[4b-33] ハスラー
『金庫室』は、中心に巨大花がそびえ、それ以外のスペースは巨大な蔦が縦横に張り巡らされた室内ジャングルと化していた。
だが今は、その四分の一ほどのスペースの蔦が【山礫】によって切り拓かれ、命懸けの闘技場となっていた。
切断された大蔦から血液が滴り、どす黒い血液が溜まっている。
その上に、轟々と、落ち葉と瓦礫の嵐が飛び交っていた。
マドリャは斧をぶるんと大きく振り回す。
すると、刃の周囲で渦巻いていた瓦礫が、旋回半径を広げた。マドリャそのものを中心として、独楽のように回り始めたのだ。
マドリャは血の水面を蹴立て、走る。
そのマドリャ目がけ、血閃が迸る。
波状攻撃。一撃二撃。旋回する瓦礫を打ち砕くが、それに阻まれてマドリャには届かない。
三撃四撃。瓦礫の隙間を抜ける。マドリャはそれを見切っている。突撃の速度を落とさぬままサイドステップ。血閃は血の池を弾けさせた。
間隙。血飛沫の中を舞う矢。これをマドリャは、斧の柄を僅かに動かしただけで弾く。
五撃。マドリャはバトルアックスを掲げ、巨大な刃の側面にて血閃を受けた。鏡のように磨かれた刃は、大蔦からの返り血にまみれてもなお美しい。入射角と反射角。血閃は既に半崩落状態の天井を削った。
「むっ!」
エルフの戦士が小さく指を振る。
舞い飛ぶ木の葉の流れが変わった。
マドリャが瓦礫を纏ったのと同じように、木の葉は連なり鋭く回転する多重の輪形刃となり、男を囲む。
葉脈が赤く色付いているグロテスクな木の葉は、吸血によって得たエネルギーを蓄えているらしく、エルフの自然魔法の触媒としては至上のものだった。
さらに、木の葉の刃が宙に三つほど形成され、輪回しの輪が転がるみたいにマドリャ目がけて撃ち出された。
マドリャはこの時点で突撃に見切りを付ける。
斧を振り上げると、身に纏っていた瓦礫の嵐が、握り拳を固めるように頭上に収束した。
オーガよりも巨大な岩塊が形成され、それがただ一つ、螺旋の軌道を描いてエルフの戦士を狙った。
流石にこの質量は破砕しきれない。
エルフの戦士は、血の水面に漂う木の葉を跳ね上げ、己を撃ち出させる。同時にそれを蹴って自らも跳躍。距離を置いて質量攻撃を回避した。
一方。彼の放った木の葉の刃も、マドリャには当たらなかった。
目標を変え、踏み込んで、マドリャは……千年樹の幹かと見まごう巨大花の茎に足を掛け、駆け上がる!
そして鮮血のように真っ赤な蕾に、斧を叩き付けた。
蕾にはうっすら傷が付き、じわりと血が滲んだ。
「どれだけ頑丈なのよ!」
一見すると茎よりは柔らかそうだが、あの蕾を形成する花弁も、やはり尋常な代物ではないらしい。
戦いは膠着していた。
こんな戦略兵器級の魔物と、それを操るエルフ相手にほぼ単身で戦っているのだからマドリャも只者ではないが、巨大花は堅く、タフだった。
大蔦はまだ六割ほど残っている。手を出せない。マドリャは釘付けにされている。
そして無限のタフネスと膨大な魔力リソースを前に、消耗戦を強いられていた。
――このまま戦っても埒があかないか……
一歩引いて成り行きを見守っていたスティーブは、近くに落ちてきた小さめの瓦礫を二つほど手に取る。
そしてカードを貼り付けた。
「警部、一つ試しても良いですか?
……これを使ってください」
「分かったわ」
マドリャが斧を引くと、一塊となっていた瓦礫が再び分離。
彼女の周りを渦巻いた。
スティーブはそこに瓦礫を投じる。
新たに放り込まれた二つの瓦礫も、瓦礫竜巻の一部となった。
エルフの戦士とマドリャ。
二人とも体勢を立て直し、構える。
何をする気なのかと、エルフは獲物を狙う鋭い目で、瓦礫の嵐を見ていた。
「で、どうするの!?」
「年末のレクリエーションを思いだしてください!
「……そういうことね!」
大きな斧をくるりと回し、マドリャはまるで槍のように、それを腰だめに構えた。
瓦礫の回転速度が増した。それはまるで、攻城ゴーレムが装備した巨大な
そして、腰を捻っての一撃!
「つ・ら・ぬ・けぇーっ!!」
「させるか!」
巨大な鎗が唸った。
圧力を一点集中させるべく、渦巻き貫く鎗として、瓦礫の嵐は蕾目がけて飛翔する。
これを多重の血閃が迎撃した。
瓦礫の鎗の穂先に向かって、それを粉砕するべく。
更にその背後では、舞い飛ぶ木の葉が多重の盾を形成し、破片と討ち漏らしを防ぐ態勢を整えた。
だが次の瞬間、瓦礫の鎗はばらりと分かれて散漫になり、夜空に散りばめられた星のように、巨大な蕾の周囲で宙に浮いたまま動きを止めた。
迎撃の血閃はまるきり肩透かしとなって床に大きな穴を空け、木の葉の盾は完全に無視された。
「止まった……?」
虚を突かれた様子で、エルフは弓を構えたまま様子を伺う。
その時にはもう、蕾のてっぺんの、花弁が結び合った僅かな隙間から、握り拳大の瓦礫が放り込まれるところだった。
「なっ!?」
この一瞬の出来事はスティーブの仕掛けだ。
スティーブは二つの瓦礫に『
そしてマドリャはスティーブの意を汲み、ちょうど良い位置に瓦礫を配置して宙に留めたのだ。
何をどうやっているのかスティーブには見当も付かないが、マドリャは【山礫】によって操る瓦礫一つ一つの動きを把握しているという。
そしてスティーブは、瓦礫の配置を見た瞬間、敵が反応するより早く
スティーブの手元の
「ナイスショット」
「この場合、手玉を入れてるんですからファウルでは……」
言いながらスティーブは札を破く。
蕾が。
スティーブの投げ込んだ瓦礫に巻き付けられていた、ありったけの
ほころび掛けた形だった蕾の口は、めくれ上がりながら爆炎を噴き上げ、蕾は
「しまった!」
エルフの戦士が泡を食った様子で叫んだが、もう遅い。
蕾の裂け目からはどうどうと、滝のように赤黒い液体が流れ出す。
それはあまりにもとめどなく、地下室全体に広がって浸した。
――やはり中身は全部、血なのか!?
まるで吸血鬼が浸かるという
舞い上がる花の香と、文字通りの血生臭いニオイが混じり合って、スティーブは吐き気すら覚えた。
凶悪殺人現場で臓物がぶちまけられた死体だって見た事あるスティーブだが、それ以上の何か……まるで命を冒涜するような、生理的嫌悪を覚える何かが、この血溜まりからは感じられた。
「お見事、スティーブ君」
「ああいう無闇に堅いものは、中身が脆くて重要だと相場が決まってますからね」
「さて、あれで動かなくなってくれるか……」
マドリャは油断していなかった。
瓦礫を引き戻し、斧を構え、攻撃に備えていた。
そのはずだったが、次に起きたことはスティーブも、おそらくはマドリャも、予想していなかった。
鮮血が飛んだ。
「えっ…………」
獰猛な獣の爪で引き裂かれたように、マドリャの身体は防具ごと穿たれていた。
その勢いで血が舞って、それから、流れ出た。
あまりにも唐突な攻撃。
スティーブの目の迷いでなければ……
足下を満たす血溜まりから、刃のように血煙が隆起して、マドリャに襲いかかったように思われた。
「警部!!」
崩れ落ちるマドリャに縋り、スティーブは抱きかかえる。
「この……力は……」
エルフは呟き、血の池の中で膝を折り、裂けたる蕾に向かって頭を垂れた。