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「途中で怖くなってしまったようです」 「エルピス」脚本・渡辺あやが明かす 民放で社会派ドラマが実現しない理由

CREA WEB / 2022年10月23日 19時0分


©フジテレビ

 テレビ局を舞台に、スキャンダルによって落ち目となったアナウンサーとバラエティ番組の若手ディレクターらが冤罪事件の真相を追う社会派エンターテインメントドラマ「エルピス —希望、あるいは災い—」。前編では脚本家・渡辺あやさんとプロデューサー・佐野亜裕美さんの、出会いから波乱のドラマづくりの日々をお届けしました。紆余曲折あってやっとドラマ放送が決定した本作。後編はそれぞれの仕事に対する思いから、本作に込めたテーマや秘話までたっぷり語っていただきました。


マスメディアの裏側まで描きたかった


――脚本の依頼から放送まで、足掛け6年。ドラマ制作でこんなに長い時間がかかることはあるものなのでしょうか。

渡辺 私史上、初ですよ。まぁ民放の連ドラ自体がそもそも初めてですけど。

――渡辺あや脚本のドラマが民放で観られる日がくるなんて思ってもみなかったので本当にうれしいです。しかもこんなに長い期間をかけてやっと……。

渡辺 当初の要望通り、ラブコメだったらもっとはやく公開できていたと思うんです。でも、テーマがテーマですからね。なぜこのドラマの内容にテレビ局が難色を示したかというと、マスメディアが犯罪などの事件や出来事に対して、誤報や、事実と確認されていないことを報道したらどういうことが起こるのかということが赤裸々に描かれているからだと思うんですよ。さらにはどこからどういう横やりが入るのか、報道がどのようにひるむのか、真実がどう闇に葬られていくのかということも。たぶん私と佐野さんが出会ったときからずっと抱えていた共通の問題意識は、権力の横暴とそれに従属するばかりのマスコミの報道姿勢のあり方なんですよね。それを燃料にして今回の脚本は書いてきたので。

――テレビ局が放送をためらうのも無理はないですね。そしてそれをつくろうと言ってくれたカンテレはすごい!

渡辺 すごいんですよ。びっくりしましたね。私は普段メディアに出るのが苦手で、取材もなるべく受けたくないタイプ。ですが、今回は実在する事件から着想を得ていることもあり、自分の言葉で話す場所をつくっておかないといろいろなところに被害がおよぶ恐れがあると思いインタビューを受けました。それぐらい難しい題材なので、覚悟して臨んでいます。

オリジナル脚本の9割は企画が通らない


――渡辺さんのオリジナル脚本は、9割以上企画が通らないという話を以前伺ったことがあります。今回も難航しながらでしたが、ついに放送までこぎつけました。今まで実現できなかった作品はたくさんあると思うのですが、それは今回のように人生をかけてドラマをつくろうとしてくれるプロデューサー(または監督)が少なかったからですか?

渡辺 民放でも企画途中まで進めたことは何回かあるのですが、なぜかうまくいかなくなるんですよ。以前来ていただいた方のケースでいうと、数字(視聴率)が取れなくてもいいから私とやりたいと言って来てくださったのですが、途中で怖くなってしまったようです。やはり視聴率という縛りが強かったのでしょうね。基本的にテレビはリアルタイム視聴率至上主義ですから。それに対して私がちゃぶ台をひっくり返したみたいなことはありました。

――民放の場合、スポンサーからお金をもらってドラマを制作しますからね。この仕組みが足かせになっているのかもしれないですね。渡辺さんはプロデューサーから脚本の依頼があった場合、基本的にどの方とも最初は対話をしながら作品のテーマを探っていくのでしょうか。

渡辺 そうですね。たとえば漫画や人気小説など原作モノをオーダーする方はとても多いんですけど、そのほとんどを私がお引き受けしないのは、それが来てくださる方自身の心の中から湧き上がった題材ではないから。原作モノの題材に対して一番思い入れを持っているのは、原作者本人ですよね。他の方が思いを込めてつくったものをいくら私とプロデューサーの間でもんでいっても、突き抜けた作品はつくれない。それはすごくもったいないことですよね。

 私も佐野さんもそうですけど、つくり手であれる時間はとても短いものです。人生の中で、せっかく作品をつくれる機会が与えられているのに、自分たち自身の中から湧き出たものをつくろうとしないでどうするの?と思ってしまいます。それに原作モノの話がくるのは、視聴率が確実に見込めるという判断もあるのだと思います。創作の現場において経済効率が優先されてしまっていることも気になります。

――染みました……。諦めて帰っていった人はもったいないですね。

渡辺 本当は絶対その人の中に何かしらあるはずなんですよね、切実なテーマが。だけどそこまで突き詰めることなく終わってしまうことが多いです。

社会への問題意識を作品で伝える

――「ワンダーウォール」(2018年放送)「今ここにある危機とぼくの好感度について」(2021年放送)など、近年の渡辺さんの作品をみていると、社会に対しての問題提議や問いかけを強く感じます。それは最近の渡辺さんとプロデューサーとの間に立ち上がった共通項となるテーマが、社会的な問題であることが多いからですか?

渡辺 そうだと思います。具体的には特定秘密保護法などがあっという間にひどい形で強行採決されたあたりからでしょうか。それまで私はまったく政治に興味を持たずにいた人間ですが、権力側の暴走や表現・言論の自由の萎縮から生まれる“危機感”を抱きました。その頃は周りも政権に対して怖がっているムードがあり、マスコミも政府が明言したことしか報じない。これはさすがになにかおかしいと思いました。

――本来「権力の監視」はマスメディアの重要な使命のひとつですが、その多くは権力の拡声器のような状態にあったように思います。

渡辺 でも、マスコミの中にもこの状況に対して「おかしい」と思っている人が1人か2人位はいるはずなんですよね。そういう人たちのことを書きたいと思ったのが、今作をつくる最初の動機でした。まさに長澤まさみさん演じる主人公がそういう人です。

佐野 今作の主人公たちは、自分には価値がないと思っていて、テレビもまた終わっていくメディアだと諦めながら働いている。私も初めてあやさんと出会った頃は、自分には価値がないと思い込んでいました。でも、自分自身の価値は自分が決めるべきだということを私はあやさんに教えてもらいました。この主人公たちがどう成長していくのかにも、期待して観ていただきたいです。

希望か災いかは受け取り手の判断次第


©フジテレビ

――タイトルである「エルピス —希望、あるいは災い—」は、ギリシャ神話のパンドラの箱(匣)に由来するものですね。この数年間は疫病や戦争など、本当にパンドラの箱を開けてしまったかのような現実が続いています。タイミングを思えばこそ、まさに言い得て妙だなと思いました。タイトルは前々から決められていたのでしょうか。

渡辺 タイトルも作品同様、いろいろと紆余曲折ありましたが、結果これに落ち着きました。「エルピス」という響きもいいじゃないですか。長澤まさみさんが主演だし。

――あぁ! たしかに、長澤さんはカルピスのCMに出られていますね! そこは気づきませんでした。あとに続く「—希望、あるいは災い—」というサブタイトルも気になります。

渡辺 最近起きているさまざまな事象に対してもそうですが、何が良くて何が悪いかがよくわからなくなってきていますよね。希望なのか、災いなのか。すべて受け取り手の判断次第なのだと思います。

佐野 これは私自身の話ですが、テレビ局を移籍した際にひどい言われ方をされたり揶揄されたこともありました。なかには「このドラマのせいでTBSを辞めることになって残念だね」と言う人も。でも、このドラマのおかげで私は自分の人生がさらに拓けたと思っています。どっちの言い分が正しいという話ではなく、人それぞれいろんな受け取り方があるのだと思います。まぁ私は、1ミリも後悔していませんが。

脚本家にとってプロデューサーは一番喜ばせたい人


――役のキャラクター設定はどのように決められていったのでしょうか。

渡辺 実は長澤まさみさんと眞栄田郷敦さんの役は、佐野さんという人の性格や考え方をそのまま役として振り分けた節があるんです。一方で鈴木亮平さんの役は、私の身近にはいない、まったく知らないタイプのキャラクター。ではこの役のイメージはどこから湧いたんだろうと考えると、それは佐野さんがこういうタイプの男性に意外と弱いのではないかと思ったからなんですよね。

佐野 まさに鈴木さんの役は私が過去に騙されたり、のめり込んで痛い目をみた男たちの集合体のような人でびっくりしました(笑)。

渡辺 やはり一番最初にみせるのがプロデューサーなので、そこに焦点が合ってしまうのかもしれないです。坂元裕二さん脚本の「大豆田とわ子と三人の元夫」(2021年放送)も拝見しましたが、私は大豆田とわ子は佐野さんという人にそっくりだと思っているんです。佐野さんという人を吸い取って脚本にしたのではないかと思うほど。

――脚本家にとってプロデューサーはどういう存在なんでしょうか。

渡辺 すごく重要な人ですよね。パートナーでもありますし。これは私以外の脚本家もそうなのかもしれないですが、きっと一番喜ばせたい人ですね。

――プロデューサーがいいと思わなかったら、作品は世に出ませんもんね。

佐野 この世に生み出された脚本の最初の読者になれることは、プロデューサー業の醍醐味のひとつです。いつも泣きながら初稿を読んで、泣くのが収まってからあやさんには電話をしていました。脚本家さんは基本的に書いている時間が長いですよね。私は自由に動き回れるので、できるかぎり脚本家さんが経験できないことを見たり聞いたりして、それを全部余すことなく伝えたいという気持ちがあります。目と耳の代わりになりたいんです。今回はテレビ局が舞台だったので、「こんな上司がいて!」「こんな情報バラエティの現場があって!」などテレビ局あるあるもたくさんお伝えしました。

笑いもラブも人間の業もある社会派エンターテインメント

――今作は「社会派エンターテインメント」と謳われています。冤罪事件がテーマとなっていますが、楽しいノリや笑いの要素もあるということでしょうか。

佐野 そこが新しいところではないかと思っています。

渡辺 そうですね。やはり重たいだけでは観てもらませんから。重たいものを消化する、消化酵素のようなものが現代人はどんどん減っているように感じます。昔のNHKドキュメンタリーなどはとても内容が重かったですよね。タイトルからして太い毛筆で、脅しにかかるような迫力があって。あれを観ていられる消化能力が昔はあったのだと思います。ところが今は、重たいテーマであっても、ライトに表現しないと観てもらえない。それもわかります。自分の人生でみんなずたずたになっているのに、家に帰ってテレビをつけて、さらに重たいものを観る気力はないですよね。あとは単純に私自身も笑いがある方がやっていて楽しいので、面白さは意識しています。

佐野 そうです。ポップで笑いもあるし、ラブもある。お仕事コメディのような要素もありますし。

――とても楽しみです! さらにその一方で、朝ドラ「カーネーション」(2011年放送)や、映画『逆光』(2021年公開)のように人間の業を鋭く描いた部分もあるのではないかと期待しています。

渡辺 私は人を傷つけない表現なんてないんじゃないかと思っています。しかし今、リスクに対して制作側が過敏になり、傷は非常に避けられる風潮があると感じています。今回も私と佐野さんは最後の最後まで議論を重ねていきました。佐野さんはプロデューサーとして作品や役者さんのことを守らなくてはいけない立場にあります。でも私は、今の社会の中で人間の業を肯定したり、受容できる場はエンタメぐらいだと思っています。報道やドキュメンタリーでは無理でも、ドラマや映画ならそれは描ける。人間って、そもそも都合の悪い生き物だと思うんですよ。

 誰しもが欲望を抱いていて、誰しもがいつか自分も社会的に抹殺されるのではないか、批判されるのではないかという恐れを抱きながら生きている。私自身もそうですけど、社会に対して配慮した顔ばかり見せていても、人は幸せになれない気がするんですよね。都合の悪いものも表現として見せていくことが社会のどこかに必要な気がしていて、映画でもドラマでもそれをずっとやってきました。ある程度のリスクがあるとしても、自分が責任を持てるところまではそれはやっていきたいと思っています。

渡辺あや(わたなべ・あや)

2003年、映画『ジョゼと虎と魚たち』で脚本家デビュー。連続テレビ小説「カーネーション」が話題に。脚本を担当した作品は、映画『メゾン・ド・ヒミコ』『天然コケッコー』『ノーボーイズ,ノークライ』、テレビドラマ「火の魚」「その街のこども」「ロング・グッドバイ」など多数。民放ドラマの脚本を担当するのは、今作が初となる。

カンテレ・フジテレビ系ドラマ
「エルピス—希望、あるいは災い—

毎週月曜日22時放送
初回の放送は10月24日(初回15分拡大)

出演者:長澤まさみ、眞栄田郷敦、鈴木亮平ほか
脚本:渡辺あや
演出:大根仁ほか

文=綿貫大介

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