共演したら、土下座して謝りたかった。なのに……
それから15年。僕が映画で急に売れてテレビドラマにも出ていた頃のことです。
NHKでドラマの撮影をしていたとき、天知さんもNHKのドラマに出ていることを知りました。主役でなく、脇に回った役です。天知さんは俳優として自分の門戸を広げている。だったら僕も共演のチャンスがあるはずだ!と心が躍りました。
そのすぐ後です。天知さんがくも膜下出血で倒れたというニュースが飛び込んできました。知り合いのマネージャーさんに、「奥田くん、天知さんは日赤の集中治療室に入っている。私も一緒に行ってあげるから、今から行こう」と促されて、僕は日本赤十字社医療センターに駆け付けました。
15年ぶりに再会した天知さんはすでに意識がなく、いろんな管がつながれていました。でも、とんでもなくいい顔をしていたんです。「先生、安藤です」と心の中で呼びかけながら、無言のお別れをしました。
数日後に執り行われた葬式にも、参列しました。僕が天知さんにしてきた恩知らずなことを考えたら顔を出せるはずもなかったのですが、病室に連れて行ってくれたマネージャーさんが、天知さんの事務所の社長さんに話をつけてくれたんです。
思えば奥田瑛二という芸名を付けてくださったのも天知さんでした。本音を言うと、売れた時に父を喜ばせるため、本名でやりたかったんです。でも結果として奥田瑛二の名で一本立ちすることができ、今の僕があります。
天知さんと共演ができたら、僕は土下座して「あのときは本当に申し訳ありませんでした」と詫びるつもりでした。でもそれは叶わなかった。集中治療室のお別れと葬式。この二つが『映画スター・天知茂』を僕の記憶に刻む最後の儀式になりました。
(取材・文/桜井美貴子)