見回りに来ていたらしい。

野間は何も言わず、いきなり襟首をつかみ、どつきまわしてきた。

さらに「おい、仲間の名前みんな言えや!」脅かしてきた。

 

誰もいませんと答えると回し蹴りをくらわしてきた。

 

事実、鯉が針を咥えていたとしても、それは自分ではない。

仲間なんていない。自分ひとりでやっていることだ。

なのに複数で結託してやっているんだと、勝手に思い込んでいるような野間は、執拗に暴力を振るってきた。

刑事ドラマの取り調べかよ。

自分ひとりだと正直に言うと、隠している、かばっている、芋づる式に上げたいから言えとさらに逆上して平手打ちを食らわせてくる。

どうせーちゅーねんっ!!

未成年に対しても暴行障害は重罪やで。

確かその時点でお前20超えていたよな?

そういいたかってけど、ぐっとこらえてされるがままにしていた。

 

さすがにやりすぎたことに気が付いたのか連絡先をメモった後、「後日学校行くからな」「どつかれたこととか誰にも言うなよ。言うたら殺すぞ」と言い残し帰って行った。

顔面は少し腫れていたと思う。

家に帰り母親に一部始終を話した。

すごく悲しそうな顔をしていたと思う。

 

次の日、野間は本当に職員室に来て昨日ことを話したようだ。職員室の椅子にふんぞり返って座り、偉そうぶっていた。

ヤンキー時代の連れみたいなんを一人同伴して来ており、ひとりでは、これないんだなと、ふと思ってしまった。

殴ったこととかはもちろん話してないのだろう。

聞かれもしなかったので、こちらも何も言わなかった。

 

野間が帰った後、ホームルームで定塚がそのことをみんなに報告。

こういうことをしていると内申点が下がるというダシにされた。

本当に嫌いである、定塚。

 

後日、おやじと一緒に特級酒持参で、野間の家に謝罪に行った。

 

 

1980年・点景

夜の散歩をしないかね

 

当時飼っていたコロという犬を散歩させるのが日課だった。

日中ではなく夜に、だ。

みんなが家で穏やかに過ごしているころ、コロの散歩に繰り出す。

夜だったのは、知り合いに会いたくないという心理がどこかにあったんだろうか。

それは、本当にほっとする時間。

すごく貴重で、かけがえないものだったと思う。

実をいうと、コロの散歩という大義名分で、自分を自由に散歩させ、解放していたというほうが、的を得ているのかもしれない。

それだけ窮屈な日常を、学校でも家でも過ごしていたことに他ならないからである。

 

 

 

 

 

ええ年こいて、アイドルのケツばっか追いかけてたり、なんしかエロが頭から抜けないジジイは、ろくな目に逢わないんだよ(笑)。

思い知れ。

身を清めよ。

 

 

 

柳城公園 うなぎ供養

 

柳川と言えば鰻や川下り等観光名所。

年間観光客約120万人が訪れると言われ柳川ではおよそ年間120万匹のうなぎが食べられているとの事

 

 

膨大な数のうなぎを食べていることになる。

福岡県柳川市坂本町日吉神社隣接、柳城児童公園内の水辺の散歩道沿いに建てられた劉寒吉うなぎ供養碑がある。

供養碑には、「一に白秋、二にうなぎ、三に…」といわれる名物のうなぎの霊を弔い供養するため、作家劉寒吉の「筑後路の旅を思へば水の里や、柳川うなぎのことに恋しき」の自筆の短歌が刻まれています。
毎年7月中旬には、うなぎ供養祭も行われ多くの観光客が立ち寄る穴場スポット。

 

料理店の組合が建てたものだが、漁協なども協力している。

 

筑後路の旅を思へば水の里や、柳川うなぎのことに恋しき
劉寒吉

 

 

 

アオコ

 

アオコはつまりは「ラン藻」である。

光合成を行大気中に酸素を供給し現在の地球環境を作り上げた重要な生物なのである。

しかし、最近、このアオコの危険性が、殊に指摘されるようになってきた。

アオコには、有毒化学物質を生産する種が、存在するのである。

 

アオコの毒性が引き起こした有名な事件としては、最初の報告は1878年まで遡り、オーストラリアのアレキサンドリア湖に発生した有毒ラン藻による家畜の死亡である。

 

 

その後1930年代から1940年代にかけて、カナダ、アメリカ、オーストラリア、南アフリカを中心に牛、馬、羊等の家畜や、アヒル、ガチョウ等の水鳥、キジ、野うさぎ等の野生動物の被害が数多く報告された。

 

 

日本における有毒ラン藻に関する最初の報告は1980年

 

1979年には、オーストラリア パーム島ソロモンダムにて、アオコが大量に発生し、その水を飲んだ150に重篤な肝障害が発生。

 

また1990年、オーストラリアニューサウスウェールズのダーリング河で1200㌔に渡りアオコが発生し、その水を飲んだ家畜数百頭が死亡、野生動物などにも多大な影響が出た。

この時の毒性アオコは「シリンドロスペルマムラシボルスキー」と命名。

 

その一方で、食用にされているものもある。

ひとつはスピルリナ。これは中米メキシコ、アフリカチャド、エチオピアなどが有名。

二つ目は、日本・肥後珍味として有名なスイゼンジノリ。

 

一方、有害化学物質を生成するものとしては、関東以西では主にミクロキスチス、北海道・東北では主にアナベナ、アファニゾメノン、その他ノデュラリアがある。

主として神経毒を生産するもの、肝臓毒を生産するものに二分されている。

 

アオコの毒性分の研究のパイオニアはカナダのゴーラム博士である。

 

 

 

 

1979年~80年点景

秘密!?

 

小雨の日に用事で学校に行った。

春休み中だったか。その直前だったか、ちょっと定かでない。

 

行くと、そしたら職員室の横の廊下に、1学期に美術教職の実習に来ていたクロダさんがいてた。

少し身を潜めるように,でも完全ではない感じで立っていた。

女性である。かわいい感じ、竹田かほりによく似ていた気がする。

 

その時点で女子大生だった彼女が、今、なぜ、なんでこんなところにいるのかよくわからなかったが、向こうがあいさつするのでこちらもぺこりと頭を下げておいた。

用事が終わって帰ろうと駐輪場に行くと、英語のイノセンとクロダさんが腕を組んで帰る姿を目撃してしまった。

堂々としたものである。

イノセンこと井上先生は自他ともに認める、ジュリーこと沢田研二に激似な男前美男子教師だ。

独身で、生徒の人気は抜群だったと思う。

 

一方のクロダさんはというと、実習中、人目もはばからずイノセンに抱きついたり、もうアプローチがすごいことは耳にしていたけど、ナ。

一応クロダさんは美術科の実習であり、かつウチの2-6ホームルームの実習であり、英語科イノセンのクラスとは関わりはほぼなかったはずなのに。

男前でかっこいいから、童心に帰り、行っちゃったんだろうな。

まあ、うちの担任、つまり美術実習クロダさんの担当が、美術科・雑賀ってことやもんね。

あれじゃな。そら、がっかりするわな。

 

うちのクラスの誰かに「雑賀先生はどう思いますか?彼氏には無理ですか?」と質問された時には、マジな表情、やや嫌悪感あらわに「私にも選ぶ権利があります」と答えていたクロダさん。

その実習生とイノセンとが、仲睦まじく手を組んで、ラブラブで帰ってゆく。

もちろん方向はイノセンの下宿アパートのある小山方面だ。

いや、その方面の途中、つまり自分の家の近所にホテル街もあるので、案外そっちだったかも(笑)。

まあ、よーわからんが、そういうところを、いけない秘密を垣間見たようで、なんかむずがゆかった。

別のおかしいことでもないし、付き合ってたんだったら全然OKだと思うし。

イノセンは兄貴みたく頼りにしていたしね。

真相は藪中。

 

イノセンはその後教え子と結婚。

モテモテやったからなぁ。

その後イノセンどうしているのかな?

 

 

浸水した駅での災難を楽しむスウェーデン人。

ええ感じや!!

ピンチはチャンスやで、楽しめ。

 

 

 

 

取り寄せ缶詰

 

以前本やネットで見て、興味をそそられ、頼んだ取り寄せ品の中に「地方の缶詰」がある。

 

「マタギ汁」「ほてい焼き鳥柚子胡椒味」「味付け巻き湯葉」「ハッシュドビーフ缶」これがベスト4.

特にハッシュドビーフのうまさは特筆に値した。

製造元は神戸のMCC食品。

いや、また取り寄せてみたいな。

MCC食品の製品で、レトルトはたまに売っているのを見かける。

「100時間かけて煮込んだシリーズ」っていうのかな?

あれをよく見かけるのお。

とりあえず今頼んでいるのはメゾンカイザーの「リンゴのシュトーレン」。

シュトーレンとは、ドイツで誕生したクリスマス時期の伝統的な焼き菓子。

洋酒漬けのドライフルーツを生地に練り込み、粉砂糖で表面をコーティングしたタイプが定番。

なお、本場ドイツでは、「アドベント期間」と呼ばれるクリスマス前の4週間で、毎日少しずつスライスして食べ進める習慣があり時間がたつにつれて、熟成しておいしくなっていくを楽しめるという

 

 

 

 

1979年~80年点景

さよなら雑賀せんせい

 

三年になる前の終業式で、担任雑賀せんせいが音中を去ることが発表され、壇上であいさつされていた。

加藤先生も去られる。

つまりは、自分基準だが、1、2年の担任がそろって移動ということに。

変な感じである。

 

とにかくこれでほっとした。

3年の担任は、雑賀は少なくとも、ない。

ただ、これが地獄の始まりだったのかもしれない。

 

 

 

 

1979年~80年・点景

不運・園川

 

2回戦で激突した広陵と九州学院は、5回裏にツーアウト2塁からショートゴロの悪投で1点を拾った広陵が渡辺の好投により1-0で勝つ

高校時代の園川は本当についていなかった。

1年秋の九州大会初戦でも好投しながら0-1で柳川に敗れ、子の好投が決め手で選抜されはしたが、本チャンは前出の如く0-1での敗戦。

続く夏の熊本予選も0-1で敗退

選抜を目指した2年秋の県大会も0-1で敗れる

3年の夏の予選は、なんとチームが出場停止を食らい、マウンドに上ることすらできなかった。

ちなみに、94年のシーズン、イチローに史上初の200本目の安打を打たれたのがこの園川。

 

 

 

 

最近はドヤら「バター」が来ているようだ。

こぞって、バター系スィーツを新発売しているイメージ。

中でも発酵バター。

これ、多いなぁ。

ファミマのパンも発酵バター系が続々出ていたりする。

 

バターサンドとか、バタークリーム系とか、大好きなんだけどね。

マルセイではなく、PRESS 。

 

 

ケーキのクリームといえば、やはりバタークリームなのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プーチンは、スターリンの帝国主義を21世紀によみがえらせようとしているのではという意見を読んだ。

プーチンは、筋金入りの帝国主義者なのかもしれない。

軍事力で他国を侵略するのが、好きそうやしね。

それにしても、ロシアはソビエト時代から「小さく信用させて、大きく騙くらかす」のが得意ですな。

 

 

 

ブレイデイみかこ氏がこういうエピソードを話されていた。

 

台東区のホームレス避難所受け入れ拒否問題

 

2019年10月、台風19号が接近、上陸各地で河川の氾濫をはじめ、甚大な被害をもたらした

 

12日午前9時ごろ、台東区は自主避難所区立忍岡小学校にやってきた男性2人に名前や住所の記入を求め、男性に「住所がない」と言われたので「ホームレスの人は受け入れられない、ということを台東区として決定している」「区民対象ですので入れません」と断った。

 

一方、『北海道に住所がある』台東区内に住所がない)と答えたホームレスに対しては「避難所は区民が対象」として受け入れを拒否したという。
 

男性は施設の入口付近で風をしのいでいたところ、そこからも強制的に排除、別の建物の軒下でビニール傘を広げて一晩を過ごしたといい、「風が強く雨も降っていて受け入れてもらいたかった」と取材に答えた。

 

台東区では外国人旅行者や帰宅困難者のために一時滞在施設が用意されていたが、そちらへの誘導もなかったと報じられている。
 台風19号はすさまじい雨と風をもたらし、屋外にとどまることは生命の危機につながる可能性が高かった。

 

テレビでは散々、不要不急の外出を控えるよう呼びかけ、自宅で不安な時を過ごした人が大半だったろう。

しかしホームレスは締め出され、避難場所への適切な案内を受けることもできなかった。

 

生存権や基本的な人権意識に関する考えが欠落した対応となったことに、多くの批判が集まった。

 

15日になって台東区はようやく謝罪のコメントを出し、検討組織の立ち上げを明言したが、遅きに失した感は否めない。

 

こうした行政による「命の選別」は、海外で驚きをもって報じられた。

なんか釈然としないというか、不寛容で、冷たい国だな。

 

自分、日本人、税金滞納したこともありますけどね(笑)。

 

 

 

アマモ

 

最も長い和名を持つ植物は「リュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ」=竜宮の乙姫の元結いの切り外し」。

すなわち、「アマモ」である。

 

 

アマモは水中媒種、つまり水中で受粉する種子植物。

発芽条件として、一定期間淡水にさらされる必要があるとのこと。

なので河口の遠浅の砂泥などに群生する。

 

英名 eel grassは「ウナギ草」

 

すごく貴重な生物であり、産卵場所、隠れ場所、水質浄化など、餌、生物界に多大なる貢献を果たす植物だ。

ジュゴン、白鳥の主食でもある。

 

 

アマモは1940年代まで、東京湾にも存在していたがその後消滅。

DASH!!海岸企画なんかでその復活プロジェクトを実施しているが、

事実少しずつ復活しているそうだ。

 

 

なお、海産藻類を海藻と言うのと区別するために、アマモなど草本性かつ沈水性の海産種子植物を海草と呼ぶことがある。

 

 

 

 

1979年~80年・点景

ドアーズと邂逅

 

この頃は連れらと新京極や四条に、何かと出かけることが多かった。

映画を見に行ったり。

「地獄の黙示録」を連れ5人で見に行ったりした。

劇中で使われていたDOORSの音楽を初めて知ったのだ。

しばらく、耳から離れなかった、{ジ・エンド」。

「ワルキューレの騎行」もしかり。あのナパームでジャングルを焼き尽くすシーンとともにワグナーの傑作であるこの曲も、しかと心に刻まれている。

 

その帰りだったか別の日だったか、安東が三条十字屋でエレキの試し引きをして見せてくれた。

衝撃だった。

アンプに直結して、ブース内で。

あれが自分の音楽人生の、実質的な始まりの瞬間だった。

 

「お互いミュージシャンになろうな。」

 

安東と自分が交わした、ささやかで無謀なあの日の約束である。

 

 

 

 

何十年前か。ちょうどこの頃、ソフトボールの交流会があり、彦根の金亀公園野球場というところまで行った。

日帰りの小旅行という感じだった。

近江高校の横を通ったっけ。

 

豊郷町のチーム、長浜市のチームとの総当たり。

1勝1敗だったか。

1番セカンドみたいな。

イメージは1983年夏・PLの池部(笑)。

 

 

球場の向こうに彦根城が見えており、紅葉がすごくきれいだったことをよく覚えている。

 

 

帰りには赤いこんにゃくを売っているお寺に観光に行った。

あれはどかだったかな?

永源寺か。

紅葉がめちゃくちゃ綺麗だった。

石段がやけに湿っていて、吉岡さっちゃんが飛んで階段を降りようとして派手にずっこけてけがをしていた(笑)。

 

 

 

好きな番組はと聞かれて「徹子の部屋」と答えた爺さんを見てキリン生茶を派手に吹いてしまった(笑)。

徹子さん、すみません。くっきーのダブル徹子を思い出してしまったのです。

 

 

 

 

害草

 

 

 

世界の十大害草を検索したが、「青い悪魔」ことホテイアオイ以外はほとんどわからない。

何とか次の4つを特定したが。

あと6種が不明である。

 

ホテイアオイ

ワカメ

イワヅタ

イネ科カゼグサの一種

 

この4つは全生物対象ワースト100に入っている

オオカナダモとコカナダモは琵琶湖で大繁殖して悪さをすることは、子どもの頃から聞かされてきたが、あまりにも繁殖しすぎて水面が20センチ近く盛り上がったとか。

 

 

オオカナダモ、コカナダモ、ホテイアオイは特定外来生物ではないが、要注意外来生物である。

 

 

 

1979年~80年・点景

超大型・柳川

 

1980年センバツの柳川は、5年前のチームを思い起こさせる大型チーム。

エース4番中島は、日本代表後、ソウルで銀。

そしてプロへ。

 

 

中島以外にも、180センチ超えの打者がずらりとそろっていたが、中でも1番の石原は大柄で長打力のあるスラッガーだった。

5年前の、「2年生の時は4番を打っていた立花の1番に」通ずるものがある。  

大型1番というと1983年のPLの池部を、どうしても思い起こす。

清原入学のあおりを受け、4番から1番に「降格」したというオチだが、加藤や鈴木というスラッガーもいたし、1番でも全然OKだったと思うのだが。

まあなんにしても、いきなり180センチ超えの選手がボックスに入る迫力は何とも言えない。

 

しかしこの優勝候補の大型チームは、実はもろくて、尼崎北のアンダースロー田中に翻弄され、二回戦敗退。

 

 

 

 

 

 

 

 

上北沢のとあるコンビニのレジ横、酢昆布とブラックサンダーの隣で、なぜかごっついマツタケが売られている(笑)。

秋が、来たんだね(笑)。

 

 

光の魔術師

もう何というか、柔らかい感じがとっても素敵。

音楽でも絵でも写真でも、こういう感じが大好きなのです。

 

https://www.instagram.com/doi_natsumi_/

 

 

 

 

 

 

 

実はアイスには賞味期限はないという。

それは、冷凍庫で保存するアイスは、 -18℃以下という温度管理をきちんと行えば菌の繁殖が抑えられ、しっかり冷凍保存されたアイスは品質の劣化低く、よって長期間保存が可能だからである。

そのため、賞味期限を表示しなくてもよいとされている。

 

シャトレーゼは一応表示しているが、二年後とかになっているからくりは、実はここにあったのだ。

 

極端なことを言えば、温度管理を適切に行って保存したアイスは、10年前のアイスも食べられるという。

長く保存することで風味は落ちが、基本的には長く保存したアイスを食べても健康上に問題はないという。

 

 

 

 

1979年~80年・点景

学校が変わる

元々プールだったところが新校舎

 

元々プールだったところが新校舎になると聞いたが実感皆無。

プール「パークヤマシナ」がつぶれて打ちっぱなしになって、そこに新校舎。

そうなん。って感じ。

自分的にはあの古くて汚くてぼろい校舎がよかった。

ちょっと高い欅とか、胃腸とか、もみの木もあったっけ。

グランド横の水飲み場とか。

建て替え時のプレハブ仮教室とか。講堂裏とか、プルーとか。

講堂の屋根の上。

職員室。理科実験室。

1年からずっとあそこでいろんなことを学び、傷つき、痛めつけられ、裏切られ、誇りを持ち、淡い感情を持て余し、立ち上がり、悪魔に魂を売り、正義感に目覚め、部活に絶望し、ストレスを発散し、イライラしてものを蹴り上げ、連れを殴りつけ、殴りつけられて、悔し涙に暮れ、自由の意味を知り、ちょっとだけ自由を楽しんでみた。

今でも登下校していた道を覚えている。

 

今は小学校として利用されている旧校舎の近辺を、何年か前に通ってみたことがあって、ほとんど当時とそのまんまだったことに、なんか複雑な感情を抱いた。

山科区の音羽、あのあたりは、歴史に置き去りにされているみたいだ。

大塚や小山は様変わりしたけれど。

 

 

1979年~80年・点景

メガネ捕手・堀川

古田以前に、高知商業のセンバツ優勝メンバーに眼鏡捕手がいた。

中西とバッテリーを組み、決勝では優勝を決めるホームイン。

メガネを着けたまんまくちゃくちゃに嬉し泣きしている姿が印象的。

 

いや、堀川以前に、いたわ。

『週刊少年ジャンプ』連載の「侍ジャイアンツ」で、番場蛮とバッテリーを組んだ八幡太郎平(笑)。

奇しくも同じ高知県。

この八幡、背番号100.普通なら壁といわれるブルペン捕手の番号だった。

アニメ版は、1973年10月7日から1974年9月29日まで、毎週日曜日19:30 - 20:00によみうりテレビの制作により日本テレビ系列で放映されており、なんか熱中した。

巨人のV9と同時進行的で、それ故に熱中した。

王も長嶋も、川上ももちろん出てくるし、田淵、星野、江夏、ノムさんも出ていた。

アニメ最後の今までの魔球をすべてミックスしたものもすごかったが、コミック最後の悲惨なラストも衝撃。

まさか分身魔球の投げ過ぎで、マウンド上で心臓まひで死ぬとは。

 

 

 

おいおい堀本!!(笑)。

おまえなぁ~~~~!!!!

 

気持ちはわかるけど(笑)。

 

 

 

 

 

アマゾンフロッグピット

 

PSB、アナカリス、マツモ水質浄化の主力だったが、アマゾンフロッグピットと交換してみた

秋になり屋外が厳しいというのもあるが、この浮草、すごく成長スピードが速い。

ランナーを出して簡単に、勝手に増殖。

 

 

さらに根を容赦なく降ろしてくる。

あっという間に底床到達。

生命力が強いので、根を切ってもすぐにまた根を伸ばし、ランナーを伸ばし、再増殖。

養分吸収力はホテイアオイ、アナカリス、マツモ級、いや、それ以上かも。

アマゾンフロッグピットの増え方で水中養分量が分かるから便利ですな

こけ対策としてもかなり有効。

コスパ最強だね。

 

 

 

日本には約230種類の水草があり、2007年レッドリストによると約90種が絶滅危惧種、および準絶滅危惧種に当たるという。

これは全体の約40%に当たる。

 

 

 

1979年~80年・点景

高知商業・中西  

尼崎北・田中ー安永

 

 

優勝候補ナンバーワンの高知商業の強さは群を抜いていた。

1回戦9-1で新宮を、2回戦7-0で富士宮北を、あっさりと一蹴。

2番上田卓が152センチだったと思う。でも腕っぷしが相当強く、「農業の手伝いで鍛えた」と解説者が話していた(笑)が、あれは本当のことなんだろうか?

4番中西はこれが3度目の甲子園でさすがにマウンド慣れしていた。

前年センバツには右翼手として出ている。

打線の核でもあるのだ。

ただこう見ると中西のワンマンチームに見えるが、そういうことでもない。

 

 

水島新司の漫画、「球道くん」での青田高校・中西球道のモデルであることも、話題を呼び、人気に輪をかけていた。もう優勝は間違いないでしょ。

たまたま高知を訪れていた水島新司が宿毛中学時代の中西を見て、衝撃を受け「球道くん」の主人公を中西球道と命名したことは有名なエピソードだ。

「球道くん」でも、なんと秋の千葉県予選前から「選抜絶対優勝間違いなし」という評判が定着し、チームがストレスに苛まれるというエピソードが描かれていたが、この時の高知商業は、かなりその状況に酷似していたのではなかろうかと推測する。よって、それに伴い起こるストレスや葛藤もしかり。ただこの時、高知県2はとんでもないライバルがいた。創部間もなかった明徳がそれである。

 

 

さて甲子園で圧倒的な強さを見せ、難なくベスト8に入ったのだが、準々決勝の相手は前年ベスト8の尼崎北が相手だ。

田中ー安永のバッテリーは経験値が相当高く、他の選手も曲者ぞろい。

前年のセンバツ本番ではリベンジ大敗したが、そのさらに前年の秋の近畿大会では、夏優勝のPLに新チームで唯一の黒星をつけていたりする。

潜在能力は相当高いとみることが自然だ。

その尼崎北に高知商業は苦戦、初めて追う立場に立たされる。

中西が不調13安打を浴びて、3点を失う。

7回まで中西自らのホームランと8番宮本のタイムリーで2点を返すのがやっとだった

全員が右打者の高知商は、尼崎北のエース田中のような下手投げは不得手だったのである。

 

 

しかしさすがというか、投手中西の不調を4番中西が見事にカバーする活躍で見事な逆転勝ち。

8回裏、ツーアウト1、2塁、4番中西この日三本目の安打が逆転二塁打に。

2-2からのシンカー見事にレフトフェンス直撃させる。

三塁打がればサイクルだったわけだが、それよりもあと少しでこの日2本目のホームラン。

決勝の帝京戦、スコアこそ延長10回、1-0のさよならだったけど、力の差はそれ以上あったと、自分は思う。

優勝は当然だったな、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

生駒ちゃんじゃないよ、伊藤かりんである。

いや、かわゆくなったのお。

あごの整形をしたということも報告されていたが、いやいや、びっくりだ。

 

今でも将棋、指してる?

 

 

 

 

1979年~80年・点景

ダウンタウンブルース

 

 

 

1980年4月1日放送だったと思う。

母の郷里に里帰りしており、そこで見た。

叔父が酔っ払って、こんなもんを見るな!といちゃもんをつけてきたが無視して観ていた。

叔父は、いつもこうやって空気を読まずに水を差す、いけ好かない人間なのだ。

長らく反面教師にしてきたし、今もそうである。

何年か前に胃がんでくたばったけど、最後の最後まで金に執着するという醜い姿を見せていたという。

もう、地獄に落ちろや。

くたばった当時、こころからそう言いたかった。

 

さて、52回選抜高等学校野球大会はこの日は雨で中止。

前々日、新幹線の中、ラジオで帝京ー北陽を聞いていた。

優勝候補北陽がスクイズ失敗で敗退という波乱。

その試合のさなか、新幹線が北陽の校舎横を通っていたことも覚えている。

そう、「北陽のケンカ鷹」こと、前田日明の母校だ。

第3試合は鳴門と滝川。

最高の渦潮打線がいつ大爆発するのか、それが楽しみだったが、滝川の石本にあっけなく完封されてしまう。

秦も島田も雑賀も栗橋も凡打をただ重ねるだけ。

優勝候補の重圧に押しつぶされたのだろうか。

逆に滝川・石本には失くすものは何もない強みがあったとは、思う。

それが試合の重要な分岐に深く影響したのだ。

この時点での石本は滝川投手陣の中のワンオブゼムに過ぎなかった。

その後、報徳二年の金村、東洋大姫路の島沢を破り、夏にも連続出場し、広陵渡辺と投げ合い、評価を高めプロ入りし、近鉄屈指のクローザーとして化けてゆくわけだが。

 

閑話休題。

探偵物語の最終回は、なんとも言えない終わり方で、本当にもやもやした気がする。

その何年後かに、工藤ちゃんが傘をさして歩いていた表参道を歩くことになるとは、公園通りのパルコ横壁画の前に立つとは、この時は全く思っていなかった。

 

 

 

 

中国産シャインマスカットのまずいこと、まずいこと。

よー食わんわ、あんなん。

吐いたっちゅーねん。

農薬もてんこ盛りかもしれんしさ。

油断でけんな。

 

苗木だけ盗んで栽培しても、あのうまさは再現できないということだ。

栽培のための技術とかとセットでないと、あの味は再現できないとか。

愛情たっぷりかけておられるしね、日本の農家は。

いや、浅はかな行いだ(笑)。

パクったなら、なんか一つでも工夫してみな?

無理か...。

 

 

 

 

コロナの緊急事態宣言下での光景。

CAがボランティアで防護服づくりをしたという。

不謹慎だと思うが率直に感想を漏らすと、

もはや、戦時中の「千人針」だよな(笑)。

すんません。

 

 

 

 

 

 

隣の建物の屋上でタバコを吸う輩が多くてなんか嫌だ。

特に煙が吹き込んでくるわけでもなく、そこはいいのだが、うちのベランダとその屋上との位置関係が微妙なのだ。

屋上が2メートルぐらい上にある。

なのでこちらがベランダに出ていると、斜め上に複数の人間の視線がわさわさとあるのを、否が応でも感じ取ってしまうのだ。

どうやら屋上の喫煙スペースは狭いうえに、かなり多くの人間が喫煙者のようで、入れ代わり立ち代わりやってきては一服している。

喫煙者率、相当高くねーか。

そんなにストレスフルな会社なのか?

なんか、こちらが落ち着かなくて、本当にストレスフルで、うざいのである。

なんとかならないのか?

 

ちなみに以前「ホタル族」なんて揶揄されていたベランダ喫煙者は、近隣の副流煙問題なんかもあり、今ほとんどいない気がする。

喫煙者に対する仕打ちは、ちょっと異常だなとは思うが。

 

1966年で見ると男性喫煙率83.7%!

これが平成30年には約30%以下まで急降下したという。

約84%という数字は恐ろしい限りだが、刑事ドラマなんかでタバコを吸っていない俳優は、皆無だった気がするなぁ、今から思えば。

 

 

 

 

1979年~80年・点景

安東家でのレコ鑑賞会

 

 

 

学校が終わると、そそくさと安東家に集まるという日があった。

彼の家には、すごく音のいいステレオと、レコードが山ほどあったからだ。

週一くらいか。

毎回違うものを聞いていた。

彼の義理のお父さんがとんでもないレコードコレクター。

安東は素晴らしい環境を持っていたのだ。

さらにゴミ捨て場でストラトを拾ってきて儀理の親父に弦を張ってもらって利していた。

始めてみたエレキ、触ったのも初めて、興奮した。

安東はそれをおぼつかないまでも、アンプレスでなんとなく弾いて見せてくれた。

ナックのマイ・シャローナの、あの有名なギターソロの耳コピ。

たまげた。

 

洋楽が多かったけど、安東はこの頃からストーンズなんかを聞き漁り、札幌に引っ越してから本格的にギターを弾き始めて、バンドを組み、ヤマハポプコンに応募したりしていたという。

1980年代当時、全国どこの、ヤマハを取り扱っている大型店舗では、ヤマハのポプコンに応募しますというと、ただでデモテープを作ってくれていた。スタジオを使って、ちゃんとした録音機材を使ってである。

そのテープを使いまわすことが僕らの常識だった。

 

安東君は(当時は片石君)そのテープを札幌からわざわざ送ってくれたりもした。

札幌と京都で、ドアーズなんかについて長電話したこともある。

とんでもない電話代だったんだろうな。

 

 

 

 

太平洋戦争中、竹やり戦術に対して、水を差して批判した人たちがいたという。

「それは、B-29に届かない」

と、言って(笑)。

いや、そうやんな。

誰がどう考えても、届かんし、無駄やで、そんなん(笑)。

 

 

 

 

ロシア人、mixiを日本の巨大SNSと信じてサイバー攻撃仕掛けるらしい(笑)。

霞ヶ関と間違えて霞ヶ浦河川事務所サイバー攻撃を仕掛けた輩と同様か。

 

 

 

 

1979年~80年・点景

おやつは焼き鳥、買い食い

 

坂根の目をかいくぐり、トップセンターまでおやつの焼き鳥を買いに行くことが毎日のルーティンだった。

いやなんとも楽しいイベント。

ちなみにトップセンターの横の焼き鳥はらだの焼き鳥は、安くてほんまにうまかったのだ。

レバー、皮、砂ずりを食べられるようになったのは「はらだ」のおかげである。

 

 

 

三田佳子の「孝行息子」が逮捕されるたびに、なぜか思い出すこの人。

悪い人間じゃないねんけどなぁ。

 

なんちゅうか、こんな男の子供を産まされた彼女、地獄だな。

頑張ってくださいとしか言いようがない。

 

1期生は、正直、うざいと思っているんだろうな。

この子の未成年飲酒とかで紅白出場飛んだしね。

 

 

 

 

1979年暮れ、ミスタータイガース田淵幸一が西武にトレード。

漫画「がんばれ!!タブチくん!!」1巻の表紙が笑える。

 

 

 

ちなみにこの世紀のトレードは

阪神が田淵と古沢。

西武が真弓と、若菜、竹ノ内...と竹田和史という左腕の投手の2-4トレードだった。