ほとんどの先祖からDNAは受け継がない
さきほどの計算は、染色体に組換えがないと仮定して計算したものだった。しかし組換えを考慮にいれても、状況は本質的には変わらない。
女性が卵巣の中で卵を作るときには、平均して45回の組換えが起きる。男性が精巣の中で精子を作るときには、平均して26回の組換えが起きる(注1)。合わせると1世代のあいだに平均71回の組み合わせが起きることになる。
もちろん、組換えを起こして染色体の一部を交換したあと、染色体はまたつながる。だから、いくら組換えを起こしても、染色体は46本のままだ。しかし、1本の染色体が組換えを起こして(たとえ形のうえではつながっていても)2つのピースに分かれれば、それぞれのピースは別々の先祖から受け継がれたものということになる。
つまり1本の染色体の中に、母親から来たDNAと父親から来たDNAが混在するようになったのである。
さらに、そのピースが経験してきた歴史を考えると、そのピースの中には祖父母や曽祖父母や高祖父母のDNAも混在していることに気がつく。要するに、組換えが1回起きることは、染色体が1本増えたことに相当するのだ。
さて、少しややこしくなったので、具体的に考えよう。私たちは今46本の染色体を持っているので、最大46人の先祖からDNAを受け継ぐことができる。しかし、父母の世代の卵と精子で71回の組換えが起きているので、私たちの染色体は46+71=117個のピースに分かれている。したがって、私たちは父母の世代の最大117人からDNAを受け継ぐことができる。とはいえ、私たちの父母は合わせて2人なので、実際には117ピースのすべてを2人から受け継いでいる。母親から61ピース、父親から56ピースを受け継ぐとか、そんな感じだろう。
それでは、少し世代を遡ってみよう。1世代遡るごとに、ピースは71個ずつ増えていく。つまりDNAを受け継ぐことのできるその世代の人数が、71人ずつ増えていくわけだ。
やっぱりピースの数の方が全然多いので、私たちは先祖みんなからDNAを受け継いでいる。だから、たとえば私たちの顔は父母に似ているし、父母ほどではないけれど祖父母に似ているし、祖父母ほどではないけれど曽祖父母に似ているのだ。当然の結果で、何の不思議もない。
それでは、もう少し世代を遡ってみよう。
世代を遡っていくにつれて、様子が変わってくる。ピースの数は、1世代遡るごとに71が足されるだけなので、増え方は一定である。しかし人数の方は、1世代遡るごとに2倍になるので急激に増えて、ついに10代前でピースの数を抜き去り、一気に差を広げていく。
20代前まで遡ると、先祖の数は100万人(!)を超えるのに、その中で私たちがDNAを受け継げる人数は最大で1500人足らずだ。つまり20代前のおじいさんやおばあさんの中で、私たちに少しでもDNAを伝えられる人は、約0.1パーセントしかいないのだ。
かりに1世代を25年と考えると、20代前というのは500年前になる。源氏や平氏の時代はそれよりさらに300年以上前なので、そんな時代の先祖が(もし本当に直系の先祖だとしても)あなたにほんのわずかでもDNAを伝えている確率はゼロに等しいのだ。
とはいえ、たとえDNAはまったく伝わっていなくても、系図がつながっていること自体に価値があると考えれば、源氏側とか平氏側とか言う意味はあるだろう。ただ、生物学的な連続性を期待するのは無理だということだ。
(注1)デイビッド・ライク『交雑する人類』(NHK出版)
すべての人の共通祖先が現れる
さて、この話には続きがある。
もしも、今までの考えを源氏や平氏の時代まで遡らせると、先祖の人数はおよそ100億人になる。これは明らかに当時の日本の人口よりも多い。いくらなんでも、これはおかしい。これが何を意味しているかというと、日本にいた集団の中でDNAは混じり合っていたということだ。
だから、たとえ私たちが源氏の直系の子孫であっても、源氏の遺伝子を受け継いでいる可能性はほぼゼロだ。しかし、別の見方をすれば、直系の子孫だろうがそうでなかろうが、源氏の遺伝子を受け継いでいる確率は(ものすごく小さいけれど)ほとんど同じなのだ。
つまり、先祖との血縁関係は、世代を遡るにつれて薄まっていくという単純なものではない。現在から世代を遡っていくにつれて、私たちにDNAを伝えた先祖の割合は、急速に減少していく。血縁関係が薄まっていくのではない。DNAをまったく伝えていない先祖がほとんどになっていくのだ。
しかし、その時代を越えて、さらに過去へと遡っていくと、今度は全ての人の共通先祖が現れてくる。DNAのそれぞれの部分について、時間を十分に遡れば、ついには今の日本人全員が同じ1人の先祖の子孫になる時点に達する。その時点はDNAの部分ごとに異なる。比較的最近のこともあれば、かなり古いこともあるだろう。
そこまで考えれば、私たちの祖先はみんな同じなのだ。