2022.10.29
# 宗教 # 週刊現代

【インタビュー】僧侶・釈徹宗が「宗教ってあなどれない」と実感した、広島、バチカン、エルサレムのこと

週刊現代 プロフィール

広島という「聖なる場所」

長男なのでお寺を継ぐことに迷いはなかったんですけど、先のことだと思っていました。

ところが、高校1年の時に祖父が亡くなったんです。当時の如来寺は、田舎のお寺ならではの法要・法事が多く、一日も早く僧侶として立たなければいけなくなりました。

そこで専門に浄土真宗を学べる龍谷大学に入学したものの、お寺の手伝いを優先して、学校はあまり行ってませんでした。今思えば、非常に不真面目な学生でしたね。

研究者になるなんて考えもしなかったのに、4回生の時に信楽峻麿(しがらきたかまろ)教授が「キミの卒論は大変面白かった」とほめてくださいました。

それで、「大学院に進みなさい。とりあえず籍を置いとくだけでもいいから」と半ば強引に誘ってくださった(笑)。それで大学院生活がスタートしました。

やり始めると面白くなって、大阪府立大学の大学院に入り直し、花岡永子先生のもとで比較宗教の研究に没頭する日々。信楽先生は広島のお寺のご住職、花岡先生も広島のご出身なので、広島弁を耳にすると今でも有り難い気持ちになりますね。

 

恩師や友人たちに会うためにしょっちゅう行き来していた広島は大変な悲劇を経験した土地だから、行くたびになんとも言えない気持ちになるんです。

エレベーターに乗ると、気圧の変化で被爆三世の友人が耳や鼻から出血するんです。三世でもそうなのかって胸が痛くなっていた時に、水野潤一さんの『しづかに歩いてつかあさい』っていう詩を知ったんです。

この詩は、今は大都会になったけど、かつては死んだ母を想って子がうずくまっていた場所だから、静かに歩いてくださいねっていう詩なんです。

僕らの足の下ではこれまでどれほどの生と死、苦労と喜び、涙と笑い声が紡がれてきたんだろうって考えたら、どの土地もとても愛おしくなって気の持ちようが変わりました。僕はこの詩と広島から「聖なる場所」とのお付き合いの仕方を学んだ気がします。

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