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旭川と言えば陸軍第七師団が駐屯し、軍都と呼ばれ栄えた地域。
ゴールデンカムイ、どの陣営もみんな大好きなんですけども、特に第七師団(鶴見陣営)が好きな鯉登少尉推しのわたしとしては、押さえておきたい聖地でした!

3度目の北海道金カム聖地巡礼をするに当たって、どこに行こうか~というのはすごく悩みました。年イチくらいでしか北海道に行けない中で、網走監獄まだ行けてないし、最終章を受けて函館も行き直したいし、開拓の村や札幌の辺りも取材し直して記事を更新したいし、いやいや金カムなんだからここらできちんとウポポイとかアイヌ系の場所に行っとくべき?とか。

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↑旭川と言えば旭山動物園。そんなチャラついたものに興味はないぜ!聖地巡礼の旅は過酷なのだ。キャワイイ。

旭川の場合、作中に出て来た連隊の建物自体は開拓の村にある旧札幌農学校寄宿舎がモデルだったり、この建物が〇〇編の重要な現場で~とかもあんまりなくて…旭川市博物館とか北鎮記念館とか行けばそれはもちろん楽しいだろうし、行きたい気持ちは山々だけど、聖地ともまた違うしな…?みたいな。とはいえでもやっぱり第七師団が好きだから旭川は行っておきたい!という気持ちで旭川に決定。

現地に行って気が付きました。いや待て旭川、聖地すぎるぞ…?!

旭川、最高の聖地でした!完結を受けてのタイミングで選んだ場所が旭川でほんと良かった!その境地に至った理由を含めて聖地巡礼レポしていきたいのですが、その件もそれ以外もゴールデンカムイ最終話まで読了している前提で書きますので、ある部分に関してはかなり重大なネタバレにもなります。最終話まで読まれていない方はご注意…というか読まないでください楽しみが減っちゃうんで…!



まずはいつものマップご紹介。

例によって↓の観光協会さんに事前にパンフレット請求を致しまして、地図や興味がありそうなところのパンフレットを送っていただきました。


割とよく現地の観光協会さんに地図・パンフを事前請求をするのですが、やっぱり紙の地図って便利で、特に現地を歩いてて道が分からなくなったりすると、スマホだと拡大縮小とか便利なんですけど全体像とか方向・距離感なんかが掴みづらかったりして。わたしがアナログなだけかもしれませんがw、紙の地図があると安心感がありますね。あと聖地は必ずしも観光マップにピックアップされるような場所じゃないこともあるので、先に手に入れておいて現地で使う地図に書き込んでおけるのも良いかと。


①旭川市博物館

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旭川駅の西側(感覚的には裏口側)に忠別川が流れていて、橋を渡って少し歩くと大雪クリスタルホールがあり、その中の一部が旭川市博物館になっています。駅から徒歩10分前後かな。地図や案内板には博物館ではなく「大雪クリスタルホール」で書かれてることも多いので、この名前も覚えておいてくださいね。

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先生のサイン色紙は受付カウンターを少し回ったところにありまして、よそ見したり受付を済ませてカバンにしまったりしてるとウッカリ通り過ぎてしまいそうです。見落とさないように気を付けてくださいね(置き場所に変更があったらごめんなさい)

展示エリアは2階分あり、旭川(上川地区)に住んでいたアイヌ民族の文化、屯田兵の暮らし、旭川市の歴史と切っても切れない第七師団、大雪山とそこに生きる動植物について、などの展示がされています。金カムをお好きな方なら、どこを取っても関連性を見つけていただけるのではないでしょうかw我々が見たい・知りたい旭川の大枠がココでまとめて学べるので、旭川聖地巡礼の一歩目におすすめです!駅からも近いですし。

↓チセの復元
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ホンモノのチセ(復元含む)を見たの初めて。中には入れないけど「こ、ここが鯉登さんが臼を躍らせたあの…!」「これがマタギが火のついた藁を投げた窓…!」と感慨もひとしお。

↓定番のお衣装
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↓装飾品などの小物
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↓こ、これシライシのお守りと同じシリーズのやつや…!
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イナウやマキリなどの「いつものやつ」も色々あります。

↓展示エリアはそれぞれ違うんだけど…トゥレプ(うばゆり)と
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くちばしがオオウバユリの根を掘る道具トゥレプタニに似てるから名前がトゥレプタ チリになったヤマシギ!
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↓大雪山の生き物と言えばエゾナキウサギ
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大雪山の高度による動植物の生息域。大雪山エリアはガッツリ虫ちゃんの標本が並んでる場所があるので、苦手な方はご注意を…!

↓屯田兵の暮らしぶりの紹介
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↓師団と旭川
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↓旭川駅(一番右)の正面にある師団通りとその周辺の通りにあった建物を模式的に再現
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実際の展示はもっと大きく左側に続いています。写真左側の交差点が一条通りとの交差点で、↓が昭和5年当時の一条交差点から見た師団通りの景色。二条交差点、三条交差点、と続いていきます。
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この辺り、旭川観光のポイントになるので、後でもう少し詳しく説明します。

↓そして唐突にゲロリ
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などなど、他にも金カムのオタクなら「おっこれは!」となる展示がたくさんあります!

今ご紹介したのが常設展の一部なのですけど、ちょうど自分が行った時に旭川の歴史を紹介する企画展をやっていまして(会期終了しています)、明治辺りの年表や当時の写真、もう少し時代が進むと当時の生活用品なども展示してくださってたんですけど…

待って…よく考えたら昭和20年(1945)までは鯉登さん旭川に住んでたってことじゃないの…?

そうなると俄然旭川の守備範囲が広くなるんですよ…!!そこに至るまでの間ずっと旭川にいたわけではないと思いますが、少なくとも、「最後の第七師団長」になってからは旭川を本拠地としていたであろうから、鯉登さんの足跡を昭和20年の旭川までは辿ることが出来る…ということなんです。右腕を全うした月島さんも。しかもちょっと立ち寄りました程度じゃなく、結構深く根を下ろしたと言えるであろう第七師団長の肩書…!もちろんその右腕を全うした月島さんも!

完結を経ての旭川聖地巡礼…最終話で鯉登さんが少なくとも昭和20年(59歳になる年)まで長生きしてくれることが分かっただけでも有難かったのに、立派な軍人さんになってくれたことが分かっただけでも嬉しかったのに、その足跡が旭川に残ってると思ったら…感無量です。野田先生その節は本当にありがとうございました完結おめでとうございます…!

と、だいぶ鼻息荒い説明になってしまいましたが、例えば先ほどの師団通りの一条交差点の風景写真、昭和5年か~明治じゃないしな~…なんて思う必要ないんです。この景色を、鯉登さんと月島さんは見た!恐らくそうでしょう。徒歩なり馬なり車なり、地理的に確実に通った道だと思います。一条通りの写真は一例で実際の展示はもっと色々ありますので、この視点で見たらここは、いや旭川は宝の山です。令和の世において、明治のものを見つけるって結構難しいけど、昭和初期くらいなら割とありますし。この楽しみ方が出来るのは、「その後」の設定を具体的に時間と場所を絞り込める程度に描写された鯉登さんと月島さんだけ…つまり旭川だけなんです!これが、旭川が最高の聖地である所以…!

そんなわけで旭川のあゆみを紹介する企画展から一部ご紹介。年表見てるだけで幸せな気持ちになったの初めてだよ…w

↓日露戦争辺り
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1902年の国内最低気温氷点下41℃の記録は2022年9月時点でまだ破られていません
(ちょうど同時期に青森八甲田山で例の遭難事件が起きていた模様)

↓「最後の第七師団長」の辺り
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↓明治期の旭川
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↓「七師団司令部」と書いてあります
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↓「偕行社」
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ちょっとインクが薄いけど旭川偕行社!コレ後から説明しますね!

↓初代旭橋
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旭川駅から師団通りを通って第七師団の駐屯地を結ぶ、石狩川に掛かる橋。これも後ほど説明を。


ちなみに博物館の手前にある売店(博物館に入館しなくても利用出来ます)は、わたしが訪ねた時は15時閉店で、博物館より早く閉まってしまい寄れませんでした。アイヌの何かとかシマエナガちゃんとか可愛いものがありそうな雰囲気だったのに…売店に寄りたい方は15時前には着いているようにした方が良さそうです。時期とか日によって時間に変更があったらすみません。



②北鎮記念館

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陸上自衛隊第二師団旭川駐屯地の一角にあり、北鎮部隊と呼ばれた旧陸軍第七師団の足跡を中心に、旭川の歴史や現在の自衛隊の活動を紹介している博物館。まあ、もう、金カムのオタクさんには言わずもがなだと思うのですが…w

まず行き方は、旭川駅からならバスをお勧めします。旭川駅を出て正面のバスターミナルの案内板に、主要な観光地へ向かう路線バスの乗り場と時刻がリアルタイムで出るQRコードがあって、北鎮記念館はここに載ってたので便利でした(要:QRコード読み取ってネットに接続出来る機器)。旭川は乗り入れてるバス会社がめちゃくちゃ多くて、同じ場所に行くのでも違う会社の別の路線に異なる乗り場から~みたいになるので、ぽっと出の観光客に把握できるシステムじゃないと思うんです…!そんな中で、このQRコード案内板はピンポイントで欲しい情報を見られるので、お陰さまで北鎮記念館に行くの だ け は スムーズに出来ました。

時間に大幅に余裕があって散策も兼ねて街歩きしてみたいという方は、師団通り(現 平和通買物公園 という名の道)を歩いて旭橋を通って…と、かつてこの道を歩いたかもしれない誰かの顔を思い浮かべながら歩くのもいいと思います~。

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受付の際、タイミング良くガイドの方がお手隙だったようで、案内要りますか?と聞いていただけたので、折角なのでお願いしました!(現職自衛官の方がガイドしてくださいます)

内心で、ガイドしてもらうとオタク的に撮りたい写真とかが撮りづらいかな…?と一瞬迷ったのですが、初っ端から
「ゴールデンカムイですか?」
「ハイソウデス!」
「じゃあ1時間くらいゴールデンカムイ仕様の案内しますんで。大体皆さんその後一旦売店行って、もう1周して撮影して、最後にまた売店寄って。大体2~3時間くらい見学していかれますね!」
うん、すごくご理解いただけてるー!オタクの生態を把握していただいてるー!という感じで…2回も回ったら変に思われるかも?とか、変な心配は全然要らず心行くまで見学させていただけたので、ガイドしていただける状況でしたらお願いされるといいと思いますっ。あとこの日残りの予定も詰まってたし「そんな2~3時間もおらんやろw」って思ってたんですが、結局2時間半がっつり掛かりましたのでマジ時間泥棒…。

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展示は、旭川が開発されるに至った経緯から始まり、屯田兵を経て第七師団発足…と旭川市博物館の展示を復習するような流れで始まり、日清・日露から太平洋戦争終戦まで、第七師団の動きを軸に紹介されています。金カムオタク的に言うと日清日露辺りなのですが…そもそもが軽いミリオタなのでどこを見ても興味深く…更に「最後の第七師団長」に至ることを考えると、もう外せる時代がない…!

ガイドは金カム仕様ということで明治までを厚めに全体をざっくり説明しつつ、オタクの目が光るところを逃さず取り上げてくださる感じ。ガイドさん全員ではないかもですが、わたしがお伺いした方はゴールデンカムイも好きで読み込んでらっしゃるとのことで、割と細かいネタまで色々お話出来て楽しかったです~。

美味しいところを全部紹介しちゃうわけにいかないので一部だけ…。

↓1階でひときわ目を引く陸軍少尉の大礼服
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…を脳内で鯉登さんに着せてキュンするだけの簡単なお仕事。

↓上2本村田銃、一番下ウィンチェスター銃
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二瓶さんの村田銃はゲンミツに言うと何かのサイズ(口径?)がこの2本の中間に当たるそうです。土方さんは何故ウィンチェスター銃をくるくるするのか?も解説していただきました。

↓歴代第七師団長のお写真
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↓第十八代 鯉登…鯉登……
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↓音之進さんでした!
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(ちょっと失礼な形になってしまってごめんなさい)

他にも苗字や名前が師団界隈のキャラと一致する方もいらっしゃって、今となっては鯉登さんをああする前提の目くらましでブラフ散らしてたのかなとか考えてしまうのですが、連載中に「同じ苗字だな!もしかして鯉登少尉も師団長になるのかな?」と思われた方もいらっしゃったかもですね。

ちなみに太平洋戦争開戦が昭和16年(1941)12月8日。本来の第十八代鯉登師団長と同じと考えるならば、太平洋戦争の間ずっと鯉登音之進さんが師団長を務めていた…と言えます。どこまで設定をダブらせてるのかは分からないですけど。師団長ということは階級としては中将だったと思われますが、海軍少将だったパパをひとつ階級でも超えられる立派な軍人さんになれた~というのもあのひとコマに詰まっているわけですね。

※当初この流れでわたしの勘違いで鯉登パパについて少将=艦長というような説明をしてしまっていたのですが、最終章の函館湾での攻防の際に「鯉登司令官」と呼ばれているように、鯉登パパは雷の艦長ではなく、雷型駆逐艦4隻からなる艦隊の司令官という立場だったものと思われます。間違った説明をしてしまってすみませんでした。
階級と役職について、これは太平洋戦争時なので明治期の軍制とは異なるかもしれませんが、艦長=大佐で、艦長職の大佐が少将に昇進するとそれだけで艦長ではなくなり、司令官等、上の役職になっていたようです。


↓レルヒさんが伝えたスキー
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ここ本来金カム的には谷垣一等卒他がスキーする時に使った毛皮を張ったスキー板に注目すべきなんですが、わたしは敢えて金カム聖地巡礼オタクとしてレルヒ中佐、いやレルヒ少佐の説明をしますよ!レルヒ少佐、新潟県上越市高田で最初に日本にスキーを伝えたオーストリア=ハンガリー帝国の軍人さんですが、この話、このブログのどこかでも出てきましたよね。そう、明治村の長谷川写真館こと「高田小熊写真館」で解説しました!

小熊写真館の店主小熊さんは新潟の陸軍第十三師団の写真も撮っており、レルヒ少佐が十三師団の偉い人とスキーをしている写真を撮影されています(↑のパネルのレルヒさんがその写真の切り抜き)。その時少佐だったレルヒさんが、北海道でスキーを教える頃には中佐になっていたんだなぁ(ホッコシ)という感じのコーナーでした。

↓長谷川写真館こと「高田小熊写真館」についてはコチラ


↓日清戦争時の写真
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あくまでなんとなくなんですが、日露戦争時に鶴見さんと月島さんが撮ってた写真(小樽に来た鯉登少尉がもらって喜んでたアレ)に雰囲気似てる気がして。こちらは日清で、背景も違うし、この写真のお二人の階級は不明ですが鶴見さんは将校なので座ってますけど、コートのもっさり感とかが当時の質感そのままなんだなぁって感じます。

↓当時の駐屯地のジオラマ
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かなり大きいので全体を撮影するのが難しく、ちょっと分かりにくいと思うのですが…
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写真上側の建物があるエリアの左側(見切れ除く)のブロックが歩兵第27連隊の場所。作中でシライシ奪還して逃げる際に尾形さんが「杉元こっちはダメだッ 南へ逃げろあっちだッ」と言いますが、27連隊の南は写真下半分の練兵場。この練兵場に飛行船部隊がいて、そこまで走ったのでは~?と解説していただきました。なるほど。

↓歩兵上等兵装備一式
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「尾形上等兵を意識してます」っておっしゃってたので、そうゆうことでしょうw

↓鶴見数馬少将の軍服
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色が目立たないけどさすが少将だけあって袖のグルグルがパネェ。いや~しかしこの肋骨服、ブーツ、そしてこの佇まい。コチラの鶴見さんを思わせますね。

↓手前が38式歩兵銃、奥が99式歩兵銃
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↓30年式銃剣
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金カム的展示(一部抜粋)はこの辺で。
金カム絡まない展示もたくさんあるんですけど、普通こうゆう博物館て内容的にも展示物的にも太平洋戦争側に重き置かれがちだと思うのですが、北鎮記念館は全力で僕たちの味方ッ!金カムの民としての満足度はめちゃくちゃ高いです。

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↑本来なら軍服を試着出来るコーナーも

1階の図書室にゴールデンカムイの単行本が全冊(たぶん)置いてあって、お母さんと来たのであろう小学校高学年くらいの男の子が読んでくれてました!うん、大丈夫かな?ヤンジャンだぞ

建物内の展示も胸アツですが、建物裏にもこんなものが。
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↑第七師団司令部 門柱
在りし日の第七師団の面影がここにとどめられているのですね…

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↑第七師団 師団長官舎 門柱
つまりコレ…鯉登さんのお家の門…ってコト!?
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実家にも行けるし生まれ育った土地にも行けるし少年期に監禁された建物にも行けるし青年期に仕事で立ち寄った数々の場所は言わずもがな、壮年期に住んでいた家の門まで見に行ける…鯉登さんマジ最高の推しだな!


そして北鎮記念館で絶対に外せないのが、第七師団司令部 購買部(売店)!万が一、間違って寄らずに外に出てしまったら、近くのローソンのATMで現金を下ろして戻ってくださいとゆーくらい外せない場所です!自衛隊のグッズ、旭川のおみやげはもちろん、金カム公式のグッズが色んな種類揃えられているんですよ…!圧倒的垂涎!

でもね、推しのグッズは全て即日予約してダースで手に入れていますって方もいらっしゃると思うんです。持ってないグッズはないぞ、と。そんな方にもオススメしたいのがコチラ、第七師団クマちゃん…!!
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かわいい…!あまりにもかわいい…!

しかもコレ、購買部の手先の器用なお姉さん(店員さん)がとことこミシンで作ってくださってるんですよ…!北鎮記念館だけなんです!クマちゃん本体は元々自衛隊のグッズとして自衛隊の装備品を着用して然るべき場で売られてるものだそうですが、そのクマちゃんと、ハンドメイドの軍服を購入して、着せ替えてあげると、更に更に可愛くなっちゃうってことなんです…!

わたしは鯉登少尉セットで買いましたが、他にも一兵卒とか上等兵とか細かいところまで分けて作ってくださっています。お手製なので常時あらゆる在庫があるわけではないと思うので、見当たらない時は店員さんに聞いてみるのがよろしいかと。ちまっとしたお洋服が「ヤバイ」以外の語彙力を失うくらい可愛くて最高なので、師団メンズ好きの皆様は北鎮記念館に行ったら必ずチェックしてください…!

このクマちゃん、ただお洋服を着せられるだけじゃなく…
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頭頂部に磁石が仕込まれているので、同じく磁石を入れて作ってくれているお帽子までかぶれちゃうんです!但し…磁石でくっついているだけなので、カバンの出し入れとかの時に、気にかけていないと取れてしまう可能性を感じます…というか…取れて落としました…神居古潭で…買って数時間後に………あの子はきっと神居古潭の底でイペタムになったのだ……。

みんな、帽子の取り扱いには気を付けてね!!わたしとの約束だぞ!!
(クマちゃんのお帽子はその後、Twitterで嘆いているのを見かけた心優しい旭川の方々が助けてくださり、おかげさまで二代目をお迎えすることが出来ました!その節は本当にほんとうにありがとうございました…!)


▼TIPS:北海道護国神社
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北鎮記念館最寄りのバス停でもある護国神社。北鎮記念館のお向かいにあるのですが、護国神社という名前の通り国防、特に土地柄的に第七師団とご縁が深いようです。

コチラには樺太に置かれた例の国境標石のレプリカがあるそうで、北鎮記念館の方に勧めていただいたのですが、いかんせん護国神社がデカすぎて、どこにあるか分からないものを探してる時間がないんだよね・・・!北鎮記念館の時点で想定を大幅にオーバーしてますしね!…とゆーことで、北鎮記念館と合わせて国境標石も見たい方は、お時間に余裕をもって行ってみてくださいね。

↓国境標石はのレプリカは明治神宮外苑にもありますの記事




③旭川偕行社
 現:中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館

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偕行社というのは陸軍将校の親睦や学術研究を行うことを目的として設立された団体で、引いてはその団体が社交場として建てた建物自体も「偕行社」と呼ばれ、主だった師団に全国的に作られました。今回ご紹介するのはその中の旭川第七師団で使われていた偕行社という建物になります。全国の偕行社もいくつか現存しているものもあるようですが(建物のデザインはそれぞれです)、やはり数は少なく、復元修理を経て当時の姿を今にとどめる旭川偕行社は大変貴重な存在…!国の重要文化財に指定されています。

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北鎮記念館の項目で出て来た旭川駐屯地のジオラマの写真(引きのほう)、あの右上のブロックに偕行社あります。コレと現代の偕行社を重ねると、じゃあどの辺に27連隊があったんだな~練兵場はこの辺か~とか、なんとなく見えてくる気がします。

自分は北鎮記念館→偕行社の流れで行ったのですが、ほんとは徒歩で旭川駐屯地の風を感じながら歩いて行きたかったんですけど、北鎮記念館のガイドさんに「40分くらいかかりますよ」って言われてバスに切り替えました…が、数か月前にバスのルートが変わってたらしくて、降りるつもりのバス停を通らないまま気が付いたら終点だったんですよね。幸い終点と言っても近い方向性で若干通り過ぎてた程度だったので地図見ながら10分くらい歩いて辿り着けたのですけど、この有り様なので、正しい行き方は分かりません!

旭川偕行社は現在「中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館」として公開されています。外観はふつうに見ることが出来るのですが、中をご覧になりたい場合は彫刻美術館としてお金を払って彫刻と共に楽しんでいただく形になるかと思います。建物内装の撮影は可とのことでしたが、建物撮影のつもりでも撮影不可の展示内容の場合映り込みNGであったり、撮影可の展示物でもSNS等ネットへのアップは禁止だったりするで、展示物の映り込みにはご注意ください(レトロ建築写真撮りたいマンとしては少し残念です…w)


コチラは実際に建物が作中に出てきました!

外観は6巻50話で網走監獄に行くと言うアシリパさん達に地理の説明をする際、谷垣ニシパが「旭川は第七師団の本部がある」と言うコマに使われています。
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このコマ、建物は実際の写真を絵にしてる感じがします。現存しているからこそ出来ることですね…!

内装はご覧いただけばピンと来るでしょう!
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18巻の中表紙にも使われている鶴見中尉ソロのカラー絵ですね!もっとアングルは下からアオリで撮るべきだったんですが…しかしながら黒塗りの手すりの艶やかさ、黒と白と絨毯のオレンジ?のコントラストの美しさは正にあのカラー絵と寸分違いません…!先ほどご説明した偕行社の使用用途を考えても、実際に鶴見さんもこの偕行社を利用されていたが故のこのカラー絵かと思われます。

…と、いうことは?

小樽で鶴見陣営に合流する前に旭川にいた鯉登少尉も立ち入りしていたかもしれないけど…師団長だったら絶対ひゃくぱー使うやん…恐らくその右腕の人も…。
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つまりこゆこと…?もう…旭川こわい…精神的鯉登さんの聖地が多すぎてこわい…

部屋の柱にはトレードマークの★
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部屋によって2個だったり1個だったりするけど用途による格の違いからかな?

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どこを見ても絵になる美しさですね~バルコニー出てみたかったな~

2階の一室では偕行社自体の説明をしている部屋もあります。旭川偕行社は時代の流れの中で一旦は廃墟のような状態にまでなってしまっていたらしく、そのまま取り壊されていた可能性も低くなかったと思います。莫大なお金がかかる工事にも関わらず復元修理し、現代に残していただけていることに感謝しきりです。

余談ですが、意図せずしてバスで終点(春光バスセンターだったかな…?)まで行ってしまって歩きで偕行社に向かう際、バスセンターのすぐ近くでこんな建物を見つけました。
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こ、これはどう考えてもその筋の建物やろ…!

石碑には「騎兵捜索第七聯隊跡」と書かれています。捜索がちょっとわたしの知識では分かりませんが、騎兵第七聯隊の覆馬場(おおいばば)、屋根付きの屋内型馬場だったようです。現在は企業が倉庫か何かで使用している感じでした。この辺りが第七師団の駐屯地だった名残ですね(今の陸自第二師団旭川駐屯地よりだいぶ広かったことが分かります)ええもん見れたぜー!とゆーことで、終点まで行ってみるのも一興かとw



④神居古潭

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作中では、夕張での江渡貝くんの一件の後土方さん他が月形に宿泊した際、シライシが脱走し第七師団に捕まり、旭川に連行される途中で土方・キロランケが何度か奪還を試みるも失敗、深川村にて豆菓子売りに扮した土方さんが「カムイコタン 吊橋」とシライシにメッセージを渡し、神居古潭で最後の作戦が決行される…とこんな感じ。地図を見てみると実際月形町から旭川に行く道のりに深川市があったり、旭川に着く少し手前に神居古潭があるのが分かると思います。

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↑神居古潭最寄りバス停(夢殿観音)近くの標識。右矢印に神居古潭、直進矢印に札幌・深川

でっかいどう的に言うと「旭川に着く少し手前に神居古潭」ですが…実際我らヒト族が行くとなると結構難儀ですwまず徒歩はナシです!距離の2/3くらいが結構交通量がある山道で、走ってる車もかなり飛ばしてるので危ないし、Googleさんでルート検索したら片道3時間15分て出ました。自転車(レンタサイクル)も走りやすい道ではなさそう…。車が運転出来たり、お金に余裕がある方、グループの方は潔くレンタカーやタクシーを使う方がスムーズです。距離や道中の安全性もそうですし、何より時間に融通が利く…!

わたしと同じく路線バスで行かれる場合は、数時間に1本ペースなので時刻表を早めに確認して予定を立ててくださいというのと、行きと帰りの時間がめちゃくちゃ空く可能性もあること、あと絶対帰りのバスがある時間に出発してください。万が一バスがなくなると歩いて帰ってくるのは困難なので(季節によっては死活問題です)。降りるバス停は神居古潭でなく「夢殿観音」で。5分くらい石狩川沿いをお散歩して吊橋に着く感じで、案内表示が出てるので迷うこともないと思います。

わたしの場合、まず午前中神居古潭行って戻ってきて午後に北鎮記念館とか偕行社とか行こうってざっくりプラン立ててたんですけど、朝旭川駅に来た段階で神居古潭行きが1時間待ちだったので(本数が想像以上に少ないってここで気付く)、午前午後の予定を入れ替えて北鎮記念館向かったんです。で、北鎮記念館に時間泥棒されたり乗ったバスがいつの間にか終点に着いてて予想外の徒歩が入ったりしてる内にどんどん時間がずれ込み…神居古潭行きのバスに乗れたのが結局16時頃だったかな。片道30分くらいで現地に着いて、一通り見終わっても帰りのバスまでまだ1時間以上余ってて…神居古潭前の売店やトイレも17時で閉まって観光客含め誰もいなくなっちゃうし…旭川駅出る時点で最終19時台のバスがあることは確認していたのですが(実際に乗ったのは18時台)、夕暮れの中誰もいないバス停で目の前をビュンビュン走り去る車を眺めてる心細さったら…!真夏だったので日は長かったし気温的な問題もなかったけど、季節によっては万が一のことがあるとマジでヤバいので、神居古潭に行かれる時はガチで注意してください。

で、これも旭川の難解バス事情なのですが、神居古潭(夢殿観音)を経由する路線バスが別会社で2路線あって、且つ片方の路線は別のバス会社2社が共同運行してるみたいな…な…何を言っているのかわからねーと思うがおれも何がどうなってるのか分からなかったってばよ。そんな状態なので、旭川駅から出発する時刻表はバスターミナルで見れるとしても…帰りのバスは何を見たら良いのか分からないんです。普通時刻表って会社ごとだからネットで調べても情報が断片的で…駅の観光協会的なところで聞けば包括的な情報がもらえるかも?確実なのが神居古潭のバス停に書かれている時刻表なので、帰りの時間に不安がある方は、神居古潭に向かう前に、向かい側の帰りのバス停で時間をチェックしておくといいのかなと思います。そしたら神居古潭でどのくらい時間使えるかも分かりますし、安心して回れるかなと思います。

はい!だいぶ前置きが長くなってごめんなさいですが、ここは市街地の聖地と違って簡単に行って帰ってが出来ない場所なので、気に留めておいていただければと思います~。

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吊橋以外にも川周辺にイペタムの伝説のようなお話がいくつも残ってるんですね。

土方さんが斬って落としちゃった吊橋。
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吊橋は代替わりしていますが雰囲気はあんな感じ。木組みの橋ですが、幅広でしっかりしてるので、怖くて渡れないようなことはないと思います。

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作中では「10人以上渡れません」でしたが、今は「100人以上渡れません」になっています。強度10倍!

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作中の解説のイメージで、川の流れが急な難所ってイメージ持っていたのですが、実際はむしろ流れが穏やかなくらいで、景色が良くて癒される…。ここから少し上流にダムがあったので、そのおかげで今はコントロールされているのかな。

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吊橋を渡るとかつての神居古潭駅の名残が。残しといてほしかったなぁ神居古潭駅…そしたらあんな苦労してバスで来なくて済んだのに……。
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更に山の中はハイキングコースになっていて、北海道の自然と触れ合いたい方は神居古潭で1日フィールドワークするのもいいですね(要:それなりの装備)

作中で何カットか吊橋以外の神居古潭(石狩川沿い)の絵が出てきます。自然の景色のため「ココが!こう!」とは言いづらいのですが…
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初めて来たのに、来たことがあるかのような景色ですよねwバス停から吊橋まで歩く道すがらこういった景色が見えるのですが、夏で草が生い茂っていて川が見えないところも多かったので、ビンゴの場所を探すんだったら春とか秋の方が良さそうです。

↓唯一93話シライシが川から上がったページの最下部のコマはココかなって看板のおかげで。
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▼TIPS:旭豆
神居古潭の説明の最初に「深川村にて豆菓子売りに扮した土方さんが~」と書きました。長らくこのエピソードを、当時よくあった路上行商人と言えば豆菓子売り…というような意味だと思っていたのですが、ちが・・うんですね!旭川に明治時代から続く豆菓子屋さんがあって、「旭豆」と呼ばれる名産だったからの豆菓子なんですね…!いやはや勉強不足でありました…!

この件、旭川に行ってすら気付いてなかったのですが、旭川にお住いの金カムファンの方に教えていただいて、そゆことか…!と。(その節は本当に有難うございました!2nd)
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パッケージのアイヌの女性も、単純化した北海道の中で旭川ココだよ!ってデザインも素敵ですよね~。何より明治35年に作り始めてから今も変わらない味が現代でも楽しめる…ってオタクにはたまらないやつー!食べる聖地!

シライシはもちろん、土方さんやキロちゃんもちょっとつまんだかもしれないし、師団メンズも甘いものがお好きな鶴見中尉を筆頭に恐らく食べてると思うんだよなぁ…。旭川に行かれた方は、自分にもお友達にもおみやげにどうぞです。



⑤旭川という街

ここまでお伝えしてきた通り、旭川という場所は作品に登場した場所や建物がある聖地であり、作品に関わりが深い陸軍第七師団やアイヌ民族などの文化を学べる聖地でもあり、そしてゴールデンカムイの「その後」に触れることが出来る類いまれな聖地でもあります。

いつもだと聖地ではないけどオススメしたい場所などをグルメ情報などとまとめて別枠でご紹介するのですけど、敢えて旭川は、その土地自体を聖地としてご紹介したいと思います!


▽師団通り
かつて旭川駅から第七師団の兵営に続く大通りを「師団通り」と呼んでいました。作中でも10巻97話で旭川の解説の際に、師団通りの説明もされています。太平洋戦争終戦により第七師団は解体、師団通りは平和通りと改められ、その後1972年に現在の「平和通買物公園(へいわどおりかいものこうえん)」という名の恒久的な歩行者専用道路、8条通りまで続く全長約1㎞の公園となりました。
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↑平和通買物公園の入り口(撮影者側に旭川駅)

つまりですね、この平和通買物公園を歩くということは、鯉登さんの足跡の上を歩くのと同義なんですよ…!だって駅から駐屯地に続く道なんだよ?!絶対歩いたじゃん!歩きじゃなかったとしても、残り香くらい残ってるって昭和20年くらいだったら!全然あるよ!

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わたしが行った時はちょうど夏祭りの2日目でお神輿担いで練り歩いたり、夜にはねぶたみたいな屋台?引き回したりよさこいみたいな踊りしたりで盛り上がってました~。

↓SINCE1899と書かれた素敵なレトロ建築のお店
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こうゆうお店とかもきっと目に触れていたはず…!

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↑買物公園の終点には謎のオブジェ…


▽旭橋
師団通りからちょっとくいっくいっと歩くと(地形上真っ直ぐ直進ではないのですが)雄大な石狩川に掛かる「旭橋」があります。北海道三大名橋にも数えられた深い緑色の欄干が美しい橋でして、今でこそ周囲に何本か橋がありますが、昔は第七師団の兵営に行くとしたら師団通りを通って旭橋というのが常だったのではと思います。

初代旭橋は明治25年(1892)、旭川市博物館の項の企画展のところで写真ご紹介しましたね。恐らく金カムの師団メンズも初代旭橋を通っていたと思うのですが…昭和7年(1932)に建て替えられた二代目旭橋がコチラ↓
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鯉登さん見てたやん絶対…!通ったやん…!橋なんてどう考えても通るやん!川越えなあかんのやから!例えここに至るまでにどんなルート通ってても収束されるわ!もちろん右腕の方も同行…したでしょう!昭和初期に掛けられた橋が今でも現役、おかげで鯉登さんと月島さんの足跡を踏みしめることが出来ます…古いものを大切にする旭川の街、ありがとう…!

↓二代目旭橋は太平洋戦争中、国威発揚のために旭日章と軍人勅諭綱領の額が掛けられていましたよの展示
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旭川市博物館の企画展にて

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コチラは北鎮記念館、半月型の板が1/2サイズの木製のレプリカ

わたしの撮った写真だとちょうどこの欄干の正面部分が見えにくいのですが…二代目旭橋を渡る度に、最後の師団長及びその右腕さんはこの額を見上げていたんだろうなぁ…と思えるエピソードでございます。

↓瓦の敷石が★なのも北辰旗から来てるのかな?
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旭橋も、石狩川や周辺の景色もキレイなので、駅からはだいぶ歩くけど是非お散歩しに来てほしいところ。


▼レトロ建築
函館や小樽は犬も歩けばレトロ建築に当たるレベルで明治~大正~昭和初期くらいのレトロ建築を見ることが出来ましたが、旭川もお散歩してると時々見つかりますね!買物公園ではない通りを歩いていても…

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↑ビールがナントカって書いてあったんだ…なのに行けなかったんだ…無念

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↑ライトアップされてるところに1909て書いてるから多分そゆこと?

あと開拓の村に行った事ある方は見覚えがあると思うんですけど…
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コチラの近藤染舗さん、明治31年(1898)に創業された旭川で最も古い染物屋さんの昔の店舗なんですが(2度目に開拓の村に行った時は改修中だったので写真は2020年10月撮影です)、この近藤染舗さん、ご住所変わらず今も旭川で「近藤染工場」と社名を変えて現役で営業されています!

旅行前に地図を見ていた時に「ん?近藤染工場…って開拓の村に近藤さんて染物屋があったような??」と気になり、確認したらやっぱり同じ近藤さんでして。ただ場所的に通らないと思っていたのですが、神居古潭から帰るバスの車窓からたまたま近藤染工場さんを発見…!立派な社屋に建て替えられて、今も元気に営業されていました!凄いですね~!


▽グルメ
いつも、せっかく遠出するんだからと食に関しても事前準備を怠らないわたしなのですが、今回旭川に関しては時間の都合等でファストフードで済ませるなどしており、ご紹介出来るネタが少ないのですが、1日目の夜に予約していた居酒屋さんをご紹介させていただきます。

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「炉端のユーカラ」というネイティブな雰囲気の居酒屋さん。

選んだ理由はやっぱり名前ですね!とはいえアイヌ料理ということでもなく、備長炭で焼いたお肉や魚介が売りのお店です。
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↑エゾシカのロース肉の炭火焼など北海道ならではのメニューも

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↑旭川・北海道の地酒も多数お取り扱い

メニューも北海道らしさあり、肉系も魚系もオススメで(焼いてないお刺身とかももちろんあります)どれも美味しかったです。酒飲みの方は是非どうぞw場所は師団通り…じゃなく買物公園の4条通り交差点付近です。


▽他いろいろ
雑にいくつかまとめてしまいますが…

↓道路標識の戦闘力が高すぎる
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北海道のだいたい中心だけあって、上に行くにも横に行くにもとんでもない距離感…

↓札幌~旭川の電車移動は特急カムイに乗りたいよね!
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特急カムイだからなのか?札幌出発しての社内アナウンス(録音)第一声が、多分あいさつ的なアイヌ語だった気が。帰りの特急ライラックでは気にならなかったので、カムイだけのサービスなのかな?(気付かなかっただけかもですが)
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北海道の特急列車ってみんな黎明卿ボンドルドみたいな顔してるよね…

旭川駅のおみやげもの売り場の一角に、「啄木のココ、空いてますよ」的な啄木ちゃんと並んで写真を撮れる像があったんですけど、見返しても写真が残ってない…良かったら啄木ちゃんにも会いに行ってあげてくださいw

↓旭川駅裏の忠別川
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行ったのは8月上旬だけど「春の終わりごろかな?」って感じのほのぼのした景色…

でも夏の日差しの強さは同じくらいなので、天気がいい昼間は汗かくくらい暑いんだけど、湿気がなくてジメジメしないから暑くても全然不快じゃない。逆に天気悪いと半袖じゃ寒いくらいなので、羽織りものあった方がいいですね。夏の北海道は最高に快適でした(アレに比べたら地元の夏なんてバーニャだよ)

あと旭川に限らずなのですが、サッポロさんのお膝元で、とはいえ北海道という観光大国をサッポロの独壇場にしてたまるかという他メーカーの思惑もあってか、駅前とかちょっと広いとこがあると軽率にビアガーデンやってる…!旭川駅前、札幌駅前、札幌ビール博物館の特設ビアガーデンはまぁ仕方ないとしても、札幌大通公園はブロックごとにサントリー、アサヒ、キリン、サッポロがそれぞれ横並びでブースを展開…!1店舗ずつじゃないんですよ、ひと区画ずつでしのぎを削ってるんです。ここが楽園-eden-か・・・!

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そんな感じで、旭川は聖地すぎる聖地でしたし、夏の北海道は最高でした!レポとしては冷静さを欠きすぎている気もしますが次の聖地巡礼…旭川にしてみようかな?とか、旭川は前に行ったけど今だからこそ見える景色もありそうだぞ…?!とか、思っていただけていたら嬉しいです!

今回自分で旭川を回っていて「コレは…!?」と思ったものをご紹介しましたが、これ以外にも、昭和初期まで許容範囲と思えばまだまだいろいろ出てくると思うので…なんかイイトコあったら教えてください!「これが鯉登さんや月島さんも見たであろう〇〇…!」と夢を膨らませて、いつか行けるかもしれない次回の旭川旅行の参考にさせていただきたいです…!


以上、旭川聖地巡礼レポでした。最後までお付き合いくださりありがとうございました~。