韓国ハロウインの惨劇。
150人以上死んだって、なんなんそれ??
死に過ぎだよな、この手の事故では。
この事故現場、スペイン坂をやや平らにした場所みたい。
てことは、渋谷も危険だよな。
ハロウインの群衆。
ところで1970年、大阪万博の名物だった『動く歩道』。
それに乗った500人もの乗客が将棋倒しになってしまい80人を超える人が重軽傷を負ってしまう事故が起きたという。
この事故の原因は、初めて『動く歩道』にのったおばあちゃんが『動く歩道』の終点近くで降りる際に戸惑ってうまく降りられず、係員が非常停止ボタンを押したために、動く歩道が突然ストップ。
乗客が次々とバランスを崩し将棋倒しに倒れてしまい怪我人が続出したということだったそうだ。
将棋倒しは、恐ろしい。
ボタンウキクサ 時代のあだ花
一時ホームセンターで普通に売られていた。
日当たりと高い水温があればとんでもないスピードで増殖。
ホテイアオイをはるかにしのぐスピードだという。
確かに自分もベランダでビオトープを作っていた時にこの水草を購入したが、あれよあれよという間に増殖、水面を覆いつくしてしまった。
結果。水中のメダカやエビが酸欠で星になった。
ウォーターレタスというシャレオツな流通名についつい騙されて、取り返しのつかない事態を招いた過去があるのだ。
これは冬に枯れて、越冬しないことが多いらしいが、九州では楽勝で越冬するらしい。
で、越冬できる地方が、温暖化とともに増えてきており、越冬可能ラインが徐々に北上しているともいわれている。
法令で販売禁止となり、現在流通はないようであるが、野生化したものが存在しているそうだ。
1980年・点景
ナイルパーチの群れたち
学校が新築移転し、心機一転新しい校舎に足を踏み入れて、希望に胸膨らませて、意気揚々と、なれる...
わけがなかった。
学校が変わり、モデル校に指定されたそうで、今までとレベルの違う締め付け、管理教育を推し進めていた。
堅苦しすぎて、自由な風は全く吹いていない。
校長も、今井教頭も鼻息荒く、痛いほどハッスルしているのが手に取るように見て取れた。
かっこ悪い!!ダサすぎ。
今までと手のひらをくるりと裏返してきたのだ。
クラスに目を向けると二年の時の連れは一人もいない。
全く散々である。
二年の時の自分のグループは、問題ありと目をつけられていたのだろう、全員を8クラスに振り分けられていたのだ。
問題ありといっても明確な非行グループじゃない分、扱いにくいし、扱いやすい。
そういう「扱い」、だったと思う。
大体どこのクラスにも似たようなグループがあったと思うが、それらのグループも分断振り分け対応されていた。
生徒たちの人間関係なんて二の次。
授業をしやすいように、管理しやすさを何より優先。
本来クラス分けって、そういうものなんだろうか??
今だったら、大問題になるかもしれない、こういうやり方は。
逆に管理を難しくさせるとか。
そして恐ろしいことに、自分のクラスにはすごく獰猛で狡猾な女子が集まっていたのだ。男子に気を配りすぎたのか。
目立って悪くはないけど、なんか汚い、ずるい連中が、群れてやりたい放題だった。普通の女子生徒は大変だったのだろうなと思う。
明らかにダウン症の子とか、おとなしい子とかはここぞとばかり残酷な仕打ちを受けていた。ビクトリア湖の在来種シクリッドを食い殺し、ほぼ全滅させたナイルパーチのようである。
その後の一年は、まったく窮屈極まりなかった。
見事に管理、され切っていたからだ。
ナイルパーチズの牙に怯えることもあったし。
やな中学最後の一年だったこと、この上ない。
1980年・点景
野間養鯉池 襲撃
担任の定塚は数学担当。
塾講師まんまである。いけ好かない以前に生理的に受け付けない。
3年になってから、とんでもなく数学が嫌いになってしまった。
そんな梅雨のさなか、そこらじゅうの色々な池や沼を、手あたり次第訪問し、ルアーを使い、「何か」を釣りに行くという行為に、まんまとはまってしまったのだ。
ボウズばかりで何かが釣れたためしはない。
行為自体に意味があったと思う。
日曜になると合羽を着て、自転車に乗り、醍醐、山科、宇治、どこでも行った。
そんなある日、山科の名神脇にある野間養鯉場所有の大きな池で釣りをしてやろうと、有刺鉄線をくぐり越えた。
越えた瞬間を軽トラで走っている所有者のドラ息子・野間にまんまと見つかってしまったのだ。
野間は自分の先輩でかなりなやんちゃくれである。
横浜銀蝿みたいな恰好で学校を徘徊していたし、卒業後も何かと学校に来ては在校生をビビらせて帰っていたチンケナ野郎である。
高校にも行っていなくて、家の手伝いをしていたんだろうな。
高校行っていないのに学ランかよ。
心の中でさげすんでいたことも事実だ。
最近池の錦鯉が釣り針を加えて泳ぎ回っているのを見つけて不審に思い、軽トラで池を見回りに来ていたらしい。
野間は何も言わず、いきなり襟首をつかみ、どつきまわしてきた。
さらに「おい、仲間の名前みんな言えや!」脅かしてきた。
誰もいませんと答えると回し蹴りをくらわしてきた。
事実、鯉が針を咥えていたとしても、それは自分ではない。
仲間なんていない。自分ひとりでやっていることだ。
なのに複数で結託してやっているんだと、勝手に思い込んでいるような野間は、執拗に暴力を振るってきた。
刑事ドラマの取り調べかよ。
自分ひとりだと正直に言うと、隠している、かばっている、芋づる式に上げたいから言えとさらに逆上して平手打ちを食らわせてくる。
どうせーちゅーねんっ!!
未成年に対しても暴行障害は重罪やで。
確かその時点でお前20超えていたよな?
そういいたかってけど、ぐっとこらえてされるがままにしていた。
さすがにやりすぎたことに気が付いたのか連絡先をメモった後、「後日学校行くからな」「どつかれたこととか誰にも言うなよ。言うたら殺すぞ」と言い残し帰って行った。
顔面は少し腫れていたと思う。
家に帰り母親に一部始終を話した。
すごく悲しそうな顔をしていたと思う。
次の日、野間は本当に職員室に来て昨日ことを話したようだ。職員室の椅子にふんぞり返って座り、偉そうぶっていた。
ヤンキー時代の連れみたいなんを一人同伴して来ており、ひとりでは、これないんだなと、ふと思ってしまった。
殴ったこととかはもちろん話してないのだろう。
聞かれもしなかったので、こちらも何も言わなかった。
野間が帰った後、ホームルームで定塚がそのことをみんなに報告。
こういうことをしていると内申点が下がるというダシにされた。
本当に嫌いである、定塚。
後日、おやじと一緒に特級酒持参で、野間の家に謝罪に行った。
1980年・点景
夜の散歩をしないかね
当時飼っていたコロという犬を散歩させるのが日課だった。
日中ではなく夜に、だ。
みんなが家で穏やかに過ごしているころ、コロの散歩に繰り出す。
夜だったのは、知り合いに会いたくないという心理がどこかにあったんだろうか。
それは、本当にほっとする時間。
すごく貴重で、かけがえないものだったと思う。
実をいうと、コロの散歩という大義名分で、自分を自由に散歩させ、解放していたというほうが、的を得ているのかもしれない。
それだけ窮屈な日常を、学校でも家でも過ごしていたことに他ならないからである。