2022.10.29

【インタビュー】奥田瑛二が赤裸々に明かす…「天知茂さんの付き人だった俺の青春」

週刊現代 プロフィール

あ・うんの呼吸で過ごした毎日

付き人として採用するとか条件はこうだとか、そんな改まった説明もなく暗黙の了解でした。休みも給料もなしということも、1ヵ月働いてわかりました。給料日というものがなかったから(笑)。あの時代の付き人はそれが当たり前だったみたいですね。僕はすぐに書生をやめて東京・目黒のお米屋さんの2階のアパートに引っ越し、毎朝、天知さんの自宅に通いました。

天知さんのことは先生と呼ぶ。外で食事をするときは天知さんが親子どんぶりを食べたら付き人は玉子丼、鶏南蛮を食べたら素うどんを頼む。「先生と絶対に同じものを食べちゃダメだぞ」と兄弟子に教わりました。

座長公演の記念撮影。「出番のない僕(前列右から2番目)がちゃっかり先生より前に(笑)」 写真提供/奥田瑛二座長公演の記念撮影。「出番のない僕(前列右2番目)がちゃっかり先生(後列右4番目)より前に」 写真提供/奥田瑛二
 

僕の仕事の一つは、漆塗りの岡持ちを持って天知さんのそばを離れないこと。岡持ちには化粧道具やタバコ、喉をいたわるレモン水や水などの飲み物、常備薬などが入っています。撮影現場では出番待ちの椅子に座る天知さんの右斜め後ろが僕の定位置。そこに立って、天知さんの指示にそなえるのです。

天知さんが右手を上げて中指と人差し指が開けば、タバコ。僕はタバコを指の間に挟む。そして口にくわえて横に顔を向けたら、すかさずライターで火をプシュっとつける。コップを持つように指を丸めたら、水。指をひらひらさせたら……、手鏡。受け取ると、天知さんはひと言、「うん」。万事この調子でした。

舞台のときの楽屋は小道具や衣装、座布団、飲み物、化粧道具などあらゆるものを決められた位置に並べておきます。浴衣に着替えた天知さんが化粧のために鏡前の分厚い座布団にどかっとあぐらをかいて座ると、僕は右斜め後ろの定位置へ。天知さんは目の前の化粧道具を自分で取ることはありません。僕が順番通りに手渡すと、鏡の中の自分から片時も目を離さず、丹念に化粧を仕上げていきます。

衣装部さんと一緒に着物の着付けもします。ちなみに舞台のときは、付き人の僕たちも楽屋着は真新しい浴衣に角帯。そういうものだと思っていたら、他の役者の付き人さんに言われたんです。「大変だね。いつも着物で」って。確かに僕たち以外は普通に洋服を着ていました(笑)。

当時の天知さんは、映画はもちろん『非情のライセンス』などのテレビドラマも絶好調。名古屋の御園座や大阪の新歌舞伎座などで座長公演の舞台も必ずおやりになっていて、めちゃくちゃ忙しかった。でもイライラしたり声を荒げたりということは一切ありませんでした。

僕ら付き人は天地さんの指示通り、あ・うんの呼吸でお世話をし、天知さんご自身も自宅を出てから帰るまで、すべてルーティン通り。平常心でこなしていくのです。

天地さんは誰に対しても口数が少なく、必要なこと以外はしゃべらない人でしたが、芝居のことでもなんでも聞けばすべて教えてくれました。

時代劇の立ち回りのコツを聞くと、天知さんはその場で壁に向かって30センチのところに立ち、やおら刀を右に左に振り抜いてみせてから、おっしゃった。

「いいか、最初は壁から離れていてもいいから、刀が壁に当たってはダメだぞ。これを繰り返して覚えろ」

「芝居というのはどうやって覚えたらいいんでしょうか」と聞いたときは、「うん、俺を見てればいい」。これだけ。その教えの通り、僕は舞台のときは天知さんを花道から送り出すと、天知さんの一挙手一投足、まばたきもせずにじっと見続けました。

天知さんのセリフも立ち回りも全部覚えて、アテレコのように一緒にセリフを喋り、楽屋から勝手に持ち出した刀で立ち回りを真似した。だから僕の世界観では、天知さんの役はいつも僕です(笑)。

芸名がついた頃。自前のモデルガンで天知の刑事役アクションを練習していた 写真提供/奥田瑛二芸名がついた頃。自前のモデルガンで天知の刑事役アクションを練習していた 写真提供/奥田瑛二

関連記事