ブログを書く | サポート 

ココログ人気記事ランキング

 

ウェブページ

161615

« 気を自在に操る聖者 | トップページ | エネルギー・直感智・神通力を駆使し、救済一筋に生きる »

2018年3月21日 (水)

すべてを至福に変える聖者

人間の限界を超えた聖者たち クンダリニー・ヨーガの解脱者
(1) (2)

蓮華の花


解脱と悟りを望んで修行に入る

 パモーチャナ・パッタナー・カーマパハーナ師は、東北のある地方に、家具屋の長男として生まれた。家を継ぐことを期待されていたが、現世の成功よりもヨーガと仏教の法則に信を持ち、若いころから多くの本を読んだ。彼は学校から帰ると呼吸法や瞑想をし、解脱と悟りを求めていた。そしてある時、彼はオウム真理教の『マハーヤーナ・スートラ』に出合い、強い信を持った。

 両親は、彼の信仰に反対はしなかった。父親はこう言った。「お前の人生なのだから、好きにしたらいい。本を読んでみたが、正しいことを言っていると思う。しかし、解脱や悟りなど、そこまでやる必要があるのか?」

 彼の志を両親は理解できなかったが、信仰は許した。彼は高校を卒業後、一度コンピュータ関係の会社に就職したが、その後辞め、オウム真理教に出家を果たした。

 約一年後、彼は成就のための「極厳修行」に五カ月ほど入ったが、成就することができなかった。それでも彼は、解脱と悟りへの望みを捨てず、奉仕作業を通じて功徳を積むことを続けた。建築作業、コンピュータ作業、広報活動などで奉仕作業を続けるうち、頭はクリアになり、心は安定し、幸福感が増していった。苦しい状況の時でも気にせずにいつも笑っている彼を見て、修行者仲間たちは言った。「お前はまるでミラレーパのようだ」

蓮華の花


真の大乗の道を求める

 ある時彼は車で移動中、高速道路で交通事故に遭った。彼自身は大したけがではなかったが、診察台に乗せられている間、一緒に事故に遭った法友の叫び声を聞いた。法友は重傷を負っており、緊急手術を受けていた。痛がり苦しむ法友を見て、彼は思った。「わたしはこのような他人の苦しみを背負うことができるだろうか? いや、今のわたしにはできない」――大乗の発願が崩れ、彼は落胆した。

 後日、彼の心を知った彼のグルは、彼を叱責した。そして、真の大乗の道の心構えを教え、彼はそれを理解した。大乗の道はそんなに甘いものではない。もともと大乗の道において、発願が崩れるのは当たり前だ。何度崩れても、何度も何度も決意し直さなければならない――ということを。

蓮華の花


六ヨーガを一つずつ達成する

 パモーチャナ・パッタナー・カーマパハーナ師はその後も奉仕活動と瞑想を続けた。二年後、劇的な変化が彼の中に起こりはじめた。集中的に瞑想をしていたとき、パモーチャナ・パッタナー・カーマパハーナ師の体が燃えるように熱くなった。周りの者たちも、「近寄るだけで熱い」と言った。

 体中に燃えるようなエネルギーが満ちたパモーチャナ・パッタナー・カーマパハーナ師は、非常にエネルギッシュになり、1~2時間の睡眠で活動できるようになった。その後、その強烈なエネルギーは、燃えるような熱いエネルギーから、強く微細な至福感を伴うエネルギーへと変わっていった。そしてそれは心身の軽快さをもたらし、ついには肉体の感覚が全く感じられないほど、微細なエネルギーが体中を包んだ。

 このような「熱のヨーガ」のプロセスを経験した後、彼はチベット仏教でいうところの「六ヨーガ」の達成を一つ一つ経験していった。そしてついには「至福の聖者」の領域へと入っていった。

蓮華の花


悪魔と対決する

  この後、多くの不運な出来事が彼の身に起こり、彼のカルマを浄化していった。そんなあるとき、パモーチャナ・パッタナー・カーマパハーナ師は偶然、次のような説法を耳にした。「修行者が安住を求めたら終わりである。ひたすら前進し続け、最後は前のめりに倒れるような死を迎えよ」――パモーチャナ・パッタナー・カーマパハーナ師は強い感銘を受け、現世的な安楽、安住を放棄することを決意した。しかしそれにより逆に、彼の本質的な至福感は増大していった。

 パモーチャナ・パッタナー・カーマパハーナ師は、何度か悪魔と対決した。最初の対決では、勝てそうもない気がしたが、「悪魔は敵ではない。救済されていない、哀れな魂なのだ。どんな悪魔でも来い、救済してやる」という強い哀れみの心を生起させた途端、悪魔は消え去った。

 また別のときには、チューの瞑想により、自分の身体をバラバラに切り刻んで悪魔に差し出したところ、悪魔は消えていった。このときからパモーチャナ・パッタナー・カーマパハーナ師はほとんど、悪魔を恐れることがなくなった。あるとき部屋に進入してきた小悪魔に対し、「やあ、よく来たな。ゆっくりしていけよ」と声をかけたところ、悪魔は動揺しだし、風のように窓から消えていった。

蓮華の花


指を触れるだけで至福が広がる

  時と共に、パモーチャナ・パッタナー・カーマパハーナ師の至福感は、さらに増大していった。パモーチャナ・パッタナー・カーマパハーナ師はこの至福感をグルに供養した。それにより至福感はさらに増大し、あらゆる場面において生じるようになり、そのパターンは日に日に増えていった。

 何かに指を触れるだけで、体中に至福感が広がるようになった。これは、体中のナーディーが調御されたという印である。こう考えると、パモーチャナ・パッタナー・カーマパハーナ師は非常にうれしくなった。

 四無量心の瞑想を行なうと、胸のナーディーが至福のナーディーに変わり、呼吸をするたびに、えもいわれぬ至福感が彼を襲った。

 足にけがをしたとき、その傷に意識を集中すると、強烈な歓喜が体中を走った。

 心に強い悲しみを感じたとき、その悲しみのエネルギーに意識を集中すると、その強烈なエネルギーはそのままで、悲しみではなく至福のエネルギーになった。

 要するに、心身に生じたあらゆる刺激、あらゆるエネルギーが、彼にとっては至福と感じられるようになった。こうして彼は、至福の聖者として知られるようになった。

蓮華の花


至福が現われる秘密を見つける

 あるときパモーチャナ・パッタナー・カーマパハーナ師は、すべてのとらわれを放棄する修行に没頭していた。この修行によって得られる境地として師がイメージしていたのは、この世の否定――寂静の、心が止まった状態だった。しかししばらくして彼は、逆に、この世界が実は何とも素晴らしく、真理勝者方の心の現われという意味で、初めから完全であると気づいた。世界が苦しみなのではない。間違った目で世界を見、それにとらわれている自分の無明が苦しみなのだと気づいた。このときから師は、空を見ただけで至福に入り、また風に触れただけで至福に入るようになった。

 しかし、パモーチャナ・パッタナー・カーマパハーナ師は、自分の感じる至福感が完全ではなく、同じようなシチュエーションでも、至福が生じるときと生じないときがあることに気づいていた。そこで彼は、その秘密の解明に努めた。彼は一つのことに気づいた。相手や世界を受け入れる、認める、慈愛の心で見たとき、すべては至福として現われるのだということに気づいた。

蓮華の花


今生の使命に気づく

  その後、彼は、ヒマラヤが自分を呼んでいると感じ、周囲の反対を押し切ってヒマラヤへと向かった。ヒマラヤで瞑想すると、自在にバルドに出たり入ったりすることができるようになり、生死の秘密をかいま見た。

 ガンジス川の源流で沐浴し、グルとシヴァ大神に祈った。「わたしの心の汚れを浄化してください。わたしのカルマを浄化してください。わたしの謬見解を浄化してください。わたしに真理をお与えください」

 その後、ヒマラヤの山道を歩いていると、大きな心の変化が生じた。自分の小ささに気づき、慚愧(ざんき)の念が出た。すべてのものは助け合って存在しており、自分も他人も、この世に不必要な、価値のないものは何もないということを悟った。

 ブッダガヤーで瞑想していると、自分の今生の使命が、日々淡々と救済活動を続けることであることに気づいた。彼は日本に帰り、再び救済活動に没頭し始めた。パモーチャナ・パッタナー・カーマパハーナ師はこう語った。

 物事は瞬間的に移り変わっていくのに
 人々はストップモーションをかけ、世界を止めてしまう。
 過去のことは、過ぎ去ったのだからとらわれる意味はない。
 未来のことは、まだ来ていないのだからとらわれる意味はない。
 現在のことは、瞬間的に過ぎ去っていくのだからとらわれる意味はない。
 とらわれずにこの世をありのままに見るとき、至福の世界が現われる。
 見よ、すべての魂への慈悲の心を磨くことによって、
 世界は至福となる。

 パモーチャナ・パッタナー・カーマパハーナ師は、今も多くの説法をし、いまだ苦しみの中にいる者たちを教化している。彼は至福のシッディを獲得し、その恩恵を他の魂にも振りまいている。あなたもパモーチャナ・パッタナー・カーマパハーナ師に会い、その恩恵を受けてみてはいかがだろうか。

※現在、パモーチャナ・パッタナー・カーマパハーナ師は、横浜道場にいます。

« 気を自在に操る聖者 | トップページ | エネルギー・直感智・神通力を駆使し、救済一筋に生きる »

クンダリニー・ヨガの解脱者」カテゴリの記事

コメント

パモーチャナ師は今アレフを離れ、ヨーガ道場の指導者になっておりますよ。( ^ω^ )

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 気を自在に操る聖者 | トップページ | エネルギー・直感智・神通力を駆使し、救済一筋に生きる »