終戦後、北海道はロシア領になっていたかもしれない? 窮地を救った「知られざる英雄」とは

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「戦わなければロシア領にされていた」

「祖父は、北海道をソ連から守ったのです」(隆一氏)

 日本が降伏を表明した後の45年8月17日、千島列島の最北端・占守(しゅむしゅ)島にソ連軍が上陸。日ソ中立条約に違反した卑劣な侵略行為を前に、樋口司令官は「自衛のため断固反撃せよ」と命じる。戦史に詳しい陸上自衛隊OBいわく、

「占守島には満洲から移駐した戦車第11連隊をはじめ、精強な部隊が残っていた。彼らの徹底抗戦に手を焼いたソ連軍は、とうとう北海道の占領を諦めました」

 樋口は70年に82歳で亡くなった。ユダヤ人を救った日本人といえば、駐リトアニア領事代理だった杉原千畝(ちうね)が有名だが、樋口の名は一般にはあまり知られていない。先の陸自OBは、

「杉原さんは外交官ですが、樋口中将は軍人。敗戦国日本では“軍人=悪人”でしたから」と嘆く。

 その風潮も、今後は少し変わるかもしれない。隆一氏が語る。

「占守島で戦わなければ、北海道は今のウクライナのように蹂躙(じゅうりん)され、ロシア領にされていたはず」

 樋口司令官ら軍人たちの必死の戦いがなければ、北海道がソ連の領土にされていた可能性は十分あった。そのことは、これを機に日本人の多くが知っておいてよい歴史だろう。

 日本で軍服姿の軍人の全身像が建立されるのは、戦後初だという。