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中立主義、平和のための武器【無料公開中】

 ロシアとウクライナの停戦交渉で焦点の一つとなっている「中立化」。ウクライナ側は、自国の安全が確保されるならば、北大西洋条約機構(NATO)への加盟を断念する可能性も示唆している。一方、長年中立を保ってきたフィンランドとスウェーデンが、NATO加盟申請を正式表明した。不安定要素をはらむ一方で国家安全保障の武器ともなり得る中立主義が、世界でたどってきた歴史をひもとく。[日本語版編集部](仏語版2022年4月号より)

 「世界が破滅に向かっているのでない限り、平和を取り戻せるのは政治的解決だけだ。(中略)和平協定が結ばれればその目的は、インドシナの人々の中立性と自決権を確保し、保証することになるだろう。各当事者が自己の問題に全責任を持つことになる」。ドゴール将軍は、アメリカのベトナム介入に反対するプノンペン演説(1966年9月1日)で、以後9年間の戦闘を回避できたかもしれない解決策として中立性を提示していた。

 モルドバは1992年春、ロシアの支援を受けた沿ドニエストル共和国[ウクライナと接するドニエストル川東岸にあり、多数派のロシア系住民が分離独立を宣言した地域]の部隊と政府軍が戦ったドニエストル戦争後に、この解決策、つまり中立化を選択した。旧ソビエト連邦構成国でありながら、憲法への「永世中立主義」の明記を決定し、1994年7月にこれを採択した。以後モルドバが、数次の政権交代にもかかわらず中立性を堅持してきたのに対し、隣国ウクライナはソ連崩壊後にやはり政権交代が重なり、同盟関係をめぐる問題で立場を定められずにきた。

 1992年5月5日、クリミアによる最初の独立宣言(ただし、この時は形だけに終わった)を受けて、ウクライナはこれに対抗するため、10日後にウズベキスタンの首都タシケントでロシア、カザフスタン、アルメニア、タジキスタン、キルギスタン[現キルギス]、ウズベキスタンが調印することになる集団安全保障条約(CST)[後の集団安全保障条約機構(CSTO)]への加盟を拒否した。1997年、ジョージア、ウクライナ、アゼルバイジャン、モルドバは、欧州連合(EU)への加盟を目指し、民主主義・経済発展のための機構(加盟各国の頭文字をとりGUAMと命名)を創設した。さらに、ジョージアは2003年11月の「バラ革命」、ウクライナは2004年11月、ビクトル・ヤヌコビッチ氏の大統領選での勝利に抗議する「オレンジ革命」を経て、北大西洋条約機構(NATO)への加盟を求めた。しかしフランスとドイツは、両国の加盟時期の確定に反対した。

 2010年2月に大統領に就任したヤヌコビッチ氏は、NATO加盟に意欲を示した前政権とは逆に、あらゆる軍事同盟への加盟を禁じる中立法を成立させた。2014年の政権崩壊後、議会はこの中立法を廃止し、2017年6月にはEUとNATOへの加盟を外交・安保政策の「戦略指針」と位置付ける別の法律を採択した。この指針は2019年、改正後の憲法に盛り込まれた。このことはロシアの攻囲妄想をあおる大きな要因の一つとなってきた。もし中立であったなら、情勢の悪化も、あらゆる国際公約に違反するロシアの今回の侵攻も回避できたかもしれない。とはいえ、中立性の回復には特別多数を確保する必要があり、それはドンバス地方への特別な地位の付与をはじめとする一段の地方分権という選択肢に比べて容易とは言い難い。

 歴史の中で中立性はしばしば、緩衝国と結び付けられてきた。欧州列強間の「戦場」と化していた国々だ。ナポレオン戦争後、1815年11月20日の第2次パリ条約によりスイスの永世中立が正式に承認され、以後2世紀間、同国は戦争に巻き込まれていない。ベルギーが独立を求めた際にも、1831年と1839年のロンドン条約により「独立永世中立国」であることが義務付けられた。この中立化条項の導入で、オーストリア、フランス、英国、プロイセン、ロシアは、ベルギー王国を1870年の普仏戦争に巻き込むことなく、同国に80年間にわたる平和をもたらした。

 20世紀になるまで、中立は慣習法に基づいていた。1907年10月18日のハーグ条約で初めて、小国を保護する法的な枠組みが明文化された。中立国は、領土の一体性の尊重の見返りに、他国との紛争に軍事的に関与しないことを約束するとともに、人的・物的手段の提供、あるいは領空も含め自国領土の使用容認という形で交戦国を支援しないことを約束する。このためには、あらゆる攻撃に対し軍事力を行使して自衛する能力を備えることを求められる。この外交政策上の手法は、特定の紛争の際に一時的に講じられることもあれば、恒久的にも導入され得る。

 中立主義は、非同盟主義とは異なる。非同盟主義は、冷戦期に米国とソ連という二大陣営の論理と影響力にはくみしないという多くの南側諸国の意志に端を発している。1956年のガムール・アブデル・ナセル、チトー(本名ヨシップ・ブロズ)、ジャワハルラル・ネールの共同宣言で生まれた非同盟運動(NAM)は今も存在するが、加盟国への拘束力は無いに等しく、参加国の中に中立国は極めて少ない。現在、欧州で唯一参加しているベラルーシは、CSTOにも加盟するという矛盾を来している。CSTOは依然ロシアを中心としており、ロシアはベラルーシの領土を通ってキエフに進軍している。マルタとキプロスはEUへの加盟と同時にNAMを脱退したものの、中立を維持している。ウクライナ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビアはオブザーバー国にとどまっている。このうちセルビアは、コソボ紛争後の2007年に中立を選択している。

 中立国にとって最大の課題は、中立の立場が尊重されるという保証を得ることにある。それは過去に何度も無視されてきた。1798年、フランス総裁政府軍は、既に伝統となっていた中立主義に配慮することなくスイスに侵攻した。1914年8月2日、ドイツはベルギーに通行権を要求する最後通告を行った。その2日後、ウィルヘルム2世軍がベルギーに侵攻、さらにルクセンブルクの中立も侵犯した。1831年のロンドン条約の保証国である英国は、ベルギーを支援するため参戦した。第2次世界大戦中、ナチス・ドイツは中立国であるノルウェー、オランダ、ベルギー、デンマーク、そして同盟国イタリアと共に、ユーゴスラビアおよびギリシャに侵攻した。ソ連もバルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)、ルーマニアのベッサラビアで同じ行動に出て、フィンランドの占領を図った。英国もアイスランドに侵攻。ブルガリアとトルコは一時的な中立を放棄した。また1969年には、米国が中立のラオスとカンボジアを爆撃してベトナム紛争に巻き込み、その惨禍は周知の通りである。

 中には、民主主義の原則の幾分かの妥協を甘受し、困難を極めながらも中立維持に成功した国もある。二つの世界大戦中のスウェーデンとスイスがこれに当てはまる。両国は、苦しい内戦が収束したアイルランド同様、戦略的利益が少なかった上、自国領土を守るための軍事手段を確保していた。スイス国民軍は、無視できない抑止力となっている。スウェーデンは、2010年に廃止した徴兵制を2017年に復活させ、巨額を費やして兵器製造を継続している。冷戦期に緩衝国となったフィンランドとオーストリアは、1950年代に両陣営から中立性の尊重を保証されたが、両国も軍備は引き続き保有している。

 小国にとって、外交政策面における現実的アプローチである中立主義は、これらの国の一部に、世界の人口や経済における自国の規模からすれば格段に大きな外交的役割を与えることになる。これらの国々は、脅威を排除しながら勢力均衡と平和的共存を目指していく上で不可欠な存在となっており、対話の機会を幾度となく提供してきた。これは米ソ陣営間の対話だけに限らない。1973年7月から1975年8月まで、ヘルシンキとジュネーブで開催された「全欧安保協力会議(CSCE)」が好例だ。デタント(緊張緩和)が進み採択されたヘルシンキ宣言は、主権と民族権、各国の領土の一体性、人権と基本的自由の尊重を基に、欧州の恒久平和の礎を築いた。こういった宣言が必ず実効性を持つわけではないが、今日の危機を脱する枠組みの提示につながる可能性を秘めている。

 1991年12月のソ連崩壊後、CSCEは、ベラルーシ、カザフスタン、ウクライナが各国内に設置された核兵器を放棄し、ロシアへ移管することになる協議の場を提供した。1994年12月5日に調印されたブダペスト覚書は、この3カ国が核兵器不拡散条約(NPT)の締約国となる代わりに、ロシア、英国、米国がウクライナの独立性、主権、国境を尊重することを定めた。ウクライナ政府が今日、安全保障についてより確実な保証を求めるのも理解できる。永続的な中立は、ロシアが要求する非軍事化とは両立困難とみられる。

 冷戦終結後にトルクメニスタン、モンゴル、モルドバ、セルビアが選んだこの中立国という地位は、認知度が低いばかりか、軽視さえされてきた。もっとも、この地位は軍事面での中立に厳密に限られ、政治面では大きな自由が許されている。例えば1995年、スウェーデン、オーストリア、フィンランドがEUに加盟した際にも障害にはならなかった。また、軍事演習面での連携を妨げられることもなく、スウェーデンとフィンランドはNATO、セルビアはNATOとCSTOとの合同演習に参加している。国際法上、軍事措置を正当化できる唯一の機関である国連安全保障理事会からの要請であれば、平和維持活動に加え、軍事的強制措置への参加も妨げられていない。

 1968年の「プラハの春」の弾圧以降、ロシアの膨張主義への恐怖が欧州の人々にここまで広がったことはなかった。ウクライナ侵攻は、直接介入能力のないNATOを支持する反射的反応を引き起こした。フィンランドとスウェーデンの世論調査では、これまで伝統的に両国民はNATO加盟に反対してきたが、加盟支持へとにわかに傾いてきている。しかし、フィンランドの保守派のサウリ・ニーニスト大統領は、国民に「冷静さ」を保つよう呼び掛けた。スウェーデンの社会民主労働党のマグダレナ・アンデション首相も、「現情勢の中でスウェーデンがNATOに加盟申請すれば、欧州のこの地域はさらに不安定になり、緊張が高まるだろう」と述べて、熱気にかられる野党の好戦派をけん制した。とはいえ両国はいずれも、米国との軍事協力関係のさらなる緊密化を図ってきている。この協力は、フランスとスイスの間で結ばれ、1940年に偶然ドイツ側に知られてしまったものに類似する、危険が差し迫った場合の秘密援助協定を含む可能性もある[本記事は2022年3月末に発行された仏語版4月号に掲載された]。

 ウクライナ侵攻の直前、スイスの元大統領で欧州評議会の事務総長も務めたミシュリーヌ・カルミ=レイ氏は、この戦争の危険が高まる時期に大胆な提案をしていた。EUは、自ら掲げる価値観を保ち戦略的自立を確保するため「中立かつ非同盟」を標榜し、「どの陣営からも独立した非攻撃的な」勢力になるべきではないかという提言だった(1)。スイス国内の各州同様、EU内でも各加盟国の利益の集約が困難な中で、積極的中立主義は理想的な装備になり得ると同氏はみている。「政治・軍事面で一つの勢力になれば、ある陣営、あるいはまた別の陣営に従属することなく圧力に抵抗することができ、受け身にならず、言葉だけで実効性を伴わない声明の羅列に陥らず、また受動的な事なかれ主義の立場にも閉じこもらずに済む」と同氏は説明する。確かにもしそうであったなら、ウクライナの加盟申請も、スイスが加盟候補国になることも、より容易に受け入れられるはずだが……。

フィリップ・デカン(Phlippe Descamps)

本紙記者
翻訳:クレモン桂

(1) Micheline Calmy-Rey, Pour une neutralité active. De la Suisse à l’Europe, Savoir suisse, Lausanne, 2021.

(1) Micheline Calmy-Rey, Pour une neutralité active. De la Suisse à l’Europe, Savoir suisse, Lausanne, 2021.

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