西武鉄道糞尿輸送余話

80年に余る西武鉄道の貨物輸送(1996(平成8)年3月末営業廃止)の中で、最も特殊だった輸送貨物は“糞尿”であったろう。戦時(太平洋戦争)下の食糧不足を補い、解消を図る目的で東京都は、郊外部における野菜栽培による食糧増産を計画し、戦時のガソリン統制下でトラックなどの利用ができずに処理に窮していた都心部の糞尿を肥料としてその増産に資するため、その輸送を鉄道会社に委託したのが貨車を使った糞尿輸送であった。
 合併前の武蔵野鉄道と西武鉄道(1945(昭和20)年9月武蔵野鉄道に合併)は、その輸送を受託して1944(昭和19)年6月から貨車による糞尿輸送を開始した。国鉄をはじめ、他の私鉄(東武鉄道、名鉄、京阪電鉄等)でも糞尿輸送を行っていたが、当時、糞尿輸送といえば一番手に挙がった鉄道会社は、一時期“西武農業鉄道”という今にして思えば旅客輸送などはしていないようなネーミングであったことから推しても、西武鉄道(1946(昭和21)年11月に現「西武」に社名変更)にほかならなかった。

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 ちなみに記録によると、実情は不明ながら武蔵野鉄道当時、東久留米駅(池袋線)構内に専用の積み込み設備と側線を設けて東京市(当時)を荷主とした糞尿輸送を、大正末期(1924(大正13)年)から昭和初期(1928(昭和3)年)にかけて本格輸送に近いかたちで行っていた経緯がある。

尿輸送にあたって武蔵野・西武両鉄道では、専用の設備と貨車を用意した。糞尿の積み込み設備が長江(当時東長崎~江古田間の下り線から分岐していた貨物駅)と井荻に作られ、その取り卸し設備が清瀬、狭山ヶ丘、高麗、田無、東小平(廃止・花小金井~小平間)、東村山、入曽、南大塚、小川の各駅にあった。こうした設備構築の状況から、本格的な輸送体制で臨んでいたことが覗える。
画像 都心部から運ばれた糞尿は、積込駅の高所に設けられた貯留槽(コンクリート製)に貯められ、重力を利用して貨車の上部から積み込まれた。取卸駅では、線路より低い個所に設けられた貯留槽(同)へ貨車の底部から線路越しに流し込まれ、取り卸された。
 また、糞尿輸送専用の貨車は、自社所有の無蓋貨車(ト31形)を改造(台枠と走行部を利用)し、別途作られた木製のタンク体(船底形の立方体)を載せたものであった。ちなみに、車体部分(タンク部分)は東京都の所有であったとか。
 糞尿という極めて特殊かつ異質なものを貨物として鉄道で輸送したのは、人糞を肥料として用いる慣習のない欧米等の諸外国にその例はなく、日本独自の輸送形態でもあったようだ。そのため、糞尿輸送自体が10年足らずの短い期間で終わってしまったこともあって、記録として残されている資料等は極めて少なく、鉄道を利用した糞尿輸送に関わる詳細は掴めていないのが実情のようである。

にかく、運ぶ物がモノであっただけに、糞尿輸送列車は沿線に汚穢の悪臭をふりまいて走っていたという。取卸駅の貯留槽は駅構内にあって、ホームにも近接していたため、漂い出た得も言われぬ臭気が風の向きによっては電車を待つ利用者をも辟易させていたのだ。ただ、環境や衛生を云々する世間の風潮がそれほど強硬であったわけではなかった当時としては、ある意味で仕方のないことといった諦めにも似た感情で受け取られていたようだ。
 それにも況して、何処へも逃れることができない糞尿輸送列車を担当した乗務員ともなれば、それこそ汚穢臭に囲まれての仕事であったという。私がまだ西武鉄道で現役(1999年退職)であった頃、職場には糞尿輸送列車に乗務の経験を持った先輩乗務員も少数ながら居たこともあって、ストーブ談義の中で昔語りに話されていた糞尿輸送当時の様子を聞くとはなしに耳に挟んでいた。

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 糞尿輸送列車の最後部に連結された緩急車(トフ)に乗務する車掌にとっては、特に夏の季節は、この世の仕事とは思えない酷さであったという。糞尿輸送列車は昼間の運行であったため、日中の狭い緩急車の乗務員室はサウナどころではなく、小さい窓を全開にして涼風とはほど遠い走行風を取り入れるしかなかった。30km/h前後で貨車を揺らしながら走る列車からは風とともに汚穢臭が襲いかかり、木製タンクの貨車からは揺れるたびに時折洩れ出る糞尿が、しぶきとなって飛んできたという。そのしぶきを、あまりの暑さを凌ぐために窓から顔を出した途端に浴びてしまったこともしばしばだったという。
 話半分に聞いても、先輩たちが口を揃えるところを見るとあながちそれが眉唾とも思えず、苛酷な乗務であったことが覗える。とにかく、糞尿輸送列車に乗務した日は、乗務を終えた後も汚穢臭が鼻に終日つきまとい、容易には逃れられなかったと述懐していた。
 「黄金列車」とも揶揄された糞尿輸送も、木製であったタンクの老朽化が進んで多発していた中身の漏洩による沿線への悪臭被害、貯留槽から漂い出る醗酵した汚穢水の悪臭などによる環境衛生面への影響から、また、乗務員の健康管理面でも問題の多い列車であったことから、開始から10年を経ずしてその姿を消していった。
 同時に、戦後も時を経て糞尿を肥料とする需要が減ったこと、ガソリン統制がなくなって戦前並みにトラックの使用が自由になったことや海洋投棄が可能となったことなども、鉄道による糞尿輸送の廃止が早められた結果につながったと思われる。西武鉄道でも、記録上では1953(昭和28)年3月終了とあるが、実際にはそれより2年も前には糞尿輸送を休止していた。

戦後も続けられた鉄道による糞尿輸送が終了した後も、駅構内にはしばらくの間取り卸し設備の貯留槽が残ったままになっていた。中には、雨水などが入って汚泥化した溜池となっていたものもあった。私が運転士になった1964(昭和39)年においても、残されたままの貯留槽を散見していたことから、その後もしばらくは残っていたようであった。西武池袋線の狭山ヶ丘駅構内にも、その貯留槽が溜池化して残っていた。
 当時の多くの駅構内は、鉄道敷地と一般用地とを隔てる柵などの設備がなかったのが普通で、駅構内へは誰でも出入りがフリーだった。狭山ヶ丘駅構内の溜池(貯留槽)が、柵で囲まれていたかどうかは知らないが、ある日その溜池で子供の転落事故が起きた。
画像 私事ではあるが、その子供の溜池転落事故が起きた1953(昭和28)年6月当時、私の父(1993年他界)は狭山ヶ丘駅の駅長を務めていた。中学生だった私は、勤務中の父の許へ母親手づくりの夕食の弁当を電車に乗って(当時は元加治在住)よく届けに行っていたこともあって、駅員さんたちとは馴染みだった。しかし、この事故について私は覚えておらず、記憶にも全くなかったが、つい最近実家の天袋の奥から父の在職(1961(昭和36)年3月退職)当時の古い会社関連書類の入った菓子箱が出てきた。
 父が亡くなって十数年経つが、その古い書類の中に、半紙に毛筆で書かれた溜池転落事故に関する1枚の書面を見つけた。「驛員人命救助報告の件」と記されたもので、これによって私は初めて彼の事故を知った次第です。
 僭越ながら参考にと思い、書面の内容を以下に記します。 (読みにくさを考慮して句読点は私が加えました)

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           驛 員 人 命 救 助 報 告 の 件
   1.日時     昭和二十八年六月十二日 十五時三十分
   1.場所     狭山ヶ丘駅構内屎尿溜
   1.救助者    狭山ヶ丘駅転轍手 雇 吉田 正司
   1.被救助者  埼玉縣入間郡三ヶ島村丙山ノ神
                    ひめ子長男 沖田 久光(九才)
   1.当務者   狭山ヶ丘駅助役 書記補 滝田 力雄 
   状  況
 昭和二十八年六月十二日十五時三十分頃、第三十六号転てつ器の清掃作業中小児二名より池の中に友達が落ちたとの報により、直ちに転てつ器の清掃を中止、列車運転に支障なきを確認し速やかに屎尿溜に駆けつけると、久光君の頭がぽつんと浮き其のまま水中に没したので、速やかに制服着用のまゝ池中に腰まで入ったが、水深くて足がつかず、水は黄青色の汚水のため底知れないので一旦池の外に出、附近を見渡した所、丁度約100米はなれた所に荻野静一君(元社員)親子が働いていたので協力を求め、農家よりはしごを借り速やかに水中に入れ自ら池の中に首まで入り右足を伸ばしてかきまわしたところ、運よく久光君が足に掛かったので救い上げたが、息は絶え目は白目を大きく開き最早これまでと思ったが、速やかに驛に急報し当務助役の指揮のもとに駅員一致協力し人工呼吸を為すと共に、医師の手配、家族及び所轄警察署に急報等万全を期したので、久光君の尊い命を救助する事ができました。 
 右報告いたします。
                                          狭山ヶ丘駅長 柳井 新造
   西武鉄道株式会社御中

山ヶ丘駅溜池転落事故からすでに55年、その溜池も彼方の時に消え失せ、今、跡地にはマンションが建つ。あのときに救助された方が存命なら、64歳になるはずだ。
 そして、糞尿輸送に携わった人も、それを知る人も年々少なくなっていくのであろう。関わる古い1枚の書面の表出を機に、かつての西武農業鉄道当時を含め、鉄道の貨物輸送として特殊でもあった糞尿輸送を身近に知る機会を持てたことは、西武鉄道の貨物輸送に乗務員(機関士)として22年余りの間付き合い、退職して10年近くにもなる私にとっては誠に意想外であった。 (終)                                            

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この記事へのコメント

タマオ
2009年01月04日 23:25
まさか過去に西武鉄道でそのような糞尿輸送していたとは知りませんでした。
今ではあたり前の水洗便所も昔はなかったですから、歴史を伝える意味では
大変貴重な内容で勉強になりました。
鈴木光太郎
2009年01月10日 01:16
始めまして。詳細な記録をアップされた事でかなり実態が解りました。
ありがとうございます。
以下門外漢ではありますが、
1、京阪電鉄の輸送は農業用というより、大阪のターミナルビルが屎尿の排出口  が普通の道路経由では困難なため深夜鉄道で運び出した、
  と聞いたことがあります。
2、外国の例として、イタリアのミラノから近郊農村に軽便鉄道で運ぶ方法が、
  The Engineere, 1895年4月に説明されてます。
3、西武新宿線、井荻駅の施設を写真で見たことがあります。
4、これらの輸送が終わった理由のひとつとして化学肥料の生産で、
  飢饉の危険が減ったこともあるのではないでしょうか。
5、武蔵野鉄道の旧西武鉄道吸収許可の運輸省に対する取引条件として、
  屎尿輸送を受諾した可能性は無いでしょうか。
  現西武は戦後屎尿輸送をしたために東京の他の鉄道より低いイメージで
  見られ、  土地開発等で不利を享受した気がします。
リンクを張りました
2011年02月24日 11:39
武蔵野鉄道の吾野―飯能開通に関する記事を探していましたら見つけました。開業当初より電化されていたのかどうか(モハ12型が投入されたとの記事も有り)を調べていたのですが、面白い記事なのでリンクを張らせていただきました。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand/2702/
鉄道好きオヤジ
2011年08月15日 20:16
元加治貨物側線について調べております。どこでどのように調べればよろしいでしょうか?
注文のない料理店
2013年03月02日 12:12
わたしの大叔父は西武鉄道の屎尿部門の運送をまかされて、巨額の財を築いたと聞かされていました。長江の駅はその運送会社の専用の駅だったらしいです。確か淀橋清運という名前だったと思います。なかなか資料がなく困っていたのですが、貴重な写真、リアルな描写、大変参考になりました。

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