A氏との不透明な取引を主導したのは創業者の次男。2002年 まで専務

A氏との取引を主導した元専務は、第三者委のヒアリングに応じていない。

前社長 大東(おおひがし)隆行

2003年・不適切取引の清算を宣言。

2013年11月、取引に関する社内調査の報告書が完成⇒1か月後 京都市の本社前で射殺

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 流れ  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「餃子の王将」

創業者 故加藤朝雄(福岡県飯塚市出身、大東隆行前社長の義理の兄)~1993年死去

1967年 京都市中京区に1号店を出店

1977年 加藤がA氏と知り合い、交流開始・・トラブル処理の仲介や事業の相談

1993年 加藤死去 加藤長男が社長・次男が専務に

A氏との多額取引や資金流出はすべて、この二人の時代に発生

・A氏側に土地や建物の買収を依頼

・A氏側の不動産を買い取り 直接融資あり

1998年4~9月、王将子会社が、A氏関係会社に計185億円を貸し付け

           約95億円は返済

2005年、    同貸金残高約40億円を債権放棄

2000年8月、A氏関係会社から、オフィスビル(福岡市)を12億3700万円で購入。

2002年3月、A氏の別会社に5億2000万円で売却
A氏の関係会社との取引総額は、約260億円。200億円が流出、170億円未回収


●2000年4月大東(おおひがし)隆行が社長就任

 ・加藤次男・・2003年4月ごろまでA氏の関係会社との不動産取引を継続

・2001年3月、王将が452億円の有利子負債、一時倒産危機

・2003年・・大東社長はA氏と関係を清算する交渉開始

       購入不動産を売却・貸付金の債権放棄

・2006年、Aとの関係を清算

・2012年11月、不適切取引を検証する「再発防止委員会」発足

・2013年11月13日、社外非公表の調査報告書を完成

・2013年12月、大東社長が本社ビル前で射殺される(調査報告書完成1か月後)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160403-00000009-mai-soci


<餃子の王将>第三者委報告書に“闇取引”260億円の衝撃


「餃子の王将」を展開する王将フードサービスの前社長が2013年12月、京都市の本社前で射殺された事件を覚えているだろうか。事件から2年3カ月たった3月29日、同社は、事件に関連し、反社会勢力(暴力団)との関係を調べた第三者委員会の調査報告書を公表した。そこには、社長銃撃の背後に潜む衝撃の事実が描かれていた。【毎日新聞経済プレミア】

 全93ページの報告書では、王将フードが過去十数年間、創業家と関係が深い会社経営者「A氏」とその関係企業との間で、総額約260億円にのぼる不透明な取引を繰り返し、約170億円が未回収になっていることなど、驚くべき事実が明らかにされた。

 報告書によると、A氏との不透明な取引を主導したのは創業者の次男だった。次男は02年まで専務を務めていた。そして、前社長が03年に不適切取引の清算を宣言した。そして13年11月、取引に関する社内調査の報告書が完成し、その1カ月後に前社長が射殺された。王将内部で何が起きていたのか。

 ◇第三者委員会が反社会勢力と王将の関係を調査

 射殺現場近くで見つかった遺留物から、福岡県内の暴力団組員のDNA型が検出されたことが分かり、反社会勢力(暴力団)との関わりを示唆する報道が相次いだ。このため、王将フードは昨年12月、第三者委を設置し、反社会勢力との関係について調査を依頼すると発表した。

 報告書には、1993年から06年まで、王将フードがA氏と繰り返した「経済合理性が明らかでない取引」計14項目の詳細が記されている。

 「餃子の王将」は、射殺された大東(おおひがし)隆行前社長の義理の兄で、福岡県飯塚市出身の故加藤朝雄氏が67年、京都市中京区に1号店を出店したのが始まりだ。第三者委報告書によると、加藤氏は77年ごろにA氏と知り合い、交流が始まったとされる。トラブル処理の仲介や事業の相談に乗ってもらっていたようだ。

 加藤氏は93年に亡くなったが、A氏と創業家の付き合いはその後も続いた。A氏との一連の多額取引や資金流出はすべて、加藤氏の長男が王将フード社長を、次男が専務を務めた時代に起きている。創業家とA氏との間に「深い関係」があったことが分かる。

 取引の多くは、A氏側に土地や建物の買収を依頼したり、A氏側の不動産を買い取ったりするものだった。直接融資もあった。

 ◇不適切な取引で200億円が社外に流出

 例えば、王将フードは95年4月、A氏が経営する会社からハワイの高級住宅地に建つ邸宅と土地を18億2900万円で購入した。購入に関する取締役会の議決はあるものの、購入理由は記載されず、経緯や経済合理性は明らかにされなかった。

 98年4~9月にかけては、王将フードが子会社を通じて、A氏関係会社に計185億円を貸し付けた。約95億円は返済されたが、05年には貸金残高約40億円を債権放棄した。

 さらに、00年8月には、同じくA氏の関係会社から、福岡市中央区の9階建てオフィスビルを12億3700万円で購入。02年3月、A氏関係の別の会社に5億2000万円で売却している。

 結局、A氏の複数の関係会社との取引総額は、分かっているだけで約260億円に達し、うち200億円が流出して、今も170億円あまりが回収できていないという。

 第三者委報告書は「創業者の長男と次男が代表権を持った期間に取引が行われていた。創業家の独断専行を戒める体制がなく、取締役会は機能不全だった」と指摘し、当時の経営体制を強く批判している。

 ◇不適切取引を清算した大東前社長が撃たれた理由は?

 亡くなった大東氏が社長に就任したのは00年4月。しかし、次男はその後03年4月ごろまで、取締役会の議決を経ないでA氏の複数の関係会社との不動産取引を続けた。こうした取引の結果、01年3月期に会社は452億円の有利子負債を抱え、一時は倒産の危機に見舞われたという。

 大東前社長は状況を変えようと、03年ごろから直接A氏と関係を清算する交渉をするようになった。購入不動産を売却したり、貸付金の債権を放棄して、06年までに関係を清算したとされる。

 しかし、A氏との不透明な関係は完全には解消されず、金融機関や証券会社が不安視したことで、東証1部上場が遅れる事態になった。王将フードは12年11月、不適切取引を検証する「再発防止委員会」を作り、翌13年11月13日に社外非公表の調査報告書を完成させている。大東前社長が本社ビル前で何者かに撃たれ、亡くなったのはその1カ月後のことだ。

 銃撃直後、王将フードは「社長への脅迫など思い当たる節はない」とコメントしていた。しかし、第三者委報告書を読む限り、経営陣は銃撃の一報を聞いて、会社とA氏との「深い関係」を思い浮かべたのではないか。

 ◇反社会勢力との関係は本当になかったのか

 第三者委は王将フードと反社会勢力との関係は確認されなかった、と結論づけている。これを受け、同社も「当社が反社会勢力と関係ないことが十分ご理解いただけた。これにより、投資家やお客さまに安心して当社とお付き合いいただけるものと確信している」というコメントを発表した。

 しかし、報告書によって、A氏が経営する関係会社と王将フードが電話設備保守の委託契約を結んでいたことが判明。不適切な関係が続いていたことが分かり、王将フードは3月30日、契約を即時解除し、「以後A氏とその関係会社とは一切取引しないことを確約します」と宣言しなければならなくなった。同日の東京株式市場では王将株の売り注文が殺到し、ストップ安となった。

 そもそも、第三者委の報告書は、反社会勢力調査の対象にA氏の関係会社が含まれているかどうかを明記していない。調査したかどうかが分からないのである。また、A氏との取引を主導した元専務は、第三者委のヒアリングに応じていない。報告書ではいまだに分からないことだらけである。

 前社長銃撃犯がいまだに逮捕されないなか、第三者委の調査で過去との決別を図ろうとした王将フード。しかし市場や株主は今も、その経営体制に不安を感じているようだ。