日本が敗戦時に受け入れたポツダム宣言の認識をめぐって安倍晋三首相の歴史観がまた浮き彫りになった。ポツダム宣言は日本の戦争を世界征服のための侵略と断じているが、20日の党首討論で安倍首相は「私はまだ、その部分をつまびらかに読んでいないので、論評は差し控えたい」と述べた。この発言は何を意味するのか。近代史と外交に詳しい識者に聞いた。
◆世界秩序への「挑戦」 関東学院大教授・林博史さん
ポツダム宣言は戦後日本が民主主義国家として歩みだした出発点。憲法制定をはじめ民主的な改革はここから始まった。安倍首相はそうした戦後体制から脱却したいと考えている。だから認められない。読んでいないというより、ポツダム宣言を否定したい、あの戦争が間違ったものだったと認めたくない首相の思いが先行している印象を受ける。
ポツダム宣言の否定はカイロ宣言の否定でもある。奪った領土の返還や朝鮮半島の解放をうたい、日清戦争から太平洋戦争まで近代日本が行ったすべての戦争と植民地支配を否定したのがカイロ宣言。それを否定している。
二つの宣言は戦後の世界秩序の出発点でもある。その否定は国連を中心とした現在の世界秩序への挑戦という意味を持つ。こうした考えに基づいて日本をどういう方向へ導こうとしているのか、大変な危惧がある。日独伊三国同盟でやろうとしていたことがまさに英米を中心にした世界秩序への挑戦だった。安倍政権は中国の軍事的台頭を国際ルールに反すると批判しているが、批判する資格を失うことにもなろう。
間違った戦争だと認めたくない安倍首相の姿勢は旧日本軍による従軍慰安婦問題にも通じる。当時の非人道的行為、人権侵害には目を向けず、正しい戦争を立派に戦ったと言いたいのだろう。
過ちを認めないということは同じことをしても構わないと考えているというメッセージになる。安全保障法制を改定し、自衛隊を広く海外へ派遣しようとしているが、太平洋戦争が許されるのなら何をしてもよいということになる。事は首相のイデオロギーの披歴にとどまらず、具体的な政策として過ちが繰り返される危険性が示されているという問題だ。
自民党の指導者でも以前なら内心の思いとは別に国際秩序に配慮した。その節度が失われ、たがが外れている。選挙で勝ったことに加え、安保法制の改定でも世論の批判はそれほどではないと感じているのだろう。
◆はやし・ひろふみ 1955年神戸市生まれ。専攻は現代史、戦争・軍隊論。日本の戦争責任資料センター研究事務局長。旧日本軍による従軍慰安婦の問題の研究を続ける。
◆米国の反発で孤立も 元外務官僚・孫崎享さん
安倍首相はポツダム宣言を「つまびらかに承知していない」とも言っているが、そうではないはずだ。首相の周辺には、先の大戦は侵略戦争ではなかったと主張する人たちがいる。侵略戦争と認めることにためらいがある。志位委員長に「間違った戦争という認識があるか」と問われ、明言を避けるための逃げ口上としてあのような言い方になったのだろう。
ポツダム宣言ではカイロ宣言の履行が求められている。カイロ宣言には日本が行っているのは「侵略」だと明記されている。つまりポツダム宣言を受諾したということは侵略戦争を認めたことになる。受諾後に日本は降伏文書に署名したが、それは宣言の順守を誓ったということ。戦後日本の基礎をなすもので安倍首相も知っているはずだ。答弁は不誠実なものだ。
安倍首相は過去にポツダム宣言を否定していると受け取れる発言をしたことがある。自民党幹事長代理だった2005年、雑誌の対談で「アメリカが原子爆弾を2発も落として日本に大変な惨状を与えたあと、『どうだ』とばかりにたたき付けたものです」と述べた。実際は原爆投下の前に提示されており、事実と違う。それ以上に問題なのは「連合国がたたき付けた」という物言いに「ポツダム宣言は受け入れられない」という意味合いが感じられることだ。
従軍慰安婦問題で世界の有識者が日本の対応に問題意識を持っており、首相の歴史認識には厳しい目が向けられている。にもかかわらず、侵略戦争を認めない安倍首相のスタンスは一貫していて、今後もこのような発言は繰り返されるだろう。このままでは中国、韓国は当然のことながら、米国でも想像以上の反発が起き、外交に影響を与えかねない。
安全保障法制の改定をはじめ、安倍首相が戦後体制の見直しをするというのであれば、日本の侵略を認めるところから始めなければならない。そこから目を背けて戦後の見直しを進めようとしているところに国際社会から孤立を招く危うさを感じる。
◆まごさき・うける 1943年石川県生まれ。外務官僚時代は在イラク大使館、在カナダ大使館などに勤務、2002~09年、防衛大学校教授。著書に「日米同盟の正体」など。
【党首討論でのやりとり】
志位和夫共産党委員長 戦後70年の節目の年に、日本が、そして総理自身が(歴史認識に)どういう基本姿勢を取るかは非常に重大な問題だ。過去の日本の戦争は、間違った戦争だったという認識はあるか。
安倍晋三首相 戦争の惨禍を二度と繰り返してはならない。不戦の誓いを心に刻み、戦後70年間、平和国家としての歩みを進めてきた。その思いに変わりはない。そしてだからこそ地域や世界の繁栄や平和に貢献しなければならないと決意している。
志位氏 戦後の日本はポツダム宣言を受諾して始まった。ポツダム宣言は日本の戦争を世界征服のための戦争で侵略だったと判定している。(日本が奪った地域の返還を求めた)カイロ宣言の条項は履行されるべきだと述べている。
安倍首相 ポツダム宣言をわれわれは受諾し、敗戦となった。宣言にあった、例えば日本が世界征服をたくらんでいたという連合国の理解を今、紹介された。私はまだ、ポツダム宣言のその部分をつまびらかに読んでいないので、論評は差し控えたい。いずれにせよ、先の大戦の痛切な反省によって、今日の歩みがある。
志位氏 ポツダム宣言が認定した間違った戦争という認識を(首相は)認めると言わない。集団的自衛権の行使は日本への武力攻撃がなくても、米国が戦争に乗り出した際に自衛隊を参戦させるものだ。戦争の善悪の判断ができない首相に、日本を海外で戦争する国にする安全保障関連法案を出す資格はない。撤回を求める。
◆ポツダム宣言 第2次世界大戦当時の1945年7月、米英と中国(当時の中華民国)が日本に降伏を求めた宣言。8月にソ連も加わった。日本軍国主義者の除去や軍事占領、主権制限、戦争犯罪人の処罰などを明記しており、全13条。日本指導者が「世界征服」を狙っていたとの認識を示す記述もある。第1次大戦後に日本が占領した地域の返還や植民地支配した朝鮮半島の解放をうたった43年のカイロ宣言の履行も明記している。鈴木貫太郎内閣は当初、黙殺を決めたが、ソ連参戦や米軍による原爆投下で戦況が一段と悪化。昭和天皇が8月14日の御前会議で受け入れを決断し、正式決定した。翌15日、玉音放送で国民に終戦を告げた。