東京の金カム聖地と言えば江戸東京たてもの園

とはいえ状況的になかなか機会がなく今のところまだ行けていないので、本記事では東京で別件のついでにちょこちょこ通って集めた、たてもの園以外の聖地情報をレポートしていこうと思います。

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と言ってもガチ聖地はそんなに多くはないんですけど、東京過去編(コミックス28巻収録)のおかげで増えたのと、明治近代化を牽引する首都東京なので色々魅力的な場所も多く…!主にレトロ建築オタク的に

・作中に登場する聖地
・登場はしないけど関連がある場所
・明治時代の息吹を感じられる場所
などをお伝えして参ります!

それでは早速行ってみましょう!

【2022.4.30追記】
本記事で紹介している「江戸東京博物館」は2022.4.1~2025年度(予定)まで大規模改修工事のため休館しています。再開を楽しみにしています!追記以上。

たてもの園に関しては後日公開したコチラ↓をご覧ください





 
◆作中に登場する聖地
①樺太日露国境天測標

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所在地:東京都新宿区霞ヶ丘町
最寄り駅:JR中央線 信濃町
登場話:16巻160話、21巻201話

明治神宮外苑内には、樺太編にて当時の樺太日本領からロシア領に密入国するその境界に置かれていた例の石碑、のレプリカがあります。ゴールデンカムイ作中で国境標石と説明されていたアレですね!

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明治神宮外苑の中の聖徳記念絵画館脇の表側の駐車場の一角、上の写真でいうと絵画館正面に向かって左手側に飾られています。屋外なので聖徳記念絵画館が閉館していても見られますよ(真夜中とかはちょっと分からないですけど)

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周りを柵と植木で囲まれているので、残念ながら犬ぞりで国境を越えるゴールデンカムイごっこは出来ないのですけど、ちゃんと側面の「明治三十九年」の文字も入って、ゴールデンカムイで見たままですね!その横は「天第四號」と書かれていて、作中では「天第二號」なのですが、当時樺太には国境標石が4つ置かれ、場所によって1~4の番号が振られていたそうです。なのでゲンミツに言うと、明治神宮外苑の国境標石は金カムに出てくる国境標石とは置かれていた場所が違うということですね(そもそもレプリカだけど)

国境標石 天第二號についてはコチラの記事を参照させていただきました↓



そして聖徳記念絵画館、コチラもレトロ建築オタクにはたまらないやつですね…!
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建物としては大正時代の造りなんですけど、中では明治天皇を中心に明治時代に行われた出来事の数々を大正から昭和の初めにかけて壁画にした展示を見ることが出来るそう、です。そうです、わたしが行った時は休館中で中に入れていないのです

国境標石を設置した出来事を壁画にした絵もあるそうですし、明治時代の出来事などを勉強するにもうってつけかなと思いますので、国境標石聖地巡礼に合わせて、聖徳記念絵画館にも立ち寄られてはいかがでしょうか。


お出かけの際にご注意いただきたいのは、昔自分がした勘違いなんですけど、明治神宮といえば山手線原宿駅の裏にある、明治天皇と昭憲皇太后(明治天皇の皇后)をお祀りした明治神宮という神社ですよね。明治神宮自体もすごくステキな神社でオススメなのですが、明治神宮外苑とは徒歩ではそんなに近くない…と思います。歩けない距離ではないですけど、明治神宮外苑に行きたいのに勘違いで明治神宮(原宿)に行っちゃわないように気を付けてくださいね



②三菱一号館(現:三菱一号館美術館)

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所在地:東京都千代田区丸の内
最寄り駅:JR東京駅 他
登場話:27巻264話、28巻275話 杉元の過去回想(東京過去編)

三菱一号館は明治25年(1892)着工、同27年(1894)完成の赤レンガ建築。
東京の象徴的建物と言えば東京駅かと思いきや、東京駅は実は明治の終わりに着工して大正になって完成した建物なので、杉元が放浪の東京旅をしていた1901年時点では「丸の内といえば三菱一号館」ってイメージだったのではないでしょうか。三菱一号館は丸の内に建てられた最初のオフィスビルで、明治時代に撮られた丸の内の写真を見ると、周り空き地ばっかの中にやたら立派な建物がボン!ボン!ボン!と建っています。

三菱一号館は老朽化のため昭和43年に解体されますが、同じ場所に、設計者ジョサイア・コンドルの原設計を基に忠実に再現され、現在の三菱一号館美術館として復元されました。嬉しいですよね!解体されて終わりじゃなくて、復元されたおかげで今も杉元や菊田さんが見た同じ景色を同じ場所で見られる…聖地って尊い

↓264話 菊田さんの背景らへん?
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上と下、建物の違うカドなんですけど、3階の窓は上の写真、屋根から上は下の写真って感じで、合体したように見えますね?上の写真が歩道の都合で角度が合ってないのもあるし、ビンゴな場所がある可能性もあります。もう一回検証しないとかな…。

↓275話 東京遠景の見開きページ右下
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この辺かな?実はこの2枚も建物の別の辺なんですけど、杉元で隠れてるのもあってどっちが正かは判断つかない感じです。写真の向きというか角度が違うのですが、原作と見比べていただければ伝わるんじゃないかな?

三菱一号館美術館の名の通り、メインは美術館。わたしが行った時は展示入れ替え期間で休館だったのですが、展示はもちろん、再現された建物の内装も見どころかと思います。美術館とは別に、三菱一号館の歴史などにまつわるちょっとした歴史資料室(無料)や、高い天井と美しい内装そのままのカフェもありますので、ちょっと立ち寄るだけでも雰囲気味わえますよ~。

▼三菱一号館 歴史資料室
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この三菱一号館模型の方が正しい聖地写真が撮りやすいかも?

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歴史資料室に行くためにちょっと中入るだけでも風情あるレトロ建築の雰囲気味わえる…この鉄骨階段美しすぎませんか…!?

▼Café 1894
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美術館の利用とは関係なくカフェには入れます、が、かなりの待ち人数だったので店員さんにご許可いただいて写真だけ入り口付近から撮らせていただきました。マジで美しい…。



③帝国ホテル(現:帝国ホテル東京)

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所在地:東京都千代田区内幸町
最寄り駅:JR有楽町駅、東京メトロ日比谷駅 他
登場話:28巻275~278話 杉元の過去回想(東京過去編)

概念として(?)の帝国ホテルなので、実際に現存する帝国ホテルの建物がモデルになってはいないのですが、明治の世から続く、日本有数のアッパークラスホテルということは皆さんご存じかと思います。
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↑気後れして中に入れなかったやつ…

明治村にフランク・ロイド・ライト設計の二代目帝国ホテルの玄関部分が移築されているので、当ブログ明治村記事でも帝国ホテルについて触れさせていただきましたが、帝国ホテルは明治23年(1890)開業。道を隔てて日比谷公園がすぐ近く、当時は隣に鹿鳴館があったそうです。

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ゴールデンカムイ作中で登場するのは創業当時の初代帝国ホテルの外観なのですが(建物内部のモデルについては明治村記事をご参照ください)、当然今はもうない建物なので、立地と現在の姿を楽しむ聖地巡礼をしてみてもいいのではないでしょうか~。ちなみに、現帝国ホテルの本館も、既に建て替えの予定が立っているそうです。

所在地を見てもらっても、三菱一号館とは同じ千代田区で、すぐ近くとは言わないけどお散歩がてらの徒歩圏内だと思います。当時の東京の中心的エリアがこの辺に集中していたのもありますけど、地図を見てると「(作中で)この時行ったのがココか、てことはココからこっちに向かったのか」みたいなのが見えてくるので、東京聖地巡礼、楽しいですよ



④江戸東京博物館
※2022.4.1~2025年度(予定)まで大規模改修工事のため休館
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所在地:東京都墨田区横網 横綱って…w
最寄り駅:JR総武線 両国駅、都営地下鉄大江戸線 両国駅
登場話:28巻278、279話 杉元の過去回想(東京過去編)

お相撲さんの街両国の、両国国技館のすぐ近く。独特なカタチの建物の江戸東京博物館(通称江戸博)。江戸東京博物館では通常、常設展と企画展があるのですが、今回聖地としてご紹介するのは常設展のほう。

常設展は東京という土地の歴史を江戸時代から現代までずーっと(展示内容の厚みの違いはあるにせよ)ジオラマとか模型とか現物とか極力視覚的に案内してくれています。江戸、明治、大正、昭和戦前、戦中、戦後、平成、令和…令和あったかな…まあそんな感じでw博物館としてすごく面白いんですけど、みんなが気になる聖地情報としては、やはり明治時代のコーナーですね!

↓279話 杉元と菊田さんが話す背景の建物
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コチラは明治時代に銀座に実際にあった朝野新聞社(ちょうやしんぶんしゃ)の実物大模型。中には入れませんが、自転車とか人力車の辺りまでは行けます。ワイヤーで飛び出たみたいな玄関灯もそのまま描かれていますね!

この建物の入り口前に、下半分が大変なことになった杉元がいたわけです…銀座の目抜き通りの人込みの中でwここなら杉元と菊田さんごっこが出来ますね!ある意味杉元は出来ないけども!w

この朝野新聞社があったのが銀座の煉瓦街と呼ばれる街並みで、ミニチュアとして銀座煉瓦街のジオラマも展示されています。

↓278話 9ページの下のコマ
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馬車とか人力車までだいたいいっしょw

↓279話 「またなノラ坊」
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↓このジオラマにも朝野新聞がありますよ
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「煉瓦街」のワードは最終章に入った287話でも出てきていて、この伏線もあって東京過去編でこの背景を入れたのか…な!?と思いました。

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こうやって見るとなかなかの臨場感ですよね…!


朝野新聞社があったところはいわゆる銀座4丁目交差点、時計塔でお馴染みの現在の銀座和光がある場所です。
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銀座和光自体が現代では十分にレトロ建築なのですが(この写真も東京過去編の前にレトロ建築オタクとして見に行った時のもの)、コチラは昭和7年(1932)竣工。明治から今って本当に長い時間なんだなぁと思わされます。

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この銀座和光前の曲がり角辺りに杉元が立っていた、と…w

実際に巡礼をお考えの方は、帝国ホテルから銀座和光の道のりを(走って逃げるのは大変なのでw)お散歩してみてもいいと思いますよ~。地図で見るだけでも、位置関係とか距離感が分かりますし。


話を江戸博に戻して、明治時代の展示は他にもいろいろありますよ~。
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↑幻の鹿鳴館の模型とか…

江戸博休館につき、明治期の展示の写真を追加しますね。
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↓江戸時代、明治時代、昭和初期の灯りの変遷と実際の明るさ比較
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↓メンコに双六
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追加以上。

こちらの記事もオススメ


他の年代もなかなか面白いです。
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↑江戸の街のジオラマとか

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↑実物サイズの長屋の模型

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↑芝居小屋の再現(実物大)

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↑大正コーナーでは今は無き浅草十二階(浅草凌雲閣)に会える…!

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↑昭和戦前だったかな?のレトロカー…!詳しくはない!

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↑高度経済成長期の団地の再現wそんなものまで…!

これはもうほんの一部で、じっくり全部読み込みながら回ると丸一日かかるくらいの規模です。正直めっちゃくちゃ疲れましたw建物の中なの…か?って規模の作り込みなので、なかなかに凄いです。



⑤三井本館

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所在地:東京都中央区日本橋室町
最寄り駅:JR新日本橋駅、東京メトロ三越前駅 他
登場話:28巻275話 杉元の過去回想(東京過去編)

この写真をご覧いただいて、どのシーンの聖地かお分かりになりますでしょうか…?そのくらい聖地としては存在が「薄い」のですが、とはいえ周辺を含めて考えるとなかなか面白い場所なので、ご紹介させてください~。

登場は東京過去編、お手元に原作をご用意いただいて275話を開いてください。地元神奈川でなんやかんやあった杉元が…1901年に寅次に別れを告げて上京、東京の街並みを見上げたり街灯に掴まって踊ったり歌ったりはいストップ!!その見開き上段に東京の街並みの遠景、下段にはしゃぐ杉元の姿が何コマか続くその左から2番目、杉元が街灯に掴まって踊っているその建物がコチラの三井本館です。原作と見比べてみてください。

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全然違いますね!

作中で描かれている三井本館は明治35年(1902)竣工。ゲンミツに言うと1901年に神奈川を出た杉元がすぐに東京に来たとするとその頃はまだ建設中だったのですが細かいことは置いといて(先に京都行ってたかもしれないし)、コチラの煉瓦造りの明治期らしい美しい建物は大正12年(1923)の関東大震災の被害が大きく、建て替えられることとなり、その後「関東大震災の2倍の威力の地震が来ても壊れない建物を!」との号令で造られたのが現存の三井本館、昭和4年(1929)竣工のこの建物なのです。国の重要文化財に指定されています。金カム聖地としては建て替えられてしまってますけど、これはこれで凄いことだと思いませんか!?
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ちなみに元の明治期の三井本館も国内初の鉄骨構造物で、レンガの耐火性に加えて地震の耐震性にも気を配られた先進的な建物だったんです。そのおかげで関東大震災では建物のガワは壊れることなく耐久出来ていたのですが、内部が火事により激しく燃えてしまって、ガワを再利用してリフォーム出来なくもなかったんだけど、今後の事業規模の拡大等を見据えて、完全に建て替えたということのようです。

↓コチラの記事では明治期の三井本館の写真が見られます


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↑現在は三井住友銀行と三井住友信託銀行などが営業しているのでご用のある方は入っていいかも

場所は日本橋(地名)の大通りに面して、隣に三越本館、奥に日本銀行本店があります。建物自体が違うので再現写真は撮れないのですが、杉元が街灯に掴まっていた辺りを推測すると、まず建物がコの字型で、建物正面に向かって左側の出っ張り(”コ”で言うと上側)の角にいるように見えます。で、この建物がどっち向きだったかと言うと、現在の大通り向きではなく、現代で言うところの三越側に向いていたようです。

三越→□┃コ←三井本館
  日本橋通り

こんな感じですね。先ほどリンク貼った記事の写真でだと、道を挟んで手前の民家が並んでる辺りに現在では三越が立っている…ということです。細かくは地図か現地でご確認くださいませ。三井本館の二代目は道路に面した3面ともパルテノン神殿みたいになっていて、どの面も大きな違いはないので写真を見ても分かりにくいと思うんですけど、この説明を参考にしていただけると、杉元がいた辺りを概ね絞り込んでいただけるのではと思います。ちなみに現存の三越本館が建てられたのは大正3年(1914)なので、杉元が日本橋に遊びに来た時にはまだありませんでした。

↓日本橋通りに面して三越(手前)と三井本館(奥)がお隣さん
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↓奥側から撮ってるのでこの写真は右が三越、左が三井本館
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↓故に杉元がいた辺りとするとこの辺かな
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ちなみにこの見開きの杉元の東京さんぽ、結構面白くてですね。1番右端のコマは前述の三菱一号館(丸の内)。右から2番目がどこかの大通り。3、5番目は置いといて、4番目は三井本館(日本橋)。となると、2番目どこだ?って気になりますよね。

↓ここです。


左前の洋風建築に目が行きがちなんですが、右奥の尖塔のある建物、これが2番目のコマで描かれている建物を反対側から見た構図です。写真にも明記されているように、この道は日本橋街道(日本橋通り)です。ちなみに左前の建物も、276話で会話しながら歩く杉元と菊田さんの途中で描かれているので、この時も日本橋通りを歩いていたと思われます。

つまりですよ、この3コマの流れで、杉元が丸の内から日本橋通りを通って日本橋までおさんぽしていた…ということが描かれているのです。全金カム民周知の事実でしたら長々と説明ごめんなさいw

↓現代でいうとこんな感じ
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日本橋通りのこの建物が日本橋通りのどの辺りにあったのかまでは調べられてないので、ルートの細部は特定出来ないのですが、丸の内の三菱一号館から、日本橋通りを通って、日本橋を渡って、三井本館に着くこのコース。121年前の杉元の足跡が残ってるかもしれないですよ皆さん…?

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↑恐らく杉元もこの日本橋通りを歩いてココまで来たのでしょう

実際に現代でおさんぽするとしたら東京駅丸の内側を通って美しいレンガ建築を眺めてから日本橋通りに入るのをオススメしますが、前述の通り1901年時点ではまだ東京駅は建てられていませんでした。

とはいえね、足跡ゆうても。アスファルトは敷かれたし、建物も建て替えられてるでしょ?と、思うでしょう。でも日本橋って橋(地名じゃなくて橋そのもの)、日本の地理の基準点みたいな江戸時代の浮世絵とかにも描かれた日本橋、コレは古いんじゃないの…?歴史あるんじゃないの…?ワンチャン、杉元の足跡残ってんじゃないの!?と思って調べました。

日本橋が最初に造られたのは江戸時代、慶長8年(1603)。この頃は当然木造で、浮世絵で見るあのイメージのものだったと思います。そして建て替えられた現在にも続く石造二重アーチ構造が美しい日本橋が造られたのは…、明治44年(1911)!杉元がおさんぽした10年後!残念、杉元の足跡残っておらず…!でもね、残り香くらいあると思います!是非、丸の内から日本橋まで、121年前に想いを馳せながらおさんぽしてみてくださいね。

まあでも、そうでなくても、原作終了時点で生きてて東京に来る機会がありそうな人達はガチで現存の日本橋を通っててもおかしくないですよね。鯉登さんなんか三越でお買い物してそうだし。
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↑高架(首都高)に日本橋って看板出てるけど橋は下の人が歩いてるところです

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首都高に埋もれがちですが、明治期の美しい造形がちゃんと残っています!

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↑日本国道路元標

…については上手く説明出来ないのでコチラ↓をご参照ください


もし1901年か近い時点(三井本館のこともあるので)で石造りの日本橋が出来ていたら恐らくこの2番目のコマは杉元が新しい日本橋を物珍しそうに渡る絵になっていたと思うけど、江戸時代からの木造橋だと地元でも散々見たでしょうし、東京の分かりやすい名所だけど「文明開化の西洋化でキラキラした東京にワクワク胸躍る」イメージにはならないから、当時の日本橋通りの風景になったのかな。手持ちの知識でここまで分かる人ってそんなに多くないと思うけど、調べるとちゃんと筋が通っている、こうゆう細かい仕込みを解き明かしていけるのも金カム聖地巡礼の醍醐味なんですよね。

↓杉元が来た丸の内方向から見るとこんな感じ
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◆関連する場所
①旧近衛師団司令部庁舎

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所在地:東京都千代田区北の丸公園
最寄り駅:東京メトロ 九段下駅、竹橋駅

皇居の北の丸公園の一角にある旧近衛師団司令部庁舎。日本武道館とか科学技術館の近くですね。明治43年(1910)竣工の近衛師団司令部庁舎は外観はほぼそのままで現存しており、国の重要文化財に指定されています。
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2020年2月までは東京国立近代美術館工芸館として使用され、改修されていない当時のままの階段などが見れたそうですが、現在(2021年7月)は特に使用されておらず…柵の外から外観を見るだけとなっております。

ゴールデンカムイ的に、近衛師団と言えばアレですよね!花沢中将!尾形さんと勇作さんのパピー!尾形さんにコロコロされちゃったパピーが、第七師団に配属される前に所属していた隊ですね。将官クラスなら司令部にも出入りされていたと思いますし、仕事が終わってここから浅草くんだりに足を延ばして、遊郭などに通っていたんでしょうね。まあ、明治43年竣工だと花沢中将もう死んでますけどw

近衛師団司令部庁舎のすぐ脇には、数々の役職を歴任の後、近衛師団長になられた北白川宮能久親王の銅像がありまして…
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いやはや、めちゃくちゃ立派っ!!!

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この躍動感!装備や軍服の細かさ!肋骨服が美しぃ~~~!!!

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今はもう師団長クラスの軍服なんてなかなか見られないじゃないですか。人が着てるところは特に。装備品も揃ってなんて。銅像だとしてもすごく見る価値あると思うんですよね。この袖のぐるぐるの巻きっぷり…!



②靖国神社

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所在地:東京都千代田区九段北
最寄り駅:東京メトロ 九段下駅、JR中央線飯田橋・市ヶ谷駅

上の近衛師団司令部もそうですが、やはり皇居周辺は歴史的文化遺産が数多くありまして、その中でも日露戦争を強く感じられるところというと、靖国神社も外せないかなと思います。こちらには遊就館とう日本の戦史を武士の時代から太平洋戦争までまとめた博物館がありまして、お勉強として日露戦争のことを詳しく学べる場所です。

まずは通常通り社殿に参拝。
最寄り駅のところにJR中央線の飯田橋駅と市ヶ谷駅を挙げていますが、本来の参拝コースとしては飯田橋駅から来た方が、いわゆる「入口」から入れます。市ヶ谷駅は本殿には近いのですけど、逆コースみたいになっちゃうので。
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境内で(金カム聖地的に)ご注目いただきたいのが、第二鳥居の脇にある大きな灯篭のレリーフ。
(灯篭自体の写真を撮り忘れたので何が何やら分かりにくくて申し訳ないのですが
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見覚え…ある!
そうです、戦艦三笠記事でもご紹介した、日露戦争の日本海海戦を描いた、旗艦三笠の甲板にいる東郷平八郎司令長官の、あの絵ですね…!見つけやすい面にこの絵がなかったらわたしも気付かずスルーするところでした。

左右1対2塔の灯篭にこういった歴史的モチーフが描かれていまして、昭和初期に作られたものなので今見ると軍国主義が過ぎる感じはあるのですが日清戦争から作られた時点までの軍事上の象徴的場面が再現されています。

↓日清戦争の黄海海戦とか(松島が沈んじゃったアレですが、レリーフとしては勝ったぞー!っていう絵です)
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↓奉天会戦後の奉天入城の図とか
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見覚えのある軍服着てますよね。
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肋骨服を見ると思わずテンションが上がってしまいます…w

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そしてコチラが遊就館
拝観料や開館時間は↑のリンクから公式サイトにてご確認ください。

遊就館は大ホールの大型展示以外は撮影不可なので、こうゆうのがあったよって詳細を説明出来ないのですけど、日露戦争コーナーに関しては、事の起こり等を説明するパネル展示や実際の映像などを使って日露戦争の経緯をまとめたシアター、陸海軍のお偉いさん(階級が何だったか忘れてしまいました…)の軍服一揃いを四方からガン見出来る展示とか、大変興味深い内容でした。近衛師団司令部の項目で銅像の軍服が素晴らしいと書きましたが、それに近いものが現物として見られるのもこの場所ならでは。

日本の戦史を一連の流れとしてまとめた展示ということで、時代や日本の置かれた立場の変遷などが分かりやすく説明されており、甲冑や日本刀から始まって幕末、明治維新からの~日清日露、そして太平洋戦争(大東亜戦争)と、どの時代もそれぞれに興味深く学ぶことが多い場所でした。し、金カム以外にもオタクなら色々な面で刺さる部分があるような気がします…w

所要時間は各人の興味関心によってマチマチだと思うのですが、遊就館公式サイトでは「1時間~1時間半」と書かれてますし、実際遊就館に行くと「全室見る120分コースとショートカットした90分コース」に分かれて案内されています。ちなみにわたしが自分の興味の赴くままに見たい(つまりほぼ全室全集中で見たいということですが)なら5時間は要るなと思ってます。実際3時間くらい展示エリアにいたけど時間が足りなくて、日露戦争以降は流し見で済ませてこの感じでした…。

そんな感じで、予定の合間に入れるには展示量が膨大なのですが、お時間がない方でも、2階の特別陳列室は外さないでください…!歴史の流れの展示からは外れるのですが、金カムが好きな人は見たいとこだと思うので!

1階玄関ロビーには零戦や機関車があるのですが(ココは撮影可)、こことロビー内にある茶寮「結」さんは拝観料を払わずとも入れます。
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ここで是非オススメしたいのが、茶寮「結」さんの海軍カレー!

コチラには明治の味を再現した「海軍カレー」と現代的な味の「横濱カレー」とあるのですが、もちろん我々は!海軍カレーを!ヒンナヒンナしたいですよね!
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んん~!ヒンナヒン………ナ…か……?

個人的にはですよ、個人の感想としてはですよ?と、とてもお味が薄い…!この注意書きの紙がなかったら暴動を起こしかねないレベルw今まで食べた明治のカレーを再現系の中でも、ダントツ1番薄味だと思います、が、それこそが明治の味なんですよね…!

飽食の時代に産まれ生きるわたしには控えめというか、ささやかというか、なのですが、明治の人(特に推し)は和食にはないスパイシーさに「ハイカラ」を感じていたんだな~と思うと、可愛いな~推し!って思います。

恐らく、現代人の舌に合わせて~とかの忖度なく、ガチで当時のレシピを再現されているのだと思うので、一食の価値あり!一緒に推しに想いを馳せましょう!ちなみに写真はわたしが大食いなせいでカツカレーになってますが、プレーンなのもあって、カツカレーもルゥを海軍か横濱か選べます。単純に美味しいカレーが食べたい時は、横濱カレーを選びましょうw



明治時代の息吹を感じられる場所
①東京駅 丸の内駅舎

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所在地:東京都千代田区丸の内
最寄り駅:東京駅w

三菱一号館の時にもお話しましたが、東京駅自体は大正3年(1914)の開業。ですが、作り始めたのは明治41年(1908)頃からなので、設計思想は明治期の洋風赤レンガ建築となっており、国の重要文化財に指定されています。

今でこそ東京駅、丸の内は首都東京の中心ですけど、最初に鉄道が開通したのは新橋~横浜間ですし、その後上野駅から上に向かって路線が作られて、その間を中継する駅が欲しいよねってことで東京駅が出来た流れなので、文明開化的に言うと割と遅咲きの東京駅です。
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太平洋戦争時に火災に遭い火に強いレンガの壁やコンクリの床以外は焼失してしまいましたが、平成になって建設当時の姿に復元する工事が行われ、2012年に完成しました。写真だと分かりにくいけど確かに2階までと3階でレンガの色とか経年劣化具合が違いますね。

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↑現代的高層ビルとのコントラストが逆に美しい…

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東京駅に向かって立ってるこのオッサン(の銅像)何だろう?と思ったら…
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井上勝さん、いわゆる「鉄道の父」的な人だったようです!
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折しも今年(2022年)は鉄道開業150周年の記念イヤー。開業日は10/14、この銅像を見つけたのは10/16でタイミング的にも「おお!」と思いました。東京駅をじっと眺めてる構図も、そう考えると感慨深いものがありますね。

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改札を出てのホールも大変美しいので是非上を見上げてください。上の方の窓になってるところはホテルなんですよね。東京ステーションホテル、一度泊まってみたいぜ…!

▼TIPS:KITTE丸の内

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東京駅を見に来られた時に合わせてオススメなのが、すぐ横に建っているKITTE丸の内。旧東京中央郵便局だった建物で現在はファッションやレストランなどのお店がたくさん入っているフツーのビルなのですが(郵便局もあります)、屋上庭園から眺める東京駅もまた素敵。
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東京駅に発着する新幹線なども見られるのでお子さんや鉄の方も楽しめるかと。

そして4階には旧東京中央郵便局長室が再現されたレトロなお部屋も。
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仕切りの細かい鉄枠のレトロな窓から見る東京駅の雰囲気がまたヨシ!
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実はこのKITTEの建物自体がレトロ建築。元々は昭和6年(1931)竣工で、ガワを活かし一部を保存・再生しつつもリニューアルされた、レトロと現代(主に内装)のハイブリッドな建物なのです。
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②法務省 旧本館

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所在地:東京都千代田区霞が関
最寄り駅:東京メトロ桜田門駅、霞が関駅、日比谷駅他

帝国ホテルから日比谷公園を突っ切って反対側のブロック、という感じでしょうか。徒歩圏内なので是非一緒に回っていただきたいのですが、法務省旧本館(赤れんが棟)は明治28年に当時の司法省の建物として竣工されました。戦災での焼失、戦後の復旧工事、平成の改修工事を経て、外観は創建当時の姿に復原され重要文化財となっています。
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↑周りはホントにフツーのビル群です…

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近代を題材にした映画などのロケ地としてもよく使われているみたいですね。わたしの好きな映画「アルキメデスの大戦」では海軍省として使われていたり。国の機関でもロケに使わせてくれるんだなぁって驚きと、そうゆうののためにもずっと残していってほしいなと思います。

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↑物々しい入口には警備員さんがいてビクビクしながら写真撮った…(たぶんダメではないんだけど…)

ビビりなので、捕まるんじゃないかと思ってあんまりグイグイ行けなかったんですけどw、平日には無料で建物内の見学(常設展や企画展をやってるそう)も出来るので、ご興味のある方は是非。詳細は先ほどのリンクからどうぞ。しかし人の道に背くような悪いことはせず生きているハズなのに霞が関だの何だのとなると警備の人がジロジロ見てくるから思わずビクビクしてしまうんだよなぁ…w



③迎賓館 赤坂離宮

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所在地:東京都港区元赤坂最寄り駅:JR中央・総武線 東京メトロ 四ッ谷駅

明治42年(1909)に東宮御所として建設され、現在は迎賓館として国賓をお招きしたり、国際会議の場として使用されたりしています。元々が東宮御所(当時の皇太子殿下、後の大正天皇のお住まい)として作られているので、現存する日本の洋風レトロ建築の中でも随一の絢爛さで、国宝でもあります。
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ネオ・バロック様式の宮殿建築はココが日本とは思えない造りなのですが、その中でも日本の武士をイメージした甲冑や日本刀のモチーフが使われるなど、富国強兵のスローガンのもとに西欧列強に追いつけ追い越せの精神で頑張っていた明治の人の志しが伝わります

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↑鯉登少尉めちゃくちゃ似合うねん…

だったらその写真を見せろよォ!!って感じなのですが、誠に無念なことに、現役で国賓をお迎えする性質上、建物内部の写真撮影は禁止なのです…!是非コチラは実際に足を運んで、己が目で見ていただきたいと思います…!行けない方は公式サイトのお写真をご覧くださいませ。

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外観からでも見られるのは、正面入り口の屋根の両脇に武士のモチーフが飾られていて、建物外観に比べてかなり違和感なのですが、この武士さんは神社の狛犬みたいに「阿・吽」になってるそうで。
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なんかこー、跳ね返してる感じなんですかね?

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↑建物のみならず、こちらの庭(主庭)と噴水も国宝

基本的には通年一般公開されているのですが(建物内は有料)、公務としての利用がある場合は見学不可なので、詳細は公式サイトでご確認ください。和風別館の見学もあります。あと執筆時点ではコロナの影響で変更などもあるようです。

建物内には各部屋にボランティアのガイドさんがいてくださるので、捕まえたり捕まったりしながらいろいろお話を伺ってみるといいと思います!

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映え~~~…!

あと迎賓館敷地の前にある休憩所には、グッズ売り場やカフェなどあるので、休憩がてら寄ってみるのもオススメです。
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④丸の内・日本橋周辺のレトロ建築

もうちょっとレトロ建築の話をさせてもらっていいですか…!せっかく東京駅周辺のお散歩推奨!みたいな記事を書いているので、ついでにこんなのもありますよという見どころを、レトロ建築オタクの偏った目線でお伝えしたい…と思います…!もはや年代も何も金カム関係ねーじゃねーかと思わないでもないですがw、読み物として興味持っていただけたら嬉しいです。だってほら、生きてさえいればさ、東京に遊びに来るとかもあったかもしれないし、見たり通ったり入ったりしたかもしれないじゃん…!

▽丸の内
・明治生命館
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三菱一号館の通りを皇居方面に歩くとあります。↑の写真で言うと右方向に三菱一号館、左が皇居のお堀。

昭和9年(1934年)竣工で国の重要文化財。パルテノン感が三井本館に似てますね。昭和1桁台はこうゆう雰囲気が多かったのかな。関東大震災の後大正の終盤から設計・建築されるとこんな感じだったのかなと思います。もちろん用途とか技術の発展とかもあるので全部がパルテノってるわけではないですが。関西記事で書いたけど、関東大震災でレンガ建築の地震に対する脆弱性が露見して「レンガはナシで」になったので、そこで建築の雰囲気がガラっと変わった感じがありますね。
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細かいところまで装飾性が高いです…!

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↓お堀沿いに帝国劇場と同じ並び、舞台がお好きな方は観劇のついでに寄ってみても
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・丸の内パークビルディング
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三菱一号館美術館の隣というか奥というか、後ろにそびえ立っている高層ビルです。地所としては同じ三菱なので三菱一号館を聖地巡りしてる間に目に入ると思うのですが、「ま、まさかこんな現代的な高層ビルがレトロ建築!?」ということではなくてですね、ちょっと変わった残し方をされている特徴的な建物なのでご紹介します。

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↑写真右側の建物ですね

元々ここには昭和3年(1928)竣工の八重洲ビルヂング(丸の内八重洲ビルヂング)という建物が建っていました。詳細な説明は割愛しますが、コチラをご覧ください。



↑の建物写真を見ていただくと、右端が塔のような形になっていたり、下層が石積みのアーチのような外観になっていますよね。

そして現在同じ場所に建てられている丸の内パークビルディングがこんな感じ。
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あ、ちょっと意識してる…!

古い建物の印象的な部分を新しい建物のデザインに落とし込み、過去の姿を残していく…こういった保存法を「ファザード保存」と呼びます。あくまでデザイン的になので、ガワを再利用しているKITTEなどとは違う保存法です。

この辺りは元々デザイン性の高い立派なレトロ建築が多い地域なので、お散歩しているとこういうちょっと不思議なデザインのビルがちょこちょこ見つかると思います。その時は是非、ファザード保存ってやつかな?と建物名など検索していただいて、昔の姿と見比べていただくと、レトロ建築オタクの道に一歩近づけると思いますよ!


・日本工業倶楽部会館
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丸の内パークビルディングのファザード保存建築の道を東京駅を半分通り越すくらいまで歩くと、ちょっと変わった黄色のようなオレンジ色のような建物が見えてきます。どう見てもレトロ建築だけど、経年劣化的には意外とキレイ…?大きいビルと合体してるようにも見えるけど…なんだか不思議な建物ですよね。

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コチラ日本工業俱楽部さんの会館。大正9年(1920)竣工の日本工業俱楽部会館は関東大震災にも耐えた猛者で、1999年には登録有形文化財にも登録されたのですが、老朽化や耐震性が関東大震災以前の要求レベルであったことなどから、建物南側を保存・再現した上で三菱信託銀行(現:三菱UFJ信託銀行)本店ビルとして2003年に竣工されました。

デザインはそのまま残しつつも真新しい、けれど一面に関しては当時のままという、これもまた珍しい保存法のレトロ建築なのです。
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こうやって見ると…

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この面だけ古いのが分かりますよね!

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壁面にこんな碑も刻まれていました!会館が建つ前の明治期には東京電話交換局があった土地だったってことかな?


・大手町野村ビル
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大手町なんですけど地理的な流れでコチラも。日本工業俱楽部会館をもうちょっと真っ直ぐ進むと、またちょっと不自然なデザインの高層ビルが…。これ!これがファザード保存!昭和7年(1932)に日本生命館として竣工された建物のデザインを落とし込んだ、新しいビルです。


見比べると、窓ガラスが一面にバーってなってるところこそ現代的ですが、それ以外はほぼほぼそのままだと思いませんか?個人的には丸の内パークビルディングよりファザード保存が成功してると思います。
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▽日本橋
・日本橋三越本店本館
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三井本館のところでも少し話題に出た三越本店。大正3年(1914)竣工の本館は国の重要文化財に指定されているゴリゴリのレトロ建築です。三越って…三井さんがやってる越後屋だから三越なんですね…そりゃ金持ってるわけだわ、お主も悪よのぅってやってるはずだわ。

↓ザ・百貨店!って雰囲気
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↓有名なライオン口-ハロウィン仕様-
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ライオンもかわいいけど装飾の細やかさにもご注目!

↓内装はがっつり改装されてるけど外観やエントランスなど重文指定のところは極力手つかず
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↓一番すごいのが中央の吹き抜け!
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この迫力はちょっと写真では伝わらないけど…!荘厳、というか…現代では他ではお目に掛かれない光景で、当時の「百貨店」というブランドの矜持を感じます。

なんかこう、この場に立った時に、「帝国ホテルってこんな感じだったんだろうな」って思いました。明治村にあるライトの帝国ホテルに吹き抜けの感じが似てるのもあるけど、一流ホテルと考えると実際はもっと煌びやかな感じだったんじゃないかなとも思って、明治時代大正時代の人々が訪れた時の「わぁ…!」っていう感じを味わうには現代で言うとココが近いんじゃないかな~と。

↓角度的に見えづらいけどこの塔も重要文化財のひとつ
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なんで呉服屋が金融業もやってるのか、調べて自分なりに解釈したところによると、江戸時代、呉服屋って生活必需品であり物によっては贅沢品でもあり、お金持ちがたくさんくる越後屋のようないわゆるブランド店だと、取り扱うお金の額が大きいから、お金が集まりますよね。現金(江戸時代だと小判?)もあるけど、手形という証文でやり取りして、それを現金に両替する必要があったりして…それだったら両替商もやっちまえって感じで金融業も掛け持ちするようになって、明治になって三井銀行という形で成長していった…とまぁこんな感じ。だから三井さんがやってる越後屋が三越で、三越の隣に三井本館(三井銀行本館)があって、てことなんですね。日本の歴史スゲー!


・日本銀行本店本館
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三越と三井本館が道を挟んでお隣同士で、その間の道を奥に進むとまた怪しいレトロ建築が出てきます。それが日本のお金の中心地、日本銀行本店!の本館!明治29年(1896)竣工、設計は当時日本で洋風建築を設計させるならこの人!という感じの辰野金吾さんです。東京駅とか関西記事で出て来た大阪市中央公会堂や日本銀行大阪支店旧館、京都で金カム展が開催された京都文化博物館別館などを手掛けた人です。なんとなく、「辰野金吾っぽい…!」を感じていただけますでしょうかw

大きな建物なので写真に入りきらず、わたしの撮った写真だけだと全貌が分からないと思うので、気になる方は検索などして見てみてくださいね。この建物はロとコを合体したような形になっていて、低層はロで2階以上ある部分はコになってる…のかな?屋根のエメラルドグリーンがキレイなので是非上からの写真を見てみてください。
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↑これは側面、わたしが総理大臣になったらレトロ建築の周りに木を植えてはいけない法律を作るんや…

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・ときわ橋
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日本銀行本店を越えて更に奥に行くと、江戸時代には江戸城の一番外側のお堀であった日本橋川があり、そこにちょっとレトロな橋が架かっています。それが常盤橋。旭川に行ってから「橋」の重要性に気付いたわたし、最近橋も気になるようになりました(旭川記事参照ですが大したことではないですw)
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「昭和元年拾弐月完成」と書かれています。昭和元年、つまり大正15年は12月25日までなので(大正天皇が亡くなったのが12月25日で即日昭和に改元された)、ほんとだとしたら昭和元年12月完成はものすごくレア。

橋を渡ったところにまたオッサンの銅像が…
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渋沢栄一翁やん…!渋沢栄一氏の功績については大河で吉沢亮氏のご尊顔と共に眺めていただくなどしていただいて、常盤橋の保存に尽力されたからの銅像のようです。

常盤橋というか…
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この常盤橋門だな!

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江戸時代の!江戸城の石垣が!現存!これが、渋沢栄一翁のおかげ!

元々江戸時代に江戸城の城郭として常盤橋門があり、そこに架かる常盤橋があり(当時は木造)、場所的にも手狭であるため少し位置を動かして車両も通れる橋として造られたのが先ほどの昭和元年12月完成の常盤橋。

そして本来の常盤橋があった常盤橋門跡にも、もうひとつの歩行者専用のときわ橋が架かっています(区別するためにこちらを常磐橋と書くそうです、般の下が皿か石かの違いですね)。コレ、大理石ってやつなんじゃないかなと思うんですけど…。
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紀元2537年(明治10年)6月に木造から石造にかけ替えられた模様。近年、東日本大震災による損傷の復旧工事を終えたばかりなので、真新しい感じではあります。
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橋の渡るところが3層に分かれてるのは、明治時代に造られた当時、中央を馬車、両サイドを歩行者が通るよう区切っていたからだそうです。現代の車道と歩道と同じ考え方ですね。
歴史的な場所でもあり、白い大理石?の支柱も美しく、向こうに日本銀行本店本館のレトロ建築が見える(高架と手前の建物がジャマだけど…)ステキな橋なので、常盤橋と常磐橋、合わせて渡ってみてくださいね。


オマケ情報として、日本橋の三越新館のお向かいに、新潟のアンテナショップもあるので合わせてお立ち寄りいただいてもいいかも。新潟のお菓子や地酒、色んな名産が並んでいます。金カム民には馴染み深い「いごねり」も、巻いごと角いごそれぞれありました。まだ食べたことない方はコチラで買えますよ。

↓お店の詳細


↓いごねり(巻いご角いご)食べてみたレポ


以上、丸の内・日本橋周辺のレトロ建築情報でした。


あともうひとつシュミ丸出しでいいですか…!個人的に気になってるというか、思ってることがレトロ建築絡みであるんですけど、アニメ4期のOPで第七師団の面々が居る暗い部屋みたいなのがありますよね。後ろに幾何学的な形の窓があって後光がさしてるみたいなあのシーン。なんかココ↓に似てるなって。



見比べなくても全然違いますし、あくまで建築の雰囲気が似ていると感じるって話なので、聖地でもなんでもないです!わたしの知識不足なだけでもっと適する場所があるのかもですし。ただレトロ建築オタクとして、明治村の帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトが同じく手掛けた明日館もご紹介しておきたいなと思ったということです。ライトの建築自体が幾何学的な形を多用しているので、ココに限らず、「ライトっぽい窓の背景だな~」と感じる…と言ってもいいかも。

行ってみたいと思いつつわたし自身まだお伺いしたことがないのですが、皆さまももし行かれる時は、あくまで聖地巡礼ではなくレトロ建築を楽しむために見学されてくださいね。はい、レトロ建築オタクの余談おわり!



以上、東京のゴールデンカムイ聖地情報でした!

最終的に、ただただレトロ建築オタクの暴走になってしまってすみませんいや~書いてて楽しかったですwみんなもレトロ建築オタクになればいいのに…!

オタクさんの旅行(遠征)は予定が詰まってることが多いと思うんですけど、比較的、何かのついでに行きやすいところが多いと思うので、現場の近くとか、気になるところから訪ねてみてはいかがでしょうか~。お金にゆとりのある方は帝国ホテルに泊まってみるのもいいですね。