FullSizeRender

今まで土地ベースでご紹介してきた当ブログのゴールデンカムイ聖地情報ですが、突然めちゃくちゃピンポイントに「戦艦三笠(現:記念艦三笠)」という独立記事を建てようと思いますw

東京編を関東編にしてまとめるか迷ったんですけど、ひとえにわたしの戦艦三笠だいすきだからみんなにもっと知って欲しい!!なんだったら横須賀の楽しさを知って欲しい!!という熱いパッションの致すところでございます。

IMG_3117

★戦艦三笠とは…
日露戦争にて大日本帝国海軍の連合艦隊の旗艦(司令長官が乗る1番偉い艦って感じです)として日本の勝利に貢献した戦艦。
現在は復元部分含めほぼ当時のままの姿で、船内を博物館化し、神奈川県横須賀市にて記念艦三笠として一般公開されています。

IMG_3140
IMG_3235

「戦艦三笠」という存在自体が作中で明記されたことはないのですけど(執筆時点)、日露戦争に端を発するゴールデンカムイの物語にとって、日露戦争の雌雄をほぼ決したとも言える日本海海戦を旗艦として戦った戦艦三笠は当時の歴史を知る上で重要且つ貴重な遺物であり、またゴールデンカムイ作中で描かれる雷型駆逐艦と同時代の戦艦であること、明治村記事でも触れましたが作中帝国ホテルの浴室として三笠の艦長浴室が描かれていることなどを考えると、野田先生もコチラに訪れるなどして参考にされている部分もあるんじゃないかな~?と、思っています。

あと作中での海軍力の描写というと、鯉登さんの兄さあこと鯉登家長男 鯉登平之丞少尉が戦死した日清戦争の黄海海戦における松島(防護巡洋艦松島)もありますね。ついでなのでそこも、素人ながらの説明ですけど、少し触れたいと思っています。

IMG_3177

そんなわけで今回は、
・記念艦三笠について~雷型駆逐艦と松島を添えて~
・金カム聖地としての戦艦三笠
・横須賀の見どころ
をご紹介していこうと思います!

FullSizeRender

横須賀の見どころってね…センシティブな部分もあるので大声であんまり言えないんですけど、金カム好きな方だったら横須賀の良さ、分かってもらえるんじゃないかな~って思うんで…良かったら合わせて読んでいってください!ほんとにいいとこなんで!めちゃくちゃテンション上がるんで!

ではでは、早速本題に入りましょう。



■記念艦三笠について

IMG_3095

大まか~な概要は先ほどお伝えした通りで、もう少し詳しくということでしたら…


↑公式サイトとか…


↑Wikipediaとか…

見てくださいwこの当時の日本の工業レベルだとまだ戦艦を外国に発注していた時代なので、三笠も同盟国イギリスのヴィッカーズ社で製造されたものです。ちなみに作中に登場する雷型駆逐艦はイギリスのヤーロー社製です。

IMG_3115
IMG_3121

写真ではサイズ感が分かりにくいかもしれませんが…
戦艦三笠は
排水量:15,140トン
全長:131.7m
最大幅:23.2m
吃水:8.3m
実際に三笠を見て大きいと思うか、意外と小さいと思うか、人によってかなぁと思うのですが、国産ではないものの、明治期の船、明治時代に作られたものと考えれば十分に大きいですね。

ちなみに史上最大にして唯一46センチ砲を搭載した戦艦大和は
排水量:64,000トン(基準)
    69,000トン(公試)
    72,809トン(満載)
全長:263m
幅:38.9m
吃水:10.4m
全長だけで言えば三笠の2倍もあります。大和くらい大きかったら有無を言わさず「大きい!」って思うんでしょうけど、大和も武蔵(大和型二番艦)も沈んじゃって今は見れません…。だからこそ紆余曲折を経ても復元され当時の姿をとどめている三笠の有難みをひしひしと感じます…!

FullSizeRender
FullSizeRender
↑夜の三笠はより海を進んでる感あってかっこいい…!(内部の見学は終わってます)

◆戦艦・駆逐艦・巡洋艦の違い
自分が調べた内容を咀嚼してフワっとしたイメージで説明しますのでw、詳しいことはお調べいただけたらと思います。名称や構造・性能は時代と共に変化しているので、金カム作中年代辺りの情報です。

戦艦(Battleship)とは、海軍力による艦隊戦が戦争の主だった時代(航空戦力がなかった時代)、より遠くまで砲弾を飛ばせる大きな主砲(火力)と、その主砲に耐えられる分厚い装甲(防御力)を持った、大きな船…というイメージです。

当時は戦艦同士の砲弾の撃ち合いがメインだったので、より大きな主砲を持った戦艦の方が砲弾が遠くに飛ぶ=相手の射程外からヒットさせることが出来るなど、戦略上のメリットが大きかったということですね。もちろん命中精度の高さ他様々な要因が絡みますが。

大きな主砲を持つということは、船体自体もおのずと大きく重くなるということなので、速力(速度)はそんなに速くなかったというか、速く出来なかった、という感じです。戦艦の中での動力の違い等による速い遅いはあっても、船全般として見たらスピードはそこそこだったということです。あと建造費はもちろん、維持費や燃料費などのランニングコストも大きい分だけめちゃくちゃかかりました。

「そんなめちゃくちゃお金のかかる戦艦を双方出して来て砲弾をドンドコ撃つより、小型艇がもっと近くまで行って命中率の高い魚雷を突っ込ませて吹き飛ばした方が良くね?」となりまして…水雷(魚雷)が発達したことによって、水雷艇という水雷を積んだ小型の高速艇が出てきました。

速力も速いし小回りも効くしで、戦艦からしたら水雷艇は真夏の夜に耳元を飛んでる蚊みたいなもんでとても迷惑だったので、水雷艇をどうにかしてくれるお供の船が欲しくなりました。それが水雷艇駆逐艦と呼ばれる駆逐艦の元祖で、水雷艇駆逐艦の登場で水雷艇は文字通り駆逐されまして、駆逐艦(Destroyer)という艦種が残りました。

そういった経緯で生まれたので、駆逐艦は火力はそこそこに、小型で小回りが効いて高速で動ける艦艇という括りです。駆逐艦は水雷艇より大きく、外洋で波の影響を受けづらい最低限の大きさという感じ。火力そこそこといっても戦艦に比べてという意味で、一般の銃火器に比べたら圧倒的なのはゴールデンカムイをお読みの方ならご存じかと思います。

巡洋艦(Cruiser)は名前のイメージからして駆逐艦に比べるとずいぶん平和というか、「お船が走るんだなぁ」って感じですけど、駆逐艦より大型で、火力・防御力は戦艦に劣るが、速力が出せて小回りが効いて航続力があるので、索敵・通信・艦船防護・通商破壊など幅広い任務に適している艦種です。

日清戦争にて鯉登平之丞少尉が乗っていた松島は巡洋艦の中でも防護巡洋艦という括りで、当時は「どこに装甲を付けるかあるいは付けないか」によって種別が分かれていました。巡洋艦は速く長く走るために船体重量を軽くしたい艦種なので、当時の兵器性能や使用目的に合わせて、どこにどのくらい装甲が要るor要らないかというのをベースに考えていたのかな?と思います。

防護巡洋艦は、主に船体内で機関部に落とし蓋をするような装甲がされていて、船の装甲というと現代では船体側面(垂直方向)の装甲をイメージされると思うんですが、防護巡洋艦は垂直ではなく水平方向の防御になっています。ウワモノは多少壊されても船(動力)が動けばなんとかなるよ!みたいな考えだったのかな。実際誕生当初の兵器性能であれば対応出来ていたようなのですが、1880年代後期以降の速射砲の普及によって廃れていきました。

◆松島と黄海海戦
松島のことをもう少しお話しますと、日清戦争(1894~1895)では防護巡洋艦松島は連合艦隊旗艦として戦いました。当時相手の清国には鎮遠と定遠いう巨大な戦艦がありましたが、日本では戦艦の手配が間に合わず、巡洋艦(松島)を筆頭に揃える布陣でした。結果として、その方が高速移動が出来、小回りが効いて戦術的なメリットが出た部分もあったのですが、ここまでの説明で、戦艦の主砲が当たったら防護巡洋艦ではひとたまりもないとお分かりいただけるのではと思います。1894年9月17日、黄海海戦にて戦艦鎮遠の主砲30.5cm砲弾が松島に命中し、更に装薬(松島側で使ってた火薬)が誘爆して大破、死者57名を出す結果となったようです。ちなみに松島は修理されて日露戦争にも参加、哨戒や掃海任務に当たり、その後練習艦となりました。

旗艦に乗っていたなんて、平之丞お兄ちゃん、相当優秀だったんでしょうね。松島型防護巡洋艦(松島、厳島、橋立で三景艦と呼ばれます)は、戦艦のない日本が清国の巨大戦艦に対抗するために、巡洋艦の船体に合わない32cm単装砲を無理くり装備させたため、砲身を旋回させれば船が傾き発射すれば姿勢が保てず進路に影響が出るという致命的な構造欠陥があったようで…平之丞お兄ちゃんかわいそう…そんな船に乗せられていた息子の死に様を見ていた…見ていることしか出来なかった鯉登パパの気持ちを思うと、作中現代でも大日本帝国海軍少将として船に乗っていたパパの覚悟たるや…鶴見中尉に協力していたのも、鶴見さんのカリスマ性に惹かれてとか息子(次男)を助けてくれた恩返しくらいに思ってましたけど、並々ならぬものがあったのかな…って考えてしまいます。

↓三笠の入口手前に飾られている鎮遠の砲弾
IMG_3108
日清戦争で鹵獲され日露戦争は日本の戦艦として戦いました
(平之丞お兄ちゃんの仇かと思うと若干複雑ですが…)


ハイ、だいぶ三笠から話がずれちゃいました!本題に戻りましょう!

IMG_2514

記念艦三笠は横須賀の三笠公園にあります。三笠の前には、日露戦争で三笠に乗っていた東郷平八郎司令長官の銅像!金カムで東郷閣下と言えば、25巻244話で鯉登さんが月島さんに負けたメンコの東郷閣下ですね!

IMG_3086
IMG_3089

東郷閣下(東郷大将)と上村中将はそれぞれリンク先のWikipediaの人じゃないかと思うんですけど、と伊地知閣下(伊地知少将)は海軍に伊地知彦次郎さん、陸軍に伊地知幸介さんもいらっしゃって、顔を見ても絶妙にどっちだか分からない…wちょっと抜けた感じは彦次郎さんかなぁとも思うのですが、当時の人みんなこんな感じのヒゲだし…ちょうどどっちもメンコ時点で少将だったっぽいし、東郷閣下、上村中将含めてみんな薩摩出身だし(当時の軍人はだいたいそうだったんでしょうけど)、鯉登さんに合わせて薩摩の海軍縛りなのかもしれないけど月島さんは陸軍信望してそうだから自分で用意するなら陸軍かなとかモヤモヤ…確定情報を持っていらっしゃる方は教えてください…。

で、そのメンコの伊地知閣下か分からないですけども、日露戦争当時の戦艦三笠の艦長を務めていたのがこの伊地知彦次郎さんなのです!連合艦隊の司令長官として東郷閣下が旗艦三笠に乗っていて、その三笠を指揮するのが伊地知艦長だったということですね。伊地知彦次郎さんは日清戦争後ですが松島の艦長も務めました。

IMG_3211

では簡単にですが、実際の三笠をご紹介してまいりましょう!
記念艦三笠では、コロナの影響がなければ土日祝は定時ごとにボランティアガイドに自由に参加出来て、いろいろ教えてもらったり質問したり出来ますよ~。


まずは戦艦三笠主砲!!
IMG_3165
IMG_3160
40口径30.5センチ連装砲2基4門!!(写真は艦首側)

IMG_2585
艦尾側にも同じく主砲2門。
艦尾側主砲の下には三笠の日露戦争での戦歴が書かれたプレート。
IMG_2588
IMG_3128
IMG_3129

次、筒の長い根元がふさがってる方が副砲40口径15.2センチ単装砲14門!!
IMG_3122

内部はこんな感じで、お人形で弾込め~発射の一連の様子を再現してくれてる部屋もあります。角度はぐるぐる回すレバーで上下・左右にそれぞれ動かして敵艦に焼準を合わせていたんですね。
IMG_3141
IMG_3143
ココを持ち場にしている全員がこの部屋にハンモック(釣床)を吊って寝ていたそう。お人形は5人程度ですが、実際は10人くらいが配員されていたそうで、つまり10人くらいがこの狭い部屋で生活(就寝、食事)していたということです。大きいと言われる戦艦でも、その分乗員が多いので特に下の兵隊さんの生活スペースは限られ、当然ベッドやおふとんでは寝られず…少尉以上が士官クラスですが、船の上では中尉まではハンモック寝だったそうですよ。

更に、窓から外に砲筒が出てるのが対水雷艇砲40口径7.6センチ単装砲20門!!
IMG_2628
IMG_3147
IMG_3148
近づいてきた水雷艇などの小型艇を撃つためなので、主砲はもちろん、副砲と比べても威力は低くても少人数でちょこまか動かせて撃ちやすい構造になってます。実際に角度を変えたりして動かすことが出来ますよ。


建造当時の甲板(チーク材)が残っているところも。
IMG_3135
木材…なんですねぇ…ちょっとびっくりしませんか…?よく燃えそう…

三笠と言えばℤ旗!
IMG_3157

通信室
IMG_3136

甲板のフォトスポット
IMG_3146
真ん中のおじいちゃんが東郷閣下です。至る所に白いモコモコがありますが、コレがみんなの寝ているハンモックです!戦闘時にはハンモックを括りつける→クッション代わりになるという一石二鳥なアイディアなのです。

上甲板ギャラリー
IMG_3172
IMG_3163
鎖ふっと…!
IMG_3171

前後の艦橋にも登れます!足元にお気をつけて
IMG_3193
艦橋に上がる普通の階段でも結構怖いので高いヒールや厚底の靴は避けた方がいいかも。
IMG_3196
マストには登らないでね!

操舵室
IMG_3177
操舵室天井の伝声管が繋がっているのが最上甲板
IMG_3182
IMG_3189
羅針盤と照準器
ここから敵の位置情報などを読み取って、操舵室に伝声管で連絡していた…ということかな?

ただし、戦闘時には敵の砲弾を防いで操艦したり指令を出したりしなければいけないので、シェルター化された司令室も。↓は周りを厚さ35センチの鋼鉄で囲われて視界も最小限(細長く何か所か開いてる切れ目のところ)にしてあります
IMG_3173
IMG_3174

しかしながら日露戦争の日本海海戦では、東郷司令長官が交戦中も最上甲板で敵の砲弾の水しぶきを浴びながら指揮したという逸話が残っておりまして…

IMG_3187
足元のシルバーのプレートがそれぞれ、当時艦橋に立っていた方々の立ち位置を示しています!そうだよね!東郷閣下がシェルターに入らないって言ったらみんな入れないよね!w

FullSizeRender
↑東郷司令長官
FullSizeRender
↑伊地知艦長もあるよ

詳細は後でお伝えしますが、高所恐怖症とかでなければ是非、この最上甲板でこの位置に立っていただきたいです!艦首と艦尾どちらの艦橋も同じような構造になっています(艦尾のほうが若干簡素だったかな?)。が、どちらか片方だけにするなら、当然艦首ですね!推し(?)の立ち位置プレートがあるのは艦首だけです。


ではでは、続いて艦体内部に入ってみましょう!
三笠のウワモノは時代の波にもまれてほとんど復元なんですけど、船体内部は博物館化するためのリフォームはされていますが、比較的そのまま残されています。

内部は講堂(コロナのため執筆時点では利用中止)と、展示資料エリアとお偉いさんが使ってた部屋そのままエリアとがありまして、資料展示エリアでは三笠や日露戦争や東郷司令長官などにまつわる展示があります。

↓東郷元帥の正装
IMG_3235

↓東郷元帥の礼装(上衣)
IMG_3232

↓東郷元帥の靴(礼装)
IMG_3231

↓三笠の艦首飾り
IMG_3222
写真だとサイズ感伝わらないかもですが、
IMG_3115
こうして船に付けられてるの見てもなんとも思わないけど、展示されてるの見ると「でっか…!」ってなります。

お船の模型もいっぱいあるよ…!
IMG_3217
三笠の全体像はこんな感じなんですね~。

IMG_3236

あとオススメなのが「VR三笠」!パソコンが数台置いてあって、VRゴーグルとヘッドフォンが一体化したヘッドギアみたいなのを付けて、日本海海戦の様子を数分程度のダイジェストで見られるものなんですけど…さっきお伝えした最上甲板に立つ東郷司令長官達と並んで日本海海戦の成り行きを見守れるので、「コレ、さっき見たやつ…!」って結構楽しめるんです。


お偉いさんが使っていた部屋エリアは軍艦の中とは思えない豪華な調度品で…
IMG_3278
IMG_3280
↑船の中に暖炉…?ダミーなのかも?

IMG_3281
↑和気藹々としてそうなテーブルの奥に47mm砲とかおいてあるから…

IMG_3262
IMG_3263
壁や天井を見なければ、明治の洋館のようですよね。



■金カム聖地としての戦艦三笠

①艦長浴室
 登場話:227話 作中帝国ホテル内2階個室付きバスルーム

IMG_3284

明治村記事の内閣文庫の項目で、作中帝国ホテル2階廊下の内装の説明をする際にもご紹介したのですが、作中帝国ホテルにて杉元が入ろうとした2階個室付きのバスルームが戦艦三笠の「艦長浴室」をホテル風にアレンジしたものです。艦長浴室ということは、先ほどの伊地知艦長が使用されていたお風呂とゆうことですね!

明治村記事で最初に間違って掲載してしまったのがコチラ↓の長官浴室。長官浴室は洗面台付き。東郷閣下が入ったお風呂とゆーことですね。床の模様とかオシャレですよね、さすがイギリス製。
IMG_3265


②60㎝信号探照灯
 登場話:22巻214話 樺太脱出する杉元達の船に「直チニ機関ヲ停止セヨ」の発光信号を送った電灯

IMG_3175
IMG_3176

作中では「60センチ信号探照灯」と説明書きがありますが同じものですね。
構図を合わせなかったので作中の作画とは反対向きになっちゃって細部の比較が出来ないんですけど、なかなか残ってるものでもないですし、野田先生も作画の際には三笠の探照灯を参考にされたのかな~と思います。


40口径7.6センチ単装砲
 登場話:22巻214話 流氷を打ち砕いた40口径7.6cm砲

IMG_3170
IMG_3168

ガードの形が違うのは、雷型駆逐艦の外観写真からそのようにされたと思うんですけど、三笠と同じ40口径7.6cm砲が1門、雷型駆逐艦にも積んでありました。40口径7.6cm砲って三笠では小さいほうで、でも雷では主砲なんですよね。その辺も戦艦と駆逐艦の違いが出てますね。


④ハンモック(釣床)
 登場話:22巻216話 負傷した鯉登少尉が寝ていたハンモック

IMG_3156

当時の海軍でハンモックがどうゆう使われ方をしていたか~は前述の通り。実際にこんな風に使ってたよって部屋もありまして、脇に副砲がある(副砲室)のがお分かりいただけるかと思います。

IMG_3154
IMG_3155

吊り下げる壁や金具、ハンモックの紐の具合もこんな感じで描かれてますよね。副砲はないけど。鯉登さんもこんな感じで寝かされていたんだなぁにしても、吊り下げる場所によっては波で揺れたら副砲にぶつかって痛そうなんですけど大丈夫だったんですかね…?


⑤上甲板の柵
 登場話:22巻216話 ↑のコマの次の月島さんが立ってるコマ

IMG_3159
IMG_3158

改めて項目立てるほどのことでもないんですけど、ちょうどこんな感じですよね。あとは既に紹介済みの司令室の計器や操舵輪も参考にされていそうな感じですね。

聖地関係ない余談なんですけど、記念艦三笠の脇に売店がありまして(チケットとかもその辺りで買えます)、色んな三笠グッズを売っているんですけど…
FullSizeRender
FullSizeRender
あぁ~~三笠くん!きゃわいい!きゃわいい!

FullSizeRender
三笠はおじいちゃん艦だからおひげが生えてるんですよね~!三笠の象徴ℤ旗に、ちゃんと主砲もついてるぅ~~!!!きゃんわいい~~~!!!!

軍服着た東郷くんキューピーもきゃわいくて迷ったんですけどやっぱり三笠くんかなぁ!と買ってウキウキしてカバンに付けてたら…その日のうちに落として失くしました…(白目)


戦艦三笠、意外と聖地としての楽しみどころもあるのではないでしょうか?気になった方は、是非横須賀へ!



■横須賀の見どころ

是非横須賀へ!って言うけど、横須賀ってどんなとこ?」って思われましたか!?



もちろんイイトコいっぱいあると思うんですけど、まず、過去には日本海軍の「横須賀鎮守府」だったこと、そして現在海自、海保、更に在日米海軍の基地がある、大変アグレッシブな海の街です。

言葉で説明するより写真とか見てもらった方が伝わると思うので、わたし的オススメを紹介していきますね!呉とか舞鶴とか佐世保とか、海自基地などの近くにお住まいの方は別として、大半の方はこの街の光景にびっくりされると思います。

①JR横須賀駅からの景色

IMG_3313

駅(なんだったら電車の車窓)から既に、「なんか見える」なんですよ。この写真は2回目に行った時なんですけど、1回目の時はもっと小さい護衛艦が何隻か見えて、「えっ…アレ、なに?レプリカ??」ってなったんですけど、2回目は駅から既に護衛艦が見えるの分かってたのに、あまりにもいずもがデカすぎて、「あれは…建物?船を模した建造物?去年来た時はなかったけど…」って、艦首が見えるまでアホなこと考えてました。

IMG_3314
そのくらい、今までに見たことのない景色が横須賀にはあるんです…!!地元の方には日常でしょうけど!我々にはご褒美です…っ!

ちなみに護衛艦いずものサイズ感…
IMG_2905
IMG_2899
IMG_2900
IMG_2901
全長248m!!幅38m!!例えようもないデカさ!!
ちなみに戦艦大和は全長263m、幅38.9m。いずもよりもデカいって凄すぎる…。


②ヴェルニー公園

JR横須賀駅を出て護衛艦に惹かれて海の方に歩くとすぐにヴェルニー公園があって、まぁまずココで一旦シャッターを切る手が止まりません。

IMG_2906
ん?お前は…
IMG_2926
IMG_2925
戦艦陸奥主砲ぉ~~!??

主砲の先にある洋風の建物はヴェルニー記念館(無料)で、戦艦陸奥の模型やその昔横須賀製鉄所で使われていたスチームハンマー(でっか!)の展示などが見れます。
IMG_2921
IMG_2912

2022年1月に横須賀来た時(3回目)気になったんだけど…
IMG_6027
IMG_6026
↑陸奥主砲の後ろにこんな座薬みたいな砲弾いたっけ…??


海沿いにヴェルニー公園を歩いていると気になるのが…

IMG_2928
アレは潜水艦ってヤツなんじゃない?レプリカ?乗れるの??

※海自のホンモノの潜水艦なので一般人は乗れません

なんかもうね、横須賀に降り立って800mくらいしか歩いてないのに、ワクワクしかしないんですよ…テンション爆上がりなんですよ…この気持ち、伝わりますか…?

FullSizeRender
FullSizeRender
横須賀は夜もいい…


③YOKOSUKA軍港めぐり(クルーズ船)

陸地からヨダレを垂らしながら見ていた海自艦や米海軍艦を、船に乗って近くまで見に行ってしまおうという民間のクルーズ船。ベテランの案内人さんがその日その時間航路近くにいる色んな船の説明をしながらぐるっと1周(45分)回ってくれるので、陸からは見えない艦も見れるし、距離も近くて迫力もあって、写真も動画も撮れる!詳細は公式サイトにてご確認ください。



軍港めぐりの受付の横には売店もあって、海自とかにちなんだ色んなグッズがあるんですけど、ココには護衛艦いずもキューピーさんがいるんだよおおおおお!!!さっきの三笠くんみたいな感じで、艦になってるのw我慢して買ってないから写真はないんですけど、海自の制服着てるキューピーさんとかもいます。どれもきゃわいい。

IMG_2982
IMG_3006
IMG_3031
IMG_3058
IMG_3081


④猿島(さるしま)
iPhone7しかカメラがなかった頃なのでイマイチな写真しかなくて申し訳ないです…

IMG_2533

明治期に東京湾要塞の一部として砲台が設置された要塞島。今も砲台や弾薬庫の跡が残っています。函館-2記事で紹介した、函館山の函館要塞みたいな感じですね。

IMG_2542
IMG_2550
IMG_2555

外から見たら何の変哲もない島だけど…内部は切通で要塞だと気付かれないようにカモフラして造られています。

IMG_2558
IMG_2562
砲台跡。なんかアザゼルさんみたいで可愛いw

IMG_2561
自然豊かな無人島で景色もとてもいいところなのでオススメです!が、小さい島なのでアップダウンが激しくて、山道でもありますので、歩きやすい服や靴で行かれた方が安全です。

猿島に渡るには、先ほどのYOKOSUKA軍港めぐりと同じ会社さんの猿島航路がありまして、記念艦三笠のある三笠公園のすぐ隣にフェリー乗り場がありますよ。



この辺りは猿島に限らずたくさんの砲台跡が残されています。通期一般公開していないところもありますが、何らかの形で見学出来るところが多いので、ご興味のある方は調べてみてください。

千代ケ崎砲台跡は数年前まで海自の通信施設として使用されていたので、とても状態良く残っていていました。
FullSizeRender
IMG_5978
IMG_5966
IMG_6009
↑28糎榴弾砲2門が置かれていました(同じのが3つあるので全6門設置)

FullSizeRender
FullSizeRender
↑中に入って歩きながら見た構造が模型になっているので分かりやすいです


⑤グルメ

横須賀3大グルメと言えば!

ヨコスカネイビーバーガー!
IMG_2510
IMG_2507
IMG_2505
ドブ板通りのアメリカンダイナーって言うんですかね?ここは日本か?!みたいなお店でした。

最初横須賀行った時、昔の横須賀(旧海軍時代)のことしか調べてなかったので、ドブ板通りとか歩きながら「いや~ネイビーのコスプレした外国の方が結構いるな~」なんて、在日米海軍基地の入口の英語で書かれた注意書き見るまで思ってたんですよね…

横須賀海軍(海自)カレー!
IMG_2876
コレは明治時代の海軍カレーの味を再現!的なやつ

ヨコスカチェリーチーズケーキ!
IMG_2881

カレーとチーズケーキはコチラ↓のお店で
FullSizeRender
FullSizeRender
軍港めぐりのあるコースカベイサイドストアーズって大型ショッピングモールのフードコートの端っこにあるお店で、お船の模型があるのもテンション上がりますなぁ~。

コースカベイサイドストアーズは他の海軍カレー系のお店も出来たみたいだし、さっきリンクした観光サイトでもお店紹介してるから事前に行きたいところをピックアップしたりとか、街中歩いててもネイビーバーガーや海軍カレーのお店がひょこひょこ見つかるので、行きやすいところで横須賀グルメを味わってみてください~


てな感じで、だいぶ長くなってしまいましたが、聖地記念艦三笠もそれ以外も「なんか楽しそうだな~行ってみようかな?」と思っていただけたら嬉しいです!三笠にしても横須賀の街にしても、ココには書ききれないほどの魅力があります!

IMG_3310
護衛艦いずもと砕氷艦しらせ
(しらせは「めしあげ!!」読んだことある方ならちょっと感慨深いかも)