史思明(読み)ししめい

日本大百科全書(ニッポニカ)「史思明」の解説

史思明
ししめい
(?―761)

中国の安史(あんし)のの指導者の一人。安禄山(あんろくざん)と郷里が同じで営州(遼寧(りょうねい)省朝陽市付近)の突厥(とっけつ)系雑胡(ざっこ)の出身で、初名は窣干(そっかん)といい、思明の名はのちに玄宗から賜った。6種の蕃語(ばんご)を解し、安禄山とともに互市郎となり、幽州節度使張守珪(ちょうしゅけい)に仕え戦功をたて、752年禄山の上奏によって平盧(へいろ)軍節度都知兵馬使となり、755年禄山反乱後は行動をともにし、禄山が子の慶緒(けいしょ)に殺されると一時唐側に降ったが、粛宗が彼を殺そうとしたので758年ふたたび反して洛陽(らくよう)を陥れ、大聖燕王(えんおう)と称し、慶緒を殺してその軍をあわせ、大燕(だいえん)皇帝と称した。しかし末子の史朝清を溺愛(できあい)し、妾腹(しょうふく)の子史朝義を除こうとしたため逆に朝義に殺された。

[菊池英夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「史思明」の解説

史思明
ししめい
Shi Si-ming; Shih Ssǔ-ming

[生]?
[]上元2(761)
中国,唐中期に起った安史の乱の指導者の一人。安禄山と郷里が同じで,ともに6種の言語を理解し,幽州節度使張守珪に仕えて戦功を立て,禄山が反乱を起すと,行動をともにした。禄山が子の安慶緒に殺されると,一時唐側に降下したが,乾元1 (758) 年,粛宗が彼を殺そうとはかったため,また反旗を翻し,安慶緒を殺して反乱側の総帥となり,大燕皇帝を称した。しかし末子の史朝清を溺愛して妾腹の子の史朝義を除こうとしたため,その恨みを買い,やがて殺害された。

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百科事典マイペディア「史思明」の解説

史思明【ししめい】

中国,唐代の逆臣安史の乱の指導者の一人。営州(遼寧省)出身のソグド系武将。若いころから安禄山と親しく,その反乱に従ったが,安禄山の子慶緒が父を殺した後,慶緒とあわず唐に降(くだ)った。しかし粛宗が彼を除こうとするや,再びそむき,慶緒を殺して大燕皇帝と称したが,後嗣問題で子の史朝義に扼殺(やくさつ)された。

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精選版 日本国語大辞典「史思明」の解説

し‐しめい【史思明】

中国、唐代の軍人。突厥(とっけつ)人で、玄宗皇帝から思明の名を賜わる。安祿山同郷で、安祿山の乱で祿山の将軍となり、のち、祿山の子慶緒を殺し大燕皇帝と称したが、子の史朝義に殺された。七六一年没。

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世界大百科事典内の史思明の言及

【安史の乱】より

…中国,代中期,安禄山,史思明(?‐761)らによって起こされた反乱。9年におよぶ大乱で,中国社会の様相が大きく変化する契機となった。…

【貨幣】より

…通宝・重宝に元号等を冠する様式はその後,清末まで継承されることになる。なお,安史の乱の際,史思明は得壱元宝,順天元宝を発行したが,以後,王朝に反旗を翻して自立するものや異民族で対立王朝を開くものなども,その元号を冠した銅銭を発行するようになった。また唐の中葉以後,遠距離の商取引などに為替手形(飛銭)が用いられるようになった。…

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